おわりのはじまりぷろろーぐ
とある少女が魔女として処刑された。
――王族や貴族たちのほとんどは魔法が使えるため、魔法が使えるだけであれば魔女だとされて処刑される事はまずない。
では何故少女は処刑されたのか。
簡単な話だ。
罪を犯した結果である。
その罪とは、禁忌とされている魅了魔法の使用。
魅了した相手は王族一名、高位身分の貴族の令息三名。
彼らには婚約者がいたにも関わらず、少女は魅了魔法でその関係を滅茶苦茶にしたのだ。
うっかり間違って魅了魔法が発動して魅了されてしまったのが三日くらいであったなら、処刑はされなかっただろう。けれども彼らは約三年間魅了され続けていた。
魔力はあれど魔法がある程度使えるようになるまでには、それなりの年数がかかる。
十代半ばあたりから体内を巡る魔力も安定してくるので、魔法の勉強をするのはその頃からとされていた。
それ以前だと魔力の波があり、発動するのにもムラがあるので。
故に、十五歳から貴族の令嬢や令息たちは学園に通う事となっていた。
魔女として処刑された少女は、元は平民であった。
けれども魔法が使える事が発覚し、貴族の家に養子として迎えられ、彼女も学園に通う事となったのである。
少女はそれなりに狡猾だった。
優秀というわけではない。悪知恵だけは働いていた。
貴族たちはある程度魔法を防ぐ事ができるアミュレットを身につけている。
低位身分の貴族だと精々が威力を弱めるだとか、ちょっと抵抗力を上げるといったものであるけれど、高位身分の者たちはそれ以上の――全てではないが一部の魔法を反射するとか、無効化するというような強力なアミュレットを身につけている。
家の資産状況にもよるが、高位身分の者たちの場合魅了や精神を乗っ取るだとか、意識を操られるようなものを迂闊に食らうような事になれば一大事である。
だからこそ、高位身分の家の貴族たちのアミュレットにはほとんど魅了を無効化する効果が備わっている。
そしてアミュレットは基本的に他人が勝手に外す事はできない。身につけている部分を切り落とされる、という物理でやらかす場合はあるが、逆に言えばそこまでしないと他人では外せないようになっている。
アミュレット、と一言で言っても見た目は様々だ。ピアス、ブレスレット、ネックレス、指輪。一見すればそういった装飾品にしか見えないものがほとんどだ。だからこそ、ブレスレットがアミュレットだろうとあたりをつけて奪おうとしても実は服の下に隠して見えないようにしていたネックレスがそうだった、なんて事もある。どのみち貴族のほとんどは何かしらの装飾品を身につけているので、どれがアミュレットかをすぐに判断するのは難しい。
貴族たちは幼い頃にアミュレットを身につけて、そうして人前で決して外さないように言い含められて育つ。たとえ家族の前であっても余程の事がない限りは外してはならない、と言われているために、他人の前で無防備に外すような者はいないと言ってもいい。
信頼の証として外してみせる者もいるけれど、それだって滅多にある事ではない。
大体、信頼の証と言っても実際その外してみせた装飾品が本当にアミュレットかどうかは攻撃を仕掛けないとわからないのだ。実は偽物を外して、相手が攻撃を仕掛けたら実際は外れていないアミュレットが魔法を反射した、なんていう事だって過去にはあった。
何を信じるかは人次第だ。わかりやすい状況に簡単に飛びつくな、とも貴族たちは幼い頃より言い聞かされる。
魔女、と呼ばれ処刑された少女の名をマレナという。
マレナは元は平民であるために、アミュレットを貴族が身につけているのが常識であるとは知らなかった。
知らなくとも、大抵の貴族がキラキラした装飾品を身につけている事だけは知っていたが、貴族の家に迎え入れられた時にアミュレットの存在を知ったのだ。
もし知らないままであったなら。
王子や側近だった令息たちに魅了魔法を仕掛けて早々に禁忌である魅了魔法が使えると知られて対処されていただろう。
