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ウンディーネシリーズ番外編  作者: 咲佐きさ


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6/7

ルーの日本公演の話

ルーの日本公演の話です。時間軸としては『ウンディーネは白日に誓う』と『ウンディーネは暁に祈る』の間の話になります。

「ムッシュ・リーヴェ、コンサートの招聘がありました。受けてよろしいですね!?」

 ある昼間、セデュの屋敷に駆け込んできたマチウが意気込んで告げる。

 一方僕は寝不足の目を擦りながら遅い朝ごはん…兼お昼をもそもそやってる最中だ。昨夜は作曲の手が止まらなくって、朝まで猛烈にピアノを弾きまくってたから、朝セデュが出かけていくのをまた見送れなかった。

 セデュはいつも僕が作曲しているのを間近で見たいからってつきあってくれるので、いつ寝てるのかはさっぱりわかんない。あいつがそれで身体を壊すようなことがないといいんだけど…。

「コンサートって、何さ。僕あんまり目立つことはいやなんだけど…」

「何を今更! 昨年ムッシュ・リーヴェが納品したアドベンチャー映画の劇版がありましたよね!? あの映画が大ヒットしたので、今回の招聘となったわけです! 忙しくなりますよおーこれから!」

「ええー…」

 マチウはいつになくワクワクしてる。腕の振るい甲斐がやっとできてきたって感じかな。もともとマチウはセデュのマネージャーだったひとなので、不甲斐ない僕に忸怩たる思いもあったのかもしれない。

 とはいえ。

「顔出しはなあー…僕が目立つとまたパパラッチが湧くだろ。それで、昔のこと穿り返されるんじゃないか? そしたらまた仕事なくなるよ。そっとしておいてほしいんだけどなー」

「その点は、ご安心ください!」

「なにが?」

「招聘したのは、極東の島国です。あなたの過去の悪行もあまり知られていないようですし、コンサートが大盛況に終わったとて、欧米に反響が及ぶことは少ないかと!」

「…それはそれで複雑なものがあるけども…」

「お受けしてよろしいですね!?」

「…」

 コンサート。コンサートかア。もう10年ぶりくらい? 映画音楽メインのコンサートなら、僕は指揮者ってことか。満場の観客の前で、オケと一体になる快感は、忘れようったって忘れられるものじゃない。できるならまた、舞台に立ちたい。音楽を全身で味わいたい。…。

 結局僕は頷いていた。コンサートの場所は日本、15年ぶりくらいの日本だ!


「というわけで、僕は日本に行ってくるよ。2週間くらい滞在するから、君も時間があったら来てよ」

「コンサートの日程は。いつからいつまでだ。スケジュールを調整する。できれば全公演鑑賞したい」

「おっ久しぶりの強火発言が出たな…まあ君も仕事があるだろうから、むりはしないでよ」

「無理などしていない。私は優先順位を間違えない。スケジュールが被るようなら仕事はキャンセルする」

「めちゃくちゃ間違ってるからそれ! まじめに仕事しなよ!」

「お前の晴れ舞台より大事なものは私の人生には存在しない」

「こわいこわい! 目がマジだ!」

 取材から帰ってきたセデュといつも通りいちゃいちゃしながら近況報告する。

 売れっ子の映画俳優であるセデュは僕なんかよりずっと忙しいんだ。出演する映画の準備、本撮影に、それに伴う雑誌やテレビやラジオの取材だろ、あと他にも広告塔になってくれなんてオファーもいっぱいきてるみたいだし、オフの日なんて月に数日だ。

 コンサートは5日間で、全公演観るとなると――日本まではるばる飛行機で往復することも考えて、どうしたって1週間は空けてもらわなきゃならなくなる。

 とてもじゃないけど、一緒に来てくれなんて言える状況じゃない。状況じゃない、んだけども。

「知ってる? 日本ってさ、ひろーい温泉が有名なんだぜ」

「…ヴィースバーデンのようなものか?」

「みんなで入るのもあるけど、ホテルの個室に個人的にくっついてる温泉ってのもあってさ、それだと、大人ふたりでも余裕で入れて、ずーっといちゃいちゃできるんだぜ? めっちゃエロくない?」

