サービス問題だったのです
アンセルはミラとやり直す未来を掴み取れなかった。
この時点で彼の未来は閉ざされたと言える。
それらを見ていたアンセルの両親も、仕方ないとばかりにそっと目を閉じ頭を振るだけだった。
慰めの言葉をかけようにも、何を言えというのか。
そもそも最初はチャンスすら与えるつもりもなかったはずなのだ。
それを国王が仲介するかのように間に入ったからこそ得た一度だけのチャンス。
一度のチャンスでどうにかやり直すつもりだった。
だが、その一度きりをアンセルは――
失敗したのだ。
もう一回、あと一回。
そんな風に口から言葉が出そうになったが、しかし仮に言ったところでもう一回は決して存在しない事を、アンセルも理解はしていた。
ただ、自分が失敗したと言う事実を認めたくないだけで。
呆然とかつての婚約者であったミラを見ているが、しかしミラはアンセルを視界に入れてすらいなかった。
は、と小さく息を吐くアンセルの頬を涙が伝っていく。
「あ――」
遅れて、そこで自分が泣いているという事実に気付いたアンセルは、ぐいと乱暴に袖で涙を拭った。
それからのろのろとした動作で立ち上がり、どうにかセルシオたちの方へと戻っていく。両親の元へ行く気にはなれなかった。
「それでは次は私が」
言って、次に前に進み出てきたのはリナリアだ。
同情からか、アンセルに視線を向けていたサナイアがその声に弾かれたように視線を移動させた。
「ねぇ気付いていますかサナイア様」
「……何をだ」
「今の、ミラが出した問題の答えを、です」
「……どちらを選んでもまっとうなやり直しにはならないだろう」
ミラが隷属の首輪を差し出した時、アンセルだけではない、セルシオやサナイア、クラムスももしこれが自分だったなら……と考えはした。
自分が答えを出すものではなくとも、もしかしたら似たような何かが出てくるかもしれないから。
愛する女性が果たしてどのような事を言い出すかがわからない以上、他の令嬢たちの無理難題も何らかのヒントになるのではないかと考えて。
けれど、彼らは結局どうするのが正解なのかわからなかった。
既に自分に気持ちがなくなってしまった婚約者に自らを委ねたところで、直接殺されなくとも事故を装って死ぬような状況には追いやられる。死んでもいいから、とは思えなかった。
死んだ後、そうなった事実に後悔して泣いて、赦してあげればよかった……と口にしてくれればまだ浮かばれるかもしれないが、死んだ後にじゃあ義理は果たしましたので、とあっさりこちらの事を黒歴史のような扱いにされて第二の人生を満喫されては、死に損である。
かといって、婚約者に隷属の首輪をつけるというのはつまり、お前の愛などその程度、と思われる事になる。
結局、自分たちの迂闊さで捨てた愛を再構築できないからこうして無理矢理隷属させるしかできなかったのだ、と言われてしまえば反論などできない。
どちらを選んでも最愛の女性からの愛は二度と得られない。
であれば、アンセルの選択はチャンスをものにできなくとも、これが正解だったのではないか、と思えてくる。
サナイアはそう、自分の考えをリナリアに伝えたのだが。
「――ふ」
最初は、聞き間違いかと思った。
しかし直後――
「ふふっ、あは、あははははは……!
ご冗談でしょう皆さま。魅了魔法にかかっていた間に知能まで落としましたの!?
あんな、あんなサービス問題をまさかミスるだなんて思わなかったのに、揃いも揃って誰も気付かないとか……!
ふ、ふふっ、堕ちたものですわねぇ……
ミラはラックウェル伯爵令息に確かに怒りをおぼえておりましたが、それでも、まだかろうじて少しだけならやり直してもいい、と思っていたのですよ、あれでも。
だというのに失敗するものだから。
だから見限られたのです」
今までとは違い、まるで平民のような勢いで声をあげて笑うリナリアに、サナイアだけではない。
失敗したと言う事実にまだ打ちひしがれているアンセルですら、何を言われたのか理解できないといった風に目を瞬かせていた。
ミラは確かに怒り心頭という状態ではあった。
婚約者が自分を顧みなくなって、周囲の心無い噂で傷ついて。
挙句の果てに周囲は魅了魔法のせいだったんだから、彼も被害者だよ、赦してあげなよ、とさも知った風に言ってくる。
それがミラが一番怒っていた部分でもあったのだ。
人の気持ちも知らないで、簡単に言ってくれる……!
