どうでもよかった
女性の場合、人にもよるが月のものが重たい場合は普段通りの行動をするのもままならない。
軽い者もいるにはいるが、そこら辺は本当に個人差である。
そしてそれは、出産も同様。
人を一人産み落とすのだから、それなりに大変ではあるけれど、難産の場合は最悪母子ともに命に関わってくる。案外するんと生まれました、という者もいるがそちらは少数である。
そういう事があるからか、女性は案外痛みに強い、と言われている。
だが、そうは言っても武芸の訓練や実戦などを体験してきたクラムスならロゼラインの感じ取った心の痛みを肉体的な痛みに変換されたところで、けろっとしているものだと思っていたのだ。
実際は立ち上がる事もできないで、一日どころか一時間ももたないままリタイアしたけれど。
ロゼラインもついうっかり、ほぼ無意識で「軟弱ですねぇ……」なんて口から出してしまっていた。
そうでなくとも二年、痛みを体験し続けろと言った時点で、本当にそれだけの期間耐えていたのなら。
もしかしたらその間にミラやリナリアの気持ちも多少変化したかもしれないのに。
そもそも謝罪してやり直そうとこちらの気持ちを一切無視してぐいぐい来られたからこそこういう手段に出たのであって、もうちょっと時間をおいていたのなら、もしかしたらの可能性ではあるけれど。
ゆるしてあげても……いいんじゃないかなぁ……
なんて思ったかもしれないのだ。
思わないまま二度と関わらないぞと思う可能性も勿論そこには存在しているけれど。
ロゼラインの与えた無理難題は、クラムスが二年間ちょっと犠牲になり続けている間に、もしかしたらこちらに心境の変化をもたらしたかもしれなかったのに。
メリスティアはその結果が出るまではセルシオに突き付ける無理難題を先延ばしにするつもりですらいたのだ。
まぁ、先延ばしも何も……といった感じで終了してしまったが。
彼らは確かに魅了魔法のせいで、自分の意思とは関係なくこちらを傷つけるに至った。
悪気はなかったのだろう。
だが、悪気がないからといって何をしてもいいというわけではない――というのは今更すぎる事でもあった。
悪意があったならこうしてやり直そうなんて言い出さないでそのまま関係を終了させて、二度と顔合わせないぞ、とお互いに心に誓い実行した事だろう。
だがそうではないからこそ、こうしてこんな無駄な時間を過ごす形となってしまったのだ。
結局彼らはもう一度チャンスを! なんて言って、そのチャンスを台無しにしてしまった。
それなのにまだチャンスを、なんて言い出されたなら、一度だけという言葉が嘘であったとなるし、そうでなくとも彼らの望む結果になるまで「もう一回」を繰り返されるとなれば。
それは最早、謝罪する気持ちなんてないだろうという突っ込み待ったなしである。
ごめんなさい、で謝罪してそれが許されるのは幼い頃で、もう成人間近な年齢ともなれば、謝罪したところで必ずしも許されるわけではない、と肝に銘じておくべきだったのに。
赦さなくてもいい、その気持ちを持ったままでもいいから、改めて一から関係を始めたい――とでも言われていたら、熟考の末に頷いたかもしれないのだ。メリスティアは。他はどうだろうか、とメリスティアは考える。
どのみち周囲からは色々と言われてきた。
手の平を返すような態度だった者もいた。
どのみちこちらとしても、そういった相手との今後の付き合いなんて考えるしかないわけで、彼らとここで縁を切って新たな誰かとの縁をと思ったところで、そう簡単な話ではないだろう。
下手な家と繋がると、こちらを嘲り面白おかしく噂話で笑い物にしてくれた連中と接点ができる可能性もあるのだ。
いっそ、完全に無関係な他国へ嫁入りした方がマシかもしれない……とまでメリスティアは考えたくらいだ。家そのものに問題がなくても派閥の関係上、こちらを笑い物にしていた相手はかなりの数いるので、国内の誰かと結婚するとなるとどう足掻いても繋がりができてしまいそう。
面倒だわ。
いっそここですっぱり関係を断ち切った上で修道院で暮らす方がマシなくらいよ……とメリスティアは思っていたくらいだ。もし飽きた場合はやっぱり他国に名前と身分を変えて渡るのもありかしら……なんて考えもあった。
どちらにしても、メリスティアの中でセルシオとやり直すという選択肢だけはほぼなかったのである。
けれど、ハッキリ突き付けても彼が諦めてくれる様子がなかったから。
同時に他の――セルシオの側近になるはずだった令息たちも同じく諦められなかったようで、改めて絶望突き付けられていたわけだが。
――正直な話、メリスティアは試練だ無理難題だチャンスだと言っても、何にも考えてこなかった。
ミラのように隷属の首輪を用意するような事も、リナリアのように去年かその前かは知らないがともあれサルフェリウス結晶なんてものを丁重に保管して挙句ここに持ち運ぶような苦労とか根気とか、その他諸々の気力もなかった。