アミュレットの存在を知った事で、そしてマレナを引き取ったのが男爵家であった事で、マレナは精々魔法で攻撃された際、威力を多少弱めるようなアミュレットしか与えられなかったけれど、それでもそういった物の存在を知った。
マレナは幼い頃から既に魅了魔法を扱う事ができていたために、周囲に少しずつ魅了魔法をかけていた。一度に強い魅了をかける事はできなかったが、弱い魅了を短期間で継続していけば周囲は皆マレナに対して都合のいい存在だった。
それ以外の魔法についてはあまり得意ではなかったけれど、水を出すくらいはできていた。だから、パフォーマンスのつもりで近所の花壇に魔法で水やりをしていたのを、たまたま市井に出向いていた男爵が見て引き取られたのである。
男爵にもマレナは魅了をかけた。引き取られて、アミュレットの存在を知って、しかし男爵家や子爵家といった低位身分である貴族たちのアミュレットには魅了魔法を無効化するようなものはほとんどないと言われて、マレナはその場で男爵に魅了をかけた。
男爵だけではない。男爵の妻にも、使用人にも。
そうして家の中での立場を盤石にして、マレナは学園に通うようになったのだ。
だが、自分に口うるさくあれこれ言わない男爵たちによって、マレナの淑女教育は最低限だったからこそ、貴族ばかりの学園で彼女は浮いた。
最初のうちはまだ慣れていないのだろうと周囲も見守っていたようだが、それでも目立っていたからか、王子であるセルシオの目に留まった。
セルシオがどういうつもりでマレナに近づいたのかは、後の供述で困っているようだったから……と言っていたので親切心だったのだろう。
マレナは慣れない環境にどうにかしようと努力をしている風に見せて、王子と何度か関わる機会を得た。
そうして、言葉巧みにセルシオが身につけていたアミュレットを外す事に成功したのだ。
魅了魔法は禁忌と言われているものの、使える者はほとんどいない。
それでも時折現れるからこそ、念のためといった感じでアミュレットには魅了魔法を無効化する魔法がこめられている。
マレナ以前に魅了魔法を使う事ができた者がいたのは、彼らが生まれる数十年前の話だ。
その時に魅了魔法を使える事に気付いてしまった女性は、魔法研究機関に駆け込んで助けを求めた。
何かの拍子にうっかり周囲を魅了したら大変な事になるのは言うまでもないし、ましてや自分も知らないうちに魅了魔法が発動していたら、自分を好きだと言ってくれる人が本当に自分を好きなのか、単に魅了されているのか……疑う必要が出てしまう。
研究機関で魅了魔法についての研究がされて、そうして魅了魔法を封じる魔法が生み出されたのだ。
その後は特に魅了魔法に関しての話題は出なかったので、仮に使える者がいてもほとんどはアミュレットで防がれたと考えるべきだろう。
ともあれ、セルシオが生まれる以前に既に魅了魔法を防ぐ魔法があった事。魅了魔法の使い手は滅多に現れない事。
それらの事からセルシオも軽く考えていたのだろう。
わぁ凄い、私こんな色んな魔法がこめられたアミュレット見た事ないわ。
ねぇ殿下、お願いします。もっと近くで見せて下さいな。
そんな風に魔法に興味津々である様子を隠さずマレナが言えば、確かに以前は平民だったのだから縁のないものだったのだろう、と思ったセルシオは「あぁいいよ」と軽く請け負ってしまった。
そして彼女の前でアミュレットを外してしまったのだ。
目の前にいるマレナが、魅了魔法を使えるという事実を知らないが故に。
学園の中にも防衛魔法がそこかしこにあるため、賊が襲ってくるような事もない。
学園の中は生徒たちが喧嘩をすれば別だが、外部からの危険はほぼないとされていて、だからこそセルシオは無力な民草の一人だと思っていたマレナの目の前でアミュレットを外してしまった。
純真にアミュレットが気になっているのだろうと、潜む彼女の悪意に気付けないまま。
そうしてセルシオは魅了魔法にかかった。弱い威力の魅了をじわじわと、ではなくそこそこ強めの魅了を。その頃にはマレナはもうほとんど意のままに魅了魔法を使いこなせていたが故に。
