第78話
結局、レニー様は昨晩王宮から戻ってくることはなかったようだ。
アリシア様はクラッド様に王宮へ連れて行かれた。
彼女の処罰はどうなるのだろう。イヤリングは妃陛下の元へと無事に戻ったはずだ。
それで彼女の罪が軽くなるのか……それは陛下の胸先三寸といったところか。
「奥様、おはようございます」
食堂へ行くと、執事が笑顔で待っていた。
「おはよう。昨晩はありがとう。貴方も消火を手伝ってくれたと聞いたわ」
私が礼を言うと、執事は照れたように頭を掻いた。
「いやぁ……私が到着した時には殆ど火は消えておりまして……。ただ……犯人がまさかハルコン侯爵様の元奥様だったとは……」
そうか……執事はアリシア様と直接対峙したことはなかったのか。顔を見ても気づかなかったかもしれない。
「私も驚いたわ。……そこまで恨まれていたなんてね」
私が苦笑すると、執事はギュッと眉間に皺を寄せた。
「奥様が羨ましかったのでしょうけど……お門違いも甚だしい。あんな女が奥様に太刀打ち出来るわけないじゃないですか!」
彼との付き合いはまだほんの数日だというのに……。前の執事との違いに驚かされる。こうして持ち上げられるのも悪い気はしない。
「彼女がどんな処罰を受けるのかは分からないけれど……うちの店に火をつけたことの責任はきっちりと取ってもらいたいわね」
私は昨晩の店の様子を思い出す。今日はもちろん営業は無理だ。おじ様との約束にはタイムリミットがある。せっかく店も評判になり順調だっただけに、ここで足踏みしなければならないことが痛かった。
「奥様、今日は店に行かれますか?そう言えばこちらを旦那様が……」
そう言って執事は私に一枚の紙を差し出した。
「レニー様が?」
その紙にサッと目を通す。何人かの人物の名前が羅列されていた。
「真夜中に一度お戻りになりましてね。伝言とこの紙を託して直ぐに王宮へと出向かれましたけど。この名は王宮の大工仕事を任されている者達のものらしいです。今日から店の修繕に取り掛かって貰うよう手筈は整えた……と。奥様に安心するようにと仰っておいででした。奥様を起こさぬように言いつけられておりましたので、お声がけせず申し訳ありません」
「レニー様が……」
お忙しいのに私のために陛下に掛け合ってくれたのだろう。私は心が温かくなるのを感じた。
「ありがたいわ……これで営業再開が一日でも早くなるといいけど」
私の言葉に執事は大きく頷いた。
「私もお手伝いしますよ。今から家令と交代なので」
「とんでもない!ずっと働き詰めじゃないの。ゆっくり休んで」
私の言葉に執事はニヤッと口角を上げた。
「言ったじゃないですか。体力には自信があるって。私もお役に立ちたいんです。……奥様には初日から迷惑を掛けてばかりの私をクビにせずここに置いてくださってる恩がありますから」
あの失敗を実は気にしていたようだ。レニー様も言ったように、この執事は気の良い青年だ。……もう少し落ち着いて行動できるようになれば、執事としてもっと成長出来るだろう。
「じゃあ一緒に行きましょうか」
私が食卓の椅子から立ち上がると執事は満面の笑みで「畏まりました」と明るく返事をした。
「レオナ!何をしているの?」
「デボラ様!おはようございます!」
レオナは売り物であるジャムを店の前に出したテーブルに並べ、そこに小さな値札を置いているところだった。
私がそこに近付くと、レオナは笑顔で答えた。
「今朝早くから大工さんが修繕に来てくれて。お話を聞いたら、五日ぐらいで営業再開できるとか。でも……勿体ないじゃないですか、五日も休んじゃうのって。ジャムはこうして無事でしたから、それなら道行く人に売ったらいいんじゃないかと思って」
レオナはニコニコと笑いながら、ジャムを並べる手を止めない。
「昨日は夜遅くまで大変だったのに……ゆっくり休んでも良かったのよ?」
「……私、このお店が好きなんです。うちの商品を口にした皆が笑顔になる瞬間を見ると、私まで幸せな気分になれるんです。……だから悔しくて」
レオナはほんの少し俯いたが、パッ!と顔を上げた。
「きっとお客様も五日も休んじゃうと残念に思うんじゃないかなって。だから……。ダメでしょうか?」
私の反応を窺うようにレオナは私をチラリと見た。
「ダメなわけないじゃない。きっとうちの味を求めて来たお客様に喜んでいただけるわ。でも無理はしないでね。昨日は放火犯まで捕まえてくれて、大活躍だったんだから」
私は微笑んでレオナの肩に手を置いた。
「前の店でもヒステリックな女性を宥めたりすることがありました。実は足も早いし力もありますので」
レオナはおどけて力こぶを作ってみせた。可愛らしい制服に些か不釣り合いな感じはするが、レオナの明るさに救われる。
「そう言えば……良く直ぐに火が上がったって気付いたわね」
私の質問にレオナははにかんだ。
「実は……スイーツの試作品を作っていたんです」
「試作品?それは?」
彼女は照れながら言った。
「ポセットを果物のピューレで作れないかなって……色々試してみていたんです」
アリシア様が「甘くいい匂いがした」と言っていたことを思い出す。なるほど……厨房に居たから裏手に放たれた火にいち早く気づくことが出来たのかと私は納得した。
そしてちょうど見回りの護衛がやって来て……偶然が重なったとはいえ、これぐらいの被害で済んだのは不幸中の幸いと言えるだろう。
「それで試作品はどう?上手く作れた?」
「それがまだ……お客様に出せる程のものにはならなくて。でも、諦めません!もし納得出来るものが完成したら、デボラ様に一番に試食していただきます!」
レオナはずいぶんと笑うようになった。同情は要らないと言った彼女だ。きっと仕事で頑張って、私から認められたいのだろう。
「楽しみにしてるわ。── 本当にありがとう」
私はやはり彼女にこの店を任せたことは間違っていなかったのだと、改めて自分の人を見る目に自信を持った。
すると執事がカゴに入ったたくさんのジャムの瓶を持って現れた。
「運んで来ました。並べたらいいですか?」
執事はレオナの行動を見て、気を利かせてくれたようだ。力持ちの執事であれば一度にたくさんのジャムが運べるというものだ。
「え?運んでくださったのですか?ありがとうございます」
レオナは笑顔で礼を言った。
執事はカゴの中からジャムの瓶を取り出し、レオナに倣ってテーブルへ並べていく。
しかし、如何せん彼の手は大きい。並べたそばから隣の瓶を倒し、小さく書かれた値札の紙を吹き飛ばしていく。
「ちょ、ちょっと!」
レオナが慌てると、執事は大きな体を小さくして謝った。
「すみません……不器用なもので」
不器用とか、そういう問題ではなさそうだが、そんな彼を見てレオナは声を出して笑った。
「アハハ!ならば並べるのは私に任せて下さい。お店の奥に昨日焼いたクッキーもあるで、良かったらそれも持って来ていただけますか?」
「は、はい!」
執事は大きく返事をして店の方へと戻っていく。私はその大きな背中を笑顔で見送ったが、小走りに走り去る彼の耳が赤く染まっていたのを見逃さなかった。




