素直になる練習
「ねえ、美咲ちゃんって怒ることある?」
幼児教室の帰り道、手をつないで歩いていたひよりがふいに聞いてきた。空はすっかり夕焼け色で、長く伸びた影が並んでいる。
「怒ること、ですか?」
私は少しだけ首を傾げた。ひよりは、照れたように視線を逸らして続ける。
「この前、お母さんに“片づけなさい”って言われたんだけど、ちょっとむかってしちゃって。でも、言い返さなかったの。そしたら“素直でいい子ね”って言われた」
「それは素敵なことですわ。でも、怒る気持ちが湧いてくるのも、自然なことですのよ」
「うん……でもさ、素直ってどういうことなんだろ。言われた通りにするのが素直? 本当の気持ちは言わないままで?」
ひよりの言葉に、私は少し考える。
「たしかに難しい問いですわね。でも、たとえば“ちょっとイヤだったけど、今はちゃんとするね”って言えたら、それも立派な素直さだと、私は思いますの」
「……美咲ちゃんって、いつもそうやってちゃんと考えて話すよね。だからあたし、すごいなって思ってた」
「ありがとう、ひよりさん。けれど私も、まだまだですのよ」
ひよりは少し笑って、私の手をきゅっと握った。
「じゃあさ、一緒に練習しようよ。“素直になる練習”。本当の気持ちを、やさしく伝えるってやつ」
「ええ、喜んでお付き合いしますわ」
しばらく沈黙が流れたあと、ひよりがぽつりとつぶやいた。
「ねえ、今度の土曜日、またうちに来ない? この前のドーナツ、お母さん気に入ってくれたみたいでさ。“また可愛くて賢いお嬢さんに来てほしい”って言ってたの。今度は一緒にピザ作るんだって」
「まあ、それは光栄ですわ。ぜひお邪魔させていただきます」
「やった! じゃあその時に“素直な気持ち”の練習もしよう!」
赤く染まった空の下、ふたりで笑い合いながら歩く帰り道。
こうして少しずつ、私はこの世界で「友だち」と呼べる存在を、心から大切に思うようになっていた。