第86話:ルトくん、みーっけ
宇宙船『ハイガルヴ』。
それは、ヴェラの船『シアルヴェン』より二回りは大きい廃材級の宇宙船であり、ダリスコルが愛用する常駐船として機能していた。同時に、彼が経営する金融企業――マルロイ・ファイナンスの「本社」である。もっとも、規模だけで言えば、これより巨大な「支社」は各宙域にいくらでも存在する。だが、ダリスコルが座るこの船こそが真の中枢であり、移動する要塞であり、彼の執念深さを象徴する金属の牙でもある。
その社長室――ダリスコルにとっては単なる自室だが――は、超光速航行中の微かな振動以外、静寂に包まれていた。壁の向こうでヴェクシス機関が低く唸りを上げ、強化ガラスの向こうでは歪んだ星々が線となって流れていく。中央の重厚な椅子に腰を沈めたダリスコルは、金のネックレスを指で弄びながら、眼前で空中に投影された通信映像を睨みつけていた。
「……もう一度言え。シアルヴェンの出港記録に、あの男の名前がないだと?」
『はい。ザルティスへの入港、および出港時の手続きは、カルディス氏、一人のみです』
通信に応じているのは、調査部部長のキャルナディア――通称キャルだ。鋭い三白眼でダリスコルを睨みつけているかのようだが、これは彼女の地顔である。
『ドックログをすべて確認しましたが、生体スキャンには彼女以外の反応は記録されていません。密航の可能性も検討しましたが……』
常に冷静な彼女の声に、わずかな困惑が混じっていた。ダリスコルは舌打ちし、苛立たしげにカチカチと義手を鳴らす。
「……ねえな。『絶対にばれない密航方法』でも持ってるんなら別だが、借金を抱えてる身でそんなリスクを取るわけがねえ。なら、もとからザルティスにいた人間か、別ルートでザルティスに来てたってことだ」
『ですが社長。ザルティス全域の住人記録、および過去の犯罪データベースに該当者は皆無です。宿、配給所、市場、さらには汚染保護区や廃棄物処理場に至るまで確認しました。顔を変えている可能性も考慮し、生体波形による透過スキャンを行いましたが、登録データにある者だけです。不審な人物は一切検知されませんでした。シアルヴェン出港後、あの男がザルティスに留まった形跡も、どこかの船に乗り込んだ形跡もゼロです』
「……裏の人間か。潜伏してるな。正規ルートじゃ出てこねえところと繋がってる可能性が高い」
ダリスコルは確信していた。あれほどの純度を誇る天然素材の菓子を、あんな端金でばら撒くなど、正気の沙汰ではない。それが意味するところは一つ。あの男は、独自の強力な供給ルートを持っているということだ。ヴェラが最近まで利子すら払えずに喘いでいたことを考えれば、元凶は間違いなくあの男だ。
だが――あの男は、どう考えても「普通」ではない。データが出ない不気味さもさることながら、その立ち振る舞いが異質すぎる。周りに対してゴミ屑笑いといえるほど卑屈な様子を見せていたかと思えば、灰髪と恐れられる自分に全く恐れもせず踏み込んでくる。
まるで、自分以上の理不尽を受けることが日常だというかのようだ。
――裏の人間で間違いない。
もし遥斗がこの独白を聞いていたら、
「まあ、確かに毎日理不尽に遭っているし、主に『裏』の人間ですけど。聞いてくださいよ!この前もウチのクレーマーのレシート仙人とロマンティック風水師が来て――」
などと、愚痴を始めそうだが、それはさておき。
「あのバカ女、また考えもなしにやべえ奴に関わりやがって」
ダリスコルは悪態をつく。ヴェラは慎重派を気取っているが、土壇場になると前が見えなくなる危うさがある。そうでなければ、裏マーケットで自分の命を担保に借金などしようとは思うまい。さらに他人に対して警戒心が強いくせして、仲間と認識すると途端に甘くなる。まあ、ナジェルマの赤毛女というのはそういうものではある。なんでも開拓時代に『ネコ』という動物の素因を得た影響らしいというが、どこまで本当かはわからない。
