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壊れたものをなおすには



 リナリアがサナイアへ出した無理難題――と言うべきはずのものは、驚く程簡単だった。


 リナリアは一枚の写真をサナイアに差し出すと、

「隣の部屋にこの箱が置かれております。それをこちらに持ってきて下さいな。

 難しい話ではないでしょう?」

 あっけらかんとそう告げたのである。


 写真には綺麗にラッピングされた箱が写されていた。

 箱以外に写っている物もいくつかあって、それらの大きさと比べると箱の大きさは大体リナリアならば両手で、サナイアやクラムスといった男性なら片手で持てなくもない大きさである。


「丁重に扱ってくださいね?」


 にこ、と微笑んで言うリナリアに、何か裏があるのではないかと疑ったが彼女の声や表情からは何も探れなかった。

 ここでリナリアの真意を探っていても、きっと正解を得る事はできない――サナイアはそう判断して言われたとおりに一度部屋を出て、

「どっちの隣だ?」

「ふふ、さぁ? どっちでしょうね。両方行けば済む話でしょう」

 どちらの、と言われていなかったために、左右どちらかを問いかけるがリナリアは悠然と笑むだけだった。


「まさかここで部屋を間違った時点で一度のチャンスが終了とかないだろうな……」


「それはありません。ご安心を」


 もしそうなら……と思った矢先に否定の声が飛ぶ。

「それから、両方の部屋に同じ箱があるわけでもないので、どちらを持ってくるべきか……と悩む必要もありませんわ」


 くすくす……とサナイアの背後でリナリアの笑い声が響く。


「随分と簡単な事を言うものだな……アンティスヴェラ侯爵令嬢、今までの婚約破棄だの解消だのというのはまさかただの悪乗りか……?」

「まぁ、とんでもない。サナイア様との婚約継続を望まないのは本心からでしてよ」


 隣の部屋から写真に写っているのと同じ箱をここに持ってくるだけ、というこどものお使い同然なそれに、クラムスが憮然とした様子で呟いた。


「簡単だ、と本当に思っていらっしゃるの? そうだといいですわね、ふふっ」


 持ってくるだけなら、別に誰でも可能ではある。

 ある、けれど。


 問題はその後だ。


 それを理解しているからこそリナリアは笑う。


 愛しているだのなんだのと言ってはいるけれど、あっさりとアミュレットを外し魅了魔法に掛けられて、愛する女を蔑ろにして、そうしていざ魔法が解けたら以前のような愛を願う。

 それは、サナイアに限った話ではなかった。

 セルシオも、クラムスも、サナイアも、アンセルも。

 婚約が結ばれた日から彼らが魅了魔法にかけられる直前までは、お互いに確かに愛を育んできたのだから、自分の意思とは別の魅了魔法と言う介入によってそれが崩れ去ったとなれば、そう簡単に納得できないのは理解できる。


 だが、別に魔法にかけられたから、というのは特殊な状況というわけでもない。

 今回は禁忌である魅了魔法が使われたから、彼らもまた被害者だった、と周囲は言うけれど。


 リナリアからすれば何言ってるんでしょう有象無象はこれだから……というものである。


 魔法じゃなくたって、これに似た状況はやろうと思えば作り出せる。

 例えばそう、酒を飲んで酔っ払ったのならば。

 楽しい気分になってお酒をぐびぐび飲んで、そうして段々前後不覚に陥って。

 その間の事はなんだかふわふわした気持ちで朧気にしか憶えてなくとも、しかし酔いがさめて素面に戻った時に酔っ払った時のやらかしを聞かされれば。

 醜態度合いによるが、まぁ今の状態と似たり寄ったりな事にはなるだろう。


 酔っ払って気分が大きくなって俺のおごりだパーッと飲めー! なんてやらかして、いざ素面に戻ったら驚くくらい財布の中身がすっからかん、だがしかし自分で奢ると宣言した事実は消せないし、財布の中身だって戻っては来ない。


