チャンスを、というけれど
恐らくは、駄目かもしれない。
駄目、の意味は異なれど令嬢側、令息側、どちらの親もそう思っていた。
令息たちにとっては自身は被害者だという思いがある。自分の意思とは裏腹に婚約者である令嬢たちに酷い態度をとってしまっていたけれど、それは魅了魔法のせいであり自分たちの意思では決してない。
だというのに、知らぬ間に婚約をこちら有責で破棄されるところだったのだ。
そういう意味では被害者だと言えなくもない。
ない、けれど、それでも彼らが彼女たちに酷い態度を取り続けていたのもまた事実。
令息たちに自覚がなくとも、それはどうしようもなく事実でしかないのだ。
彼らはマレナに魅了されていた時、マレナ以外の記憶に関して朧気であった。
婚約者に酷い態度を取っている事も、あやふやな夢を見ているような状態でハッキリと自覚はしていなかった。
それが本当に現実だなどとは思っていなかったのだ。
知らぬ間に愛する婚約者との縁を断ち切られるところだったとなって、縋りつく気持ちを、彼らの親は理解できなくはないのだ。これがどうでもいい相手との縁であったなら、それこそさくっと切っていた事だろう。
けれども、遅すぎたのだ。
もっと早くに魅了が解けていたのなら、やり直せる道はあったかもしれない。
しかし最早ないだろう……
王も、令息たちの親ですら、薄々そう察していた。
今のところはまだ、息子たちの立場はそのままにしてあるが、今回の結果次第では家から籍を抜く事も考えられるし、場合によっては幽閉するとか、病気療養からの秘密裏に始末、という結末さえあるかもしれない。
本来なら家の跡継ぎとなるはずだが、しかしその立場も危ういのだ。
他者の前でアミュレットを外し、挙句その相手が禁忌の魅了魔法を使える存在だった。
結果として魅了にかかり、決して短くはない時間魅了され続けた。
その事実は、たとえ婚約者とやり直せたとしても決して消えない人生の汚点である。
やり直せなかった場合はそんな相手に他のマトモな結婚相手が見つかるとも思えないので、後継者の立場からは退く形となるだろう。
やり直せる事ができたなら、その時はまだしも、そうでなければ彼らをこのまま社交界へ……などとてもじゃないが難しい話だった。新たな相手も見つからなければ、恐らくは長きにわたってこの汚点をネタにされ続けるだろう。そうなれば家の名も落ちる。それは、親として、現時点での当主としても認められるはずがない。
場合によってはそっと名を変えどこか遠い地で生活させるか、それを拒むようなら処分するしかない。
そこまで考える親すらいたくらいだ。彼女らがどのような無理難題を吹っ掛けてくるか。
彼らの運命はそれによって決まると言ってもいい。
同じように、令嬢たちの親もなんとも言えない表情のまま観客に徹していた。
令息側の親は既に何やら悟った表情をしているので、間違いなく彼らの今後を考えているのだろう。
娘が婚約者とのやり直しを望めば息子の人生を断たなくとも済むかもしれないが、そうでなければ最悪自らの手で処分を下す必要が出るかもしれないのだ。
恐らくは、その可能性が高いだろうな……と令嬢たちの親は誰もがそんな風に考えていた。
直接その目で見ていなかったから娘からの訴えを自分たちの学生時代を思い出して、それと同じようなものだろうと軽く考えてしまっていた事は認める。
その時点でさっさと対処していれば、娘はどうしていただろうか。
その後魅了魔法の事が明らかになったとして、その時点で他に婚約者を作っていなければ、やり直す道があったかもしれない。改めてやり直して、そうして再び関係を一から築き上げる事ができたかもしれない。
その方が、彼らにももしかしたら未来はあったかもしれない……
直接命を奪うような事は認められないと王も言ったが、しかし彼女らの与えたチャンスをモノにするために、無茶をした結果不幸な事故が起きたとしてもその場合は不問とする、と王が言った事で令嬢たちは間違いなく事故を狙うだろう。
運が絡んでくるようなものに見せかけて、彼らの不注意を誘うか、動揺を誘うかして自滅に導くような、そういった何かを。
令嬢たちからすれば、相手有責の破棄だった。
だがそれが魅了魔法によるものと知って、けれどもだからとて今まで受けた心無い言葉や態度がなかったことになるわけでもない。
破棄でなくとも、解消でもいい。
とにかくこの関係を終わらせたかった。
そのつもりだったのに、彼らが縋りついたからこそ、きっと彼女らの中の怒りもおさまらないのだろう。
ここで解消なり破棄なりしておけば、もしかしたらいつか、心の整理がついてあの時やっぱり婚約したままでいればよかった、と後悔する日があったかもしれない。
婚約を解消した事を良かったと思いつつも、彼らの事を一応許せる日が来たかもしれない。
