第66話
「ケインという男性を知ってるよね?」
クラッド様の声はあくまでも穏やかだが、アリシア様を見る目は冷たい。
「さ、さぁ……知らないわ」
アリシア様は声を震わせながら、そう答えた。私も無表情ではいられない。レニー様はそんな私の変化を見逃さなかった。
「デボラ、君はその『ケイン』っていう人物を知ってるの?」
私の方をキッと睨むアリシア様。── 黙っていろということだろう。
私が答えに困っていると、クラッド様がフッと笑った。
「あぁ、そういえばあのクラブにはあの場所の秘密を口外しないっていう規則があったね。デボラ、君は答えなくていいよ」
そんなことまでクラッド様は把握済みということのようだ。私は諦めたように口を開きかけた。── その時。
「クラッド!私は別にやましいことなどしてないわ。話し相手になってもらっていただけ。だってクラッドはお仕事、お仕事で毎日忙しそうだし、レニーも近衛の副団長になってからというもの、暇がなさそうだし……寂しかったの。知ってるでしょう?私がお友達が少ないって……」
「それは君が社交に積極的じゃないからだろう?何度も言ったはずだよ。お茶会を開いてみたらどうだい?って」
「でも── 」
「それに学園でも君はレニーとばかり行動を共にして、他のご令嬢とはお喋りすらしてなかったじゃないか。……気持ちが良かったんだろう?レニーのような美丈夫が、自分をお姫様のように扱ってくれるのが。それを皆に見せつけるのが。マドリー夫人が言っていたよ『皆アリシアの高飛車な態度が気に入らなかった』ってね」
クラッド様はマドリー夫人から直接話を聞いているのだと、その時わかった。もちろんそれを理解したのは私だけではない。アリシア様もそれに気付いた筈だ。アリシア様の唇は小さく震えていた。
クラッド様の情報源がマドリー夫人なのであれば、もう隠しようがない。私は何も言えずにアリシア様を見つめた。しかしアリシア様はまだ諦めない。
「彼女は私を妬んでいたの。よく学園でも虐められたわ。だからきっと嘘を── 」
クラッド様が扉の方へと視線を移す。そこに立っていた執事は大きく頷くと、扉を大きく開けた。そこに立っていたのは──
「ケイン。さぁ、入ってくれ」
顔色を悪くしたケインが入り口に立っている。彼もこの場でどう振る舞えば良いのか分からず、戸惑っているようだった。
アリシア様はパニックを起こす。
「な、なんで!」
「誰だあれは?」
レニー様は困惑。
「ケイン、もう少し近づいて。ほらアリシア、君の可愛がっている彼だ」
クラッド様はケインを手招いた。ケインはオドオドとしながら、私達のテーブルに近づいた。そしてケインは頭を下げる。
「アリーごめん。オーナーから全部喋っていいって言われて……喋っちゃった」
「喋っちゃったって……そんな!」
そしてケインはクラッド様にも頭を下げた。
「し、仕事とはいえ……申し訳ありません」
クラッド様は目を細める。
「君は金の為にやったんだ。責めるつもりはないよ」
色んな想いがこの応接室に渦巻いている。私は頭が痛くなってきた。
ケインは気不味そうにアリシア様をチラチラと見ているが、アリシア様は唇を噛んで黙り込む。
「アリシア。僕も君が変わってくれるんじゃないかと期待していたが、何度も裏切られた。その上で社交クラブの事実を知ってね。……もう我慢の限界なんだ」
静かなクラッド様の声が応接室に響く。ケインはますます自分の存在を消したいのか、小さくなっていく。
「デボラ、社交クラブの事実ってなんだ?」
レニー様はここで唯一、この話題に乗り遅れている。私の耳元にコソコソと尋ねてきたが
何と答えていいか躊躇ってしまう。正直、契約書のことが頭をチラついてしまった。
私も声を小さくしてレニー様に耳打ちをしようと彼の方に口を寄せた。
「あの……実は── 」
アリシア様の声がそれを遮る。
「クラッド違うの!この人とマドリー夫人が私を陥れようとしてっ……!お酒を飲まされて無理矢理──」
アリシア様の言葉にケインが慌てて声を上げた。
「ちょっ!ちょっと!アリー、そんな嘘をっ──」
「黙れ!!!」
クラッド様がバンッ!とテーブルを叩く。
一瞬にして皆、口を噤んだ。
「アリシア。君が社交クラブで何をしているのか、僕は全て知っているよ。もう終わりだ。万が一君が妊娠したとして……僕の子どもだと証明すら出来ない。ハルコン侯爵家を他の血筋の者に継がせることは出来ないよ」
「クラッド違うの── !」
クラッド様の言葉にレニー様もやっとケインのいる意味が分かってきたようだ。レニー様はゆっくりと目を見開いた。
「デ、デボラ……まさか、君も──」
「馬鹿なこと言わないでください。それ以上口を開いたら今後同衾は無しです」
私がキッと睨めば、レニー様は自分の手で口を塞いでフルフルと首を横に振った。
私達の会話などお構いなしに、クラッド様はアリシア様を断罪していく。クラッド様に縋りつこうとするアリシア様の手を、クラッド様が振り払う。
アリシア様はとうとう机に突っ伏して腕に顔を埋めて声を上げて泣き始めた。
だがその姿を見るクラッド様の視線は冷たい。
ケインはアリシア様のその姿に無意識に手を伸ばしそうになるが、拳をグッと握りその手をゆっくり下ろした。
「君、わざわざ来てもらって悪かったね。アリシアも君の顔を見たら言い逃れが出来ないだろうと思って呼んだんだが……見苦しいところを見せた。もう帰っていいよ」
クラッド様がケインに微笑む。だが、その目は笑っていない。
ケインはチラッとアリシア様に視線を移したが、何も言わず頭を下げると、踵を返して部屋を出て行った。
静かな部屋にアリシア様の泣き声だけが響く。
私はその姿を何とも言えない気持ちで見ていた。すると── 。
「ところでデボラ。話を戻したいんだが」
突然話を振られて、私は思わず「は、はい」と調子外れな声を出した。




