第8話:か、勘違いしないでよね////
「ええええええ!?」
エリドリアには土下座なんて文化はない。
謝罪で頭を下げることはあるが、このような平伏に近い姿勢をすることはない。
もはやそれは服従の証であるし、尊厳や命まで差し出すほど敗北を認めて慈悲にすがっているか、それだけ相手に敬意を払っているかのどちらかだ。
慌てた彼女は薬草を落としたまま駆け寄り、遥斗の肩を掴んで叫んだ。
「ちょ、待って! ハル様、お願いですから頭をあげてぇぇぇぇ!!」
遥斗はゆっくり顔を上げ、土で汚れた額を擦りながら苦笑した。
「いや、マジでごめん。ほんとにもっと早く来るつもりだったんだけどさ……予定外のトラブルがあって準備が遅れちまって」
「い、いえ、もともと『数日後』という曖昧な約束でしたし……ハル様にトラブルがあったのなら仕方ありません。私にそんなことを言う権利なんてありませんよ」
少し目を伏せ、彼女は小さく付け加えた。
「それに、前回あんなぶしつけなお願いをしてしまったのは私の方です。本当に申し訳ありませんでした」
「いやいや、パートナーなんだからそんなこと言わないでくれよ! お互い様だろ? 一緒にがんばろうぜ!」
イリスは一瞬驚いたが、すぐに頷いて笑顔を返した。
「はい、ハル様」
森の空気が少しだけ温かくなった気がした。
村に戻った二人は、イリスの主導で露店を開く準備を始めた。
彼女は遥斗が来ない間に市場の価格を調べ、店の開き方の調査や手続きを済ませていた。
村の広場に簡素な木製テーブルを置き、遥斗が持ってきたお菓子を並べていく。ただし、遥斗はリュックから出した袋詰めの商品をバラ売り用に開封し、包装紙を大部分外しておいた。イリスが「綺麗なのにどうして?」と首をかしげると、ハルトは言った。
「変な勘繰りされたくなくてさ」
異国の人間ということで大丈夫だとは思うが、この世界に存在しない文字やあまりに洗練されたデザインを見られて余計な詮索をされるのを、遥斗は避けたかったのだ。
イリスは不思議そうにしながらも、何か理由があるのだろうと察して、そのまま準備を続けた。二人はテーブルにお菓子を並べていく。
今回はお試しとして、飴ちゃん玉、クッキー、チョコナッツ棒、その他駄菓子だけを出すことにした。
板チョコはチョコそのものがおそらくエリドリアにはないと考え、後で高級路線で高値をつけるつもりだからだ。
一応チョコナッツ棒にチョコが入っているから、そこから味を知ってもらえばいいし、と遥斗は考えていた。
一方、チョコナッツ棒しか食べたことがなかったイリスはそのお菓子の豊富さに驚いていた。菓子といえばイリスにとっては果実を混ぜたパンがせいぜいで、こんなにも色とりどりの美しいお菓子があるとは思わなかったのだ。
「なあ、イリス。こっちの国の相場を知らないんだけど、この国で流通してる通貨とその価値ってどうなってるんだ?」
「周りの国々と変わらないと思いますよ? 私は他国に行ったことはありませんが、銅貨も銀貨も同じものが使われていると聞いています」
旅をしていて拠点も近隣の国にあると思っているイリスとしては、それで伝わると思ったのだが、遥斗は苦笑いをして、
「うーん……それでも聞きたくてさ。教えてくれる?」
「? はい、基本的に使われるのは銅貨です。私たちのような小さな村ではほとんどそれだけです。大体2銅貨あれば、一食分のパンが買えますね」
遥斗はイリスの説明を聞きつつ、頭の中で整理した。
まとめると、銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚のシンプルなレートらしい。一応、商人向けにそれぞれの硬貨の10枚分の価値がある大硬貨や、半分の価値がある半貨などもあるが、イリスは普段の生活で銅貨しか触ったことがなく、大銅貨をたまに見る程度だという。
