第81話:あんたも、好きねぇ
ヴェラは風呂――もとい、フロ・バスクから出ると、薄手のインナースーツの上に作業用アウターを羽織り、ツールベルトを腰に巻いた。
遥斗は特に着替えはないのでそのままだ。
「リケ、お前はここで留守番な。大丈夫だと思うが、万が一、《ドゥルメーザ》の船員に天然の動物だとバレたら面倒だ」
「ケリテテス!」
ヴェラが棚の上を指さしながらリケに向かって言うと、リケは返事をしながら小さな手を上げた。
そしてヴェラがツールボックスを手に取り、遥斗に「行くぞ」と声をかけるため一瞬目を離した、その隙。
遥斗は、リケの体が薄い影へと変質していくのを見た。リスザルの形をした分身が、ヴェラが指定した棚の上にちょこんと座り、本物のリケは遥斗の足元を滑るように通り抜け、彼の影へともぐりこんだ。
「うーん、素直に返事をしておいてからのこの流れ。俺でなきゃ見逃しちゃうね」
検疫とかガン無視である。まあ、リケからは一切バイオハザードリスクがないと確認済みなので問題ないだろう。
ちなみにヴェラが以前にリケに行ったのは、バイオハザードスキャンだけだ。これは宇宙船の検疫で義務付けられているもので、危険なウィルスや病原菌の有無、異物混入がないかを調べるのが目的だ。リケの中身や遺伝子構造がどうなっているか、生命体の詳細データまでは詳しく調べていない。
というのも、スキャンした際にリケの体内映像が光学的に全く映らず、ヴェクシス技術での検知もできなかったらしい。
リケは「なんか魔法っぽいけど魔法じゃない何かが飛んできたので食べた。あんまりおいしくない」と言っており、おそらくヴェクシス粒子はエリドリアの魔素と似て非なる存在なのではないかと遥斗は思っている。エリドリアではなんかよくわからない反応してたし。
ヴェラはといえば、その結果に「生きてる天然動物のデータなんて中央で金を出さなきゃ手に入らないしなあ。わからん」とあまり気にしていないようだが。
実際、ガルノヴァの科学は機械工学とヴェクシス技術に特化しており、生物学は進んでいない。天然の動物は極限られた惑星の保護区にしか存在しないため、辺境の船乗りが持つスキャナーには、生物を解析するためのライブラリが存在しないのだ。
日本だったら、未知の生命体に大騒ぎだろうが、科学の発達したSF世界のガルノヴァの方が「生物」への造詣がないというのは、資源を効率的に管理するガルノヴァの、合理的な技術の偏りなのかもしれない。
さて、遥斗はすぐに表情を引き締め、ヴェラに続いた。フードの中の影ではリケが蠢いているが、気にしてはいけない。
シアルヴェンのドック・コネクトのポートを通り、《ドゥルメーザ》の船内へと足を踏み入れる。
通路の先で待っていた船長のジャブロは、遥斗とヴェラを見ると「よお」と手を挙げる。
彼の背後には、「撮り船」としてヴェラに迷惑をかけた採掘士たち4人が正座されていて、全員頭に大きなこぶをつけていた。
「え、ガルノヴァに正座あんの!?」
「ありゃ脚殺しって姿勢だな。しっかり仕置き喰らったみてえだ」
遥斗の驚きに、ヴェラが笑いながら言った。
どうやらガルノヴァでは正座は一種の私刑らしい。
ジャブロが近づき、大仰に手を広げる。
「ようこそ、屑鉄級の船長。あいつらはきっちり締めといたから、勘弁してくれ」
「金さえもらえりゃ構わねえさ。といっても、二度はごめんだからしっかりてめえらの中で躾けておけよ」
ヴェラは悪態をつきながらも、ジャブロの案内で機関室へ移動した。どうやらこの廊下の突き当りらしい。
遥斗は今のところ荷物持ちだ。彼女の後を追いながら、近くにいた船員たちに視線を向ける。彼らは採掘士らしく屈強な体つきで、誰もが顔に無数の傷跡やタトゥーを刻んでいる。目の下に三本の墨が入っている者もいて、おそらくはジャブロと同じ星の生まれなのだろう。
「よう、ナジェラン。結構いい女じゃねえか。デバイスなんかより俺たちのパイプとドリルを握ってみねえか?なんならお前さんの洞窟でも掘ってやるぜ?」
一人の船員が、露骨にヴェラの肢体を見ながら下品な言葉を飛ばしてきた。
ヴェラはちらりと男を見たが、特に気にした様子もなく悪態で返した。
「てめーらの臭そうなクソが詰まりのパイプを咥え込む趣味はねーんだよ。掘るならテメェの墓穴でも掘るんだな」
