第77話:アホの被害者は増え続ける
「では、引き続きよろしくお願いいたします」
遥斗は、ホロスクリーン上の映像が消えるのを見届け、深く一息をついた。オンラインでのハマトク商事とプレアヴィサル・バンブー社との三者商談が終了したのだ。
あれは五十嵐との喫茶店でのやり取りの翌日だった。
ハマトク部長の松下から直接電話があり、終始不安そうな声で、
「五十嵐から報告は受けたが詳しい話がしたい。プレアヴィサル・バンブーさんからもコンタクトがあったのだが詳しいことは君に聞いてほしいといわれたのだが……」
と問い合わせがあった。そして数日後の今日、急きょ会議の時間を取ってもらったというわけだ。
といっても、商談らしい駆け引きはほとんどしていない。遥斗が五十嵐に伝えた通り、あくまで今後そういう事業を立ち上げるつもりである、という報告をしただけだ。しいて言うなら、プレアヴィサル・バンブーと共同で竹製の農具や道具の開発ができないか、という遥斗の提案を、ハマトク、プレアヴィサル、遥斗の三者間で改めて認識しあったくらいである。
「まさかナンさんがすぐ動いてくれてたなんてなあ」
本来、この話は遥斗の起業が軌道に乗ってからの、もっと先のことになるはずだった。ハマトクから道具を仕入れるつもりではいたが、カンボジアの中堅企業であるプレアヴィサル社を間に入れるのには、遥斗にとって切実な理由があった。
「売上でかすぎて税金とか商品の仕入れ金とかそういうのでいろいろ怪しまれるんじゃね?」
それは、事業化を考えた理由の一つでもあるのだが、そう気づいたのがきっかけだった。
活動資金のためと、ヴェルナ村の工芸品の魅力を伝えるために始めた商売だったが、この人気は予想外だった。最初は「高く売れればいいな」程度だったが、売り上げが高すぎ、利益率がとんでもないことになっている。
恐らく、税金はがっつり取られるはずだ。だから税金対策で法人化を急いだ――というわけでもない。
税金で半分近く持っていかれたとしても、数千万円以上の利益になるのだから、遥斗はそれで構わないと思っている。もともと観光で行っている異世界だ。なのにこの儲けは破格すぎた。むしろ、破格すぎて罪悪感の方が大きかった。ヴェルナ村の人々は遥斗が渡す報酬や支援にとても喜んでいるが、そこにかかる費用は現在数万円もかかっていないのだから。
問題は、売り上げが極端すぎることだ。
仮に年間で一億円儲かったとしよう。純益一億円として税金を払うこと自体は構わない。だが税務署は必ず問うてくる。
「お前、それだけ売り上げた商品をどこから手に入れてんの、どこで作ってんの、それだけ価値があるものタダで仕入れてんなら贈与扱いで税金かかんぞ」
と。
それは間違いなく面倒くさいことになる。
ぶっちゃけ、シアによる電子改ざんを行い、適当に仕入れや経費をでっち上げて純利益を低く見せて脱税したほうが、かえって怪しまれない可能性があるくらいだ。違法行為の偽造も隠蔽も簡単だが、遥斗はできるだけそれをしたくはなかった。安易にそれを選んでしまえば、違法行為に対する歯止めが利かなくなる。
いざとなればそういう手段を取ることもためらうつもりはないが、できるならそこは堂々と生きられる道にいきたい。
ほとんどの人は税金は愚痴を言いながらもちゃんと納めている以上、そこは正しくあるべきだと考えている。
そこでプレアヴィサル社との取引は非常に都合がよかった。
取引を増やせば、税務署に「ここから仕入れてる」と勝手に誤解してもらえるだろう。守秘義務契約を結べば、金の流れを追われてもヴェルナ村の秘密は守られる。第三者であるハマトクを巻き込めば、主張の正統性も上がるだろう。
ヴェルナ村に持っていく道具が今後増える可能性がある以上、法人化は合理的だ。経費として申請すれば節税にもなるし、
それに、実際にヴェルナ村に持っていく道具がこれから増えることを考えると、法人化した方がやりやすい。なぜこんなにハマトクから道具を買っているのか、それらはどこに行ったのか等が問われたときに、経費として申請してしまえば、ごまかしやすいのだ。実際にそれらはヴェルナ村に持っていき提供するのだから、遥斗的にもちゃんとした経費申請して節税することにも納得ができる。ヴェルナ村でハマトクの道具が使われていることにも理由付けもできる。さらに動画で配信するときにハマトクのロゴが入った商品が映ればハマトクの宣伝にもなるだろう。一石で何羽も鳥が落とせる――と、ここまでは遥斗の思い付きだった。
しかし、その思い付きがあっというまに予想外にとんとん拍子にいったのには訳がある。
「まさかナンさんがヴェルナクラフトのファンで会員になってたなんてなあ」
ソムナン社長がヴェルナクラフトを知ったのは最近らしいが、動画でのヴェルナ村と工芸品の作成風景、そして日本のSNSで箱ネキやうほほい教授がアップした写真を見て、すっかり惚れ込んだそうだ。自国のカンボジア以上に貧困に見える異国の村の人々が、それでも楽しそうに、自分たちの文化に誇りをもって美しい工芸品を作っていたことにも感銘を受けたという。オークションのことを知っていたなら、自分はもっと出したのに、と嘆いていた。