 平民の間でありがちと言われる話であるけれど、リナリアは正直今回の件はこれと大差ないものだと思っている。


 魅了魔法によってマレナしか見えない状態に陥って、しかし魔法が解けたら婚約者との仲は最悪。

 魅了魔法を酒に、酔いがさめた後の状況を今に置き換えれば概ね大差ない。


 確かに魅了魔法なんて禁忌だし使い手がそもそもポンポン現れるでもないし、まさか自分がその餌食になるなんて思っていなかったと言われても、リナリアとしてはまぁそうよね、私もそう思うわ、と彼らに賛同できなくもないのだ。マレナが女だったから、彼らが被害に遭ったけれど。

 もしマレナが男だったのなら、場合によってはこちらが被害に遭っていたかもしれないのだ。


 さて、果たしてもしそうなっていたのなら、きっと事態は今より最悪だっただろう。

 婚約者がいながらにして別の男に魅了され、下手をすれば純潔を失っていたかもしれない。


 そうして魅了が解けた時、婚約者以外の男と身体の関係を持ってしまったという事実に、もしそうなっていたならこちらはその事実を受け入れられただろうか?

 リナリアは今、既にサナイアとの関係を断ち切りたいけれど、しかしそうなる前の状態でこちらが魅了にかかっていたのなら、きっと今の彼らのように縋りついていたかもしれない。

 愛していたのは貴方だけ、そんな今更すぎる言葉と共に。


 とはいえ、やらかしたのは彼らである。


 魅了魔法とかいう若干特殊な事態だが、しかし先程のような酔って前後不覚状態と変わらないものだと考えるのなら。

 きっと彼らは別の同じような何かに引っ掛かるように思えるのだ。

 魅了魔法に既にかかったからこそ、それに対して警戒はするだろう。

 けれど、それ以外の別の何か――それこそリナリアが考えたように酒だとかでやらかす可能性もあり得る。


 人間だもの、失敗する事は誰だってある。

 ある、のだけれど、しかしその失敗が割と致命的なのは問題しかない。

 せめてやらかしてもまだ修復可能な範囲であればいいけれど、彼らの場合はそうじゃないのだ。

 魅了を防ぐ魔法をこめていたアミュレットを軽率に外すべきではなかった。


 マレナが近くで見てみたーい、とか言ったところで、外さないまま見せるなどすればよかったのに。


 ……いや、まぁ、最初に引っ掛かったセルシオのアミュレットは指輪になっていたし、それを表も裏もくまなく見ようとすれば彼の手は何度くるくる回転する羽目になるか……そう考えたら、外して見せた方が確かに手間はかからない、そう考えた結果なのだろう。それ以前に王族なのだから、魅了魔法以外の魔法で害される可能性を考えておけとリナリアとしては言いたいが。


 国同士の関係が冷えて戦争も身近だった時代と比べて今はそれなりに平和なのだが、それもきっと彼らの迂闊さに拍車をかけたのかもしれない。


 神童と呼ばれていたサナイアが、いくらセルシオに問題ないと言われたからとて軽率にマレナの前でアミュレットを外すような事をした、というのを聞いた時点でリナリアはすっと彼に抱いていた想いが消えたのを感じていた。

 その前まではまだ多少なりとも情とか想いはあったのだ、これでも。


 自分に冷たくなった婚約者に、でも何か事情があるのかもしれない、とかそういう風に思って信じていたのに。


 蓋を開けたら魅了魔法にかかってるとか、それを聞いたリナリアの最初の言葉は、

「馬鹿なの?」

 であった。


 クラムスもアンセルもそこで軽率に外したのなら、せめてサナイアだけは外さないよう上手く立ち回るとか、もしくはアミュレットに見せかけた偽物を使って外した振りとか、そういうのができたはずなのだ。サナイアなら。

