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愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う  作者: 初瀬 叶


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第73話

家令の青ざめた顔を見て、私は只事ではないことを悟った。


「奥様、大変です!」


新しく雇った執事がまた何かやらかしたのだろうかと不安になる。


兄に頼ったはいいが、実家から紹介された執事はまだずいぶんと若い青年であった。兄曰く「これからに期待してやってくれ」と言われたが、この屋敷に来た当日に大切な書類を紛失するという大事件を起こした。私と家令が取引先に頭を下げたことは言うまでもない。

ちなみにレニー様は皇太子殿下の帰国の護衛として同行している。国境沿いまでとはいえ、長い道のりだ。


「どうしたの?」


「今、早馬が来て皇太子殿下が隣国に入った途端捕縛されたと── !」


私は思わず立ち上がった。椅子が大きな音を立てて後ろへひっくり返る。


「レニー様は?レニー様はご無事なの?」


「旦那様はご無事でいらっしゃいます。国境沿いで隣国の護衛に皇太子殿下の乗った馬車を引き渡した所……直ぐ様……」


家令の手には早馬で届けられた手紙が握られていた。


「うちの国の近衛達はみんな巻き込まれていないかしら?」


「この手紙にはそのようなことは書かれておりませんが……アリシア様が……」


私は家令の言葉に今の今まで忘れていた人物の顔を思い出していた。

皇太子殿下の帰国が決まったその夜遅く、レニー様が話していた言葉と共に。


『アリシア様が王宮に?』


『あぁ。本気で隣国に一緒に行くらしいな。兄さんは離縁証明書を教会に提出したと言っていた』


『そうですか……』


今でもレニー様が不快そうに顔を歪めながらその話をしたことを覚えている。アリシア様はクラッド様やレニー様に見せていたか弱く守りたい少女の仮面を完全に脱いでしまったようだ。

黙り込んだ私の心を読んだかのようにレニー様は続けた。


『僕は人の表面しか見てなかったんだな。アリシアは相手によって見せる顔を変えていたようだ。今はリカルド殿下に淑やかな顔を見せているよ。……吐き気がしそうだった』


そう言ったレニー様の顔は本当に気分が悪そうに見えた。


そんなレニー様がこの屋敷を出発したのは七日前。店の開店に立ち会えないことを何度も謝っていたっけ。

あの朝にまさか一週間後、皇太子殿下が捕縛されるなんて誰が予想しただろう。


「でも……どうして?」


後継ぎ問題が片付いて帰国することになったはずなのに……。

私はレニー様の無事に安心すると同時に今回の出来事に困惑しっぱなしだった。



「心配していると思ってね」


クラッド様が我が家に顔を出したのは、皇太子殿下が捕縛されたとの一報が入ったその日の午後だった。


クラッド様の来訪と聞いて思わず身構える。『妻を交換』なんて言われた相手をやすやすと信用出来なかった。そんな私の心を見越したのか、クラッド様は私の答えを待たずに言葉を続けた。


「隣国の皇妃……リカルド殿下の御母上の実家が、納税を誤魔化し私腹を肥やしていたことが露見してね。責任を取って皇妃も幽閉されたんだ」



応接室で対面に座るクラッド様の顔は心なしか疲れているように見えた。対応に追われているのだろうか?そんな忙しさの中わざわざ私に知らせを持ってきてくれたことは感謝しなければならないのかもしれない。


「リカルド殿下もそれが原因で?」


「あぁ。皇妃が責任をとり幽閉された後、側妃が実質の正妃となった。元々リカルド殿下は評判が宜しくない。必然的に……」


「弟君が皇太子殿下になられる……そういう理由ですね?ならば、後継ぎ問題が解決したというのは── 」


「我が国も騙されたよ。まぁ、明言を避けていたと言われればそれまで。向こうも小癪なことをする」


リカルド殿下を帰国させる為の嘘── まぁ、あちらの言い分としては『後継ぎ問題が解決した』のは嘘ではないとでも言うつもりなのかもしれない。詳細を確認しなかったのはこちらのミスとも言える。

クラッド様はため息混じりにこう付け加えた。


「詳細を確認しなかった我々の落ち度もあるが、まぁ、我が国としては怪我人など巻き込まれた者は誰もいなかった。そこは幸いと言えるだろう」


『誰もいなかった』

私はその言葉に反応するようにクラッド様を見つめる。


「アリシア様は?」


クラッド様の肩がピクリと動く。


「── 皇太子殿下……いや、元皇太子殿下と言った方が的確かな。彼と共に捕縛されたと聞いている」


クラッド様の瞳の奥は何の感情も宿っていないように静かに見える。彼はアリシア様のことをもう切り捨ててしまったのだろうか?


「どうなさるおつもりですか?アリシア様はただ隣国のゴタゴタに巻き込まれた被害者なのでは?」


私の言葉にクラッド様は少し項垂れる。── が、次に口から出たい言葉は、私の予想を大きく外れたものだった。


「リカルド様について行くと決めたのはアリシアだ、しかも婚約者として。添い遂げるつもりの相手と一緒なんだから文句はあるまい」


何とも冷たい言葉だと私は驚いてしまう。


「……本当にそれでよろしいのですか?」


「我が国としてもアリシアを返してほしいなどと交渉する予定はない。リカルド様の処分次第ではアリシアも幽閉となるかもしれないな」


そう言いながらクラッド様は立ち上がった。話しはこれで終わりということらしい。


私も見送るために立ち上がる。その私にクラッド様は少しだけ微笑んで言った。


「とにかくレニーは無事だ。安心するといい」


私もそれについてはホッとしていたところだ。思わず口角が上がる。そんな私を見てクラッド様は少しだけ首を傾げた。


「君はレニーをどう思っているんだ?」


私は自分の中の答えを探す。


「ブラシェール伯爵として── 」


そんな私の言葉をクラッド様は遮った。


「そんな表面的で型通りの言葉は要らない。君の気持ち……本心を教えて欲しい」


「……これからもっと歩み寄っていければと思っております。レニー様は不器用ですが、今は私に真心を見せてくださっています。私も彼に同じように返していければと」


レニー様は私の心ごと欲しいと言ってくれた。そして急がず待ってくれるとも。そう言ってくれたレニー様を思い出すと自然と私の顔は綻んだ。


クラッド様は大きく頷く。


「僕は自分の伴侶を選ぶには目が曇っていたが、弟には良い奥方を見つけたようだ」


彼はそう言い残して、応接室を出る。「見送りは不要だ」と言われた私は、その場で背中を見送った。

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