ウィ・ウィル・ロック・ユー
「お客さん凄いいるぅ……!」
青い鳥の意匠をしたアイマスクを装着した清水が楽屋から外を覗き見て震えあがる。無理もない、いきなり二〇〇人規模の観客の前で歌うのだ。清水の反応が一般的である。
一方の俺はというと、年の功というべきか、まったく緊張もせずにバード用のお面が蒸れないように百均の冷感スプレーを振っていた。これをするかどうかで演奏中の不快感が全然違う。
「あの……俺たちに正体教えてよかったんすか?」
出番の準備をしていると、ドゥイットのボーカルが恐る恐る訊いてきた。
俺は清水とは色違いである緑のアイマスクをきつめに結んで立ち上がりつつ答える。
「ん? 構いませんよ。ドゥイットさんたちは別に言いふらしたりしないでしょう?」
「そりゃそうですけど」
「それに次のバンドが楽屋に詰められないのは問題ですから」
通常、このようなブッキングライブでの楽屋は次に出番が回ってくる演者だけが使用できる。むしろ、オープニングアクターの俺たちが彼らの使用時間帯にお邪魔しているといったほうがいい。
楽屋の時計を見る。時刻は一八時三八分、そろそろ時間だ。俺がソファから立ち上がると同時にスタッフが楽屋内に「バードさんお願いします」と告げた。
出番だ。
「行くぞブルー。俺の言ったことは覚えているな」
「う、うん。任せて」
膝の笑っている清水にすまないと思いつつ、俺たちは楽屋のドアを開けて外に飛び出す。
俺たち二人が外に出ると、観客に動揺が広がった。理由はおそらくバードが二人いるからであろう。前回も前々回も俺の単独出演だった。今日出演するバードが複数人とは誰も思っていなかったはずだ。
俺はリハ通りの位置に座り、手に持ったスカイブルーのテレキャスターにシールドを繋いだ。その他の準備を終えてホールのほうへ目をやる。すると、目の前に立つ清水はガチガチに緊張しており、この後に何をするのかが頭から飛んでしまっているようだった。
まぁ、当然か。学校でもこれ以上の人数の視線を集めることなど稀だ。MCは俺が担当するので問題はない。
「どうもこんばんは、バードです。今日は泣き唄男さんのピンチヒッターで急遽お邪魔させてもらいました」
ゲストたちが指笛を鳴らす。マナーは悪いが、それだけバードが来演するのを嬉しく思ってくれているということだ。ありがたい。
「ありがとう。と言っても、二曲だけやって次のドゥイットにバトンを渡したいと思います」
もっとやってくれーとヤジが飛ぶ。俺は口元を緩めて左手を前に差し出してちょっと待てと言外に示し、一気に右手に握ったピックをはねさせて速弾きをする。
そして、口から漏らすのだ。俺たちの後に続くアーティストへの挑発を。
「――――でもさぁ」
最高に盛り上がる、強い言葉を。
「初っ端からぶっ飛ばしてもいいよなァ!」
――ワァアアアアアア!!
その場にいた二〇〇人の歓声でホールが揺れた。
◇
(すげぇ……)
引き上げていくバードの後姿を眺めながら、中島はたった今経験した一〇分間のライブを反芻する。
一曲目はズンズンチャッと、青面のほうが足踏みと手拍子をリズミカルに繰り返し、座ってギターを握っていた緑色の鳥のお面を付けたほうが客がノってきたところで歌い始めた。そして、彼はリズムだけで歌い上げ、サビになるともう一方がコーラスを入れる。リズムだけをバックにコーラスし、ギターのハーモニクスが鳴った。
一体感。たった一曲でバードは泣き唄男を見れずに凹んでいるリーマンも、ドゥイットを心待ちにしている女性ファンも、ベロバァのサイケロックを浴びに来たコアなファンも、全て全てまとめ上げたのだ。
その状態で演奏された二曲目は、ジャジーだが疾走感溢れるパンキッシュなポップソング。こちらは青面バードがメインボーカルだったが、ハッキリ言って女子高生のカラオケレベルの歌唱としかいいようがなかった。
しかし、それを感じさせないほどの曲と歌詞でノっていた観客はステージに引き込まれていたと中島は感じた。中島本人もそうだったからである。
やはりバードは市井のライブハウスで埋もれさせていいような才能ではないと中島は強く思う。
そこで、興奮していた中島はカラカラになった喉の渇きを覚えた。
ステージから見て中段に位置する場所にいた中島は後ろに下がってペットボトルの水を煽った。周りを観察すると、中島と同じ動きをしている人がちらほらといる。それほどまでにライブの熱に当てられた人間が多いのだと、中島は思わず笑ってしまったのだった。
