第15話 Sideレニー
〈レニー視点〉
結局、数週間後兄さんは騎士団の詰所に居た僕の元へ、ある伯爵令嬢との縁談を持ち込んだ。
「バーケット伯爵のご令嬢だ。もうすぐ十九歳になる」
「十九歳?何故今まで婚約していなかった?何か大きな欠点でもあるんじゃないか?」
二十三歳の自分が色々と言える立場ではないが、十九歳の伯爵令嬢に婚約者がいないとは不自然だ。僕はあまりご令嬢には詳しくはないが、バーケット伯爵がそこそこの家門であることは知っていた。
「婚約者が亡くなったんだ」
そう言われ、僕はその見ず知らずの女性に思わず『申し訳ない』と心の中で謝った。何か大きな欠点があるなど……邪推した自分を恥じる。
「それは……。だが、僕は結婚するつもりはない。兄さんは僕のことを心配してくれているようだが、別に僕は騎士を続けられれば良い。地位や名誉にこだわらない。大きな手柄でも立てればその内……」
「甘いな。お前はずっと侯爵令息としての扱いを受けてきた。それはお前が意識していなくても……だ。それに慣れたお前が雑な扱いに納得するとは思えん。それにお前はもう侯爵令息じゃない」
兄さんはどうあっても僕を結婚させたいらしい。兄さんの魂胆は分かってる。……僕にアリシアをを諦めさせたいんだ。
「僕はそんな甘ったれじゃ── 」
「母上もお前のことを案じている。安心させることも親孝行だと思え」
そう言った兄さんは、話はここで終わりだと言う様に、僕に背を向けた。
母のことを言われると弱い。父が亡くなってから、すっかり元気のなくなった母を思うと胸が痛んだ。
結局僕は、その『デボラ·バーケット』という女性と結婚することを選んだ。
初夜。『僕には愛する人がいる』と言った時のデボラの表情を覚えている。眉根を寄せて不快そうな顔をした彼女に申し訳ないと思いながらも、自分の気持ちをはっきりと彼女に示す方が誠実だと思った。
僕にはアリシアが居る。妻といえど心までは彼女に明け渡す気などない。それを頭に入れておいて欲しかった。
彼女は何か言いたげに口を開くも、結局諦めたように口を噤んだ。
結婚式の翌日、僕は妻の顔すら見ずに王宮へと向かった。何となく顔を合わせづらかったからだ。
昨晩の営みでの彼女の身体がちらついてしまう自分が情けない。
悶々とした気持ちを振り払うように剣を振っていた僕のところへ、アリシアが現れた。
「体調は?もういいのか?」
彼女の細い肩に触れる。子どもの頃から食が細かった彼女は大人になっても多くを食べられないと良く言っていた。相変わらず、体調を崩しやすいようだ。
「ええ……。結婚式に出席出来なくてごめんなさい。屋敷まで挨拶に来てくれたのに……あんまりお話出来なかったし……デボラさんに申し訳なかったわ」
「気にしなくていい。彼女も別にそんなことは気にしていない」
デボラの気持ちなど知らないが、アリシアが気に病むことはない。
「でも……」
そう言ったアリシアの身体がフラッと揺れた。
「危ない!」
僕はアリシアの身体を抱きとめる。
「あ……ごめんなさい。ちょっと立ち眩みが……」
僕はアリシアを支えながら、ゆっくりと詰所の椅子に座らせた。男ばかりのむさ苦しい場所にある椅子など、あまり綺麗とは言えないが仕方ない。
「アリシア、無理をするな。少し落ち着いたら馬車まで送るよ」
グラスに水を注いで、アリシアの手に握らせた。
「今日からクラッドが居ないの……。一人の食事は美味しくなくて、余計に食欲が……」
そう言えば殿下の視察について行くと言っていたな。今回僕は結婚式があったこともあり、王宮に残ることになったのだが。
グラスを両手で握りアリシアが僕を見上げた。その水色の瞳が揺れる。
「分かった……なら、僕と一緒に食事をしよう。昼間は無理だが、朝と夕食は共に出来るはずだ」
「本当?……ありがとう、レニー。やっぱり貴方は私のナイトだわ」
そう言って安心したように微笑むアリシアに胸が高鳴る。だが彼女の王子様は僕じゃない。兄さんが酷く羨ましかった。
その夜から僕はハルコン侯爵邸でアリシアと食事を共にした。
「ウフフッ、やっぱりレニーと一緒に食べる食事は美味しいわ」
「味なんて変わらないだろ」
そう僕は言いながらも、頬が緩むのを止められなかった。
「……最近、クラッドが冷たいの……」
アリシアの笑顔が消えて、フォークを置く音が微かに聞こえた。
「冷たい?まさかそんなこと── 」
「ううん。気の所為なんかじゃないの」
アリシアは顔を横へ振った。僕が何と声をかければ良いか思案していると、アリシアは言葉を続けた。
「きっと……私に子どもが出来ないことが原因なんだわ」
アリシアの綺麗な水色の瞳に涙が浮かぶ。僕が自分のポケットからハンカチを取り出す前に、側に居たメイドがアリシアへハンカチを差し出した。
「そんなことで……?」
不用意な一言だったと思う。だが、僕だったらそんなことでアリシアに寂しい思いをさせるわけがないという気持ちで、その言葉を口にしてしまった。
「『そんなこと』じゃないわ!このハルコン侯爵家の跡取りを生むことは、私にとって大切な使命なのよ!」
珍しくアリシアが取り乱したようにそう言った。僕は心から深く反省する。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。兄さんはアリシアを……愛しているから……そんなことで君に冷たい態度を取るなんて考えられなくて……本当にごめん」
僕は席を立ち上がり、アリシアの側へ寄ると、そっと肩に手を置いた。アリシアはその手へと頬を寄せる。
「私の方こそごめんなさい……。でも、レニーが結婚してしまったでしょう?もしデボラさんの方が先に身籠ってしまったら……私、どうしたらいいのかしら」
「そ、それならば大丈夫。僕が……その……子作りをしなければ……」
昨晩のデボラを思い出しそうになり、僕は頭を振った。彼女の艶めかしい身体の記憶を頭から追い払う。
「本当?!ねぇ、レニー、本当?約束してくれる?」
アリシアは細い小指を僕に向ける。
「あぁ、約束だ。だからアリシアは心配しなくていい。うちに先に子どもが出来ることはないから」
僕は自分のゴツゴツした小指をアリシアの小指に絡める。何となく後ろめたい気持ちが心をじわじわと覆っていった。
◇◇
「── してちょうだい」
デボラの声に我に返る。彼女は家令を呼んで何かを指示していた。
そう言えば執事が言っていた。家令はデボラをやたらと褒めている……と。
誰がどっちの味方……ってわけじゃないが、まずは彼女の企みを暴くことが先決だ。
「とにかく。明後日は僕も一緒だ。馬車は……」
「え?まさか同じ馬車に?」
彼女はまたその細めの眉根を寄せた。
「当たり前だ。二台も用意するなど物々し過ぎるだろう。だからうちで一番大きな馬車を用意させる……広い造りだから肩が触れ合うことなどない」
正直……デボラの側に居ると初夜を思い出してしまって、悶々としてしまう。僕もただの男だということなのか?いや!彼女が色っぽ過ぎるのが悪い!大きな胸に細い腰、長い手足。こんなところも……少女のようなアリシアとは正反対だ。
そんなことを考えていたら── 。
「は?まさか隣に座るおつもりで?大きな馬車ならせめて向かい側に腰掛けてもらえませんか?」
とデボラの冷たい声が聞こえた。
……やはり彼女は可愛げがない。