 だがしかし、それができていなかった、という時点で。


 驚くくらいリナリアはサナイアに対する熱というものが失せたのを感じたのだ。


 もっと早くに愛想を尽かしていてもおかしくなかったのだが、しかしハッキリとリナリアがサナイアへの想いを失ったのは、メリスティアたち四人の中できっと一番遅かった。

 遅かったけれど、その時には他の三人が各々婚約者との関係を見直そうとしていたので便乗したに過ぎない。

 自分だけは彼とやり直すわ、なんてその場で言ったとして、三人はリナリアの考えを尊重してくれるだろうけれど、しかし復縁を迫る他の三名がサナイアだけやり直せるなんて、と言い出せば面倒な事になるのは明らかだったから。


 それに、まだその時点で愛はあったと思うけれど、でも別にどうしてもサナイアじゃなければ駄目だという程でもなかった。そう思える時点で、きっと愛は失ってしまったも同然だった。

 メリスティアたちが婚約破棄を望んでいた頃、リナリアも自分の中でじっくりと考えてはいたのだ。サナイアとの今後を。

 そうして、駄目そうだなという結論に至った。


 神童と呼ばれていてもきっとそこがピークで、きっと彼はこの先どんどん落ちぶれていくだけなのではないかしら? そう思ってしまった。

 だって、自分が好きで愛していた頃のサナイアなら、こうもあっさり誰かにはめられるなんてあるはずがないのだ。けれど実際はどうだ。

 そう思えばリナリアもまたサナイアとの婚約を早急になかったことにするべきだとなってしまったのである。まだ、嫌いではなかった。でもきっといつか嫌いになるに違いないから。


 これがマレナが何らかの――犯罪組織などと関与を疑われているような存在で、セルシオ殿下直々に側近たちと彼女の油断を誘って尻尾を出させるつもりであった、だとかであれば良かったけれど、そんな話ですらない。

 彼らはどこまでも単純に油断した結果マレナにしてやられたのだ。


 絶望はしなかったが、失望はした。

 リナリアにとってはそれだけの話だ。

 ミラのように好きだけど嫌い、という感情を拗らせて口出ししてくる周囲に怒りを募らせて……なんてところまでリナリアは感情を動かせなかった。


 激しい愛も憎しみもないけれど、リナリアにとってサナイアへの想いはもう終わった。

 けれどサナイアはまだそれを認められていない。

 だからこそ、わざわざこんな茶番を設ける事になったのだとリナリアは思っている。


 きっと、かつての彼ならもう以前のような関係に戻る事はないと理解しただろうに。

 恋が彼を駄目にしたのか、それとも――



 ――隣の部屋、と言われ、サナイアは一先ず両方の部屋を確認した。

 結果としてどちらの部屋にも写真にある箱がある、というわけでもなくそれ故に持って行く箱を選ぶなどというような事はなかった。


 テーブルの上に置かれた箱は、やはりそこまで大きな物ではない。

 サナイアに限らず、ある程度成長した男性の手であれば片手で持ち運ぶことができるような大きさでこの箱をリナリアが待つ隣の部屋に持って戻るだけ、というのはとても簡単な事だ。


 自分との関係を終わらせたい、と望む彼女がやり直すためのものとして与えた機会がこんな簡単なものなのだろうか……? と思いもしたが、サナイアとしてはここでリナリアとの関係を断つ事は望んでいないので簡単であればそれはむしろ自分にとっては都合が良い。