「…」

「ふふふ、それで僕は個人温泉つきの個室をマチウに抑えてもらったんだー! いえーい! いいだろー!」

「…」

「君が今何考えてるか、あててあげようか?」

「…必ず後から追いかける」

「えへへ、待ってるね。えっちな僕の騎士様♡」

 寄りかかるセデュの耳朶が赤く染まっているのを眺めて、悪戯を仕掛けた僕は満足するんだ。

 ――1週間じゃなくても、数日だけでも、セデュの時間がもらえるなら、僕は嬉しいから。




 飛行機内蔵のスピーカーは耳がキンキンして痛くなるので僕は使えない。世界各国の珍しい音楽に触れるチャンスでもあるんだけど、数分で頭が痛くなってしまうんだ。

 仕方ないからイヤホンは外して手荷物から文庫本を出して、真っ暗な機内にオレンジのライトを灯す。セデュに出演の打診があったばかりの、映画の原作本だ。ミステリアスな幻の少女に恋する、貧しい純朴な画家の役。またラブストーリーだよ。あいつは世界中のラブストーリーを制覇しようとでもしてるんじゃないのか? 彼の顧客層がそういうのを求めてるってのはわかるんだけど!

 10数時間のフライトは読書してるとあっという間に終わる。

 籠った音のアナウンスが響いて、真昼の日本に到着だ。

 ビジネスクラスの広々としたイスから立ち上がって伸びをする。機内食は食欲がなくてほとんど残してしまった。空を浮遊してるときの酩酊状態から、ずんと重力が掛かって地上に繋ぎ留められる感覚がある。それを不自由だって感じる思いもあるけど、機内にとじこめられたままじゃあもっと窮屈だから、早く外に出たい。

 手荷物を持ってくれるマチウに急かされ、搭乗口に向かう。外は眩しくて明るい。快晴だ。なんかいいことが起こりそうな、陽気な気持ちになってくる。――

 外に顔を出した途端、耳を劈く悲鳴? 歓声? に、僕はびくりと固まる。

 なんか、搭乗口のまわりに、人だかりが、できている。

 おしゃれしてメイクした若い女の子とか、おかみさんみたいなご婦人とか、着物姿の老婦人とか。きらきらした目でこちらを見上げて、口はみんな「わ」の形に開いてる。

 僕は動揺して、思わず、機内に戻ってしまった。

「何してるんですかムッシュ・リーヴェ? ファンの子にちゃんと応えてあげないと!」

「まってまってまって聞いてない。なに? え? なんであんなに集まってるのさ!?」

「日本ではムッシュ・リーヴェの人気は絶大なものでして。スキャンダルが知られていないのもさることながら、まず貴方のビジュアルが、おそらく日本人の好みに合うのでしょうねえ…」

「いや、15年くらい前に来たことあるけど、ここまでじゃあなかったぞ!? なんなの!? こわい! 卵投げつけられたりしない!?」

「ありえませんよ。何にそんなに怯えてるんです…」

「君こそなんでそんなに落ち着いていられるのさ!? これじゃあいつもと逆じゃないかー腹立つなーくそー!」

「私はムッシュ・レヴォネのマネージャー経験もございますからね。担当タレントへの歓声には慣れたものでございます…さあ行きますよ」

「やだやだやだあ、絶対転ぶ! 笑いものになる未来が見えるう…」

 マチウに押し出された僕はぎくしゃくしたしぐさでタラップを降りる。

 日本人の女の子たち、ご婦人たち、老婦人たちは、きゃあきゃあ歓声は凄いけど、人垣を搔い潜って突進してきたりはしなそうで、やっとほっとする。

 待たせていた車に乗り込むまで黄色い声は上がりっぱなしで、マチウに促された僕が引き攣った笑顔で手を振ると、地獄の蓋が開いたみたいな悲鳴が空に鳴り響いた。なんか、すさまじい。日本人てもっと、奥ゆかしい感じじゃなかったっけ?



 温泉つきのホテル、というか、リョカン? に到着して、荷物を解いて、やっと人心地つく。

 リョカンの女将さん、はさすが仕事人というか、一切顔色を変えずににこやかな笑顔で僕を案内し、日本語でなにやら言って下がって行った。

 僕は残念ながら、日本語はさっぱりわからないので、通訳さんがほしいところだ。

「通訳は手配してあります。今日の午後にご挨拶に来ると」

「あーそっか、それはよかった…」

 イタリア語と英語、ドイツ語はちょびっと話せるけど、他の国の言葉はさっぱりだ。でもセデュみたいに、英語もイタリア語もドイツ語もぺらぺら立て板に水みたいに話せるわけじゃあないから、ほんとにちょびっと、なんだけど。そういえばセデュのやつはスぺイン語もロシア語も話せるし日本語も勉強してるとか言ってたな。一緒に仕事する相手に失礼にならないようにって学び始めたらしいけど、まったく、いつ寝てるんだあいつはー! 通訳にほしいぞちくしょう!

