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愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う  作者: 初瀬 叶


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第85話

「ソロモン博士……?」


「ソロモン博士は肺研究の権威でね。お義父さんは肺が悪いと聞いたから── 」


「え?父の病気……肺が悪いのですか?」


兄は私に父の病名を口にしなかった。あの時は動揺していたし、今でははっきりと聞くのが怖くて私はそれを知ろうとはしなかった。


「あ……あぁ、ごめん。知りたくなかったかな。つい興奮してしまって」


レニー様は改めて冷静になったようで、私の反応にシュンとなってしまった。


「あ、いえ!ただ、あれから兄に尋ねる勇気がなかっただけなので……」


「出過ぎた真似かと思ったんだが、あの後直ぐ義兄殿にお義父さんの病状を尋ねた。病名ははっきりしないが、肺の病だと聞いてね。ずいぶんと前になるが、北の果ての果てにある小さな村に引退した高名な医者が居ると聞いた覚えがあって、殿下に確認したんだ」


「それが……ソロモン博士?」


「そうだ。殿下が言うには、彼はもう医者として診察はしていないんだが、色んな病原体の研究を続けてるらしく、特に肺の病気に詳しいらしい。昔、風の噂程度で聞いただけだったが、思い出して良かった」


レニー様はどこか安堵したような表情を浮かべた。


「でも、そのソロモン博士が何故……?もう患者を診ることはないと引退されたのですよね?」


「僕がしつこかったからね。呆れて諦めてくれたようだ。だが、博士も御高齢。バーケット領まで行くのは負担だ。だからお義父さんにこの王都まで来てもらうことが出来れば……だが」


最近の兄からの手紙では、然程具合は悪くなさそうだが……兄が私を心配させない為に嘘をついているという可能性は否めない。


「兄に訊いてみます」


「あぁ。もちろん無理はさせられないが」


私はレニー様の顔をジッと見つめた。彼はまるで父を本当の親のように心配してくれているように見える。


「レニー様……何故ここまで── ?」


「僕は父を亡くしているが……あの時は何もしてあげられなかった。罪滅ぼし……というわけではないが、自分に何か出来ることはないかと思って──」


私はそこまで聞いて、レニー様の胸に飛び込んで彼を抱き締めた。


「……ありがとうございます。父の為に……」


レニー様はそっと私の背に腕を回す。


「もちろん診てもらったからといって、治るという保証はない。期待をさせるだけさせて、失望させてしまうかもしれない。だけど……何もしないで諦めてしまうのは、君らしくないだろう?僕もいつの間にか、君に感化されたらしい」


レニー様は優しくそう言った。私は彼を見上げる。


「動揺してしまって……私は何も考えられなくなってしまっていたみたいです。冷静でいたつもりなのですが……」


「当たり前だよ。自分の父親のことだ。冷静でいろという方が無理な話だ。なるべくお義父さんには体に負担がかからない方法を考えよう。ハルコン侯爵家に大きな馬車があってね。あれなら横になったままでも移動できる。兄さんに頼んでみよう」


レニー様がずいぶんと色んなことを既に考えてくれているのだと分かって、心が温かくなる。

気を緩めると涙が溢れ出しそうだ。私はあえて笑顔を作った。


「はい!私も直ぐに兄に手紙を書きます」


そんな私を見て、レニー様は微笑んだ。


「その調子だ。諦めず出来る限りのことをしよう」


そう言って彼は私の頭を優しく撫でた。



「黙っていろと言ったのに、あいつ……」


王都に着いた父は前回領地で会った時より若干顔色が良いように思えた。


「すみません、僕が義兄殿に無理を言ったばっかりに── 」


レニー様が謝罪を口にするのを、父は慌てて手で制した。


「いや、違います!── ただ、心配させたくなかっただけで── 」


「お父様、少しぐらい心配させてください。結婚しても私が娘でいることに変わりはないのですから。だから、お兄様を責めないでくださいね」


「そうですよ。それに譲位が早まればデボラだって何かあったと気づきます。きっと……隠されている方が辛い」


レニー様が私の肩をそっと抱く。私は彼の顔を見上げた。優しく微笑むレニー様の表情にほんの少しの後悔が浮かぶ。きっと自分と前ハルコン侯爵との姿に重ねて私達をみているのだろう。


「……そうだな。デボラ、隠してすまなかった」


「お父様、謝らないで。お父様とお母様のお気持ちはよく分かっていますから」


少しだけしんみりとした空気を壊すような執事の声が聞こえる。


「ソロモン博士がお見えになりました!」


レニー様はパッと顔を扉に向けた。


「分かった!直ぐに行こう」


私とレニー様はソロモン博士をホールまで迎えに行く。

私は父と母に「ここで休んでいてね」と客間を後にした。




「うーん……これは」


ソロモン博士は父の診察を終えるとこう言った。


「肺の中にある肺胞というものが壊れる病気ですな『肺気腫』と呼ばれています」


「治るのでしょうか?」


母は心配そうに博士に尋ねると、博士は少し難しい顔をした。


「壊れた肺胞は元には戻りません。しかし、わしの研究で作った薬で進行を遅らせることが出来るかもしれません」


博士は眼鏡を指で直しながら、頷いた。


「出来る……かも?」


私の問いに博士は唇をキュッと結んだ。言いにくいことがあるのだろう。


「この薬はまだ試験段階でして……言わば試作品ってところです。どうします?試してみますか?」


博士は父の目を真っ直ぐに見た。


「この苦しさが和らぐのなら、私は試してみたい」


父の答えに私は胸が苦しくなる。どれだけ父は辛い病状を我慢していたのだろう。


「分かりました。……ならばこちらからもお願いがあります」


博士の言葉に今度はレニー様が尋ねる。


「お願いとは?お金なら── 」


「あぁ、いや、いやその逆です。出来れば伯爵の病状と服薬後の経過を記録させていただきたいのです。協力していただけるのなら薬のお代は結構。どうでしょう。実験台にするようで申し訳ないのですが」


申し訳ないと言いながらも、博士の目は少し輝いて見える。研究者とはこういうものなのかもしれない。


結局、父は博士の提案を承諾した。

ソロモン博士の助手と共に、父と母は領地へと帰る。



「もう少しゆっくりしていけばいいのに」


馬車まで見送りに出た私が口を尖らすと、父は小さく笑った。


「私は領地が好きなんだ。あののんびりした空気が何よりも心地いいんだよ。あぁ……そうそう。りんごをありがとう、とても美味しかったよ」


私は不意に涙が溢れそうになり、グッと堪える。そして馬車の扉を閉めると、父と母の乗った馬車がゆっくりと走り出すのを見送った。


レニー様はもう一台の馬車に乗る博士の助手に声をかける。


「くれぐれもよろしくお願いいたします」


助手の方は笑顔で頭を下げる。


「こちらこそ、研究に協力していただけて助かります。呼吸法の訓練も同時に行いますので、今よりはずっと楽になると思いますよ」


私はその言葉に少しだけホッとした。助手の方は言葉を続ける。


「博士もブラシェール伯爵のしつこさに参っておりましたが、あの北の辺境に引っ込んだままでは、博士の才能が日の目を見ることなく終わるところでした。引っ張り出してくれて私は感謝しています」


助手の方が笑う。レニー様は苦笑しながら頭を掻いた。


「団長から博士の噂を聞いて居ても立ってもいられなくなりまして……すみません」


レニー様の言葉に助手の方は私に視線を向けた。


「ご夫人のご両親を大切に思われる……良い旦那様ですね」


「はい。自慢の主人ですので」


助手の方の言葉に私は力強く笑顔で答えた。

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