赦したくたって、そう簡単にできないからこっちだって苦しんでるのに……!
まるでこっちは傷ついてないみたいに、彼らの方にばかり皆が味方をしているようで、その事実にこそミラは激怒していたのである。
だから、一度距離を取るべきだと思った。
そうしてお互いに離れて、それでもまだお互いを求めるようなら、その時はまたゆっくりとでも歩み寄れたら……ミラはそう思っていたのに、周囲がやいやい言うものだからブチ切れたのである。
当事者の事を何故第三者が勝手に決めようとしてくるのか。
その身勝手さが許せなかった。
そして、それに便乗するようなアンセルにもミラは怒っていたのである。
怒りの方が強いけど、それでもまだ少し前まではミラの中ではアンセルとやり直す道も一応あったのだ。
1%程といったほんの少しではあるけれど。
でも、ゼロではなかった。
なのにまさかのミス。
それでミラの気持ちは綺麗さっぱり吹っ切れてしまったのである。
だって、気付くと思ったのだ。
周囲だってきっと気付いているものだと思っていたのに、まさか雰囲気にのまれたとでもいうのだろうか。
確かに選択肢は二つだけ。アンセルは第三の選択肢、どちらも選ばない、を選んだけれど。
ミラの出した選択肢の中にこそ、ちゃんと答えは存在していたのに。
リナリアが淑女の仮面をかなぐり捨てるような勢いで嗤うのも無理はなかった。
「神童とまで言われていたサナイア様ですら気付かないとか……その若さでもう耄碌したのですか?
だったら、婚約者とやり直すのも無駄でしょうから、さっさと隠居なされては?」
うふ、ふふふふふ、と中々引かない笑いの波に、リナリアは「あぁ、笑いすぎてお腹痛い……」と目に涙を浮かべて更に笑う。
「アンティスヴェラ侯爵令嬢……まさか、本当にやり直す道があったというのですか……?」
きゃらきゃらと笑うリナリアに、サナイアが何かを言うより先にアンセルが問いかけた。
どう考えても、どちらを選んでも。
結局のところやり直せるなんてないだろうと思っていたアンセルにとって、もしやり直せる道があったのならば。それに気付けなかったとなれば、悔やんでも悔やみきれないがこれが単なる出まかせである、という可能性も捨てきれなかった。
あるわけないでしょう。ちょっと煽ってあるかもと思わせて思考の邪魔をしただけですわ、とか言われた方がマシだと思っているが、それでも。
それでも、答えがあるなら知りたかった。
まだ笑いが完全におさまってはいないが、それでもリナリアは笑うのをやめようとして、どうにか呼吸を整える。時々ふふっと笑い声が出るので、完全におさまるまではまだかかりそうだったが。
「まさか冗談ではなく本気で気付いていないのですか?
魅了魔法で脳みそまで溶かしました?
