はじまりのえぴろーぐ
迂闊さ故に大切な存在を失って。
やり直せるかもしれない、という希望があったはずなのに結局それはまやかしだった。
メリスティアは王子妃教育こそ受けていたが、まだ王妃教育といったものは受けていなかったから国にとっての重要な情報を知らないままで。だからこそ婚約を解消できたが、仮にもし、セルシオが魅了魔法にかかったのがあともう少し遅くて、そして解除されるのも遅かったならどうなっていただろうか。
もしかしたら、メリスティアはそういったもしもの可能性も考えていたのだろうか。
であれば、もしそうなっていたなら、婚約の解消はできず幽閉か、最悪何らかの病を患ったとされて毒杯を与えられる事になっていたかもしれない……
その可能性も浮かんでいたら、確かに簡単に許せるものではないよなぁ……とセルシオはあの日、希望を木っ端微塵に叩き潰されてしばらくしてから、ようやく思い至ったのである。
もしあの時復縁できていたのなら、危ういところはあるけれどそれでもまぁ、跡継ぎとしてどうにか……やっていけるかもしれない……みたいな葛藤と共に婚約者だった女性たちに彼らを頼むと言って、任せたかもしれない。
ところが結局婚約は彼女たちの望み通りに解消となった。
破棄、ではなかったから瑕疵がついたわけではないが、しかし経緯が経緯だ。
散々面白おかしく噂されてきた事もあって、彼女たちに非はないとされてもどうしたって流れてしまった噂が完全に消滅するわけでもない。
嫌気がさすのも仕方ないよな……と、もう二度と関わる事がなくなったと知って、絶望して抜け殻のようになりかけてからようやく彼らだってそう思うようになったのである。
そうして彼らは後継者という立場から転落する形となった。
ただ、これも経緯が経緯なので毒杯だのなんだのというところまではいかなかった。
かといって、平民に落として追い出すわけにもいかなかった。
結局彼らは王家が所有する領地の中で、一等寂れた土地に追いやられる形となった。
野垂れ死ね、という意味ではない。
どのみち彼らもまた結婚は絶望的。
跡取りにするにしても、彼らの方にこそ瑕疵があるような状態で、そんな彼らを支えてくれるだけの娘がいるか、となるといなかったのである。
能力的にも身分的にも不足しかない相手なら名乗りをあげたかもしれないが、彼らの家の名を利用しようと目論むような相手と結婚させても、彼らの苦労が増えるだけだ。
それに下手をすると家のほうにまで迷惑がかかるし、そうなると娘の生家との関係も悪化しかねない。
国内が荒れる原因になりかねないので、国内の令嬢たちとの縁談を持ち掛けるわけにもいかず、しかし他国との縁を繋ぐにしても……彼らを受け入れてくれそうなのは、若い男を愛人として囲いたい妙齢の女性だとかの、一癖も二癖もあるような相手くらいだ。
見目麗しく、能力も別に低いわけではないので受け入れ先は探せばありそうなのだが、やはり魅了魔法にかかっていたという事実が足を引っ張るのだ。
被害者ではあるけれど、完全に同情しきれないという微妙な状態。
その事実がなければ引く手あまただったろうに。情報を伏せて他所と縁を結ぼうとしてもその場合真実が明るみに出たら問題である。
つまるところ、彼らは娯楽小説にありがちな、大勢の前で婚約破棄を突き付けられてしまって貰い手が一切いなくなってしまった令嬢と同じかそれ以上に行く先がないのである。
需要があってもその場合、彼らにとっての地獄みたいな場所。
地獄に落ちろとまでの悪行をやらかしたわけでもない彼らに流石にそれは酷だろう、となって、だがしかし各家、彼らの存在を持て余しかけていた。彼らが色狂いだとか、発情しっぱなしの猿みたいであったなら種馬として……なんて未来もあったかもしれないが、生憎彼らは魅了魔法にかかるまでは婚約者一筋だったので、そういう扱いもやっぱり酷。