彼女が一日かけて採った薬草が数束で銅貨12枚の買い取りだったことを踏まえ、パンの値段から、遥斗は1銅貨が100円から300円くらいかとざっくり見当をつけた。
そうすると彼女は4000円にも満たない、場合によっては1000円ちょっとの収入で暮らしていることになる。
仮に4000円だとして、日本人の遥斗にとって一日3000円の稼ぎでは家賃や光熱費に食費に雑費を払えば、あのボロアパートすら維持が怪しいところだ。
本当に休みなく働いてどうにか、というところだろう。
だがそもそもそんな貧相な暮らしですら、エリドリアの村人からすれば羨むほど贅沢な暮らしに違いない。
この世界では夜露をしのげる住まいと一日分の食費があれば生きていけるのが標準なら、生活費のほとんどが食費で占めるというのはあり得ることだ。
そこから考えて、遥斗は値段を提示してみる。
「飴は1銅貨、駄菓子は2銅貨、クッキーは4枚1セットで5銅貨でどうだ?」
クッキーだけ中途半端なのは、持ってきたクッキーが1箱に3パック、その1パックに4枚入っているからである。包装を剝がす以上、別にばら売りしてもいいのだが、こういうセット物もお得感あっていいのでは、とあまり深く考えずに決めている。
「ハル様、そんな安く売っていいんですか? 私はハル様から頂いたチョコナッツ棒という未知のお菓子は至福を感じるほどのものでしたし、飴は大きな町に行けばあると思いますがその数倍はすると思うのですが」
「そうなん? まあいいよ。今回はまずどのくらい受け入れられるかの確認みたいなものだし」
イリスは驚きながらも「なるほど、今は儲けは考えないのですね」と納得したが、ハルトは「ぶっちゃけ業務用の大入りのやつだからそれで売れても単価的には10倍はあるしなあ……」と軽い気持ちだった。
なにより、イリスの住まうこのヴェルナの村の住人から大金を巻き上げるわけにもいかない。あくまでこれはとっかかりなのだから。
「ハル様、エリドリアには『交易所』と『露店売り』の違いがあるんですがご存じですか?」
イリスが少し説明を挟んだ。ハルトが「へぇ?」と興味深げに答えると、彼女は言葉を続ける。
「交易所は国と商会連合が管理する正式な市場で、個人が参加するには許可証と税金が必要です。その品物がチェックされ、一定の基準のものであると認められないと使えません」
あー、商会ってファンタジーもののテンプレのギルドみたいなもんか、と遥斗は納得する。
「なるほど。前にイリスが交易所で薬草を売ってきたってことは、イリスはその許可証を持ってるの?」
「いえ、私個人では持っていません。あくまでヴェルナ村に所属する『薬草師テルミナ』が『薬草を売るとき』だけその立場を借りられるのです。私、ではありません。私は商人の『役目』を持っていませんから」
「……ふむ?」
遥斗はイリスの説明に少し考え込んだ。不明なところはあるがなんとなくわかった。
ようは「うちのイリスって子は薬草師をやってるってヴェルナが保証するよ。だから薬草を売るときは交易所を使わせてね」って話だろう、と。
「んー、だいたいわかった。細かいところはあとで聞くけど。それでこの露店はどう違うの?」
「露店売りは村の広場で個人が自由に開けるものです。税金はかかりませんが、場所が限られたり、取り扱う品物や値段、領の外には持ち出せないなどの制限があります。また露店ではなくたとえ店を構えていたとしても、許可証を持っていないなら扱いはこちらと同じになります。一方で交易所、交易許可証を持っているなら、税こそかかるものの大きな取引や自由な店舗をつくることができます。ハル様の持っているお菓子なら審査をしてもらえば問題ないと思いますが、商会連合の支部がある大きな町での手続きもいりますし……」
遥斗は納得したように頷いた。
「なるほどな。今回は気軽に露店でスタートってわけか。いいね、気楽で俺向きだ」