「わけがわからねえ……。裏社会の人間が、なぜヴェラのような落ちぶれた船乗りに近づく?」
単なる金儲けなら、より力のある権力者に売り込んだ方が効率がいい。シアルヴェンのようなオンボロ船に価値があるとも思えない。となると、狙いはヴェラ自身か。だが、ヴェラは相応に上物とはいえ、極上品というわけでもないし、極上品ですらあの天然素材の菓子があれば容易に手に入る。恋は盲目、ということはゼロではないだろうが、浮かれて貢いでいるような熱量はあの男からは感じられなかった。それにヴェラはさっさと船を飛ばして、次の星へ行っているのだ。意味がわからない。
まるで、天然素材を簡単に手に入れられるようになったので、ザルティスでの用事の『ついで』に、ちょいと露店を出して小銭稼ぎをした――そんな軽いノリだ。だが、そんなことがあるはずがない。ガルノヴァ連邦広しと言えども、ヴェクシス汚染ゼロの天然物をあの量で安定供給できるルートなど、存在するわけがないのだ。
これは何かの影だ。
大掛かりな潜伏、記録の抹消、そしてあえて人目を引く派手な商売。これは連邦のネットワークの死角に潜む、どこか巨大な組織の影に触れているのではないか。あるいは、ただの金貸しの自分には想像もつかない『何か』を狙った壮大な計画の一部か。
だが――そんなものはどうでもいい。
「面白れぇ……」
ダリスコルは、渋面に染まっていた顔を上げ、口元に薄く歪んだ笑みを浮かべた。獲物を追い詰める獣のような、冷たく鋭い光が灰色の瞳に宿る。
これは、チャンスだ。
あれほどの天然物を入手できる交易路があるというなら――絶対に抑えなくてはならない。
「全部暴いてやる。あいつの正体も、ヴェラと関わる理由もな」
ホロスクリーンに映る部下に命じる。
「キャル、ザルティスでの調査を継続しろ。シアルヴェンの寄港先も全部洗え。賞金を出せ。あの男の情報、潜伏先、何でもいい。言い値で払うと触れ回れ」
声が低く、鋭くなる。
「絶対に逃がすんじゃねえ。どこに隠れようと、例えブラックホールの中に逃げようと、どれだけの時間がかかっても引きずり出してやる……!」
キャルは通信越しだというのに、背筋に冷たいものが走るのを感じた。社長の声は低く、静かだったが、それが逆に恐ろしい。彼女は無意識に息を呑み、敬礼する。
ダリスコルの執念が、今まさに銀河規模の網となって放たれようとしていた……!
「……Aisa。指令発動。全『星網脈』にて情報収集を開始――………」
そこまで言って、キャルの言葉が不自然に止まった。
「……どうした?」
「あの、社長」
「あん?」
「……見つかりました。各地から情報が入っています」
「は……?」
その直後、通信デバイスが雪崩を打つように鳴り始めた。複数の報告が同時に飛び込んでくる。
【採掘ステーション:ドゥルメーザ】
『あ?ルト坊か?それならウチのアホ共と酒盛りしてたぜ。え、情報料が貰える?マジかよ』
『ルトやん、またカバ⭐︎バディの続きを見せに来てくれねえかなあ』
『夕暮れのグラウンド悔しさを噛みしめて~♪』
『歌ってねえで働け!……あ、ルトはラムザン=レバルに行くって言ってたぞ』
【鉱山ステーション:ラムザン=レバル】
『怖い顔のおっちゃん、ルト兄ちゃんのこと教えたらお駄賃くれるの?』
『行くぞー。コール&ムーブ!』
『え、なに?ルト兄ちゃんなら一緒に遊んだよ!』
『ベークス捕まえた!』
『ああああっ!』
『「スクランブル!」とか「エネミータッチ」を教えてくれたんだ』
『リケちゃんかわいかったー』
『次は近くの小惑星都市に行くって』
【小惑星工業都市:バズル・サン】
『ルトさんかい?いやぁ、オリガミとかいうポリマーシートを折る遊びを教えてくれてねえ……』
『いまこっちで流行ってるんですよ。いろんな造形をシートで折って作るのが』
『スリケンできたー!』
『ツル……難しい』
『ルトさん?それならこの宙域の食料ドームの方に行くって――』