結局王が彼らを纏めて王家所有の不毛の大地状態になっている領地に送り込む事を決めたのであった。
優秀な彼らなら、力を合わせて住みよい土地に変えてくれるだろう事を願って。
「――ってのは建前で、もしかしたら潰し合いを望まれてたりするんだろうか、って考えてた時期があったよな」
そう言ったのはアンセルである。
最初、こんな最果ての地みたいな場所に送り込まれた事に遠回しに死ねと言われたのだと絶望したりもしたけれど、だがこの流刑地みたいな土地は決して罪人収容所でもなんでもなく、少数ではあるが人も住んでる普通の土地だった。
普通の定義を若干こねくり回す必要はあるが。
ともあれ彼らは四人で力を合わせてこの領地をどうにかもうちょっと住み心地の良い土地にせよ、と命じられた。
確かに彼らは将来的に家を継いで、領地を盛り立てたり王家を、国を――セルシオの側近として支えたりするはずであったので、領地経営について何の知識も持ち合わせていないわけではなかったが。
だが彼らの知る領地経営の知識は基本的に自分たちの家の領地に関するものであって、こんな殺風景を極めたみたいな荒涼とした大地についてはそこまで詳しくなかったのである。土地だけはある、みたいな状態だけど、それ以外が圧倒的に足りなすぎる。
これを、どうにかしろってどうやって……?
そんな風に最初の頃は勿論困惑したし、跡取りの立場から転落して罪人とまではいかないから扱いに困ってるとはいえ、だからってこんな……と何度目かの絶望に打ちひしがれたりもした。
元はと言えばセルシオが魅了魔法にかかったから……! という怒りでもって殴り合いに発展するかと思われたが、しかしそうはならなかった。
あの時メリスティアが言ったように、もしセルシオが彼らを見捨てて自分だけメリスティアとやり直すという選択をしていたのなら、確かにクラムスもサナイアもアンセルだって、いくら殿下といえども許すまじ……! となっていたのは間違いではない。
あの時思わずちょっと殺意のこもった眼差しを向けたのだって事実だ。
元凶の分際でお前だけが何事もなかったかのように幸せになろうと思うなよ……!
そんな風に思ったのは否定しないし、そんな気持ちをたっぷりこめて見てしまったのも事実である。
だが、確かにあの時はそうだったけれど。
もしその後、セルシオだけがやり直して彼が新たな王に即位して、自分たちはどこぞへ追いやられたとしても。
セルシオを裏切り者と憎んで、恨んで、その場から引きずり落としてやろうと考えたとしても。
各々が別の場所へ追いやられていたのなら、その怒りは果たしていつまで持続していただろうか。
勿論、復讐、と言っていいかは微妙だがともあれその思いを果たすまで続いたかもしれないし、途中でどうでもよくなった可能性もある。
途中で何か別の目的を見つけて、そっちに情熱を傾ける可能性もあったかもしれない。
別々に追いやられた上で、その後誰かと再会したとして、そこで手を取り合って力を合わせてセルシオへこの恨みを晴らそうではないか、みたいになるかもしれないし、逆に復讐とか不毛だな……やっぱやめよ、ってなったかもしれない。
追いやられて再会した相手が自分よりいい暮らしをしているようなら、そしてその上でセルシオの事とかもうどうでもいいや、みたいになってたら自分も不毛な時間を過ごす事をやめようと思うかもしれないし、逆に逆恨み拗らせてより一層周囲を不幸に陥れてやろうと思ったかもしれない。
相手が自分より落ちぶれた状態だったなら、どうなっただろう?
