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愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う  作者: 初瀬 叶


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第86話

「レニー様、ありがとうございました」


その日の夜、私は改めてレニー様に礼を言った。

ソロモン博士は既にご自身の研究所へ旅立った。また一週間程をかけて、北の僻地へ戻るのだろう。彼がわざわざ王都に出向いてくれたのもレニー様のお陰だ。


夫婦の寝室。一緒に休むようになってずいぶんと時間が経った。レニー様は最初の宣言通り私に手を出すことはない。至って紳士的な態度だ。

今は二人窓の側に立ち、何となく月夜を見上げていた。


「いや、僕にとって伯爵は義理とはいえ父親だ。大切にしたいという気持ちは君と同じだよ。それに……まだ── 」


レニー様が言い淀む。言葉を選んでいるのだろうが、彼の言いたいことは言葉を聞かずとも理解出来た。


「完治しない病気なことは理解していますが、父の苦しみが少しでも軽くなれば。──それより何故、ソロモン博士のことを私に教えてくださらなかったのです?」


レニー様はソロモン博士に何度も手紙を送っていたようだが、私にはそのことを全く知らせてくれていなかった。ずっと気になっていたことだ。


「── 断られるかもしれなかったからね。下手に期待させたくなかったんだ。……だが、病気が病気だったから……」


レニー様は悔しそうに唇を噛み締めた。もしかするとソロモン博士なら魔法のように父の病気が治せるのだと思っていたのかもしれない。そんな素直なところはレニー様ぽいといえば、レニー様っぽい。


少し俯くレニー様を私は下から覗き込み、そっと噛み締めた唇を撫でた。


「本当に私は感謝しているのですよ?もちろん父も母も……兄も。レニー様が行動してくださらなかったら、弱っていく父を見守ることしか出来ませんでした」


「だが、期待させてしまっ── 」


私はレニー様の言葉を遮るように、彼にそっと口づけた。



レニー様の体がピクリと揺れる。私は唇をゆっくりと離す。


レニー様は自分の唇を震える指先でそっと触れると、顔を真っ赤に染めた。

まるで少女のような仕草が可愛らしく思えて、私はクスッと笑う。


「い、今……く、く、唇が── 」


レニー様の動揺する様に私もニヤけてしまう。


「嫌……でしたか?」


私が首を傾げると、レニー様はブンブンと大きく顔を横に振った。


「嫌なわけないだろう!──ただ、驚いて……ちゃんと感触を覚えてなくて── 」


そう言うレニー様の唇を私はまた自分の唇で塞ぐ。彼はまたもやピクリと体を跳ねさせたが、離れようとする私の背に手を回し、グッと力を入れた。軽い口づけのつもりが、レニー様によって思いの外長く深い口づけとなってしまった。









「はぁ……旦那様は幸せそうでいいですね……」


大きなため息と共に執事が呟いた。


父の病気を知ってから二ヶ月。いよいよ兄が叙爵することとなり、その手続きで一度王都へ来るという。


折角なのでこの屋敷に寄るという話で準備をしている最中だというのに、執事は肩をがっくりと落とし、何度もため息を吐いていた。


「ん?スタン、何か言ったか?」


レニー様は袖口のカフスボタンが上手く留まらず、苦戦しながら執事に聞き返す。


私はその様子に苦笑しながら、レニー様のカフスボタンに手を伸ばした。


「フフッ。私がします」


カフスボタンを私が留めると、また背後で大きなため息が聞こえる。


「はぁ……奥様に甘えて鼻の下伸ばしちゃって」


執事とは思えぬ失礼な物言いだが、スタンなら許される。不思議な男だ。


隣に居た家令が眉間に皺を寄せる。


「おい、スタン。お前今から休みだろう?ほら交代、交代!さっさと休めよ」


家令が執事の肩に手を置いて、無理矢理扉の方へと押し出そうとする。


「あら?今日はお店に行かないの?」


レニー様に上着を着せながら私が執事に振り返る。すると彼は泣きそうな表情で眉を下げた。


「レオナが……来るなって……」


今にも泣き出しそうな執事に私は苦笑した。


「レオナは休みなく働くスタンを心配しているのでしょう?ここの仕事が終わったらお店に顔を出しているのだもの、私でさえいつ休んでいるのかしら、と不思議に思っているのよ?」


「体力には自信がありますし、夜に勤務がない時はちゃんと休んでます……」


反論もなんとも弱々しい。レオナに『来るな』と言われたのが、余程堪えたのだろう。


「スタン、いいか?まずは自分の気持ちを伝えるんだ。それから── 」


レニー様は何故か急に執事に上から目線で語り始めた。── が、執事はそれを遮るようにか細い声で言った。


「断られたんです……告白したけど」


執事はますます泣きそうな顔をした。



「お前なぁ、断られたぐらいなんだ!めげすに伝え続けるんだよ!僕なんか── 」


「レニー様、そこまで。ほら、そろそろ兄たちが到着しますわ」


私がそっと時計を指差すと、レニー様はそちらに視線を向けながら上着のボタンをかけた。


このまま喋らせると、レニー様は私達のアレやコレやを言い出しかねない。


あの夜から、レニー様は目に見えて私にベタベタと甘えるようになった。周りにも私達の関係が前進したことがバレバレだ。


正直、屋敷の皆が喜んだ。いや……前の執事なら嫌がったかもしれないが── 。


ふと前の執事を思い出していた時、まるで私の頭の中を覗いたかのようにレニー様がポンと手を叩いて言った。


「あぁ、そう言えば、前に勤めていた執事だが……ハルコン侯爵領で母の世話をしているらしい。兄さんのスパイだった訳だし……頼ったんだろうな」


「そうですか……やけにあっさりと出て行ったと思いましたが、行きたい所があったのですね」


「かなり父を慕っていたようだからな。まぁ、それで奴が幸せならそれでいい」


レニー様はそう言うと、私に微笑んだ。私も同じ気持ちだ。スパイというのは不快だったが……今となっては責める気持ちにもならない。


「そうですね」


私も同意を示すように微笑んで頷いた。



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