その話を聞いて、遥斗は雑談を交えながらこの人は信用してもいいかもしれないと判断し、少し踏み込んでみたのである。
「もし機会があれば、ヴェルナ村に対して協力してもらえますか」
と。
もちろん、ヴェルナ村が異世界であることは教える気はない。一方的支援をもらうわけでもなく、「プレアヴィサル社の商品を買うこと、ヴェルナ村で役に立ちそうな道具についての相談」として、今後話をしたいというだけである。
結果、ソムナンは「もしそういう機会があれば、ぜひ協力したいね」と口約束ながら承諾していた。
それはただの雑談であり、ソムナンも本気でそういう機会が来ると思ったわけではないのだろう。
ただ、遥斗はいつもの通り、即行動に移した。
その結果、本来は「その時が来たら」というレベルの話だったはずが、ソムナンはすぐに動いてくれたようだ。実際の活動はまだ先にしても、その時がきたらすぐ動けるようにとハマトクに話を通しておいてくれたらしい。五十嵐からのスカウトがあった後日、すぐにハマトクからの連絡が来て今日に至る、というわけだ。
「うん、やっぱりソムナンさんはやり手だよな!動きが早いや。俺も今後は事業を立ち上げるんだし、ソムナンさんやハマトクさんの社員さんからいろいろと仕事を学ばせてもらおう。五十嵐さんとかもできる社員って感じでかっこよかったもんな!俺も頑張らなきゃ」
遥斗はそう気合を入れつつ、事業者としての心構えを作る決心をした。
もしこの言葉をハマトクの社員が聞いたら
「なんなの、こいつに教えるの怖いんだけど」
「億越えの事業家にただの平社員の俺たちが何を教えればええのん……」
と震えていたことだろう。
もっとも、当然それは独り言なので誰も聞いておらず、ハマトクの社員たちは今回の話に大わらわで動いていたので震えているものはいなかったが。
大丈夫、君たちが震えるのはこれからだ。
「まあ、それはそうと今日はガルノヴァに行ってヴェラの仕事を手伝うんだよな。たのしみだな、リケ!」
「ケリテテス!」
遥斗は笑顔で立ち上がり、リケを両手で持ち上げてくるくると回転しはじめた。
この男に、二つの企業を手玉に取っている自覚は、まるでない。
◆◆◆◆◆◆
カンボジア・プノンペンにあるプレアヴィサル・バンブー社にて。
ソムナン氏のオフィスルームは、竹材の温もりが感じられるシンプルな内装だ。窓からは熱帯の陽光が差し込み、壁には自社製品のサンプルが並ぶ。その中で、ソムナンは、オンラインでの三者商談の結果報告を社員から受けていた。
「社長、商談の結果ですが……ハマトク商事との連携は、遥斗様の提案通り、竹製農具や道具の共同開発を検討する方向で合意しました。また遥斗様は、今後、個人事業主として輸入業を始め、ゆくゆくは法人化を予定。弊社から商品を大量購入し、ハマトク商事が仲介役として取引をサポートする形です。遥斗様の事業については、まだ守秘義務契約が結ばれていないため詳しくは確認できていませんが、売上見込みは、月700~800万円、年商で最大1億円。さらに弊社製品の需要も見込めると……」
ソムナンは、満足げにうなずく。
だが、社員の一人が戸惑いを隠せない様子で進言した。
「ただの通訳だと思っていたあの遥斗さんに対して、ハマトク商事と対等に商談する事業家として扱うよう指示されたのは驚きました。確かにハマトクは信頼できる企業ですが、遠峰さんへの注目度が……ハマトク以上じゃないですか?」
隣にいた別の部下も続ける。
「そうです。社長があんなに目を輝かせて話すの、初めて見ました。ハマトク商事との取引は問題ありません。彼らの事業は健全な経営と成長を続けており、会社の理念も我々に非常に近い。当社の顧客としても有益です。ですが社長、あの青年は……」
彼はハマトクのような大企業との取引がある以上、この商談が有益であることは理解していた。だが、それ以上に、彼が敬愛する社長が、まだ設立もしていない会社の事業主予定の遥斗に対して、ハマトクと同等、あるいはそれ以上に注目していることに、社員たちは戸惑っているようだった。
「うむ、君たちはその姿勢でいていい」
ソムナンは笑いながら、そしてはっきりと言い切った。
「これは私の勘のようなものだ。もし、ビジネスを進めていった結果、君たちが彼を信用できないと判断すれば、私はそれを尊重する。そのときはこの話は取りやめる。約束だ」
それを聞いて、社員たちは納得した。
ソムナンの「勘」は不思議と当たる。自社の成功もそうだし、何より人を見る目が優れている。
悪意を持って近づくものは避け、逆にこの人物の信念に嘘はないと思えば、どこまでもアグレッシブに動くのだ。
そんな社長が、すべてを自分で決めるのではなく、「自分たちで見極めろ」と言うなら、信頼に応えるだけだ。
若い社員が静かに頭を下げる。
「了解しました。社長の指示に従います」
会議室を出る社員たちの足音が、静かに響く。
ソムナンは一人残り、ノートPCを開く。画面には、一通のメールが表示されている。彼は椅子に座り直し、遠くを見つめるように、先日の出来事を思い返し始めた。