◇
「あばばばば……」
「お疲れ。助かったわ」
清水をネストのスタッフルームまで引っ張っていき、目の前にオレンジジュースを置く。当の本人は興奮と安堵と緊張の揺り戻しで精神崩壊しているが、ほっといたら直るだろう。
「お疲れっす~」
「おう、久保も休憩か」
スタッフルームには大学生バイトの久保がスマホを弄りながら休憩に入っていた。受付業務が一段落したのだろう。ネストのバイトは、バイトの間でドリンク係と受付を勝手にローテーションしてくれるので楽でいい。
「そっす。あ、半券の数え終わってます」
「ありがとう。ギャラ計算するから清水の面倒頼めるか?」
「うぃ~。清水っちジュース飲めるぅ?」
久保は初対面の清水にあだ名をつけ、封を切った紙パックのオレンジジュースにストローを差して吸い口をグリグリと頬に押し付けた。
……ヨシ、久保に任せて問題ないな。俺はスタッフルームの事務用品を収納しているチェストから茶封筒と油性マジックを取り出して机に置き、スマホの電卓アプリを起動する。
「今日は儲け出てますぅ?」
「出てなきゃ給料なしな」
「きゃ~」
もちろん、そんなわけはないのだが。
……っと、ふざけている場合じゃない。ネストでは出演者へ当日にギャラを手渡すので意外と時間に余裕がないのである。
「伊織君ってお金の計算までやってるの?」
自我を取り戻した清水が久保からオレンジジュースを給油されながら訊いてくる。復活したなら久保から紙パック受け取れよ。
「そうだよ清水っち〜。オーナーったら金と飯と人呼び全部やってるスパダリなんだから」
「誰がダーリンだ」
「私と結婚して養ってくだっさぁい」
「貴方を養うメリットを一四〇文字以内でアピールしてください。その後、一度持ち帰り検討させていただきます」
「こいつぁ手厳しぃ~!」
久保のゲラゲラと品のない笑いを聞き流し、ボールペンを滑らせてメモ用紙に計算したギャラを書き込む。ギャランティは受付でゲストに尋ねたアーティストの割合で変化する。
やはり、事前に把握していた通り泣き唄男さんがトップだった。彼も金が必要だろうし、今度見舞いがてら病院へ直接渡しに行くか。
ああ、そうだ。茶封筒を一枚追加で取り出し、表面に清水と書いて万札を一枚入れる。
「清水、今日のギャラ」
「え、もらえないって」
「無理言って出演させた対価だ。受け取ってもらえないほうが困る」
お疲れさんと言ってテーブルの上で封筒を滑らせて清水の前に送る。清水は何か言いたげに数度口を開くが、やがて観念したようにありがとうございますと呟いた。
「ええ~。清水っちが頑張ったんだから喜んでもらっちゃえばいいのに」
「ネストのスタッフが母親の腹に忘れてきた遠慮というものを清水は持っているんだよ」
「ええ!? そんなものがこの世に存在するんすか!?」
「お嬢さん、一九年生きてきてご存じでいらっしゃらない?」
「ふふっ」
俺と久保の会話のドッジボールに清水が笑った。ギャルギャルしいのに笑い方は上品だな。
「じゃあ、このお金でみんなでご飯に行こう?」
「いくいくぅ~!」
「いや、高校生が深夜に外食は補導されるだろう。大人しく今日は帰っとけ」
俺のぶつけた正論に清水の表情が曇った。深くは掘り下げていないが、やはりどうにも帰りたくない理由があるようだ。
俺は深く息を吐き、清水と目を合わせて訊く。
「家に帰りたくない理由でもあるのか」
俺の問いに清水は視線を泳がせ、押し黙ってしまう。
やがて、俺と久保からの圧に耐えられなくなったのか、訥々と理由を語りだす。
「……誰もいない家にいるのが苦痛なの。お母さんもお父さんもいないから」
「入院中の母親はともかく、父親は家に帰ってこないのか」
「うん、お母さんのいない家に帰ってくるのが辛いみたい」
「誰が居ようが居まいが家は家だろう?」
「うわっ、オーナーって本当に人の心がない発言しますよね」
何故か久保がドン引きしている。わからない、家は家だろ。
「じゃあ、ここにいればいい。帰りは山口や近藤さんに送ってもらえ」
よくわからんが、清水が家に居たくないのならば別にネストで暇を潰せばいい。
「うわ、すげぇ口説き文句」
「なんだその面は」
白目を剥いて下唇を突きだす久保にイラッとする。なんだ一体。清水は清水で目を輝かせているし、若い奴らの考えはよくわからん。俺の口から何度目かもわからない嘆息が漏れ出た。