けれどもこの関係を一度終わらせて改めて関係を築き上げるわけでもなく、そのまま続けたいと彼らが言うものだから。
今まで彼らによって酷い目に遭わされてきた彼女たちにとってそれは、苦痛でしかないのだ。
令息たちの親も一応説得はしたけれど、息子はそれでも頷かなかった。ここで一度縁を切れば、間違いなくそのまま途絶えるからだ。
いつか、再び二人の道が交差する事があったとしても、きっとその時には伴侶としての道ではなく別の関係となっているだろう。
彼らはそれを良しとはできなかった。
令嬢たちは、気持ち的には既に元婚約者である彼らの親を見て、薄々察知した。
あぁ、恐らく彼らはここで失敗すれば後がない。
彼らの命運はこちらが握っているのね……と。
本当は、当分顔も見たくなかった。
けれどもそれすら彼らは拒否したから。
最早引導を渡すしかなかったのだ。
そうまでしないと彼らはいつまでもこちらに纏わりつく、となればそうするしかない。
令嬢たちはしぶしぶではあるものの、各々がいかに彼らとの縁を切るかを考えた。達成できそうにない無茶振りを、彼らができるはずがないと言ったところでだから何だという話である。
それくらいの無茶を乗り越えてからでなければ、こちらとしても再びお互い向き合っていこうなど思えない、という意思表示だと思ってもらいたいくらいだ。
そもそも許すつもりのない相手に許しを請うのだ。譲歩するつもりのない相手に譲歩しろと言ったところで、思い通りになるはずがないではないか。
そんな令嬢たちの訴えも、それぞれの親たちは理解していた。
もう、二人が以前のような関係に戻る事はない。
嫌でもそれを理解してしまったのである。
だがもし、ここでその無理難題とやらを乗り越えた先で、そうまでしてやり直したいという熱意に打たれ令嬢の気持ちが変わりやり直しましょう、となったのであれば。
その時は、愚かなやらかしをした息子の今後の人生を、本来予定していたものにしようという風に親は決めたのである。ただそれは、あまりにも低い可能性だろうなとも思っているが。
直接殺すような事はしない、と言われているからこそ、彼らもどこか甘くみているようではあるけれど。
果たして彼女たちが一体どのような無理難題を吹っ掛けるのか……彼女たちの親ですらそれを知らなかった。
それでも、最早見守るしかないのだ。
下手に口を出せば、彼女たちの恨みはこちらに飛び火するのが明らかなので。
たかが小娘、と侮ってはいけない。
既にそれを自覚している親に至っては、顔色が優れていなかった。
離れた位置から息子や娘たちを見守る親の視線は、突き刺さるようなものではない。
だからこそ、彼ら、彼女らも気負うような感じではなかった。
セルシオは自身の婚約者であるメリスティアと向き合う。
「チャンスはそれぞれ一度だけ。失敗した後でもう一回、はあり得ません。それはおわかりですわね?」
「あぁ、勿論だとも」
淡々とした声で告げられて、セルシオはそっと眉を下げた。
かつて、自分に向けられていた柔らかで温かな声ではない。その事実に胸を痛めながらも、しかしこの状況を打破するためにとセルシオは彼女の声にしかと頷いた。
金色の髪と青い目の、誰もが王子様を想像しろと言われたら彼を思い浮かべるような、そんな外見のセルシオと、銀色の髪とアメジストのような色の瞳のメリスティアは、二人寄り添っている光景を以前は一枚の絵画のようだ、なんて言われていたけれど。しかし今は寄り添うどころか向かい合っている。
今まで彼女の隣にいるのが当たり前だったのに……とセルシオが思っても、今はもうその隣に立つ事もできない。行こうとしても彼女が拒絶するのが明らかだからだ。
それでもセルシオは諦められなかった。
幼い頃はまだ愛も恋もよくわかっていなかったけれど、成長と共にセルシオの恋も愛も彼女だけだと知ったから。
だというのに、どうして自分はあの時軽率にマレナの前でアミュレットを外してしまったのか……
元は平民だったという話で、生粋の貴族より強い魔法は扱えないだろうという思いがあったのは否定できない。そして、引き取られた先の男爵家では確かにセルシオがつけているようなアミュレットなどお目にかかる機会もないだろう事も知っていた。
目をキラキラと輝かせて、もっと近くで見たい、と言った彼女にだからこそ自分は持てる者としての余裕から――いや、今更何を言ったところで全ては言い訳であるのは理解している。
それでも。
それでもだからといって全てを受け入れて諦める事はできなかった。
セルシオはそっと視線を将来側近となるはずの令息たちへと向けた。
クラムス・ソーサリウス。
燃えるような紅い髪に、琥珀色の瞳を持つ侯爵令息。
長身ですらりとした体躯はよく鍛えられたものだった。