 だからこそサナイアはそこにある箱を手に取った。


 見た目から想像していたより重たいだとか、軽いといった事もなかった。


 ただ、箱の中でコトン、と何かが動いた感覚はした。

 中が何なのかはわからないが、箱の中にみっちり詰まっているというわけでもないという事は今はこの中から聞こえた音で判断できたけれど。

 箱はそう大きな物でもなく、そしてその中で動くくらいには隙間があるというのなら、中に入っているのは装飾品とかだろうか。

 仮に食べ物であったとしてもケーキではない。というかケーキなら中で音をたてずに崩れているだろう。

 それ以前にわざわざこの場面で菓子の入った箱を持ってこい、などとリナリアが言うとも思えなかった。


 ナイフのような凶器が入っていたとしても、箱のサイズからして小振りな物。


 軽く箱を傾けてみたが、中で何かが移動するような感覚はもうなかった。


 一体彼女は何を思ってこの箱をわざわざ自分に取りに行かせたのか。

 必要であるのなら、最初からあの部屋に用意しておけばよかったのではないか。


 そんな疑問を抱きながらも、いつまでもここで立ち止まって考えているわけにもいかない。

 隣の部屋に行って物をとってくるだけでどれだけ時間をかけるのか、と言われるのもなんとなく癪だ。


 だからこそサナイアは箱を手にさっさと隣の部屋に戻った。




「持ってきたぞ」


 サナイアを見送り、リナリアが思案にふけっているうちにサナイアは戻ってきた。

 然程時間がかかったわけではない。行って帰って来るだけならこんなものだろう、と思える程度の時間。


 リナリアはサナイアが手にしている箱を見て、そうして再び笑みを浮かべた。

 喜色というよりは嘲り強めの笑みである。


「それでは、その中の物を取り出して下さい。それがこちらの写真と同じであれば、私は貴方とやり直しましょう」


 言って、リナリアは新たな写真を取り出していた。

 裏面を向けているのでサナイアの目には何が写し出されているのかわからない。だからこそ、サナイアは露骨に眉を顰めた。


「まて、その写真に映し出された物と、この中の物が別の物である可能性があるという事か。

 では、最初からそう仕組む事は可能なのではないか?」

「ご安心を。別の物を入れたりはしていません。

 この写真は箱に入れる前に撮影したもの。そうして丁寧に、慎重にここまで運んできたのです。

 それに今日、この日に私たちがやり直す事になるかどうかを決めると城で働く者たちにも通達されておりますもの。そのための何かに手を出すような者がいたとして……それはつまり、貴方に返り咲いてほしくない人たちでしょうね。

 けれど事前にこの箱には限られた者しか触れられないよう魔法をこめておきましたので。

 中身をすり替えたりする事はできないようになっていました」


 もしこの箱に何らかの細工をしようと思った第三者がいたとして、しかし不用意に触れればその時点で大怪我をするようになっていた。

 けれど、そんな者が出たとは報告されていない。

 チャンスを与える、と決められた日よりも数日前にリナリアが城に持ち込んでから今日に至るまで、箱は誰の手にも触れられず、今日という日を待っていた事になる。


「……中身が食物、とかではないよな?

 数日前から、となればこの箱の中で腐っているだとか」

「でしたら箱から悪臭が漂っていてもおかしくはありませんね。します?」

「……いや」

「でしたら、とっとと開けてはいかがでしょう?

 写真に写された物と同じであれば貴方はこのチャンスをモノにできたという事になります」


「あ、あぁ……」


 リナリアに言われてサナイアは箱の蓋を閉じるように結ばれていたリボンを解いていく。

 その際に何度か箱の角度を変えたりもしたが、もう中で何かが転がるような感覚はしていなかった。


 こんな簡単な事で……?

 箱の中に入れる前に撮影して、そうしてそこから誰も手を付けていないのなら箱の中身が変わる事はない。

 食べ物などではないのなら、入れた時同様に出てくる物は同じであるはずだ。


 リナリアはもしかして、他の――メリスティアたちが婚約の解消を望んでいたから、そこで一人だけやり直すというのをハッキリと言えなくて、だからこんな形でやり直しを願っているのだろうか……?


