第10話
「夕食は部屋で食べるわ」
私の言葉に執事は少し怪訝そうな顔をした。
「旦那様と何か?」
「別に。ちょっとやりたいことがあるから、食事の時間も勿体ないだけよ」
レイノルズ伯爵への手紙に、明日の準備。やりたいこと、やらなければならないことが多すぎて、ゆっくり食べる時間も惜しかった。ただそれだけなのだが、執事は私と旦那様がまた喧嘩をしたのだと思っているようだ。
グラスの水をレニー様にぶっかけた時から、執事も家令も他の使用人達も私達をハラハラしながら見守っている。
「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫よ。レニー様と喧嘩してる暇もないわ」
「いえ……そういうわけでは……」
「あぁ、そうそう。今から書く手紙を早馬でレイノルズ伯爵に届けて欲しいの。それと明日から私は実家のバーケット領に向かうわ」
私の言葉に執事の顔色が変わる。
「今さら……レイノルズ伯爵に何の用が?」
執事は私の元婚約者が誰なのかを当然知っている。ここに嫁ぐにあたって、身辺調査をされている筈だ。
「仕事のお話よ。……それとお墓参りかしらね」
ブルーノが亡くなってから月命日には必ず花を手向けに行っていた。ここに嫁いでからはそれすら出来ていない。薄情な友人だと……天国でブルーノも苦笑いしていることだろう。
「仕事……ですか」
「ええ。まだどうなるかは分からない。もう少し頭の中が整理できて形になったら、ちゃんと報告するわ。その時には手伝ってもらうこともあるだろうし」
「それは結構ですが……奥様の仕事は、その……跡継ぎを生んで、旦那様を陰になり日向になり支えていくことで……」
私の振る舞いを執事はあまり好ましく思っていないことは分かっていた。家令はもう少し私に寄り添ってくれている気がするのだが、執事は……簡単に言えばレニー様寄りの人間だ。
まぁ、当然と言えば当然。ここの当主はレニー様なのだから。執事の気持ちも痛いほど分かっている。
「跡継ぎねぇ……。それを私に言う前にレニー様にお話してみたらいいんじゃない?子作りは一人では出来ないわ」
執事はレニー様が私に『愛人を作ってもいい』などと言ったことを知らない。
私だって別に愛人を作ろうなどと思ってはいないけれど、あの言葉は彼が私と夜を過ごす気持ちがないことの現れだと、私はきちんと理解していた。
「…………」
執事は黙り込む。きっとレニー様の気持ちが誰にあるのか、執事は知っているはずだ。
私は明るく言う。
「安心して。私はちゃんと伯爵夫人としての務めを果たすつもりだから。政略結婚の意味を私は正しく理解しているのよ?」
理解していないのはレニー様の方だ。
執事はそれについては何も言わず「では食事はこちらに運ばせます」と一礼すると、静かに私の部屋を出で行った。
翌日、私は早朝から朝食もとらずに屋敷を後にした。
料理長がそんな私に馬車の中で食べることが出来るようにとサンドイッチの入ったバスケットを渡してくれた。ありがたい。
正直、朝食の時にレニー様と顔を合わせるのが面倒くさかったのだ。私が今から何処へ行くのかは執事から聞かされているはずだが、理由を尋ねられるのも面倒だ。
今から私は実家に向かう……のは半分本当で半分は嘘だ。
走り始めた馬車の中から、私は御者に本当の目的地を告げる。
「レイノルズ伯爵領に向かってちょうだい」
「へ?バーケット伯爵領ではなく?」
「もちろんバーケット領にも行くけど、その前にレイノルズ伯爵領に寄って欲しいのよ。お願いね」
「は、はい」
昨日早馬にレイノルズ伯爵宛の手紙は託した。ここ王都からレイノルズ伯爵領までは片道三日は掛かる。さて……私の手紙を読んで、おじ様はどんな勝負を挑んでくるかしら?
偏屈なレイノルズ伯爵。今、おじ様はそう呼ばれている。だが、私から見れば悪戯好きのお茶目なおじ様だ。ただ、切れ者であることは間違いない。
足を悪くしてからは領地に引きこもっているが、それまでは社交界で驚くほどの美男子だと名を馳せていたらしい。おば様もモテるおじ様に何度も何度もやきもきさせられたと愚痴を零していた。
順調に馬車は進む。早朝に出発して良かった。
が、しかし……。
「おい!止まれ!」
何やら大きな声がこの馬車を追いかけてくる。
馬車はその速度を落としゆっくりと止まった。……かと思えば、扉をドンドンと叩く音が聞こえる。
「おい!開けろ!」
この声は── 。
「レニー様何の用ですか?騒々しい」
扉の鍵を開けると、思い切りその扉を開いて物凄い形相で立っていたのはレニー様だ。彼は勢い良く馬車に乗り込んできた。
「じ、実家に帰ると聞いた。何故だ?ブラシェールに何の不満があるんだ!」
不満?……あぁ、なるほど。私が実家へ行くと聞いたレニー様は、私がブラシェールに愛想を尽かして実家に戻ると思ったわけか。
「別にブラシェールには何の不満もありませんわ」
貴方には不満はあるけどね。そう言えたらスッキリするだろうに。
「じゃ、じゃあ何故だ!」
「執事にも言いましたが、友人のお墓参りに。実家のすぐ近くですので、そのついでに父と母の顔でも見てこようと思って」
「レイノルズ伯爵に宛てたあの手紙は何だ?」
執事は私の手紙を盗み読んだのだろう。封蝋をしておいたのだが……仕方ない。
「レニー様もお読みになったのではないですか?」
「よ、読んだがあの手紙を早馬で持って行かせる意味がわからん」
まぁ……そうだろうなと思う。一見あの手紙は『どう?お元気?』みたいな内容にしか見えない様になっている。しかし、あれは私とおじ様にしか分からない暗号で書かれている。おじ様に常々言われていた。『極秘情報は暗号で書け』と。まぁ、今回は別に極秘でもないが、まだ知られたくもない。私は遊び心から暗号で手紙を書いたのだ。きっとその方がおじ様も喜んでくれるだろうと。
「お墓参りに行くのですから、突然の訪問は無礼かと思っただけです」
「そ、それはそうだが。今、君は友人と言ったが、元婚約者の墓だろう?」
だから何だと言うのだ。
「ええ。元婚約者でもあり、友人でもありましたから」
「未練でもあるのか?」
レニー様の質問の意味が分からない。墓参り=未練の図式が私には全く思い浮かばなかった。