最初の一歩
清水と小島の二名を放置して一時間ほど、俺がバーカウンターで早めの夕食を取りながら木内君と酒の在庫について話していると、ライブホール側からドカドカと品のない足音が聞こえてきた。おそらくは小島だろう。
苦笑する木内君がグラスを棚に収めつつ、ドリンクサーバーのシロップを補充し始めた。言葉にしないが絶対相手はごめんだと意思を見せつけてきたなコイツ。
「決まったよ!」
ネストのバーホールのドアを勢いよく開けた小島が言った。その後ろで清水が大きな音にビックリして耳を塞いでいる。学校ではギャルぶっているくせに根っこは小動物みたいな奴だ。
「そうか。扉はゆっくり開けろ」
「えっ、ああ……ごめんね」
バーカウンターでうどんを食べながら小島に注意する。すると、彼女は謝罪をし、それでも興奮した様子で清水と小島は俺にスマホで撮った写真を見せつけてくる。
「このベースがいい!」
「アタシはこれ」
二人のスマホにはギターとベースが一本ずつ撮影されていた。小島は堂々とフェンダーの真っ白なプレシジョンベースを見せつけ、清水はおそるおそる最初に持たせた同じくフェンダーの真っ赤なテレキャスターを俺に提示した。
「どう?」
「どうの指し示す言葉がわからんが、いいんじゃないか? 初めて持つ楽器はフィーリングが大事だ。無理矢理初心者向けを持たせても嫌になるだけだしな」
少なくともこれがオススメだよとエントリーモデルを押し付けられたら俺はそいつを殺す。俺の得物をなんで他人に決めさせないといかんのだ。
怒りが顔に出ていたのか清水がアハハと困ったように愛想笑いを浮かべている。一方、小島は長財布を取り出して中身を数えていた。元々楽器屋に行く予定だったからか、学生にしては結構な額が詰まっているのが確認できる。どうやら本当に冷やかしで行ったわけではないらしい。
「で、訊きたいのは値段なんだけど……」
熱心に財布の中身を数え終えた小島は、案の定選んだ楽器の値段が気になるようだった。店のように値札が付いていないから当たり前か。
俺も詳しくは覚えていないが、ざっと頭の中のそろばんで費用を計算して彼女たちに伝える。
「清水も小島もエフェクターやシールド含めて新品買うなら一〇万」
「たっか!」
小島が思わずといった感じで叫んだ。まぁ、決して安くはない。
しかし、あそこの倉庫に在った楽器は全て一級品の品々ばかり。プロの演奏者が臨時で使う道具だ。当然だが初心者向けのエントリーモデルなんてものは置いているわけもない。故にどれを選ぼうが高価になるのは当たり前だった。
「清水も小島もミドルエンドを選んだから安いほうだ。あの壁掛けの中にはプロ仕様のハイエンドもあった」
「……伊織君、それってどれくらいするの?」
「安くて二〇万。一番高いのは五〇ちょっとだったか」
YOMAHAの多弦ベースがそれくらいしたはずだ。
軽く言った俺に清水と小島が顔を真っ青にしている。愉快愉快。
「アンタ! そんな高価なものを何も言わずに触らせるんじゃない! 壊したらどうするつもりだったんだ」
「ハッハッハッ。そのときは高校生活全てここでバイト漬けだな」
「笑うな!」
先程とは打って変わって顔を真っ赤にした小島にカウンター奥で在庫確認している木内君も苦笑い。しかし、そんな小島とは対照的に、清水は波一つ立っていない湖面のように静かな声で俺に言う。
「伊織君、ネストってバイト募集してるの?」
「人手が足りて困ることはないからな。バイトはいくらいてもいい」
土日で有名アーティストがライブすると物販やらフード提供でピーピーだからな。
清水にそう伝えると、彼女は意を決した面持ちで俺を見つめた。
「アタシを、ここで働かせてください!」
「いいぞ」
「なんにもできないけど、精いっぱい努力するんで……えっ?」
「努力もクソもドリンク提供やら受付にスキルはいらないしな。採用」
ズルズルと伸びたうどんを啜りながら、清水にサムズアップを送った。新年度になって卒業した大学生たちが軒並み退職したので人手は全然足りてないのである。猫の手も借りたいほどにな。
「ついでに小島もどうだ? 三か月もあれば欲しがっているベースが買えるぞ」
「うーん……イーコだけ働かせるのも心配だしね。OK、私もやるわ」
「よし、じゃあ明日から頼むわ。書類用意しとく」
うどんを食べ終え、椅子を回転させて彼女たちに向き合う。
「ここでバイトするなら、暇なときに楽器の弾き方を教えてやる。逃げ出したくなっても後悔するなよ」
清水と小島は俺の脅しに、満面の笑みで返した。
◇
「つーわけで、清水と小島はウチでバイトすることになりました」
職員室前で松本先生を呼び出した俺は、彼に経過と結果を伝えた。
先生はボサボサの髪を掻き上げて、ふうと息を吐いて俺に対して「助かるぜ」と感謝の言葉を口にした。
「清水の親御さんに連絡とっても『好子のことは彼女自身に任せています』なんてほざきやがってよ」
「その無関心ぶりならもう通報されては? 彼女に訊いたところ、生活費だけは振り込まれているようですが……」
俺の提案に松本先生は空気をさらに重くするため息を吐いた。前髪を手櫛でかきあげ、先生は辛そうな表情で首を振る。
「どこまで行っても、学校はあくまで学校だからな……問題が表面化していない以上は通報は見送るべきと上は決めた」
「逃げですね」
「立ち向かえば好転するって確定しているわけでもないからな」
確かにそうだ。人間関係に明確な正解なんてない。
とはいえ、手遅れになってからでは遅いのだがなどと思っていると、松本先生が俺の肩をパンパンッと叩いて言う。
「ま、伊織が目を光らせてくれるなら大丈夫だろ。ときおりだが、ライブハウスに俺も顔を出すよ」
松本先生は「当然、客としてな」と付け加えてウインクをした。
職務外だというのに生徒の様子を確かめるために身銭を切るとは……以前の見解を訂正して、素晴らしい先生として認識すべきなのかもしれないな。
「そういうことならば、ネストに来る日にちを伝えてくれればチケットを前売りで用意しておきますよ」
「マジ!? じゃあ、再来週の木曜日のチケット頼める? いやぁ、マァディンのチケットが手に入らなくて困ってたんだよ~」
だらしのない表情をする先生を見て前言を撤回することを決めた。俗物が。
……松本先生がウキウキしながら言ったマァディンとはスラッシュメタルで有名なバンドである。
彼らは観客の顔が見えにくいドームなどの収容人数万越えのハコではライブを行わないポリシーがあり、全国ツアーでもライブハウスで演奏ばかりしているコアなファンが多いバンドだ。
もちろん、ドームでも埋められるようなバンドがライブハウスツアーをするとなると、ファン同士でチケットは奪い合いになる。おかげでチケットの転売価格が毎回酷いことになっているのは有名な話だ。
「……ま、それぐらいの役得は見逃します」
色々言いたいことはあるが飲み込む。清水を心配しているというのは本音だろうしな。