 サナイアはそんな風に思いながらも、リボンを解き終え蓋を開く。

 そこには――


「なんだ……これは」


 白くさらさらとした粉のようなものが箱の中に広がっている。

 隣の部屋で箱を持った時、中で何かが転がるような感じはしていたが、しかし粉しかない。転がるような何かは存在していなかった。



「あら、やっぱり失敗しましたのね」

「失敗……!?」

「私、言ったはずですけど。丁重に扱うようにと。

 持ってくる時だって慎重に、丁寧に扱ったのだと言いました。

 なのにそこ全然気にする事もなく普通に持ち上げてあまつさえ傾けたり振ったりしましたね?」


 ではそうなって当然です、と言われて。


 サナイアは改めて箱の中を見た。


 白く、少しだけキラキラと光っているようにも見える粉。


「ちなみに、こちらが本来の姿です」


 言ってリナリアはサナイアへと箱の中に本来入っていた物を写した写真を突き付けた。


 そこに写っていた物を、サナイアは理解するまでに多少の時間を要する事となった。

 窓から差し込む光に反射したのか、かすかに煌めいているが色はほとんどついておらず、透明なガラスのような物だと思ったのだ。

 けれど、形状は職人が技術を尽くしても恐らく作れそうにない複雑な形をしている。

 サナイアはじっと写されたそれに目を凝らしてよく見た。


 赤ん坊の小指の爪よりも更に二回り程小さな雪の結晶のような形をした物がくっついて更に別の模様を描くようになっている。そのまま球体のような形をしているのだと理解して。


「サルフェリウス結晶か!」

「はい。その通りです」


 まさか知らないはずもないだろう、とばかりにリナリアが頷く。


 サルフェリウス結晶とは冬になると時折見かける妖精たちが作り上げる魔力の塊である。

 雪の上にそのまま作っては放置されるそれは、氷のようにも見えるがしかし氷ではない。

 雪や氷のように溶けたりはしないため、上手くすれば妖精たちの魔力素材として扱う事もできるのだが……


 途轍もなく脆いのである。


 雪の上に作って放置されたそれらは、ちょっとした衝撃で簡単に壊れる。

 こどもたちが雪にはしゃいでぽすっと雪に足を踏み入れて、直接踏まれたりしていなくても近くの衝撃だけであっけなく壊れる。

 壊れた後は砂のようになってしまって、翌日には綺麗さっぱり消えてしまうので、壊れると魔力素材として扱う事もできなくなる。仮に魔法道具に組み込んでも次の日には消えてしまうので、そうなるとその魔法道具は上手く作動しなくなるのだ。


 壊れていないサルフェリウス結晶を上手く組み込めたなら、その後は逆に魔力が安定するのか頑丈になるのだが。


 他の魔力と反応させることで強度が増すという研究結果が出ているが、しかし反応させるにしても適当にドバッと魔力を放出すればいいわけでもなく、また少なすぎる魔力でもよろしくない。

 上手く使う事ができればとても便利になるのは間違いないが、しかしそう簡単にいかないとても扱いが面倒な代物。

 それがサルフェリウス結晶である。


「私はとても慎重かつ丁寧に箱の中におさめたのですが……サナイア様ったら適当に扱ったようで壊れてしまいましたね。生憎と、入れた時と別の形になってしまったので、貴方のチャンスはここで潰えました」

「無茶が過ぎる!」

「えぇ。最初に言ったではありませんか。無茶振りをすると。無理難題かましますよと。

 その上でそんなチャンスを望んだのはそちらではありませんか。

 私もミラ同様、一応ヒントを出しておいたのに思い切り聞き流されてしまいましたね……」


 悲しいわ、なんて全然悲しそうにしていない表情と声で言われて、サナイアはそこで遅れて顔色を悪くさせた。


「まぁ、でも、そうですね……

 今日中に元の形に直す事ができたなら、合格って事にしてもいいですよ」

「な、ん……いや、無理が過ぎるだろう!?」


 妖精たちが作った魔力の塊。


 冬の間、もしくは一年中寒い土地へ行けば入手自体は可能であるけれど。

 今はまだ冬ではないし、ましてや今日中となれば北方へ赴くにも無理がありすぎる。仮に、どうにか北国へ行くことができたとして、そこで無事サルフェリウス結晶を手に入れたとして、だ。


 それを壊さないように持ち帰るのは至難の業だ。


 魔法道具に上手い事組み込めればいいが、その場合リナリアが指定した状態とは異なる。

 そうでなくたって、サルフェリウス結晶は一見すれば同じように見えるがしかし実際は細かな模様が異なるのだ。

 リナリアが写真に写したサルフェリウス結晶と同じものでなければ試練を乗り越えたとは言えないだろう。


 この壊れた結晶を元に戻すにしても、時間を巻き戻すような魔法はサナイアには使えない。

 というか、人間のほとんどは使えない神の奇跡と言われている。仮に人間が使えたとしても、魅了魔法のようにそちらも禁忌とされるだろう。


 では、壊れた結晶の破片を一つ一つ丁寧に組み立てる?