貴方たちのつけてるそのアミュレットもそうですが、ミラがつけてるアミュレットだって精神操作系の魔法は防いでくれるのだから、アミュレットをつけたままなら隷属の首輪なんてつけたところで意味がないでしょうに」
そもそも隷属の首輪は奴隷や犯罪者につけるものだ。
つけられた者は主に絶対服従であるし、命令に反しようとすれば激痛が襲う。どれほど鍛え上げられた者でもその激痛を耐えきるのは難しく、人によってはその痛みで気絶するし、主人の意に反し続ければその激痛で命を落とす事だってあり得る――のだけれど。
奴隷にしろ犯罪者にしろ、そういった相手はアミュレットなど身につけない。
仮に貴族が罪を犯し隷属の首輪をつける事になったとしても、その時はアミュレットを没収される事になっている。
本来自分でしか着脱できないアミュレットであるけれど、抜け道がないわけではない。
その部分の肉体を切断し物理的に回収する事は可能である。アミュレットはあくまでも魔法関係の危険を緩和、もしくは防ぐためのものであり、そこには盗難防止の魔法などがかけられているからこそ、他者が勝手に外せないのだが、しかし例えばピアスであれば耳を切り落とすだとか、腕輪なら手首を切り落として肉体ごとアミュレットを回収、というのはできなくもないのだ。
ただ、そこから更にアミュレットを外す事はできないけれど。
首につけた場合、物理的に外すとそのまま死ぬのである意味で一番危険なのはネックレスやペンダント型のアミュレットである。
そうでなくとも、アミュレットの効果を一時的とはいえ強制的に無効化する魔道具もあるので、罪を犯した貴族からアミュレットを外す時はそういった物を使う場合が多い。
低位身分の貴族たちの持つアミュレットにはそこまで多くの魔法がこめられたりはしていないが、しかし高位身分の貴族たちのアミュレットはそうではない。
魅了魔法だって本来ならアミュレットを外さなければかかる事もなかったし、魅了魔法と同じく禁忌とされている洗脳系の魔法も大抵の高位身分の貴族たちの持つアミュレットには防ぐための魔法がこめられている。
つまりは、アミュレットをつけたまま隷属の首輪をつけたところで、セルシオのような王族が持つアミュレットなら一切何の効果も発揮しないのである。
アンセルの持つアミュレットは完全に防ぐ事ができたかは微妙だが、しかし自分で隷属の首輪をつけたとしてもそこまでの効果はなかったはずだ。
そして、ミラにもそれは言える。
彼らは忘却していた。
アミュレットを外した事で魅了魔法にかかったせいで、隷属の首輪が目の前に出された時に、自分たちはマレナに魅了されていた時とは違い今現在アミュレットをつけているという事実を。
ミラは言っていたではないか。
マレナの前でアミュレットを外したくせに、婚約者である自分の前では外したことがない、と。
それは今現在の事も示していた。
ヒントは――というか、答えは既に最初から存在していたのだ。そういう意味では。
けれど今まで魅了魔法にかかっていたと言う事実と、与えられたチャンスは一度だけ、失敗すれば次はないというプレッシャー。本来なら直接目にする機会もまずないような隷属の首輪という実物。突き付けられた選択。
一度だって間違える事ができない状況下で、彼らは精神的に追い詰められていたと言っても過言ではない……とはいえ、そんな簡単な事実を忘れ去ってしまっていたのである。
――であれば答えは決まっていた。
アミュレットが隷属の首輪の効果を防いでくれるのならば、ミラが差し出した時点でアンセルは自分の首に隷属の首輪をつけてしまえばよかったのだ。その上で、ミラの命令を聞くかどうかは本人の意思に委ねられるが危険な事はしなくたって良かった。
ミラは一度もアミュレットを外した上でつけろ、なんて言っていなかったのだから、であればアミュレットを外す必要はない、と気付くべきだった。
「あ……ぁ、そんな……」
「ふふ、おバカさん。折角のチャンスを簡単に手放すなんてね」
リナリアの嘲りを、果たして誰が窘められただろうか。
そして本当にやり直す事ができる道があったと知らされたアンセルは、縋るようにミラを見たけれど。
既に彼女の興味は他にあるのか、彼女は一度だってアンセルを視界にいれないままだった。
「ま、チャンスはそれぞれに一度だけ。
ラックウェル伯爵令息がもう一度チャンスが欲しいというのなら、まだチャレンジしていない人から一度の挑戦権を譲ってもらうなりして下さいね。その場合、譲った方のチャンスは当然ありませんけど」
リナリアの言葉にアンセルは思わずサナイアやクラムスを見た。セルシオにまで視線を向けなかったのは、流石に王子にチャンスを譲ってくれとは言えるわけがないと思っていたからか。
しかしサナイアもクラムスも、どちらもアンセルに貴重な一度の機会を譲るつもりはなかった。
自分たちも気付かなかったが、しかし答えを聞けばとても簡単なものだった。
確かに答えを聞いてしまえば、もう一度やり直させてくれ、と思う気持ちは理解できなくもない。
しかし、そのために自分のたった一度を譲ろうとはどうしたって思えなくて。
「さて、それでは私からの挑戦を受けますか? サナイア様。
私はミラみたいにサービス問題なんてしませんよ。まぁ、わかりやすくはありますけれど」
「受けてたつとも」
アンセルの事は哀れだと思いながらも、サナイアもまた自分の機会を無駄にするつもりはない。
リナリアの挑戦的な目に、笑みに、サナイアは改めて気を引き締め直したのである。