「明日は朝から会場の下見と、11時からオケ合わせがあります。16時には衣装合わせ、18時には会食です」

「会食…って、だれと?」

「今回のスポンサー様ですよ、お行儀よくなさってくださいね」

「うげえ、日本のセレブかあ。気が重いなア…」

「スポンサー様の奥様と娘さんが、ムッシュ・リーヴェのファンなのだそうです。そう硬くならず、リラックスして大丈夫ですよ。いつもの下品な冗談は控えてほしいですが…」

「僕もさすがに、そういう席でうんこの話とかはしないよたぶん…」

「多分じゃ困るんですが!?」

「あー疲れたなあ。観光しようと思ってたけど、とてもそんな元気でないや…」

「まあ、滞在はまだ始まったばかりですから。ゆっくりする時間もできますよ」

「そうだといいけど…」

 果たして、外に出るたび向けられる好奇の目と連日連夜届けられるお花や手紙の数々に僕は途方に暮れるのだった。

 こんなにみんなにチヤホヤされるのが久しぶりすぎて、なんか、慣れない。

 


 コンサートの会場は申し分ない広さと音響で、僕はひとまず安心する。オケ合わせも順調、日本人の通訳さん(ユキさんていう、女の人)も親切で、何の問題もない。

 衣装合わせは、セデュが僕のために誂えてくれた燕尾服を持参した。久々の舞台だ、少しでもセデュを感じられたら、緊張も解れる、はず。あいつはいつこっちに来られるんだろう。まだ何も連絡がないけど、やっぱり難しいのかな…。

 会食には通訳さんとマチウにも同席してもらう。池のある日本庭園が見渡せる畳のお部屋で、見た目にも鮮やかな日本食が提供される。

 生魚とか、姿煮だとか、ちょっと食べるのに抵抗のある品々も出たけど、口にしてみると意外といける。上品で、繊細な味だ。昨日空港で見た、着物の老婦人って感じの。

 スポンサーさんに振られる話題には笑顔を貼り付け、

「はい」「いいえ」「そうですねー」で乗り切る。乗り切れてるかどうかは全然わかんないけど、マチウが顔を曇らせてないから多分大丈夫だろう。

「リーヴェさん、日本で一番たのしみなことはなんですか?」

 同席した15歳くらいの娘さんがきらきらした目で尋ねる。

 僕はちょっと考えて、

「やっぱり温泉かなア。好きな人とおふろでいちゃいちゃできるっていいよねえ」

「ムッシュ・リーヴェは温泉がお好きなんですよね! そりゃあもう世界各国の温泉を制覇する勢いではい! 日本の温泉は特に効能が素晴らしいと聞きますし!」

 慌てたようなマチウのフォローに、初めて失言に気付く。あ、そっか、好きな人がいるってことも、ファンの子の前では隠さないとなのか…。

 うーん、セデュがこっちに来てくれたとしても、あんまりベタベタできそうにないなあ。残念。日本人はあんまりキスとかハグとか日常的にしないらしいし、手をつないでお寺巡りとかしてたら途端に撮られちゃいそうだ。案外、パリより厳しいかもだぞ…。

「リーヴェさん、好きな人がいるんですか…?」

「いないいない、いたらいいなって話だよ! ていうか通訳さん全部訳さなくていいから! 適当に、いい感じにお願いしたいなアそこは!」

「好きな人いるんです?」

「だからいないってば! 個人的な興味になっちゃってるだろーもう!」

「ムッシュ・リーヴェはすべての日本人女性の恋人です…そうお訳しください…」

「マチウもそれは言い過ぎだから! 絶対面倒くさいことになるからやめてくれないかな!?」

「女性だけなのかな? 男性では駄目かな?」

「はい…ムッシュ・リーヴェはガチガチの異性愛者でございますので、男性は残念ながら守備範囲外にございます…そうお訳しください…」

「面倒くさいことになるから! もうそのへんでこの話題はおしまいにして!」

 会食はそんな感じに、僕がひとりで叫んで終わった。

 …大成功と言えるのかどうかは微妙だけど、露骨なお誘いとかはなかったので、まあ成功と言ってもいいんじゃないか?