彼は実際何かあった時、その身を挺してセルシオを守る護衛のような役割でもあったが、その彼の表情は悔恨によるものか浮かないもので。
サナイア・バドロシェッティは深い海のような青い髪と、それとは逆に鮮やかな緋色の瞳の青年である。
公爵家の次期当主だと言われ、いずれセルシオが王になった暁には彼もまた宰相となり支えてくれるだろうと思っていた。しかしその未来は、マレナの魅了魔法にかかった事で今、思い切り揺らいでいる。
硬い表情は、彼の知略をもてば婚約者の無理難題をどうにかできるとは思っているだろうけれど、それでも上手くいくかどうか……という不安の表れだろう。
アンセル・ラックウェルは黒い髪と金色の瞳の伯爵令息である。
彼は器用で、大体の事はこなせる人物でセルシオも何度も彼の機転に助けられたことがあるけれど。
しかし今回ばかりはその機転が上手くこちらに作用してくれる気がしなかった。
言えるのは、セルシオを含めこちら側は皆、今まさに瀬戸際の状態にあるからかその表情は誰もが硬いものばかり。笑って冗談を言えるような余裕はないという事だ。
無理もない。
セルシオだって薄々理解はしているのだ。
これが本当に最初で最後のチャンスで、失敗すればその時点で愛する者とは別れる事になる挙句、本来用意されていた未来もまた閉ざされるという事を。
いっそ、素直に諦めて彼女の手を離すという選択をすれば、それが彼女にとって一番いい事なのだろうとセルシオだってわかっている。わかっていても、諦められなかった。
もし時を戻る事ができるのなら、セルシオは間違いなくアミュレットを外す前よりも更に前、マレナと出会ったあたりからやり直したい気持ちでいっぱいだった。
マレナと出会い、困っているようだからと近づいたのがそもそもの間違いだったのだ。
助けるにしても、別の方法を取るべきだった。そんな後悔をしたところで、手遅れなのも嫌と言う程理解している。
そのままセルシオは視線を移動させ、向かい合う令嬢たちを見た。
メリスティア・フロレンティーゼ。
公爵家の娘は王妃として相応しいとされ、王子妃教育を受けていた。幸いまだ国にとっての重要な機密を知る前なので婚約が消えても彼女の身に何らかの危険が……という事はないが、それでも既にほぼ王子妃教育を終えているのだ。王家からしても手放すには惜しいと思われている女性。
だが、同時に無理を押して敵に回すような事になれば、手ごわい事になるだろうとわかってはいるのだ。
そんなメリスティアの背後に控えるようにしている三人の令嬢。
ピンクブロンドの髪と春先の淡い空のような色の瞳をしたミラ・レゼリス伯爵令嬢。
アンセルの婚約者である彼女は、穏やかな気質と優しい性格でいつも友人たちに囲まれていた。
陽だまりのような、そんな雰囲気だった彼女はしかし今、極寒のような眼差しをこちらに向けている。
ハニーブロンドに鮮やかなオレンジ色の瞳のリナリア・アンティスヴェラ侯爵令嬢はサナイアの婚約者だ。
明るい雰囲気で話題も豊富な彼女の周囲にもやはりいつも友人たちがいて、遠目で見るたびいつだって楽しそうだったが、その表情は今、無であった。
紫色の髪とアイスブルーの目のロゼライン・モードリアレイル伯爵令嬢はクラムスの婚約者だ。
クラムスとは色合いからして正反対で、見た目から浮かぶイメージと同じように彼女はいつだって落ち着いていた。友人であるリナリアと共に居る時は少しだけ年相応に見えていたけれど、彼女だけは今も普段と変わらないように見える。
けれど、その瞳には決して親しみのようなものは浮かんでいなかった。
誰もがこちらを見る目は他人を見るようなもので。
事情を何も知らない者がいたならば、決して以前は仲睦まじい婚約者だった、などと言っても信じないだろう。
そう考えて、セルシオは無意識に溜息を零しそうになっていた。
「それで、チャンス、無理難題、試練、まぁ言葉はいくつかあるけど、ともあれだ。
最初は誰からかな」
メリスティアが先頭に立っているようなものなので、最初は彼女からだろうかと思ったが、メリスティアは一歩後ろに下がった。かわりにミラが前に出る。
「話し合いの結果、最初は私からという事になりました」
ミラがそう言った事で、セルシオの視線は自然とアンセルへ向く。
ミラもまたアンセルを見ていた。その視線は婚約者だと言われても信じられないくらいに冷ややかで、そんな目を向けられたアンセルは思わず身を竦ませる。
しかしここで怖気づいてはならないとばかりに一度、大きく息を吸って吐いて――それから改めてアンセルもまたミラを見据えた。
「ミラ、君が何を用意しようとも、乗り越えてみせるとも……!」
ぐっ、とアンセルの右手が強く握りしめられる。
それは決意の表れだったのかもしれない。
けれどもミラは。
ミラの視線は。
その温度は一切変わらなかった。