そうしてすぐさまマレナは命じた。
アミュレットとよく似た偽物を用意する事を。見た目だけそっくりなアミュレットではない単なる装飾品を、マレナはアミュレットだと思わせるようにしたのだ。
親しい者の前でもアミュレットを外す事はほとんどないからこそ、貴族たちはいちいち人がつけてるアミュレットに注視しない。
それ故に、誰も気付けなかった。セルシオ王子が身につけているのはアミュレットではないただの装飾品である事に。
身につけてさえいれば、それがアミュレットだと誤認する。そうしてセルシオが魅了にかかっているなんて誰も気付かなかったのだ。
いきなりセルシオがマレナの恋人のような振る舞いをする事はなかった。
突然そんな事になれば周囲だっておかしいと思う。それくらいはマレナでも想像できた。
だからこそ、慣れない貴族としての礼儀やしきたりに苦労しているマレナを助けるような形でセルシオが関わっているように周囲には見せた。
学園の中は安全であるが故にセルシオが一人で行動する事もあったから、そういった時にマレナの元へ足を運ぶようにして、二人は少しずつ親密になっていったのだと周囲が思うように仕向けた。
けれど、それがいつまでも続くはずもない。
セルシオには婚約者がいた。
メリスティア、という公爵家の令嬢だ。
彼女が直接マレナに物申したわけではない。彼女の友人がそれとなくマレナに、
「セルシオ殿下には婚約者がおります。周囲に誤解を与えるのも問題があるので、貴方も殿下と会う際二人きりになるのはおやめになった方がよろしいかと……」
そう、こっそりと注意をしただけだ。
己の立場を考えなさい! とか、そういう強い言葉で言われた事はない。
マレナはそこでセルシオに相談した。
二人きりでなければよいのなら、殿下、他にどなたかいませんか?
そんな風に言って、セルシオの将来の側近となる令息が集められた。
三人の令息たちはセルシオに言われた事で、アミュレットを外してしまった。
そうしてマレナの魅了魔法の餌食に。
同じようによく似た偽物を用意させて、そうして気付けばセルシオとその側近三名――合計四人の男性に囲まれる少女の図が出来上がったのである。
マレナがセルシオと出会ったのは春の一月、そこから四人を魅了魔法にかけたのは、春の二月だったのだから、あまりにも手早かった。
学園内部が安全である、という事から彼らもすっかり油断していたのだろう。
令息たちも既にセルシオが魅了されていたなどと思わなかったがために、あっさりと落ちた。
勿論注意をした令嬢もその周囲も、そういう意味じゃない……! と思っただろう事は明らかである。
婚約者のいる異性と近い距離で二人きりは問題があるとは確かに言ったが、しかしだからといって増えるとは思わないじゃないか。
実際注意をした令嬢も、
「違う、そうじゃない」
と思わず口に出していたくらいだ。
何がどうしてそうなった、と思いながら次はセルシオや令息たちの婚約者が直々に婚約者に直談判した。
したけれど、その時点ですっかりマレナの魅了にかかっていた彼らは、マレナとは別に疚しい仲ではないと言い切って、むしろ困っている彼女を助けているだけなのにどうしてそう意地の悪い事を言い出すかな……などと、若干お互いの間に溝ができるような結果となってしまった。
令嬢たちが悪いわけではない。
魅了にかかった令息たちは、完全にマレナの味方だった。
そうでなければ彼らも常識的な態度で接していたはずなのに。
春から夏に季節が変わる頃には、セルシオと側近たち、そしてマレナという五人が常にいるのが当たり前のようになっていた。
この頃はまだ、婚約者との関係はそこまで悪くなっていなかったと思う。
だが、秋になり、冬になり、そうして学年が上がり春が来て……と時間の経過と共にお互いの仲はどんどん悪くなる一方だった。
当然だろう。魅了が解けないのだから。