 問題が起きたのは、その後だった。

 舞台初日を2日後に控えた真昼のことだ。

 ――コンマスと、連絡が取れなくなった。



「絶対ボイコットだよこれ、昔の僕のことどこかで知っちゃったんだ、こんなやつにはついてけないって思われたんだよー、間違いないよー」

「今、コンマスの行方を捜していますから、おち、落ち着いてください、ムッシュ・リーヴェ!」

「たとえ見つかっても、嫌だって言われるよー、ボイコットだもんー」

「そうと決まったわけでは、ほら、他の楽団員のみなさんは集まっておられますし! ね!? なんなら急遽他の人材を調達して…」

「いきなり連絡して2日で準備しろって無理だろそれはー!」

 バタバタと慌ただしい混乱の中で、パリからセデュが到着したのだった。


「一体どうした、何があった」

「わーん、セデュどうしよう、幕上げられないかも、僕のせいで…」

「お前のせい? マチウ、事情を説明しろ」

「それがかくかくしかじかでして…」

 マチウの説明をふんふんと聞くセデュをぼんやり見つめて、ああやっぱりセデュがそばにいると落ち着くなア、なんて考えて――僕はふと思いつく。

「マチウ、コンマス用のヴァイオリン、用意できるよね。あと衣装も」

「できます、道具だけでしたらすぐにでも」

「よし、それならなんとかなるかもだ。セデュはすぐ衣装合わせして、オケの練習もしなきゃだから――」

「待て、何の話だ」

「君ヴァイオリンやってただろう? 今も弾けるよね?」

「…弾けるが…」

「じゃあ上出来だ。君なら僕の曲の意図はぜんぶ理解してるし、僕も言葉の通じないコンマスよりやりやすい!」

「いや、やっていたと言っても、もう5年以上ヴァイオリンには触れていない。あまりに無茶だ。お前の舞台を台無しにするわけには――」

「コンマスがいなきゃ、どうせ無茶苦茶だよ! 君は僕を助けてくれないの? 僕がこんなに困ってるのに? ねえセデュ、お願い! 僕をたすけて、君は僕の騎士様だろう?」

「――」

 セデュが眉間に深く皺を刻んで、重いため息を吐く。あまりに唐突で無茶なお願いに、さすがのセデュも、怒ったかな? でも僕だってもうどうしようもない。他に解決策なんて見つからないんだから。

「――ねえ、セデュ、…だめ、かな?」

「――スコアと楽器を用意してくれ。オケ合わせの前に練習したい。初日は2日後だったな。1日で仕上げる。楽団員にはそう伝えてくれ」

「やったあーセデュだいすき!」

「つつ、伝えてまいりまあす! あと楽器も、ひとっとびで!」 

 こうして僕の、10年ぶりの舞台に、セデュも一緒に立つことになった。

 信じられないくらいうれしい。またセデュと、本気で競演できるんだ!

 偶然が重なっただけだけど、奇跡みたいだ!

 もう何もこわいものはない、だってセデュと一緒だからね!




