第17話
その後レニー様は何かを考え込んでいる様子で黙り込んでいた。
私は彼との会話を終え、改めて本を鞄から取り出すと、栞を挟んだページを開いて本を読み進めることにした。
お互い無言のまま、夕暮れには宿泊予定の宿屋へと到着した。
宿屋の前に馬車が停まる。
先に馬車を降りたレニー様が私に向かって手を伸ばした。
「この馬車は車高が高いから……」
別に私はこの手の理由を尋ねたわけではないのだが、レニー様は何故か言い訳がましく早口でそう言った。
「ありがとうございます」
私は素直にその手を取る。ヒールのある靴にややボリュームのあるスカートのワンピース。馬車の乗り降りも一苦労なのだから、ここは拒否するつもりもない。ちなみにタウンハウスで馬車に乗り込んだ時に手を貸してくれたのは御者だったが。
「いや……」
私は馬車を降りると、サッとレニー様の手を離した。レニー様は何故かその手を見つめている。……馬車の中でも不気味なほど静かだったが、いつもの威圧的なレニー様でない事に、些か拍子抜けだ。
「どうぞこちらでございます」
宿屋の主がニコニコしながら出迎えに現れた。
「またお世話になります」
前回も使った宿屋だ。
私は挨拶と共に、顔見知りとなった主について歩き始めたが、レニー様はまだ自分の手を見つめたまま、馬車の横に佇んでいる。
私はその様子をチラリと振り返りはしたが、別に好きにさせておけば良いかと、そのまま宿屋の中へと一人入っていった。
もちろん宿屋ではレニー様と別室にしてもらった。予約を取る上で、私がそう家令に言った時、彼は少し寂しそうな顔をしたが「仕方ありませんよね」と頷いたことを覚えている。
宿屋の主もそこに違和感を覚えたかもしれないが、別に声に出してそこを尋ねることもなかった。
しかし……使用人達は私とレニー様との関係をどうにかしたいと思っているのだろうか?
初夜に全てを拒否された私には、それは到底難しいことだと思えた。しかも愛人を作ってもいい、とまで言われている。かと言って今の私にはそんな気も、暇もないのだが。
先ほどのレニー様の様子は少し気になるが、私はそんなことより明日からのブラシェール伯爵領でのことに考えを巡らせる。上手くいくかは正直分からない。だが何もしなればブラシェール伯爵領は少しずつ衰退する。
「さて!やりますか!」
私は自分の頬をパンパンと軽く叩いて気合を入れた。
翌朝、宿屋を出発した私達一行は、昼頃ブラシェール伯爵領へと到着する事ができた。
馬車で、私とレニー様は殆ど言葉を交わさなかったが、馬車の乗り降りだけは黙って手を貸してくれていた。……穏やかといえば穏やかだ。
「旦那様、奥様、お待ち申しておりました」
「挨拶が遅れてすまないな。お前がシェルダーで……お前が──」
「管理人を務めさせていただいております、ハロルドと申します」
領邸ではシェルダーとハロルドを始めとした使用人が私達を出迎える。
私はレニー様の半歩後からその様子を見守っていた。
やはりレニー様が顔を見せると、使用人達の顔つきか違うように感じる。当主というのは、こうあるべきだろう。
「君たちの働きには本当に感謝している。お陰で安心して領地を任せられる」
レニー様の言葉にハロルドは口角を上げながらも、ほんの少し複雑そうな顔をした。
信頼は嬉しいが任せっぱなしは……と、そう思っていることが私には伝わってしまった。
そんな挨拶の後、奥からエルダが現れて昼食を、と声を掛ける。その声をきっかけに、レニー様と皆の初顔合わせは恙無く終わった。
昼食が終わって早々、私はハロルドと厨房に居た。……何故かレニー様まで。
「レニー様、何故ここに?」
「……何をするのか見届ける義務がある」
今からはただジャムを作るだけなのだが……。
「ジャムの試作をするだけです。レニー様は領民の皆様へ挨拶がてら領地を見回ったら如何ですか?」
「……一人でか?」
何なの急に。まさか一人じゃ寂しいとか言わないでしょうね?
「護衛とご一緒に回られてください。馬車でも馬でもお好きな方で」
厨房にはエルダ、料理長、ハロルドのお母様、私、ハロルド、そしてメイドが一人。広い厨房だとはいえ、体躯の良いレニー様がいると、余計に窮屈に感じてしまう。
「分かった。じゃあ……」
レニー様はそう言うとやっと厨房を出て行った。
昨日から少し様子がおかしい。アリシア様に会えなくて寂しいのかしら?最近はずっと侯爵がハルコン侯爵邸にいらっしゃるみたいだから……って、当たり前なんだけど。
私はその背中を見送ってから、パン!と大きく手を叩いた。
「さぁ!気を取り直して始めましょうか!」
ハロルドは、私の指示通りに今準備出来る果物を集めてくれていた。
「今、収穫出来る果物です。さぁ……どれから試してみましょうか」
ハロルドもエプロンを着けて張り切っている。
「こんなにたくさんの砂糖……奥様、大変だったのでは?」
エルダが心配そうにそう尋ねた。
「大丈夫。かなり安い値段で仕入れさせて貰ったから。でも品質は折り紙付きよ。なんてったってレイノルズ伯爵領の砂糖だから。さぁ、色々と試してみましょう。まずは……リンゴと苺と……桃に、オレンジってところかしら?」
私もエプロンを着けると、皆が目を丸くした。
「奥様も?!」
「もちろん!……と言ってもジャム作りは初めてだから教えて貰えるかしら?」
というより料理らしい料理をしたことがない。
当然、私の危なっかしい包丁捌きに、そこにいた皆が何度も顔を青くしたのは間違いなかった。
皆で手分けしてジャムは完成した。まぁ……私は殆ど役に立たなかったのだが。
色とりどりのジャムが瓶に詰められる。
「綺麗ね」
「今まで苺とオレンジでしかジャムを作ったことはありませんでしたけど、意外と色んな果物でも作れるんですねぇ」
エルダが腰に手を当てて、感心したように言う。その時、ハロルドの母親のバーバラが言った。
「奥様、ジャムも良いですが……ドライフルーツはどうでしょう?」
「ドライフルーツ?それは何?」
初めて聞く名前だった。
「手間ひまがかかるので、あまり作る人はおりませんが、果物を乾燥させて作ります。そうすれば日持ちしますしね。私は余った果物を使って作っておりました」
「そういえば……子どもの頃おやつに食べてたな……」
ハロルドが呟いた。
「ならばそれも作ってみましょう。時間がかかるのなら、あまりたくさんは作れないかもしれないけれど、王都の人々は珍しいものを好むわ」
「貴族の方々はいつもはみずみずしい新鮮な果物を口にしているでしょうから、かえって受けるかもしれませんね」
料理長もウンウンと頷いた。
「じゃあ、作り方を教えてちょうだい!」
と私が包丁を構えると、何故か皆はそれを慌てて止めた。……もう二度と包丁を持つなということらしい。