ここまで落ちた以上はやっぱり一矢報いるしかないとなるか、こうはなりたくないなとここらが引き際だと諦めるか。
可能性は複数存在している。
その時にならないとわからない事なんていくらでもあるのだ。
そして結局セルシオは復縁を諦めたし、自分たちもその結果彼を怨むような事にはならなかった。
いや、確かにあの時はこいつのせいで、という思いはあった。あったのだけれど、自分だけ復縁するという選択を自ら手放した以上、それ以上責める事もできなかった。
友人で側近だった自分たちが敵に回る可能性を考えて、というものにしても、それでもセルシオはこちらを無視して一人だけ輝かしい舞台へ戻る事もできたはずなのに、そうしなかったのだから。
メリスティアがそんな可能性を提示したからこそ、彼らは平民に落とされる事もなくなったのだとわかっている。
セルシオだけが復縁を果たした上で彼らが平民になっていたのなら、確かにもっと怒りや憎しみ、絶望といったものが大きく育っていたかもしれないし、そうなっていたらきっと手段を問わずやらかしていた可能性が高い。
貴族としての身分はギリギリ残されていて、だからこそこうしてこんな不毛の地状態のここを開発せよ、と言われたわけでもあるのだが、まぁ、目標が与えられた事で逆に方向性が定められたというのもある。
平民に落ちて、手段問わずやらかそうと思ったのならそれぞれ何をしでかすか、彼らもちょっとわからなかった。捕まらなければ何度だってチャレンジできる、と嫌な方向にやる気を出して多発テロとかしでかしていたかもしれない。
だがこうして末席状態とはいえ貴族のままでいて、役割を与えられた以上、そちらを疎かにはできない。貴族として生まれ育ってきた事もあって、無責任にそういったものを放り出せなかった。
だがそれはそれとして、最初彼らは疑ったのだ。
こんな目に遭ったのはお前のせいだ、とお互いで潰し合うように仕向けられたのでは……? と。
「まぁそうだな。やらなければならない事がありすぎてどこから手をつけるべきかさっぱり、というような状態の土地だ。開発するにしたって相当な長丁場。生きてる間にどれだけ豊かに発展させられるかわかったものではない」
アンセルの言葉に最初に頷いたのはサナイアだ。
彼はこんな荒れ果てた土地が王家の領地として存在していたと言う事実に驚き、そこで人が生活しているという事実に真っ先に慄いたクチだ。
全く望みのない土地ではない。ただ、旨味も簡単にわかるような土地ではないだけで。
今は無理でも、何十年も先になればもしかしたら……という程度の希望はある。
だからこそここは別に罪人を押し込む流刑地ではないのだ。豊かな暮らしに慣れていた彼らからすると確かに最初、そういうものかと疑いはしたけれど。
学園を卒業間近に控えた状態で魅了魔法が解けて、自分たちを取り巻いていた状況が一変した彼らは、どうにかしてかつての日常を取り戻そうとしたけれど、結局それは叶わなかった。
あの時はそれすら理不尽に思えて納得がいかなかったけれど、こうしてこの地で生活をするようになってしばらくすると、あの頃は何であんなしがみつこうとしていたんだろうな……と思うようになってきた。
あの頃だってきっと目の前にはいくつもの選択肢が存在していて、もっと穏便にどうにかできる方法があったのかもしれないけれど、しかしかつての自分たちにその道は見えないものだった。
王都から離れて学園や社交界の噂からも遠のいた今は、自分たちに対する同情も憐憫も嘲りも届かないから案外心穏やかな生活ができているのも大きい。
今にして思えば……と当時を振り返る余裕すら出てきたくらいだ。
生活は大変だけど、四人だけで何とかするわけでもない。