ロゼラインのように精神的辛さを緩和させたくて魔女の元へ駈け込んだりすることもなかったし、なのでメリスティアの手元には特に何のアイテムも存在していないのである。
メリスティアはセルシオに対して確かに以前は愛情を持っていたけれど、今はもう無い。それだけは断言できる。どう足掻いても嘘偽りのない、確かな事実。愛は消えた。
けれども、貴族として生まれ育ってきた事もあって、それでもやり直せと言うのなら内心はどうあれセルシオと結婚し妻としての役目を果たすつもりではいた。愛がなくても貴族の結婚なんて大半そんなものであるし、愛がなくても結婚はできるし、子供だって作って産もうと思えば生まれるのだろう。
生まれた子を愛する事ができるかは知らないが。
ただ、貴族としての義務を理解していても、心までそれを受け入れているかとなると別だ。
メリスティアだってまだ少女と言って許される年齢なのだから、それなりに夢や希望を持っていたりもする。
確かに以前は相思相愛と言っても過言ではなかったセルシオに、突然の心変わりをされて悲しく思った事はある。怒りを覚えた事もある。
ただ、それは持続しなかった。何故って面倒だったから。
一部の隙もない完璧な淑女みたいに周囲はメリスティアの事を言っているけれど、しかしメリスティアは自分の事なのでとても理解している。
自分がとんでもなく面倒くさがりである事を。
仮にも公爵家の令嬢にして王子の婚約者という立場なので、怠惰な面を見せれば周囲に色々言われるだろう事は容易に想像できていたから、面倒回避のために淑女の仮面をきっちりはめ込んでいたに過ぎない。
それでも相手有責の婚約破棄をしようとしたのは、友人であるミラやリナリア、ロゼラインをこのままにしてはおけないと思ったからであったし、ついでにあのマレナとかいう女をセルシオが選んだとして、アレに王妃が務まるとはとてもじゃないが思えなかったからだ。
それなのにセルシオがアレを選んだ場合、そして自分との婚約が続いていた場合、最悪自分はお飾り王妃として面倒な仕事だけ押し付けられる可能性があったからだ。
そうして美味しい部分だけあの女が総取り、なんて考えただけで殺意が芽生える。
その可能性がある以上、早急に婚約を解消する必要があった。ただそれだけの話だ。
それに、自分がそういう風に積極性を見せないと、友人たちも消極的にひたすら周囲の心無い言動に耐え続ける事になっていた。一部こちらの味方になってくれた者もいたが、それでも無責任な連中の数が多すぎたのだ。あのままではいずれ、ロゼラインかミラのどちらかが間違いなく精神的に潰れていたに違いない。
……ロゼラインは魔女の元に駆け込んだようなので、そう考えるとミラが最悪の事態を起こしていた可能性がある。
面倒くさがりは面倒くさがりなりに、それでもセルシオとの想いを育んでいたが、しかし自分一人だけで育てるつもりのない感情だ。
セルシオが魅了魔法のせいとはいえそれらを放棄した時点で、メリスティアもまた育てる事はやめてしまった。
面倒だけど、最低限、婚約者と理解し合う必要はあると思ったから注意や忠告、話し合おうという説得までしてみたけれど。
その時点で婚約者としての義理は果たした。
大体セルシオもセルシオである。
軽率にアミュレットを外さなければ良かったものを。マレナが元平民で、貴族社会に不慣れであるからまさか自分を陥れようと考えているなんてありえない……と思っていたのか、ともあれ思い切り油断した。侮っていた、とも言う。
魅了魔法の可能性を考えていなかったにしても、それでもあえて他人の前でアミュレットを外すのであれば、最悪の事態があった時自力で魔法を弾き飛ばすくらいの芸当を身につけておくべきではないのか。あっさり魅了されるからそうなる。その点においてメリスティアに落ち度があるわけでもなし、じゃあ後は自分なりに義理を果たした時点でもういいだろうと思ったに過ぎない。
セルシオとやりなおして、彼を次の王にするより他の相手を王にした方がいいのではないか。
どうせ今は国内だけの話になってるだろうけど、いずれどこからか彼らが魅了魔法にかかっていたという話は他国に噂として流れるだろうし。
そうなれば、そこを突かれる可能性もある。ハニートラップ仕掛けられるくらいならまだいいが、毎回ねちねちとこちらの――セルシオの失敗をネタにされてストレスを与えられるような事をやられていけば、いずれセルシオがブチ切れて相手に宣戦布告を吹っ掛ける可能性もあり得る。
いくら本当の事だろうと、一度ならまだしも毎回ねちねちやられてしまえばセルシオの我慢の限界に達した時点でそうなるだろうな、とはメリスティアでも簡単に想像がついた。あからさまに戦争吹っ掛けるまでしなくたって、嫌がらせを仕掛けるくらいはやるかもしれない。
相手の落ち度を突いて自分優位にもっていきたい、なんて考える他国の王侯貴族はいくらだっている。国内にもそういう手合いは存在している。
