記憶
正頼は朱雀門の前に立っていた。
正頼は手に握られている弓矢を見た。
自分に彼女を殺すことができるのか・・・。
正頼は望との過去を思い出した。
〜数年前〜
正頼は右大臣の元に仕え始めたばかりの若い青年だった。成人して間もなく頼りなさがあふれる青年だった。
しかし、その穏やかな笑顔とやさしさはかわらなかった。
そして、二人が出会ったのは宮中だった。
当時、望は陰陽寮の陰陽師ではなく宮中の巫女として親王や女子たちの世話をしていた。
そして望は時の帝の五男の瑞季親王と恋仲だと有名だった。
出会いは突然だった。宮中に不慣れな正頼が道に迷って道を聞いたのがきっかけだった。
望は美しい女性ではあったがとても無表情で冷たい女だった。そのため宮中では美しいと、同時にあまり評判のいい女ではなかった。
しかし、正頼は道に迷い助けてもらって以来、望を見かけるたびに声をかけた。
最初は無視する望だったが、いつまでもやめない正頼に興味を持ったのかある日庭の小鳥を眺める正頼に声をかけた。
それが二人が打ち解けてゆく始まりだった。
正頼は望に恋をした。そして、望も正頼に引き寄せられていた。
二人はたびたび会い、話をするようになった。
しかし、これを知った瑞季親王は黙ってはいなかった。
瑞季親王と望の仲は作られた仲だった。
しかし、なぜこのようなことになったのかは誰も知らなかった。
それを知っているのは望と瑞季親王そして親王の父、帝の三人だけだった。
望は瑞季親王のことを愛してはいなかったが唯一心を許している人間だった。
瑞季親王はというと望のことを愛していた。
望と正頼の仲を知るや否や瑞季親王は望に正頼にあうなと言った。
望はわざわざ会うことはしなくなった。望は自分は瑞季親王の下で一生を終えるとわかっていたからだ。
たとえそれが望の望まないことでも。
しかし、二人の仲はこれで終わることはなかった。
望が瑞季親王と一生を終える条件は親王が帝にならない場合だけだった。
そう、逆に親王が帝になることになった場合、二人は決して一緒になってはならないことになっていた。
そして、現実はその方向へむき出したのだ。
東宮の座をめぐっての争いが始まったのだ。争いのきっかけは長男の東宮の突然の出家だった。
一人の女との恋に狂い、恋人の死の衝撃から東宮は誰にも言わず突然出家してしまったのである。
これに落胆した帝は次の東宮を兄弟の順では決めないと言い出したのだ。
親王たちには野心たっぷりの貴族たちがそれぞれにつき始め東宮の地位をめぐっての争いが始まったのだ。
そして、最後に瑞季親王と三男、花山親王が争うことになった。
瑞季親王には左大臣が、そして花山親王には右大臣がついたのである。
瑞季親王は豪傑で頭も切れ、人の上に立つことのふさわしい人間だった。
花山親王は腺病質で政治的な能力は優れなかった。しかし、和歌や漢詩のわかる人間で浮世離れしていた。
この正反対の二人の争いは熾烈を極めた。
しかし、瑞季親王自身は迷っていた。帝になれば望とは別れなくてはいけない、それはつらい。
しかし、花山親王を帝にすれば帝の権力が落ちてしまうのは目に見えている。
それは、避けなくてはいけない。
瑞季親王はある決断をした。
その決断が下されたとき、その場には正頼がいた。
瑞季親王は正頼が望を任せることができるかどうか試したのである。
そして、その試しは正頼を望にふさわしい人間として瑞季親王を認めさせたのである。
そして、正頼と望は結婚し、瑞季は天皇となった。
しかし、二人の生活も長くは続かなかった。まるで最初から結ばれることが許されなかった二人であるかのように。
二人は別れた後も、だれとも結婚することなく一人だった。
正頼は雪のようにふってくる見合い話も聞きもせず、ただ一人で生きてきた。
いつも、心の片隅には望がいた。
そして、望も正頼のことをいないもののように意識して扱った。
正頼は弓矢を握り締めた。そして走り始めた。