この土地に住んでいる領民たちの力も借りているのでどうにかやっていけている状態だった。
あの頃の自分たちは、本当に目の前が見えていない状態だったな……と思っている。
確かに愛していた。
その愛を乞えば彼女たちならもう一度向き合ってくれると思い込んでいた部分もある。
けれど、こちらにとっての愛と彼女たちの愛とでは、既に等価値ですらなくなってしまったのだ。
こちらが大事にしていた愛は、しかしもう彼女たちにとっては何の価値もないガラクタ同然。
それを交渉材料にしたところで決裂するのは今にして思えば当然すぎた。
「潰し合うにしても、争ったところで何も得をしないからな。それすら考え付かない程であったならともかくどうにか生きていくしかないとなれば、思うところがあっても当面はお互い協力するしかなかっただろうよ」
ふん、とクラムスが鼻を鳴らして言う。
確かにそうだった。
ここに送られてきて早々、一体どうしろっていうんだ……と皆思ったし、遠回しに死ねって言われてるに違いないとも思った。
そのまま感情をぶつけ合っていれば、今頃は誰かしら死んでいた。ただ、どう考えてもそれは得策ではないと思うだけの理性は残っていたのでそうならなかったし、お互い協力し合っていくうちにそういうわだかまりのようなものは完全になくなったわけではないが、それでもその心に残るしこりのようなものを構う程でもなくなっていた。
殴り合いこそしていないが、何度か口論してお互い心の内をぶちまけたのも彼らが今こうして以前のような関係を続けられている原因かもしれない。
恐らく殴り合いが発生するとなれば、彼らの中の一人が最初に結婚相手を見つけた時とかではなかろうか。
悲しい事にこの土地で暮らす者の中に、彼らと年齢が釣り合う年頃の娘はいないので、出会いがない。
女性がいないわけでもないが、ちょっと年が離れすぎてる感があるせいで彼らはこの土地でそういう相手がみつからないのではと思っているため、もしそんな中で結婚相手を見つけて独身から脱出するような事になれば、お相手次第ではちくしょうお幸せに! という言葉と共に一発くらいぶん殴ってるかもしれなかった。
年頃の娘に限った話ではないが、若者は大体みぃんな都会に行くのだとか。そうしてある程度年をとってから戻ってくる事もあれば二度と戻ってこない事もあるのだとか。
そんな状態でまだ人が住んでいるという事実に彼らは驚いた。
下手したら数年後には領民ゼロになっててもおかしくないのだ。
都会からなんかやらかしてこっちに来た、とセルシオたちはこの土地の領民に思われているし、それは実際その通りだ。
ちなみに新たな領主としてセルシオが、その他三名は側近……というよりは今は同僚か部下みたいな立ち位置である。キラキラ輝かしい美青年がやってきた、と一時期領民たちは珍獣を見る目をしていたが、それも今となっては慣れたもの。
以前、学園にいたころ、まだ自分たちが王族として、貴族として存在していた頃ならば考えもしないくらい領民たちとは距離感が近かったが、そうして少しでも周囲と関わっておかないと早々に詰むと自覚したからである。ここでいつまでもいじけてつんと澄ましたままであったなら、今以上に悲惨な生活を送っていたかもしれない。
他の――作物を育てている領地と比べるとこの土地は作物も好きに選んで育てられない。植えても育たないのだ。なので最初、この土地に合う作物を探すだけでも三年費やす羽目になった。
相性もあるのか、結果として馬鹿みたいにニンジンが育つ事が発覚してからはこの地はニンジンが特産品となった。同じタイプの野菜も育つかと思って期待したが、悲しい事にニンジン以外はそこまで育たなかった。
サナイア曰く、もしかして魔法が関与している可能性もあるかもしれない、との事だが、調べるにしても現状人手が足りないし、なんだったら伝手もない。