 いや、無理だ。既に原型を留めていないし、完全に砂みたいにさらさらになってしまっている。

 リナリアの持つ写真を元に同じ形に組み立てるにしても、砂粒を一つ一つ組み立ててくっつけて……となれば今日中に戻すなど不可能。


「無理、ですか。そうですね、形あるものはいつか壊れるし、壊れてしまったモノというのは大抵は元に戻らないものですものね」

「…………それは」


 壊れても修理できる物というのは確かにある。

 けれど、直ってもまたすぐに壊れたり、部品を新しい物に変えればそれは以前の物と同一と言うには少し異なるわけで。

 大まかにはそうでも、壊れる以前の物と全く同じとは言えなくなる。


 例えば誰かの物を壊してしまって、弁償したとして。

 それが本であったとして、その本を弁償したとしてもだ。

 初版かそれ以外の違いがある場合もあるし、そうでなくとも駄目にしてしまったモノと弁償したモノとでは、持ち主の心情的には別物である。


 親の形見の宝石を駄目にして、代わりにもっといい宝石を与えたとして、弁償した後の宝石の方が価値が高かったとしても、親の形見ではない。


 それでも物ならまだ、仕方ないと諦めたり受け入れる事もある。


 これが人間であったなら、同じものを、というのは不可能だと言ってもいい。

 子を失った親にまた産めばいい、などと言ったとしてもだ。

 次に生まれてくる子は死んだ子とは別人なのだ。

 仮に見た目がそっくりであろうとも、死ぬ前の子と同じ人生を歩み全く同一の存在にはなれない。生まれ落ちた時間が異なるのだ。死んでしまった子と同じ生年月日で生まれるのはそれこそ時間をさかのぼらない限り不可能。


 新たに生んだ子に前の子の魂が宿って前世の記憶でも持ってるなら話は別かもしれないが、そんな事はまずもってあり得ない。


 そういう意味では――


「一度壊れてしまった私たちの関係も、そう簡単に戻りはしないのですよ、サナイア様。

 サルフェリウス結晶のように上手くいけば固い絆で結ばれる事もあるでしょう。ですが、魅了魔法によるものとはいえ、サナイア様が私にとられた数々の辛辣な言動で、私と貴方の関係は今その箱の中にあるサルフェリウス結晶のように粉々になってしまったのです。

 やり直したい、と簡単に言ってくれますけど、ではまずその結晶を完璧に元に戻してみせてくださいな。

 無理でしょう? 一朝一夕でできるものではないでしょう?

 ですが、貴方たちは軽率にすぐに以前の関係に戻れるとばかりにやり直しを願った。

 人の心はそこまで単純じゃないんですよ」


 案外単純な場合もあるけれど、しかし今回に限っては。


 間違いなく複雑なものだった。

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― 新着の感想 ―
魅了魔法でやらかした事って酔っ払ってやらかしたようなもんよなって思ってたのでめちゃ納得 飲酒運転で人を引いてしまったら酒のせいではすまんからな 飲酒運転とかアミュレットを外すとかするなと言われてたこと…
自分が「選ぶ」立場だと思っているから、自分が愛しているのなら「やり直せる」などという勘違いを出来るのかも知れんなぁ。 もはや彼らは「元婚約者」でしかないし、相手の彼女たちも彼らを見限っているのに。 …
最初は意地悪じゃない?とも思ってたけど、冷静に考えればそうよねぇ…結局人の話を聞いていないか軽視しているつまり反省も学習もしないから同じ過ちを繰り返すという試金石になるわねぇwまあその結果が安易に魅了…
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