準備が整った露店には様々なお菓子が並び、二人は期待を込めて客を待った。
だが、さすがに人はすぐには来ない。小さな村ゆえに広場ですら静かで、通りすがりの農夫がチラリと見るだけだ。その中を、不愛想な顔のヨルクが荷車を引いて通り過ぎた。ほとんど表情を変えずに遥斗たちを一瞥して去っていく。
ヨルクはそれだけで去ったが、他の若い農夫の中には「ふん」と鼻を鳴らし、嘲るような仕草を見せる者もいた。
イリスは少し複雑な表情を浮かべた。
「私、村では薬草採りや癒しの役目を担っていて、一目置かれてはいるんです。でもそれはあくまで『役目』を果たしてるからなので……いきなり役目にはないような露店売りをすることに周りはあまり良い印象を持ってないみたいですね」
遥斗は「そっか」と呟き、彼女の肩を軽く叩いた。
「気にすんなよ。新しいこと始めるって、そういうもんだろ。俺だってバイト先で最近笑顔が怖いとか言われてるし!」
イリスはクスッと笑い、少し元気を取り戻した。バイト、というのがよくわからないが、何かの奉公先なのだろう。飄々とした様子の彼もいろいろと苦労しているらしい。
するとそのとき、杖をついた老婆マレナが近づいてきた。彼女は露店を覗き込み、眉をひそめて愚痴った。
「何だい、何をやってるのかと思えばこんなわけのわからんものを売っとるのかね」
咎めるようなその物言いに、イリスがわずかに委縮するが、遥斗はニコニコと笑顔で返した。
「まあまあ、ババ――おばあちゃん、試してみなよ。絶対後悔しないから! ほら、この飴なんか1つ1銅貨だよ」
「飴? 何いってんだい、飴なんて贅沢品がそれっぽっちで買えるわけないだろ。どうせ硬くなったパンに甘草でも刷り込んだものだろうさ」
こいつは何を戯言を言ってるんだ、とバカにした様子で口元を歪めた。
だが周りを見て誰も寄り付いてないことを見ると「仕方ないね」とため息をついて、
「ま、買ってやるわい。あたしが買ってやらなきゃ誰も買わんだろうからの」
と吐き捨てる。
マレナは「ふん!」と鼻を鳴らしつつも、渋々のように1銅貨を出し、飴玉を手に取った。
そのマレナの態度にイリスが「あ、あの、ハル様。マレナさんに悪気は――」と弁明しようとするが、遥斗は気にしない。
日々戦ってきたモンスタークレーマーに比べればはるかにマシだし、本当にマレナが厭味ったらしいだけの人物なら、イリスももう少し警戒した様子を見せていただろう。
もしかしたらイリスを大事に思っていて、そこに急に現れた得体の知れない旅人に警戒してるのかもしれないし、と。
マレナはニコニコ顔を崩さない遥斗を気持ち悪そうに見た後、
「勘違いするんじゃないよ。別にお前さんたちのためじゃあない。こんなわけのわからんものを村に広めて何か起きる前に、老い先短いあたしが毒見してやるんだ」
と毒づく。
これもうツンデレだろと遥斗は思っていた。
そんな生温かい目で見られているとは思わず、マレナは買った飴の袋を不思議そうに剥いて、中身の甘い艶やかな球体に驚きながらも口に放り込むと、彼女の目が丸くなり、杖を握る手が震えた。
「こ、これは……! 濃くて柔らかな甘さが口いっぱいに広がって……う、うまっ……」
「うまいでしょ?」
「……一個じゃわからんね、もう一個買って確かめてやるさ」
ツンデレだった。
結局マレナは追加で全種類、一番高いクッキーまで購入すると、
「……大人が相手しないのなら、まずはガキどもにでも上げてみるんだね。ガキどもが騒いでりゃ、大人ものぞきに来るだろうさ」
そう呟いて、相変わらず気難しそうな顔で去っていく。
だが大事そうにクッキーを抱えるその足取りが、どこかふわふわしていたことを、遥斗は見逃さなかったのだった。
ありがとうツンデレ婆さん。
次回は一応明日の12時を予定中。
基本毎日か、2日に一度更新のペースでいきます。