第29話
「これ洗っておいてもらえる?」
私はメイドにレオから借りたハンカチを渡しながら尋ねる。
「新品のハンカチあるかしら?」
「ええ、もちろん。何色になさいますか?」
メイドは笑顔で答える。
「そうねぇ……薄い水色と薄い桃色を」
レオの笑顔を思い浮かべた私はそう口にした。
「畏まりました」
私は湯浴みをして夜着に着替えた後、自室の長椅子にゆったりと腰掛けた。今日は慣れない場所に連れて行かれて疲れてしまった。私は目を閉じて、軽くこめかみを指先で揉んだ。
レオを見た時、息が止まるかと思った。髪色も瞳の色も……少し中性的な顔つきもブルーノにとても良く似ていた。
もちろん似ていないところもあるし、レオとブルーノが別人だというのは理解している。
「他人の空似って実際にあるのね……」
私は独り言ちた。
レオと話している内に、幼い妹と二人暮らしだということが分かった。両親は随分前に亡くなってしまったということも。レオは自分のことをあまり多くは語らなかったので、会話の中から拾えたのはこれぐらいの情報だけだ。
お金が欲しかったと言ったレオの事情はここら辺が関係していそうだ。
「……気になるのよね」
レオがブルーノに似ているからか……どうしても色々と考えてしまう。しかし、あんな所で働くなんて……。そう考えて緩く首を横に振った。『あんな所』だなんて、簡単に言ってしまっては失礼だわ。フリオやケイン……彼らだって誇りを持って仕事しているのだから。
でもレオに……あの仕事は……。そんなことを考えていると部屋の扉をノックする音が聞こえた。
返事をすると、先ほど私から頼まれた物を持ったメイドが現れた。
「ちょうど良い品がありました。こちらでどうでしょうか」
「思った通りの色だわ。素敵。ねぇ、あと刺繍をするからその道具もお願い」
「このハンカチに刺繍を?」
何故かちょっとだけメイドが嬉しそうにそう尋ねる。
「ええ、そのつもり」
「わかりました!直ぐにご用意いたします!」
メイドは笑顔でそう答えると、部屋を出る前に一言言った。
「あ、あのー。ご主人様のお召しになっている近衛の騎士服の紋章は鷲です……念の為」
そう言ってメイドはそそくさと部屋を出て行った。……そうか……このハンカチ、レニー様への贈り物と思われたのだわ……。どうしよう。期待に応えるべき?
結局、メイドが持って来た刺繍糸は鷲を刺せと言わんばかりの色味だった。私はもう一枚白のハンカチを持ってくるようにメイドに頼むと、彼女は少しだけ首を傾げた。
だけどその夜は疲れ過ぎていた為、刺繍を諦め早々に寝台に横になることにしたのだった。
「レニー様、こちらをどうぞ」
私は鷲の刺繍、レニー様の頭文字を入れた白いハンカチを今から王宮へと向かう彼の前へと差し出した。
メイドの期待を裏切ることなく仕上げた刺繍は、自画自賛で申し訳ないが、上手く出来ていると思う。
包丁さばきでは皆に心配をかける程の腕前しかないが、刺繍は得意だ。
その様子を見ていた家令が大きな口を開け、それを申し訳程度に片手で隠していた。
使用人達はレニー様の気持ちを知りながらも、私との仲が深まれば良いと思っていることが、皆の様子から良く分かる。執事はどう思っているのかよく分からないが。
レニー様はそのハンカチに手を伸ばすことなく、目を皿のようにして、凝視したまま固まった。
「レニー様?」
「ハッ!あ、あぁ……えっとこれは?」
見てわからないのだろうか?まさかハンカチを知らない……なんてことはないだろうけど。
「ハンカチです」
「見れば分かる。じゃなくて、何故これを?」
そう言いながら、レニー様はそのハンカチを受け取った。
あ、ハンカチの存在は知っていたようだ。しかし何故と訊かれても……。レオへのお礼にハンカチに刺繍をして贈ろうと思ったら、メイドが勘違いしたからです……とは言えない。
「気が向いたので」
理由になっていないと言われればそれまで。しかし、たかがハンカチ。何故そんなに理由をはっきりとさせなければならないのだろう。……なんだかちょっと面倒くさくなってきた。
「気が向いた……」
「いらないのなら、別に受け取って貰わなくて結構ですけど」
私がレニー様の手の上に乗ったままのハンカチを引ったくろうとすると、レニー様はそのハンカチをギュッと握って自分の背に隠した。
「い、いらないなんて言ってないだろう!」
「なら理由なんてグダグダ尋ねないでくださいませ」
『ついで』なんてはっきり言うのもどうかと思うのだから、さっさとポケットにでも直せば良いのに……。
レニー様は自分の握力で少し皺の寄ったハンカチを手を開いてもう一度まじまじと見た。
「これは鷹だな」
「近衛の騎士服の紋章が鷲だとお聞きしましたので」
すると途端にレニー様の顔がパッと明るくなった。
「もしかしてこれは君が……?」
「他に誰が居るというのです」
私には刺繍すら出来ないと思われているのだろうか?一応、貴族女性が嗜むべきものは全て履修済みだ。
「凄い腕前だな。この鷲……今にも羽ばたき出しそうだ」
「いや……そ、そんな大したことは」
上手く出来たとは思っていたが、素直に褒められると照れてしまう。私は何となく口籠ってしまった。
「じ、女性に刺繍を施したハンカチを贈られたのは初めてだ……。ありがとう、大切にする」
レニー様は先ほど寄った皺を伸ばすように広げてもう一度ゆっくりその刺繍を眺めると、綺麗にたたみ直して、内ポケットに丁寧にしまった。
そして、ニッコリと微笑むと「じゃあ行ってくる!」と元気よく玄関ホールから出て行った。最後に内ポケットがあるであろう胸の辺りをポンポンと優しく撫でながら。
レニー様の出て行った扉が閉まる。すると家令が私にそっと近寄りながら、
「喜んでましたね」
と小さな声で私に囁いた。
「あれぐらいの物で喜んで貰えるのなら、もっと早くに差し上げれば良かったわ」
そう言いながら、結婚した当初なら私はハンカチに刺繍を刺そうとも考えなかっただろうな……とあの頃を思い返した。私とレニー様の関係は……ほんの少しだけかもしれないが、変化しているように思える。
私はそのまま家令に告げる。
「今日は午後、少し出かけるから」
「畏まりました。お夕食は?」
「それまでには戻るわ」
私はそう言って、仕事に取り掛かるべく、私の書斎へと足を向けた。