【食料生産宇宙ドーム:マチュマベリカ】
『カバディ!カバディ!カバディ!』
『ルトさんから教えてもらったこれ、運動になっていいよな』
『デバイスなしで競うのは、なかなか新鮮だよな』
『ガバディガバディ!』
『いいぞ、ナイスガバディ!』
『ルトさん?いや……よくは知らないけど、確か一緒にいた女の人がヴェクシス・ゲートに行くって――』
「隠れてねえじゃねえか……普通にいるじゃねえか!つーかヴェラと一緒にいて目立ちまくってんじゃねえか!」
呆然と口を開けていたダリスコルだったが、あまりにオープンな目撃情報の嵐に、ついに机を叩いて絶叫した。潜伏どころか、行く先々で住民たちと交流しまくっているではないか。
だが、マチュマベリカを最後にして情報は途絶えた。ヴェクシスゲートを通過し、遠方の宙域へ移動したらしい。
「そうか……派手に目立ったのは、追っ手の目を眩ませて別の宙域に消えるための陽動か……!」
ダリスコルは必死に自分を納得させるように呟く。本当に別の宙域に消える算段なら、どう考えても目立たない方がいいのだが、そう思うしかない。借金のカタでシアルヴェンには特殊な発信機がつけてあるが、別の宙域に行ってしまうと少し面倒だ。どういう手段でザルティスを密航したのかわからないが、転移した先でもヴェラと一緒にいるとは限らない。どこかの惑星についたら、そこで本格的に隠れるつもりかもしれない。
その時、ダリスコルのデバイスコードに連絡が入った。発信元は――不明。
ダリスコルは一瞬躊躇したが、直感に従って通信を承認する。すると空中に投影されたのは、あの軽薄な笑顔の青年。背景を見るに、どこかの都市の建物の中らしい。
『あ、ダリスコルさん!聞こえてますか?俺です、ルトです!』
「……は?」
目を疑う。先ほど居場所の情報に賞金をかけた男が、あっけらかんと目の前に映っている。
『今ヴェラと一緒に惑星ノーサリスに来てるんですよ。ここ、街並みが綺麗だし多重構造のビルもすごいですね!』
「……てめぇ、ルト……っ!」
『宙域が離れすぎてリアルタイム通信ができないらしいんで、映像メッセージにしました。あ、このコードはヴェラから「社用だから大丈夫」って教えてもらったんですけど、もしプライベートな時間に邪魔してたらすみません!』
遥斗が視線を動かすと映像も動く。そこはどこかの建物の中らしい。そして室内にはあの『天然物』の菓子が山のように並んでいて、他にも見慣れないものも置いてある。
『俺たち、しばらくこの星で商売をする予定なんです。お菓子の種類も増やしたし、次は「カステラ」っていう、凄くふわふわした卵のケーキと、羊羹っていう甘いゼリーのようなものも用意するつもりです。あとおにぎりとかサンドイッチも!もしよかったらダリさんも来てくださいね!……まあ、ヴェラは嫌がりそうですけど、俺、ダリさんにもまた色々食べてもらいたいんで!店の場所は後で俺のデバイスのコードと一緒に送ります!ではまた!』
ひゅん、と軽快な音とともにホログラムは消えた。静まり返る社長室の中で、ダリスコルは震える拳を机に叩きつけた。
「だから……普通に見つかるじゃねえか!!」
絶叫に近いダリスコルの声が、ハイガルヴの冷たい廊下に虚しく響き渡った。
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あけましておめでとうございます。
昨年度は皆様から多大なご支援と、応援をいただき誠にありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いします。
書籍化については、おそらく2月のどこかで出版社様、発売日、イラストレーター様などが告知できるかと思います。それまでどうぞ楽しみにお待ちください。
他、ここ以外でもXなどでオタ話をよくしてるので、絡んでいただければ幸いです。
https://x.com/retro_gm_knight




