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愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う  作者: 初瀬 叶


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第68話 Sideレニー

〈レニー視点〉



「デボラ落ち着いて」

なんて言いながら、僕の方が心臓がバクバクと音を立てていた。


さっきのデボラの発言……「今日から致します」を思い返すとニヤニヤしてしまう。


今、そんなことで喜んでいる場合でないことは百も承知だ。

兄さんの「妻を交換」っていう極めて馬鹿げた発言は許せないし、執事の今後の処分を考えると頭が痛い。それにさっきのケインとかいう男……。兄さんの言葉から察するに彼は男娼だろう。じゃなきゃ『仕事だから仕方ない』などというはずがない。アリシアが男娼を買っているなんて正直驚いたが、ショックかと訊かれれば『いや、全然』と僕は答えるだろう。


そんな自分にも驚いた。今愛しているのがデボラだとはいえ、アリシアの不貞にもう少し動揺するのかと思っていた。しかし今はマドリー夫人の社交クラブのことをデボラに問い質したい気持ちの方が勝っている。

気にならないと言えば嘘になる。……しかし、デボラがそんなことをするはずないと信じてもいる。もちろんさっき睨まれたし。



立ち上がったデボラの手をそっと握る。彼女の拳を握ると、その手は少し震えていた。随分と怒っているようだ。

彼女は隣に座ったままの僕に視線を向けた。


「デボラ、兄さんの言うことに耳を貸さなくていい」

僕がそう言うと、デボラは少しだけホッとしたような表情を浮かべた。僕はそのまま兄さんと視線を合わせた。


「兄さん。アリシアの浮気も、そちら二人の都合もハルコン侯爵家も、僕たちにはどうでも良い話だ。陛下や殿下が何と言ってるかなんて、関係ない。アリシアと離縁するなら、すればいい。それすらも僕にはどうでもいいんだ。そんな馬鹿げた話しかしないなら、僕たちは失礼するよ。新しいパートナーなら、他をあたってくれ」


僕はデボラの手を握ったまま、自分も立ち上がった。

兄さんは僕たちを見上げると眉をキュッと寄せ不快そうにため息をついた。


「ハルコン侯爵家だぞ?デボラにも良い話だと思うがな。そんなにブラシェール伯爵領が大切なら、金を出そう。いくら欲しい?」


「兄さん……いつからそんな人間になったんだ?それに何故デボラに執着する?」


僕は兄さんを見下ろしながら何だか悲しくなってきた。別に特別仲が良い兄弟とは思っていなかったが、尊敬出来る人間だと思っていたのに。


僕の手の中にあるデボラの手がまだ怒りで震えていた。


「クラッド様。お金の問題でも爵位の問題でもありません。……私は約束を守らない人間になりたくないのです。ブラシェールの領民にも、そしてレニー様にも」


そう言ってデボラは僕の方に顔を向けた。


「私は結婚する時にレニー様と生涯を共にすると誓いました。── レニー様、もう帰りましょう。私達の家に」


僕は心が温かくなる。結婚当初、不誠実な行いばかりだったこんな僕に、デボラは神に誓った約束を守ると言ってくれた。それだけで泣きそうになるほど嬉しい。


「……そうだな、帰ろう。僕らの家に」

僕は改めてキュッとデボラの手を握り直す。


「馬鹿な……。見す見すハルコン侯爵夫人の座を蹴って伯爵夫人で甘んじるなど。せっかくの君の才能を無駄にするとは」


兄さんは呆れたように首を緩く振った。




「デボラ、悪い話じゃ── 」


兄さんがまだそう言い募ろうとした時── 。


ガタン!


大きな音を立てて、アリシアがすっくと立ち上がった。


僕たちの目の前に立ったアリシアはバッと顔を上げると、泣いて赤くなった目を見開いた。そして高らかに笑い始める。


「アーッハッハッハ!あーおかしい。皆、馬鹿なんじゃないの?」


彼女はそう言葉にしながら、目尻の涙を拭う。今度は笑いすぎたようだ。僕はその様子を唖然と見ていた。


「アリシア?」

兄さんが訝しげに彼女を見上げると、アリシアはキッと兄さんを睨みつけた。


「クラッド。あなたを選んだのは間違いだったわ。優しくて地位もある。せっかく私に釣り合いがとれる男だと思っていたのに……器が小さいんですもの」


彼女は呆れたようにそう言い放った。兄さんはその変貌したアリシアの様子をただ黙って見上げている。だがアリシアは止まらない。


「侯爵を継いでからというもの、あれしろ、これしろってうるさいし。それにぶくぶく太って……みっともないったらないわ。侯爵夫人になったら、何もせず贅沢な暮らしが出来ると思ったのに、がっかり。それに── 」


アリシアはクスッと笑うと、兄さんを指さした。


「そんなせり出したお腹の男となんて、夜を共にしたくないわ。どうせ子を産むつもりもなかったし」


「アリシア……君は僕に言ったじゃないか。デボラの方が先に妊娠したら立場がない、と。だから── 」


僕はつい、そう口にしていた。隣のデボラが僕の方をそっと見た。彼女は「分かっている」というように小さく頷いた。


「馬鹿ね。ただ単に、レニーがデボラさんに好意を持たないようにと邪魔していただけよ。でも……あまり功を奏していなかったみたいね、その様子だと。残念だわ」


「じゃあ僕とデボラが── 」


「肌を重ねると、情が移るでしょう?レニーは私のものだもの。知らない女が横から掻っ攫うのは気に入らないわ」


……これは僕の知ってるアリシアなのか?

幼い頃、父の影に隠れながらこっちをチラリと見ていたオドオドした少女と目の前の女がどうしても重ならなかった。



「僕はアリシアのものじゃない。いい加減にしろ!」

反射的に僕は否定していた。兄さんにしろ、アリシアにしろ人をなんだと思っているんだ。


「あらそう?私がクラッドと結婚して、辛そうにしていたじゃない。結婚を嫌がったのだって、私が好きだったからでしょう?結婚しても私が呼べば尻尾を振って直ぐに来ていたくせにデボラさんを好きになったからって、その言い分は勝手過ぎない?」


僕は恥ずかしくなった。アリシアが言っていることは確かに今までの僕のことだ。だけど今は── 。


すると僕の隣に立っていたデボラが呟いた。


「貴女……可哀想な人ね」


その言葉にアリシアが反応する。


「何が?どこが可哀想なの?もしかして嫉妬?」


「嫉妬?貴女を羨ましいと思う部分が私には一つもないのに?」 

デボラは困ったように笑う。


「ふん。クラッドに選ばれたとでも思ってる?クラッドがあなたに興味を持ったのは、レニーの持ち物だからよ。クラッドはなんだかんだ言ってレニーにコンプレックスを持ってるんだから」


アリシアの言葉に僕はチラリと兄さんの方へ視線を向けた。兄さんは小さく肩を竦めるが、否定はしなかった。


「貴女の頭の中にはそんなくだらないことしか詰まってないの?男性は貴女を満足させる道具じゃないわ」


「綺麗事言わないでよ!あなただってハルコン侯爵家と縁続きになるから、この縁談を受けたくせに。男を利用しているのは私と同じじゃない。どこが違うのよ!」


「別に私はレニー様に幸せにしてもらいたくて結婚したんじゃないわ。幸せは自分で掴む。それが私のやり方よ」


アリシアとデボラが言い争っている。しかし僕はそんな二人を余所に「レニー様に幸せにしてもらいたわけじゃない」というデボラの言葉にほんの少し凹んでいた。

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