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愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う  作者: 初瀬 叶


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第70話

「こちらを」


気合いを入れて屋敷の扉を開いた私達の前に、執事が深々と頭を下げている。その手に持つのは『辞表』


「ずいぶんと用意がいいな」

レニー様はほんの少し不快感を滲ませながらそう言った。


「侯爵邸にお二人が招待された段階で覚悟しておりましたので」


レニー様は執事の辞表を封筒から出してサッと目を通すと、私にそれを寄越した。私もそれを受け取ると目を通す。


「それで?何か言いたいことはあるか?」

レニー様は刺々しい物言いで執事の様子を窺う。


「言いたいことはございません。言い訳もいたしません。私のやったことは執事として正しくないことはわかっておりますから」


執事はそうきっぱりと言った。その様子はどこか清々しくもあり、私もなんだか気分が悪い。


「ねぇ……貴方の主は誰なの?レニー様?それともクラッド様?」


執事の肩がほんの少しピクリと跳ねたのを見逃さなかった。


「……私の主は──」

「その間が答えね。よく分かったわ。レニー様を主と認めない人にこの家の執事を任せるつもりはないし──」


私は執事の言葉を待たずに、そう言った。言葉を切った私はレニー様に顔を向ける。レニー様は小さく頷くと執事に言った。


「僕は良い主人ではなかったかもしれないが、これでもここの当主なんでね。荷物を纏めて早めに出て行く手筈を整えてくれ」


「……本当に申し訳ありません。直ぐに出ていきます」


執事は深々と頭を下げたが、どうしてもそれが私には心からの言葉に聞こえず、何とも嫌な気持ちのまま、玄関ホールに残る執事に背を向けた。


湯浴みを済ませ、私は寝室へと向かう。今日は色んなことが起こりすぎていて疲れた。


夫婦の寝室の扉を開けると、そこにはまだレニー様の姿はなかった。


執事の件は、少なからずレニー様にもダメージを与えていると思う。主として認められていなかったのだと、はっきりと分かってしまったのだから。


ほんの少しレニー様を待ってみたが、疲れた私は寝台の魅力に抗えず、のっそりと寝台に横たわった。


先に休んでしまっても構わないかしら?レニー様のことは気になるが、もう瞼を開けておくのが限界だ。

それにしてもレニー様、遅いな……と思っていたところに小さくキィ……という音が聞こえる。


寝室の扉が細く開けられていて、そこに人の影がチラついている。── が、その人物は何故かそこから微動だにしない。

ここを覗く人物なんてレニー様しか思いつかないのだが……。


私はゆっくりと上半身を起こす。


「……レニー様?」



扉から除く人影がピクリと動く。うん、やっぱりレニー様で間違いない。


そのまま暫くすると、ギィーッと大きく扉が開かれて、レニー様が姿を現した。

しかし、その顔は何とも言えない表情を浮かべている。

執事の件がそんなにショックだったのだろうか?



「レニー様、どうされました?」


ゆっくりとこちらに近付くレニー様に私は声を掛けた。


「……さっきのアリシアとの約束の話の後で、どんな顔してここに来たらいいのか悩んでしまった。そもそもここに来る資格が僕にあるのかと……」


「それを気にされていたのですか?」


てっきり執事の件で落ち込んでいるのかと思っていた私は拍子抜けする。


「だって……他の女とそんな約束をした夫など、嫌だろうなと。僕がデボラの立場なら許せないよ……相手の男を」


私のことは許してくれるらしい。私はそんなレニー様を可愛らしく思った。


「私は別に気にしていませんよ。それに、私も高らかに宣言してしまいましたしね」


そう言って、私はハルコン侯爵邸で「子作りする!」と宣言した自分を思い出していた。そんな自分に苦笑いだ。

すると寝台の横に立ったままのレニー様の顔が一瞬にして赤くなる。


「デ、デ、デボラ……その……あの時は売り言葉に買い言葉だろう?……無理しなくていいんだ……よ?」


いつの間にレニー様はこんなに、私の顔色を窺うようになってしまったのか……。

しかし── 。


「改めてそういう風に言われると、ちょっと……考えたくなってきました」


勢いって大事だと思う。今の私にはあの時の勢いはない。そして疲労がもう限界だ。


「そ、そうだよな!いや……別に残念って思ってるわけじゃなくて……その……待つって決めたから── って、デボラ?」


なんだかレニー様の声がどんどんと遠くなっている気がする。瞼が重くて開けていられない。


「デボラ……?寝た……のか?」


寝台がギシッと沈む。


「……レニー……さ、ま……」


彼の名前を呼んでいる自分の声までもがどこか遠くから風に乗って聞こえてきているようだ。


「フッ……。寝顔はまだ幼く見えるな……」


温かい手のひらが私の頬を撫でる。私はそれが夢なのか現実なのかを確かめる間もなく、深い眠りに落ちていった。



翌朝。

私が目を覚ますと、レニー様は既に出かけた後だった。


「皇太子殿下が?」


「はい。急に国へ帰ることになったそうです。何かあちらの国で動きがあったようで」


家令が私にレニー様が早朝呼び出された事の顛末を報告する。


「後継ぎ問題が解決したのかしら?」


「そう考えるのが妥当かと思いますが── ところで奥様」


「ん?何?」


「執事の事……おかしい、おかしいと思いながら決定的な証拠を掴めず申し訳ありませんでした」


家令はそう言って深々と頭を下げた。

聞けば、執事は置き手紙を家令に残し、既にこの屋敷を去ったという。


「貴方が謝ることではないわ。……それに、彼がブラシェール伯爵家に忠誠を誓えなかった原因の一端は私にありそうだし」


元々、あまり好意的には思われていないだろうと分かってはいたが……。


「執事は……頭が固い奴でしたから」

私の言葉に家令はそう言って、眉を下げた。

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