二年の半ばにはすっかり婚約者たちから見向きもされなくなった令嬢、という噂がそこかしこで出るようになってしまっていた。
それというのも、婚約者に言ってもどうしようもないと判断した令嬢たちがマレナに直接話をしたのが原因だった。
マレナは悲劇のヒロインのようなか弱さを出しつつ、私たちは決して貴方たちが思うような仲ではないの。友人なだけよ……? としれっと言った。内心では令嬢たちを見下しながら。
どれだけ足掻こうと既に彼らは私の虜なのよ、と思いながら、周囲からは精一杯被害者に見えるように振舞った。性別が異なるだけで友達になってはいけないの……? 貴方たちにそこまで口を出す権利があるのかしら……? そんな風に言っている途中で、彼らが駆けつけてきて、マレナ一人に複数で言いがかりをつけているような光景を見た彼らは婚約者に怒りを募らせ、ますます溝は深まった。
マレナの魅了によって彼女の意のままに行動するようになりつつあった彼らから、婚約者へ向けられる冷たい言葉。
今まで婚約者として仲を深めていたはずの、想い合っていたはずの相手から放たれる氷の棘のような言葉たちに、彼女たちは深く傷つきそこから徐々に距離を取るようになっていった。
見目麗しい男性に囲まれて、マレナはすっかりご満悦であった。
そうして月日は進み、学年が上がり三年目の夏が終わり、秋の二月になろうという頃。
マレナの天下はそこで終わりを迎えた。
隣国からの留学生がマレナたちがいた近くの教室で魔法道具の作成をしていたらしく、しかしそこで失敗し道具にこめられた魔法が暴発。
何がどうなってか、周辺の魔法が強制的に解除されるという事になった。
学園にかけられていた防衛魔法の一部が解除され、教師たちが駆けつける結果となり、そしてそれはマレナがかけていた魅了魔法すら解除される事となった。
魔法が解けた彼らは一瞬だけ虚を突かれたような表情だったが、すぐさま一人がマレナを取り押さえた。そうして別の一人がマレナの顔面を地面に押し付けるようにして首に手を当て締めた事で、彼女は呼吸ができず意識を失ったのだ。
その場で殺されなかったのは、奇跡と言っても良かったかもしれない。
魅了魔法の効果が消えた事で彼らの本来の意識が浮上し、そうして今までの出来事をしっかりと把握した彼らは、その場でマレナを殺してもおかしくない勢いだった。だが彼らはあくまでも生かし、意識を失うだけに留めその後すぐさま魔封じの首輪を教師に要請、そうしてマレナの魔法を封じ、真実が明るみに出たのである。
禁忌の魅了魔法。
それに長らくかかっていたという事実。
まさか元平民だった少女がその禁忌である魅了魔法を使えるなどとは誰も思っていなかったため、その事実はまさしく驚愕の出来事であったし、同時にアミュレットを簡単に外して魅了にかかっていたという四人の迂闊さも知れ渡った。
魔封じの首輪で魔法が使えないようになったとはいえ、既に魅了魔法に関しては研究されているのであえてマレナを生かす理由はない。
そうでなくともセルシオたち四人だけではなく、マレナを引き取った男爵家の者たちも魅了にかけられていたのだ。
高位身分の者たちがアミュレットを外さなければマレナの魅了にかかる事はないとはいえ、しかし低位身分の貴族たちのアミュレットには魅了魔法を防ぐ魔法をこめている物はほとんどないと言ってもいい。
そして、平民はアミュレットをそもそも持っていない。
持っている者は一部の富裕層くらいだ。
下手に生かして何かの拍子に首輪が外れるような事になった挙句、市井に逃げ込まれれば被害は広まる一方。
どれだけ考えてもマレナが生き残る未来はなかった。
かくして、マレナは魔女として処刑された。
王子様とその仲間を惑わした魔女はこうして処刑されました、めでたしめでたし。
――物語であるのなら、ここでハッピーエンドだったのだろうけれど。
当然ながらそうはならなかったのである。
暦に関しては大分ふわっとしているので常に四捨五入かかってるものだと思っておいてください。