まぁ、何も育たない不毛の地ではない事だけは確かなので、無いよりはマシと言い聞かせて彼らは少しずつ、堅実にコツコツとこの土地を発展させるべく奮闘しているのだ。
気付けば当時の事も、笑い話として語れるようになってきた。
当時は人に話せるようなものじゃないと思って、隠したい己の恥であったはずなのに。
それだけ時間が経過したと言ってしまえばそう。
今のような精神状態であったなら、当時の彼女たちとももっとうまくやれただろうか、と思ってしまう事はある。無理に復縁を迫らず、一度関係を清算して改めて新しく関係を築けたかもしれない。
当時はそんな事すら思わなかったのに今ならばそう思えるのだ。
かつてと比べると裕福な生活と言うわけでもないけれど、それでもどうにか手を取り合って協力して生きていけている。
不満がないわけではないが、それでも今の生活すべてを悪く思っているわけではない。
彼らは一日の仕事を終えるとサクッと報告を済ませて後は各々自由に行動するが、今日は久々に皆で集まって他愛のない話をしているところだった。
そうして、時々発動する過去を思い返す話が出たというわけだ。
というか今でもアンセルは少しばかり疑っている。
いつかここで自分たちが潰し合いをする事を王家は望んでいるのでは……と。
そろそろ痺れを切らして何らかのちょっかいをかけてくるんじゃないか……? と。
そうは言っても現状そんな不穏な何かはないので、なんというか定番のネタみたいになりつつあった。もし本当にそんな事になっていたら、こうして話題にも出せないだろう。そういう意味では言えるうちが華とでも思うべきだろうか。
そうして過去を懐かしみ思い返し、次にのぼったのは、かつての婚約者たちが出したやり直しの試練と言えるべきものだった。
「正直さ、あの時は隷属の首輪が実は偽物で、とか思ってたりもしたんだよね」
「あぁ、わかる。あるのは知ってても実物見た事なかったもんな」
「実際アミュレットつけてた事とかすっぽ抜けてたもんな」
「そもそも魅了魔法にかかった後だったから、あれも普通に効果あるものだと思い込んでたよな」
「あの時の視野はホント狭まってた」
「まぁおかげで今のお前はいろんな面から物事考えるようになったよな」
「むしろあれがなかったら今でも視野狭窄だった可能性……」
ふっ、と少しばかりニヒルな笑みをアンセルは浮かべたが、正直あまりサマになっているとは言えなかった。
「それ言ったら、俺なんてどうなる」
「あぁ、サルフェリウス結晶……」
「その可能性一切考えなかったから軽率に箱振った結果がアレだ」
「いやあれは仕方ない。私たちだって考え付かなかった」
「むしろこちらが復縁迫ってイラついている中アレを壊さず城に持ち込んだ彼女が凄すぎたんだ」
「あの一件があってお前、冬に見かけるサルフェリウス結晶をいかに壊さず持ち運ぶかっていう技術力上がったよな……」
「成功すれば役立つ魔法道具にも使えるからな……回収するのに適した魔法道具もあるとは聞くが、そんなものは限られた場所にしかないわけだし」
「そのためにわざわざ体幹とかバランス感覚その他諸々鍛えようとしてクラムスに教えを請い始めた時はいよいよイカれたかと思ったけど」
「あの時は何を目指しているのかわからなかったからこっちもドン引きだったな」
まぁ今にして思えばいい思い出である。
「それを言うのなら俺だって。
あの精神の痛みを肉体の痛みに変換する魔女の指輪」
「あれ実は当時、お前って実はたいしたことないんじゃ? って思ってたわ」
「言うけど、あれ本当につらかったんだぞ。
蹴ったり殴ったりっていう痛みとは異なる種類の痛みだったからな!?