 突貫工事の準備が終わり、初日の幕は無事に開いた。

 パンフレットやチラシの刷り直しは間に合わなかったからセデュの名前はどこにも載っていないけど、彼はコンマスとしての務めを十分以上に果たしてくれた。

 …パンフレットに載っていない絶世の美男コンマスの登場に劇場内はどよめいていたけど、それもいい思い出だ。

 ライトきらめく舞台に上がって、満場の観客にお辞儀して、タクトを振り上げる。

 音の粒が生まれて弾けてぴょんぴょん遊ぶ。

 楽しくなって大きく逸れがちな僕の指揮をコンマスのセデュが軌道修正して、一緒に手を取り合ってダンスしているみたい。

 天から降るような調べを聴きながら僕は思いっきりステップを踏んで、手を振り上げて、他に何も見えないみたいに踊る。

 オケと演るのはやっぱり最高に楽しい。いろんな音がひとつになって、調和して、反響して、僕の魂が拡張していく感じ。

 痺れるみたいに心地いい。セデュとのセッションは、いつもこんなふうに、僕を天国に連れて行ってくれる。

 はち切れそうな感謝を込めてセデュに笑いかけると、挑むような眼をしたセデュの雰囲気がふと緩んで、僕に微笑みかける。

 喝采は、いつまでも鳴り響いていた。




「ありがとうセデュ、明後日はナゴヤだってえ、またよろしくねえ」

 全部出し切ってへろへろになった僕はふたりきりの楽屋でセデュに抱き着く。この暖かさとこの香り、やっぱり落ち着くー。

「明日はオフか」

「んーと、確かそう、だったかな」

「…いや、まだ詰め足りないところがある。公演が終わるまでオフは練習に充てなければ」

「まじめかよお。でもありがとね、きみがいないと、ぼくはやっぱりだめなんだあ…」

「ムッシュ・リーヴェ、そろそろよろしいですか…? ファンの子たちにサインのプレゼントなどしてさしあげては?」

「うへえ、まだあるのお?」

「ファンは大事にしなければな。お前の成功の後押しをしてくれる子たちだ」

「君がそう言うなら、まあ、仕事するけどもー」

「ムッシュ・レヴォネは裏口からお願いします…貴方もまた、日本ではかなり名が知られていますから…大混乱を避けるために…」

「わかった。――宿で会おう、ルー」

「うん、先に帰ってて。…今晩はたーっぷりサービスしてあげるからねえ」

「…公演が終わるまでは、お預けだ」

「なんで!」

「…何も、手につかなくなってしまうから…」

「…」

 こいつはセデュを無理矢理巻き込んだ僕の自業自得だ。残念だけど、仕方ない。セデュは真面目なやつだし、僕だってまあ、せっかくの舞台は大成功で終わりたい。

「じゃあ、終わったら、いっしょにおふろ、入ってよ…」

 荷物を纏めて楽屋を出ていくセデュをつんつんつつきながら言うと、彼は耳朶を染め、何ともいえない顔をしていた。困ったような、笑いを堪えているような、そんな顔だ。

 …想像しちゃったのかな、かわいいやつ。



 キョート、ナゴヤ、トーキョーと、えーとあとヨコハマとフクシマ? の公演が全部終わって、またキョートの宿に帰ってきた。

 キョートはなんか好きなんだ、竹林とか、朝の境内とか、しーんとしてて空気が澄んでる感じがする。日本にはいっぱいカミサマがいるって聞いたことあるけど、見るものすべてにカミサマが宿っている感じ。ここで言うカミサマってのはキリスト教の神様じゃあなくて、なんというか、日本固有の存在のこと。

 赤いトリイがいくつも並んだ軽い山道をセデュと並んで歩く。狐の姿のカミサマがあちこちにあって、知らんぷりしながら僕らを見てる。異国情緒っていうのかな、ヨーロッパにはない冷気と、ちょっと怖い雰囲気。売店で打っていた狐のお面をかぶったカミサマが、ひょっこりそこらのトリイから姿を見せそうだ。

 境内で打っていたサケカスは、甘ったるくて舌に残る独特の風味だった。


 

 日本のリョカンは壁が薄くて風通しが良い。ついでに蒸し暑さもそのまま、身体にじわじわくる。

 それで日本のリョカンのユカタっていうのは、大きな布をぐるっと巻き付けるだけで、ひどく無防備だ。涼しいのはいいけど、防御力ゼロって感じだ。こんな格好で、日本のひとたちは、まともに生活できてたのかな? いまは大体みんな洋服着てるけど、昔の人はみんなこういう、巻き付ける布だけの服、だったんだよね。

「どエロイなアなんだコレ…着たまますぐにできちゃうじゃんか…」

「お前はまたそういうことを…」

 グレーのユカタをぴしりと着こなしたセデュが僕のオビを巻くのを手伝ってくれる。でもどうやっても下半身が落ち着かない。膝なんてすぐに剥き出しになる。というか腿からもう剝き出しだ。着てるんだか脱いでるんだかわからない。

「暴れるな、すぐにはだけるから…」

「だってー恥ずかしいよこれ! 恥ずかしくない!? ていうかなんでセデュはきちんと着られるのさ!? 慣れてるの!? 着たことあるの!?」

「何年か前に来日した際に着たことが一度…」

「えーそうなの? なんかコツとかある?」

「背筋を伸ばして、暴れないことだ。ほら、襟元が乱れている…」

「んあ」

「…妙な声を出すな」

「君の触り方がえっちだからだろ!?」

 呆れたように眉を顰めるセデュは襟元を硬くしまい込んで、隙のない着こなしだ。

 ただ、キュッと締まった裸足の足首とか、手を上げた時にちらちら見える腕だとかが、なんというか、すごく色っぽい。隠されている美って感じだ。なんかドキドキして、ついでにムラムラする。このオビってやつを解けば、はらりと全部脱げちゃうんだから、やっぱりユカタって、どエロイ装束だ。