「ちげぇねえ!」
船員たちは振られた男の背中を叩きながらげらげらと笑うが、それ以上踏み込んでくることはない。
それを見ながら、遥斗は少し心配になってくる。
「なあヴェラ、お前の仕事場っていつもこんな感じなのか?」
「あん?配達は違うが、整備依頼は似たようなもんだなあ。アタシみたいなモグリに近い整備士雇う奴なんて、だいたい辺境の採掘野郎のチームだしな」
「こんな男だらけの、辺境の宇宙船に、年頃のヴェラが一人で乗り込むのは、危険じゃないのか?」
周りに聞こえないように小さく言うと、彼女は一瞬足を止め、大声で笑い出した。
「アハハハハ!なんだそれ、ルト!」
すると案内していたジャブロが、「なんだ、どうかしたか」と振り向く。
ヴェラは笑いを堪えながら、ジャブロに言った。
「うちの新入りがよ、『お前らにアタシが襲われないか心配』なんだってよ!」
「ちょ、ヴェラっ……!」
『ぎゃはははははは!あははははは!』
その言葉に、周りにいた船員たちも一斉に大笑いした。
遥斗がその光景を不思議に思っていると、ジャブロも歯を見せて笑う。
「がはははは!愛されてるじゃねーか、ナジェルマの赤毛女」
「う、うっせ!こいつは何も考えてねーだけだよ!」
珍しく顔を赤くしながらヴェラが叫ぶ。
ジャブロは遥斗に近づくと、気安く肩を叩いてきた。
「まあ、宇宙に出たばかりの新入りはそう思うか。だがな坊主、そんな心配はねーよ」
ここでも自分は『坊』らしい。一応成人してるんだけど、とは空気を読んで言わないでおく。
「あー……疑ってすみません」
「まあ気にする理由はわかるぜ?同じグループ、しかも男だけの中に女が一人ってのが不安なんだろ」
「……そうですね、無関係な人たちも、もっといるならもうちょっと安心できるんですが」
「ああ、だよな……でもな、そりゃ逆ってもんだぜ」
「逆?」
ジャブロは片方の親指を立てて答える。
「第一に、仮想シミュレーション映像と、女の肉感を自由に再現する性処理用デバイスがあるからな。それで済ませちまうさ。まあ生身の女が欲しくなることはないわけじゃないが、どうしてもってなら惑星に降りた時にすますか、そもそも初めからそういう役目の女を船に雇ったほうがよほどいい。実際たまに『営業』の船だってくるからな。殺しさえしなければ捕まって解体刑、ってことはないが、賠償金から各種の免許はく奪、さらに危険区域送りで命がいくつあってもたりゃしねえ」
解体刑とはまたやばそうである。肉体に資産価値があるとのことなので、まあ――そういうことなのだろう。
そして、ジャブロは二つ目の指を立てて続ける。
「第二に、そんなことはすぐにばれるし証拠も押さえられる。技師が自分の動向をデバイスで記録取ってねえわけがねえんだ。坊主だって首につけてる奴がデバイスだろ?」
「あっ」
そういえばそうである。
地球ではスマホなどによりハードルが下がったとはいえ、日常的にあたりを記録、監視しているようなことは稀だ。
だが、今遥斗はシアを使って日常的に記録はしてもらっているし、何かあれば映像記録などすぐに用意ができる。
シアの能力はヴェラに言わせると『その辺の市販品』よりははるかに高性能な独自のカスタマイズをしているらしいし、情報処理において地球では無双できるが、この世界では「結構いいデバイス」でしかないのだ。
つまり、似たようなことはこの世界の人間もできるのである。しかもそれがヴェラのような技師ならなおさらだ。
"ぐぬぬ……"
それに気づいているのか、シアが道具マウント取れなくて呻いているのはスルーする。
そうなると、嫉妬に狂ってとか、自暴自棄になってとか、激情してなどなら別だが、すでに十分な性処理手段があり、さらに100%捕まるのに罪を犯すなんてことは、まずないのだろう。
しかも、ガルノヴァでは人権意識が薄いことを考えると、罪人に対する扱いは相当に重そうである。
「まあ、いろいろ準備すればその記録を改ざんしたり、俺ら全員がグルになれば隠蔽できねえとはいわねえ。だがな……三つ目だ。俺たちが、そんなおっかねえことできるわけねーんだよ」
ジャブロはずんずんと歩いていくヴェラを一瞥し、そう答えた。
遥斗は、その意味が解らず思わず聞いてしまう。
「どういうことです?」
「なあ、もし俺たちがそんなことをしたらどうするよ、ナジェルマの赤毛女」