だから、最初からあからさまな落ち度を作ってしまったセルシオを王にするよりは、その次に継承権を持つ相手に譲った方がまだ外交的にもマシだろうとメリスティアは思うわけで。
次の継承権を持つ相手とメリスティアが結婚する事はなさそうだから、その場合自分の嫁ぎ先はどのあたりだろう、辺境伯とかそこら辺受け入れてくれればそれはそれで……面倒だけどそれが仕事だと言われてしまえば受け入れる所存ではある。
けれど、このままセルシオと元鞘に戻って彼を王にするのは面倒極まりないのでお断りだった。
これが、メリスティアが復縁を拒絶する嘘偽りない本心である。
他の家に嫁げと言われたなら家の方針に従うが、しかしセルシオとこのまま婚約継続からの結婚をするくらいなら修道院の方が間違いなくパラダイス。
家の方針だろうとも親がどれだけ言おうとも、もうメリスティアの中でセルシオとの結婚だけは無いなと思っているのだ。
まぁそれでもやり直す道がないわけではないのかもしれない。とても面倒くさいけれど。
かつては確かに好きだった。愛していたと思う。
けれどもうそんなものはとっくに過去の話なのだ。メリスティアにとって。
過去の事なので、改めてこの関係を一から、もう一度最初からやり直そう、とか言われたならそれでも良かったとは思っている。
ただ、メリスティアと同じように魅了魔法にかかった婚約者たちに冷遇された友人たちはきっとメリスティアのように考えられないだろうから、自分だけやり直してもいいなんて言えなかったのだ。
友人たちは絶対に無理だと思っている。実際四人で話し合った時に、そう口にしていた。
なのにこの中で一番立場的にも上のメリスティアがやり直そうという意欲を見せたら、友人たちは親や周囲からより一層、メリスティア様だってやり直す事を決めたのだから……なんて言われて復縁を押し付けられたかもしれないのだ。
それは、嫌だった。
セルシオとやり直すのも正直なところ嫌ではあるけれど、友人たちが周囲から圧をかけられ望まぬ復縁をする方が余程嫌だった。
なのでメリスティアも断固として復縁などしないぞ! という態度をとっているのである。
友人たちはいかにして復縁のためのチャンスを彼らが失敗するか、じっくりと考えたのだろう。
一時的に魅了魔法のせいで関係に亀裂がバッキバキに入ったといっても、それでも以前は交流し、仲を深めお互い理解し合っていた関係だった。
なので、多少の思考誘導とか、こちらがどういう態度をとればどういう風な反応をするか、想像はできただろう。
後はインパクトって大事なのね……とも。
メリスティアはこのためだけに小道具を用意しようとか、これっぽっちも考えてこなかったので、あんな道具を用意してまで……と内心で感嘆していた。
正直自分のような公私の私部分がとても自堕落でぐーたらしている性根の女が王妃になるよりも、彼女たちのような手間を手間と思わない相手の方が余程むいているとすら思えてくる。
ともあれ、メリスティアは最初の時のようにセルシオと向かい合う形になっていた。
最初にこの部屋でお互いに向かい合う形になっていた時よりも、余裕のない表情だな、とメリスティアはのんきにそんな感想を抱いた。
実際こちらから無理難題を吹っ掛ける、と言ってはいたが、チャレンジする前はそれでもなんとしてでも達成してみせる、という気概があった。取りつく島もなかったはずのこちらからどうにかしてもぎ取った一度きりのチャンスだ、無駄に捨てるつもりなどなかっただろう。
ところが既にセルシオ以外の三名は皆失敗した。
残されたのはセルシオだけ。三名のうちの一人くらい成功していたのなら、まだ希望を持てたかもしれないがしかし三人とも失敗したとなれば。
自分にはどんな無茶振りがやってくるのかと思っているのだろう。だがしかしこの時点でメリスティアは何も考えていない。
さて、どうしましょう。
そんな言葉がうっかり飛び出てしまいそうだ。
「さぁ、メリスティア。
あとはもう僕たちだけだ。君は一体どんな試練を出すつもりなんだ……?」
彼らが失敗した以上、自分も失敗する可能性は大いにある。
それどころか成功するイメージが想像できないとしても、何もおかしなことではない。
むしろここで自分だけが成功するイメージを持たれたところで、それは随分と都合が良い妄想ですわね……とメリスティアだってうっかり言ってしまいかねない。
「そうですわね……」
やる気満々なセルシオに、もったいつけるような口調でメリスティアは言った。
(さて本当にどうしましょう。ここに至ってもまだ何も浮かびませんわ……)
内心困りつつも、それを表情に出さないままメリスティアはゆっくりと室内を見回した。
この茶番だとメリスティアが思っている一連の光景を見守る各家の親、既に成功し、こちらの成功を祈るであろう友人たち。
そして、失敗した結果なんとも言えない表情でセルシオを見守る令息たち。
世界の希望を背負って魔王の前に立つ勇者みたいな顔でこちらを見ているギリまだ婚約者の男。
多分、今がメリスティアにとって最も思考をフル回転させている瞬間であった。