「ねーセデュ、この格好のまましたいんだけど、だめかなあ?」

「宿の備品だろう…汚すわけには」

「えーいいじゃん、どーせ洗濯するんだろうし」

「…」

「ねーねーねー」

「1回だけなら…」

「やった!」

「今ここで始めないでくださいよ!? これから夕食ですからね!?」

 マチウの素っ頓狂な声に遮られなければ最後までやっちゃってたかもだ。いけない、いけない、セデュと一緒で舞い上がっちゃって、周りが見えてなかったな。

 ていうかマチウいつからいたの?

「最初からいましたが!!」



 まずダツイ所で服を脱いで、からからと引き戸を開ける。半分だけ外の空気が入ってくるタイプの温泉、の前に、シャワー室があって、そこでまず体を流す。開け放たれた窓からはカレサンスイ? っていうのかな? 白砂と竹となんか灯篭みたいな置物のある中庭が見える。温泉自体は、木を組み合わせた桶をでっかくしたような形をしていて、成人男子ふたりが入っても、全然余裕がある感じだ。

 簡単に身体を洗ってから桶の中に入ると、繊維がぜんぶ解けていくような温かさに包まれる。

 きもちよくて、寝ちゃいそうだ。

 ぼんやりうとうとしていたら、後ろからセデュにぎゅうと抱き寄せられる。

 透明なお湯に、僕を閉じ込めるように折り曲げた彼の長い脚が透けて見えてる。

 はあ、とため息が耳に触れてくすぐったい。なんだろう、今日は甘えたな気分、なのかな?

「どうしたの、お疲れだねえ…無理難題をふっかけた僕が言うのもなんだけど…」

「始まりは滅茶苦茶だったが…お前の舞台に力を貸せたことを光栄に思うよ」

「めちゃくちゃ目立ってたよねえ君。知ってる? 前から3番目のお客さん、セデュが出てくるとため息ついて凝視しててさ。君の追っかけみたいに、毎公演観に来てくれてたの」

「お前のファンだろうそれは…」

「いーや君のファンだったね! 間違いないよ! 君はもうちょっと自分の魅力を自覚したまえ!」

「それはお前に言いたい…」

「ん? ぼく?」

「…美しい、陶磁器のような肌だ。お前はどこもかしこも綺麗だな…」

「ちょっとーこんなところで口説き文句出すのはずるいってえ! ドキドキしちゃうだろー!?」

 セデュは僕の二の腕を掴みながらうっとりしたように呟いてる。温泉の気持ちよさにあてられて、のぼせてやがるなア、こいつ。

 透けたお湯からはセデュの健康的な肌色と、僕の青白い肌がコントラストを作って見える。…こんな貧弱な身体に欲情するなんて、ほんとにセデュは、変わったやつだ。

「たのしかったね、ひさしぶりにきみとセッションできて、さいこうだった」

「…ああ、」

「ぼくの昔のことを、知らない子がたくさんいるっていうのもいいな。まるできれいなものみたいに僕を見つめて、応援してくれる子が、あんなにいたなんてな…」

「…」

「なんか、息がしやすい感じだった。君とあんまりいちゃいちゃできないのだけ、残念だったけど」

「日本にも別荘を買おうか。お前がそんなに気に入ったのなら」

「えー? 無駄遣いはよくないぞー?」

「無駄ではないさ。お前が過ごしやすい場所を作ってやれるのなら、本望だ」

「…でもそれだと、君と離れ離れになっちゃうだろ、」

「ん?」

「日本には、たまに来るだけでいいよ。いっしょにまた来よう、それでまた一緒にお風呂にはいろ」

「…うん」

「…今ならだれも見てないから、えっちなことしてもいいぜ?」

「…のぼせるようなことを言うな…」

 アハハ、と僕は笑って、セデュに寄りかかる。

 暖かくて、心地よくて、このまま眠りにつきたい感じだ。

 僕が眠ったらたぶんセデュは抱き上げて、部屋まで運んでくれるんだろう。

 まるできれいなものになったみたいに感じて、僕はまた笑う。

 何年先になるかわからないけど、またセデュとここに来たい。

 そのときは、もうちょっと落ち着いて、セデュといちゃいちゃできたらいいな、なんてね。


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