内臓からこう、ぐわっとくる感じで」
「そんなに違うのか?」
「違う。外側からの衝撃は耐えられるけど内側からくるのはまず心構えができない。くるぞ、って内心で身構えててもタイミングずれて痛みがくるから無防備に殴られるみたいな、不意打ちばかり食らってる感じだった」
「で、結果としてここ来てからお前ここのご夫人たちがちょっと体調悪そうだとすぐ抱えて運ぶようになったもんな」
「大丈夫と言われてもな……こっちが思った以上の痛みに耐えてるんじゃないかと気が気じゃない」
「おかげで旦那と出会ってなければ、とかあと十年若かったら、とか言われるようになってたもんな」
「一時期男衆の目がヤバかったよな。うちの女房に手をだすつもりかって」
「そんなつもりはなかったのだが……」
「まぁ、誤解が解けたのもいい思い出だよ」
「誤解を解くのに無差別級の殴り合いが開催されたけどな」
「お前がボコボコにされてたの見て笑っちゃった」
「あの時の顔は腫れて凄かったな。最終的に勝ったから儲からせてもらった」
「おいまて賭けてたのか?」
「実はそう」
「あ、睨むなって。胴元はセルシオだぞ」
「折角だったし、いい機会かなって思ったからつい。儲けた分で必要な物も買いそろえたから、そういう意味では誰も損をしていないとも」
一切悪気のない笑みのセルシオに、クラムスは「はぁ」と露骨なくらい大袈裟な溜息を吐いてみせた。
儲けを総取り、というのならまた揉めただろうけれど、しかし思い返せばある時いくつか、必要な道具が新調されていたなと気付いたのだ。今にして思えばアレがそうだったのだろう。
セルシオは温室で大事に育てられてきた甘ちゃんであるが、自分以外はどうなったっていい、という考えの持ち主ではない。クラムスたちからすると事の発端であり元凶のような存在だが、それでもこうして関係を破綻させずに続いているのは、彼の善性によるものだ。
魔女との一件がなければ、平時だ。きっと善き王にもなれていたかもしれない。
今にして思えば、セルシオの両親である国王夫妻も彼の事を信じていたのだろう。何か問題があっても、彼ならばきっと乗り越える事ができるはずだ……と。
まぁ結果がアレだったが。周囲の人間諸共魅了にかかってたらそりゃあなぁ、とはクラムスだって未だにそう思うのだから、多分誰だってそう思うだろう。どいつもこいつも平和ボケしてたな、と今なら吐き捨てる事もできる。結果として次代の王にセルシオはなる事ができず、次の王はセルシオの父の従兄の家から選ばれる事となった……はずだ。政権争いが起きていなければ、だが。
(ま、ここでそんな事を思い耽ったところで、無意味な話だな。
どのみち俺たちの親は俺たちの教育を失敗したという扱いである事に変わりはない。時間と金を無駄にして、得られたものが何だったか……費やしたものと見合うものでない事だけは確かなのだから)
クラムスはそう結論付けて、それ以上考える事を止めた。
――かつて、まだ彼が次期国王だとされていた頃と比べれば随分と気安い距離ではあるが。
ここではそれくらいが丁度よかった。
そうして一頻り思い出話で盛り上がった後、ふいに静寂が訪れた。
その静けさは一瞬といっていいくらい短いもので。
「……今、どうしてるかな」
「さてね。ここには王都やそれ以外の噂なんてほとんど入ってこないからね」
「今、幸せでやってるといいんだけど」
「きっとそうだ、と信じるしかないだろう」
アンセルがポツリと呟いた言葉に、それぞれが返す。
きっともう、他の誰かと結婚しているのだろうな、とは思う。
だからこそ、その噂が流れてこないのはある意味で救いかもしれなかった。
知れば、何度目かの後悔に見舞われるだろうから。
かつて愛した女性が、新たに結婚した相手が自分の知る相手だったなら間違いなく無意識に自分と比べて粗を探してしまいそうだった。
終わった話だ。過ぎ去った出来事だ。けれど、未練がないかと聞かれればあるのだ。
きっと幸せになれていたはずだった。
そう信じていた未来だからこそ、未練はきっと消える事がないだろう。
それでももう自分たちにはその未来が訪れる事はないと認めるしかなかったから。
彼女たちの未来を知らないまま、ここでこうして幸せを祈るくらいできっと丁度良いのだ。
あえて願うのであれば。
自分たちの事を、もう二度と思い出したくない汚点から、思い出した時に馬鹿な男がいた、と笑い話にできる程度にはなっていてくれるといい。
彼らの望みはそれくらいであった。




