第37話
「そう言えば、今日王宮に隣国からの一行が着いたそうです」
家令にそう言われ、私は『そう言えばレニー様は辺境に行っていたんだった』と思い出した。妻として失格かもしれない。
明日は殿下の婚約式。それすらも失念しかけていた。
「そう……。じゃあレニー様も帰って来るのかしら?」
「まぁ、直ぐには無理でしょうが夜には戻られるんじゃないでしょうかね。まだ連絡はありませんけど」
「なら……夜会も出席かしらね。でもレニー様もお疲れでしょうし……」
ちょっとだけ面倒くさいと思ってしまった。何なら『疲れたから欠席する』と言ってくれないかしら?
「上からの命令だったようですし、欠席は難しいかもしれませんね。……期待してもダメですよ奥様」
バレた。バツが悪すぎる。
「わ、分かってるわよ。別に期待なんて……」
ニヤニヤしている家令から目をそらす。そして、家令は徐に一枚の書類を私に差し出した。
「この前言っていた店の件です。……すみません、買い取りなら……との事で」
私はその書類にサッと目を通す。
「こんなに安くて良いの?」
「持っているだけで金が掛かるから、早く手放したいそうです。ジャムを売る為には店の改装が必要ですが。賃貸に出来るかと交渉したんですが……」
「こんなに破格の値段なんだもの、買い取りで大丈夫よ!ありがとう!これなら、私に割り当てられた費用で何とかなりそう!」
私は嬉しくて、思わず家令に抱きついた。
「お、奥様!」
「あぁ、ごめんなさい。つい嬉しくて」
慌てる家令から、私はサッと離れた。
こんな風だからレニー様に猪と言われてしまうのだ。
「じゃあ手続きを進めても?」
「もちろん。ついでに改装して貰える大工を探してくれる?」
「畏まりました。ところで、教会のバザーの件は進んでますか?」
「あ!そのことなんだけど……ちょっと味見して欲しいのよ!」
私は家令の手を引っ張って、厨房まで連れて行く。
「はい、これなんだけど……」
私は林檎に砂糖を溶かした物をかけて固めたお菓子を手渡す。
「これは……?」
「りんご飴っていうの。東方の国のおやつなんだけど、これなら少し林檎に傷がついていても誤魔化せるし、少し酸っぱい果実も美味しく食べられると思って」
家令は丸ごとのりんご飴を大きな口で齧る。
「……!美味しい!」
「でしょう?」
私は少し誇らしげに言った。本でこれを見かけた時『これだ!』と思った。今度の教会のバザーではジャムと、ジャムを使ったクッキーを出す予定だったが、追加でこの果実飴も振る舞うつもりで準備してきた。
「でも、少し食べにくいですね」
「そうなのよ……でも切り分けると果実の色が悪くなるの」
「もう少し小さな林檎だったら良いかもしれませんね」
「そうね!ハロルドに相談してみる!それに……苺飴も作ってみようと思って」
「苺なら食べやすそうです」
私は次から次に湧き上がるアイデアにワクワクを隠せない。
すると料理長から声が掛かる。
「そう言えば……またレーズンも送られてきましたが、どうします?」
そう言えば、前回レニー様にレーズンパンを焼いてくれと言われてレーズンを持ち帰ったが、すっかり忘れていた。
「……レニー様が今日お戻りになるなら、パンを焼こうかしら」
忘れていたことはとりあえず置いといて、せっかくだから焼いてみるかと考える。
「お手伝いしますよ」
料理長がニコニコと笑いながらレーズンを入れた籠を厨房の台に置いた。
「おかえりなさいませ」
その日レニー様が屋敷に戻って来たのは、真夜中のことだった。
「寝ていなかったのか?」
私の顔を見たレニー様は驚いたように言った。
「そろそろ休もうかと思っていました。長旅お疲れ様でした」
「ああ……本当に疲れた」
レニー様の顔には無精髭があり、どことなくやつれて見えた。
レニー様は執事に鞄を預けながら上着を脱ぐ。
「殿下はご無事で?」
私はその上着を預かりながら、尋ねた。
「聞いたのか。……無事だ。向こうの護衛に付いてきた騎士たちは随分と痛手を負ったが」
「亡くなった者も?」
レニー様は少し顔を険しくして頷いた。
「大きな怪我を負った者は辺境伯に頼んできた。軽傷の者は王都に。まぁ……元々護衛に付いてきた人数も少なくてな。正直、殿下を亡きものにしようとしている奴らは少なくないと感じる」
「巻き込まれなければ良いですが……」
「流石に、我が国にまで刺客を送ってこないと思うがな。そんな事をすれば友好条約は無効となる」
そこで執事が声をかけてきた。
「旦那様、お食事はいかがいたしましょう」
「腹は減ってる。だが、夜中に申し訳ないな」
「いえいえ。直ぐに用意させます」
執事は急いで厨房へと向かった。
「じゃあ着替えてくる。デボラ、君はもう休んでいい」
そうは言われても『はいそうですか。おやすみなさい』というのは気が引ける。
隣国の話も気になった私は、結局レニー様の食事に付き合うことにした。
「今日のパンは少し焦げてないか?」
私の焼いたレーズン入りのパンを手に取ったレニー様はそれをまじまじと見ていた。
「……嫌なら食べなくていいです」
私の言葉にレニー様は視線を私に向けた。
「もしかして……君が作ってくれたのか?」
「前にお約束したので……。でも今回は全部自分でやってみようとしたら、失敗しました。捨てるのも勿体ないし……でも嫌なら食べなくても──」
私は立ち上がり、それを奪おうと手を伸ばしたが、テーブルが思いの外広く、全く持って手が届かなかった。私の手が空を切る。
「お、おい!何するんだ」
「食べなくていいと言ってるんです!」
「嫌だ!」
そう言ったレニー様はムキになったように、パンをパクリと大きな口で齧った。
「あ!」
レニー様はモシャモシャとパンを咀嚼する。
「美味しいよ。少し焦げてるけど」
「だから無理に食べなくても……!」
「せっかく君が僕の為に作ってくれたのにか?食べるに決まってるだろう」
レニー様は残りのパンの入った籠を抱え込むようにして、また一つパンを齧る。
「ちょ……っ、そんなにパンばかり食べたら他の食事が入らなくなりますよ!」
「僕はお腹が空いてるんだ!全部食べる!」
その後もレニー様はムキになって、焼け焦げたパンも含め、全ての食事をその腹に納めた。




