第88話
── 数年後。
『僕はこの領地をこの国で一番笑顔の多い領地にしたいんだ』
『レイノルズ領に住むことを望む人が一人でも増えるように私も手伝う!』
あの丘で幼い私達は指切りをした。
『デボラ、僕のお嫁さんになってね』
『もちろんよ、ブルーノ』
幼馴染で子供の頃から決められた婚約者。ブルーノと私はずっとずっと側に居るものだと信じて疑わなかったあの頃。
丘に立つ私の髪に小さな葉っぱがどこからか風に吹かれて舞い落ちた。
『じっとしてて』
伸ばされた大きな手が私の髪の葉っぱを慎重に取り除く。私の髪を一本も引っ張らないようにと慎重に。
『ありがとうございます』
私はその手の持ち主を見上げた。いつの間にか私は少女から大人へと変わっている。そして、私の隣に立つのは──
『デボラ、そろそろ時間だ』
レニー様が優しく笑って私に手のひらを向けた。
『そうですね。そろそろ行きましょうか』
私は慣れた手つきでその手に自分の手を重ねた。
レニー様は私の手を優しく握ると、空の向こうを指さした。
『長い人生これからも色々あるだろうが……君の隣は僕の場所だ。絶対に誰にも譲らない』
『フフフッ。どうしたのです?改めて。私達は夫婦じゃありませんか』
私の言葉にレニー様は目を細めた。
『愛しているよ』
『私も愛しています』
私達は笑顔で頷き合うと、一歩足を前へと踏み出した。
「── ボラ、デボラ」
その声に私は瞼を開く。
あれは……夢?──ブルーノの夢なんて久しぶりに見た。
きっと今からブルーノのお墓参りに行くからだろう、そんな夢を見たのは。
目を開いた私の向かい側腰掛けたレニー様が柔らかく微笑んだ。
「もう少しで着くよ。よく寝ていたね」
「すみません……子ども達は……」
まだハッキリとしない頭で、私は自分の膝に上半身を預けて眠る娘を確認した。
レニー様の隣には目をキラキラさせて外の景色に夢中になって馬車の窓に齧りつく息子の姿。
「最近頑張り過ぎだ。寝不足なんだろう?」
「新しい店舗のことを考えていたら、ついつい……」
私は自分のスカートの上に広がるレニー様によく似た娘の金色の髪を撫でた。
「おかあさま、あれ!」
息子の指差す方向へと視線を向けると、ブルーノの眠る丘が遠くに現れた。大きく枝を広げた樹が目印だ。
「もう少しで着くわね。そろそろジェシカを起こそうかしら」
「まだいいだろう。さぁ、ブルーノ、お前は靴を履こうな」
馬車の座面に靴を脱いで立っていた息子のブルーノは口を尖らせた。まだ外を見ていたかったようだが、「はぁい」と少し不満気ながらも椅子に大人しく腰掛ける。その小さな足に優しくレニー様が靴を履かせた。
彼は良く子どもの面倒をみてくれる。ただ……ほんの少しブルーノよりジェシカに甘いのは娘に甘くなりがちな父親あるあるだろう。
すると、私の膝の上でモゾモゾと娘が動き始めた。目が覚めたようだ。
彼女は体を起こし目をこする。
「う…ん。もうつくの?」
ブルーノとジェシカは双子だ。三歳になったばかりの二人を初めてレイノルズ伯爵領へと連れて行く。
「もう少しで着くわ。二人ともレイノルズ伯爵にちゃんとご挨拶できるわね」
「ぼくできるよ!」
「わたしも……できる」
まだジェシカは寝ぼけているようだが、ブルーノに負けじと目をこすりながらそう答えた。
「四年……ぶりかしら?来れなくてごめんなさい」
ブルーノのお墓に花を手向けながら、私は呟いた。選んだ花は白い薔薇。
おじ様に砂糖の件を頼みに来た日に手向けた花と同じだ。
ブルーノと過ごした日々は私の心の土台となっている。出会えた喜びに偽りはない。
妊娠と出産を経て、やっと再びここに来ることが出来た。産後、あまり体調が優れなかった私に代わり、ブルーノの命日に毎年ここへ足を運んでくれたのは── レニー様だった。
おじ様のチェスの相手はいつの間にか私からレニー様へと変わった。ただ……レニー様は全戦全敗と聞く。
「おかあさま、ここにはだれがいるの?」
私を真似てお墓の前にちょこんとしゃがみ込んだ息子のブルーノが尋ねる。娘のジェシカはレニー様に抱っこされて機嫌が良い。
「お母様のお友達が眠っているのよ」
「ふーん……」
子ども達には、まだ死の意味は分からない。でも私はブルーノに子ども達の姿を見せたかった。
おじ様もおば様も二人に会って喜んでくれた。私の幸せな姿を二人が誰よりも望んでくれていたことを私は知っている。少しでも恩返し出来たのではないかと、私は胸をなで下ろした。
もうすぐルチアの結婚だ。おじ様の引退も近い。……その時にはまたゆっくりとおじ様のチェスの相手が出来るといい。
「ブルーノ。お前の名前はこのお友達からいただいたものだよ」
レニー様の大きな手のひらが息子の頭を撫でる。息子の名を付けたのはレニー様だ。彼は言った『素敵な名前だからな。きっと賢い子になる』と。
「そうなの?」
息子はその言葉の意味を分かっていないのだろうが、反射的に聞き返していた。
「あぁ。素晴らしい人からいただいた名前だよ。大切にしような」
レニー様がそう言って微笑めば、息子も満面の笑みで「はい!」と答えていた。
「デボラ、そろそろ時間だ。ご実家で皆が待っているよ」
母や兄は出産後何度かこの子達に会いに王都へ来たが、父は初めて二人と直接会う。それは、それは楽しみにしていると母からの手紙に書いてあった。
父の体調はとても安定しているようだ。何なら出産後王都まで行くと言い張っていたぐらいだが、それを周りが全力で止めたのだと聞く。
「そうですね。そろそろ行きましょうか」
私はそう言って立ち上がる。
レニー様が私の髪に付いた葉っぱを慎重に摘んで取ると、私に向かって手を差し出した。娘はまだレニー様に抱っこされていたいのか、ギュッと彼の首に手を回し抱きついている。
── ふと、何処かで見た景色だと思った。どこだったかしら?
「デボラ?」
少しボーッとしていた私にレニー様は声をかける。私は我に返り、その手に自分の手を重ねた。もう片方の手にはしっかりと息子の手が握られている。
何処かで見たような風景だが、何かが違う。しかし考えても思い出せない。
「さぁ、行こうか」
「ええ」
少しだけモヤモヤするが、私はレニー様に促され足を踏み出した。
レニー様が目を細めて私の顔を見ると言った。
「愛しているよ」
「私も愛しています」
レニー様は私の答えに満足したように頷いた。
彼は愛を語るその口で『愛人を作ってもいい』とは二度と言わないだろう。
もちろん、私も絶対に言わない。もしレニー様が浮気をしたら……ううん、それはその時に考えよう。きっとレニー様は無事ではいられないだろうが。
── Fin──
これでこの物語は完結となります。約8カ月という長い間、デボラとレニーの物語にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
また皆様にお会い出来る日を楽しみにしております。 初瀬 叶