声をかけると、歩いていたヴェラは振り返らずに淡々と答えた。
「シアルヴェンをこの船にぶっつけて死なばもろとも、だな。付き合えよ、ルト。」
「なにそれこわい」
遥斗は思わずつぶやく。
「だってなあ……アタシが記録を取ってる以上、アタシを犯したことを隠すなら、アタシをこの場で殺してシアルヴェンも破壊するか乗っ取るしかねえ。つまり、襲おうとした時点で、間違いなく殺すか永久に監禁するつもりってことだろ?」
「あっ!」
そういうことである。
『計画的にヴェラを襲う』ということは、その時点でヴェラの身柄を完全に押さえるということがセットなのだ。
「アタシは黙って嬲られて死ぬなんて御免だ。とりあえずできる限りでその場で息の根を止めてやるが、無理ってならせっかく機関部にいるんだ。システムをジャックするか、ヴェクシス機関を暴走させて隙を見て逃げながらこの船を墜とす。それすらできないなら、シアルヴェンをこの船にぶつけて道連れよ。実際、アタシに危害を加えようとしたら、その時点でシアルヴェンは砲台をこの船に向けんぞ?戦争の始まりだ。やってやんよ」
「まあ、万が一にもウチのクルーにそんな奴が出たなら、そいつの目鼻と手足をくり抜いて賠償金代わりにしたうえで、事故ってことで宇宙に捨てるから、即時戦闘は勘弁してほしいがな。……どうせ、おまえさんみたいな冒険船乗りは、違法改造した切り札の一つや二つ自船にもってんだろ?」
「さあな」
「怖え怖え。俺たちゃ上物の合成酒とたまの女遊びができりゃ満足な、健全な『採掘ワーカー』なんだ。裏社会の連中じゃあるまいし、お前さんみたいなイカレた船乗りの恨みを買うような真似はしねーよ」
なかなか恐ろしいことを言うヴェラとジャブロ。
ただ――遥斗は「まあ本当にどうしようもなければ、そういうのもしかたないか」と納得もしてしまう。相手が一線を越えてきた以上は、相手も覚悟してるだろうし相応に破滅してもらった方がよいだろう。残念だが。
そんなことを考えていると、ジャブロが遥斗の背中を叩いた。
「ルトっていったか?おまえがいうように、ここには俺たちしかいない。第三者の無関係なやつがいねえ。お前はそれが危ないといったが―――逆だ。無関係な奴がいないからこそ、襲われた側は容赦なくやり返せる。だからこそ、俺たちはなにもしねえんだよ。おっかねえから。相手がナジェラン、しかも破滅を恐れねえ『船乗り』ならなおさらだ」
そういうと、周りの船員たちも笑いながら次々と口を開く。
「決まった場所を巡回する連絡船や交易船、俺たちみたいなワーカーが集まる薄っぺらいステーションシップならいざ知らず、わざわざ自分の船で宇宙に出て冒険したがるような『船乗り』が頭おかしくないわけねーんだよな」
「そんな奴襲おうものなら何されるかなあ……」
「ま、中には宇宙に出たせいで男の一物に飢えてる女もいるだろうから、粉くらいはかけるけどな」
「坊主もあのナジェランを襲うなら覚悟しとけよ」
「たまってんなら俺のエロデータコレクションわけてやんぞ?これは俺のデバイスのコードだから後で連絡くれや」
「ぎゃははははは!」
豪快に笑いだすドゥルメーザの船員たち。
爆笑する船員たちに、ヴェラは「あー、うるせー」と歯をぎりぎりさせつつデバイスを叩き始めた。
どうやら、一般的に自分の船で『宇宙を流浪し旅する者』はかなり頭がおかしい扱いのようである。おそらくは、地球の冒険家やトレジャーハンター等に近い扱いなのだろう。
そしてロマンあふれる巨大宇宙船は完全にセクハラ男たちの巣窟だった。屈強なのはただの仕事の結果である。
こうしてくると、船内の未来的な機械やパネルの波形も、グラビアポスターや食べかけのカップラーメンや灰皿でごちゃついてる男子大学生の寮部屋にみえてくるほどである。船は大きいしヴェラ曰くいい船らしいが、彼らにとって、ようはただの寝泊り場所なのだ。話のスケールは小さい。
遥斗は、「SF世界に来たのになんだかなあ」と思いつつため息をつきつつ、エロデータコレクションのおっさんとは後でゆっくり話をしてみようと思った。
それはそれ、これはこれである。
次回はヴェクシスワープを使い次の星へ到着する辺りまで。
その後はエリドリアサイドを進めつつ、地球の話をしていきます。




