第76話:ハマトクさんのこれからのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
「大変うれしい誘いなのですが、この件、お断りさせてください」
遥斗のはっきりとした返事に、五十嵐は危うくガタっと立ち上がりそうになるが、それを何とか押しとどめ、冷静を装って尋ねる。
「そ、そうか……残念だ。差し支えなければ理由を教えてもらっていいか?もし報酬や条件が理由なら、交渉はできると思う。俺もできる限りの手助けはするよ?」
「そんなに俺の語学力を評価してくれるんですか?」
「いや、さっきも言ったけどコミュニケーション能力とか、人間性もちゃんと評価してるよ」
「そのあたり、あんまり自覚ないんですよね……。就活とかではあえては言いませんけど、俺自身、結構感覚がズレてる自覚はあるし、友達とかにもよく『わけがわからん』『お前といると大変』みたいなこと言われますよ。だから、やっぱり語学力とか資料の読み取りのスキルとかで選んでもらったのかなって」
「スキル評価は……まあ、会社としてはそうだろう。だが俺的には、スキルはあまり重要じゃないんだよなあ」
「え?」
「語学力とかじゃなくて、俺自身、君と働いてみたいんだ。君は確かに突拍子もないことをするとは聞いている。それで不安もないわけじゃない。だが、それ以上に、その突拍子のなさで、仕事が面白くなりそうだからね」
五十嵐は、遥斗に好感を持ってもらうために、ここまでは取り繕っていた部分があった。だが、はっきり断られたことで、ある意味ふっきれたのか、つい本音をぶちまけてしまう。「やべ、すこしぶっちゃけ過ぎた」と五十嵐は思ったが、遥斗は逆にその言葉に心を動かされた。
ハマトクが評価したのは遥斗自身ではなくシアの力である。
最近は俯瞰型情報処理術、さらにシアからのプログラム指導などもあってエンジニアとしての実力も桁外れに上がったことで、そういう面では一人で数十人分のパフォーマンスが発揮できる自信もある。
だが、そういうスキル面ではなく「一緒に働いたら面白そう」は遥斗に対して特攻効果だった。
遥斗は自身が俗物だと思っているし、実際にお金は欲しいし楽して儲けたいという気持ちもある。だが、つまらないで儲けられることよりは、得るお金が少なくても楽しくてやりがいがあることを選んでしまう性格でもある。
上から目線のやりがい搾取は気に食わないので絶対にNOだが。
そういう意味で、「一緒に働いたら面白そう」なんて言葉は、自身への評価として遥斗的には最大の賛辞なのである。
この男はチョロかった。
多分、先日の決断がなければ、あるいはヴェルナクラフトへのファンやヴェルナ村に対する責任などがなかったら、この男はこの瞬間に五十嵐の両手を掴んでぶんぶん振りながら「よろしくおねがいします」と言っていただろう。
だが、そうはならなかった。悲しいなあ……。
「大変うれしい言葉です……ですが、ちょっと今は、やりたいことというか、決めた道があるんですよ。なので、別の会社から受けたオファーも相手が気に入らなかった、というのもありますが、どちらにしろ断っていたはずです」
遥斗は、少し遠くを見るような目をした。
「ハマトクさんからのスカウトは、多分その決めた道がなければ喜んでお受けしたと思います。ですが今は……申し訳ありませんが、その道に集中したいです。なので、アルバイトについても今後は減らすつもりです」
五十嵐は心の中で頭を抱えながら、それでも態度には出さないように気を付けつつ、小さなため息をついた。
「わかった……それなら無理は言えないな。君が決めた道で活躍できることを応援させてもらうよ。ただ、いつでもうちへの窓口は空いてることは覚えておいてほしい。俺が君と働きたいのは、変わらないからね」
「ありがとうございます!」
「それで、進みたい道というのは?無理には聞かないが、もしよければ教えてもらえるかな。人生の先輩としてアドバイスくらいはできるしね」
それはあくまで興味からだが、そうはいいつつ、もし遥斗があまりに無茶なことを考えていれば温和に止めようと思っていたし、なんならやはり入社したほうがいいと誘導するつもりであった。その辺は五十嵐も大人である。汚い、大人汚い。
「あ、ちょうど俺も、その件で五十嵐さんというか、ハマトクさんに相談しようかなと思ってたんですよね」
「そうなのかい?いいとも。これも何かの縁だし、報酬を払ったとはいえ急に無理をいったこの前の借りもある。できる限りはするよ」
「では相談なのですが……」
「うんうん」
「俺、近いうちに起業しようかなって思ってまして」
「うんうん………なんて?」
聞き直す。起業と聞こえた気がする。
いや、これは「帰郷」の間違いだろうか。
「起業です。趣味というか、個人的にやってた商売がうまくいってるというか大きくなってきたので、起業したほうがいいかなっておもってるんですよね」
五十嵐は動揺を抑えつつも、これはまずいぞ、と思った。
この思い切りの良さは遥斗らしいが、危うい方向に進んでいる可能性もある。これは詳しく聞いてみないとだめだろう。
料理が上手だと煽てられて、脱サラして借金までして料理店を開いたはいいが、あっという間につぶれて借金だけ残った人の話など、この年になるといくらでも聞こえてくるものだ。たまたま趣味がうまくいったからと、安易にそれを本業にしようと博打のような選択をしているなら、人生の先輩としてたとえ多少嫌われても諫めたほうがいいかもしれない。
その行動は、仕事中として会社の看板を背負った今するには危険な行動だが、五十嵐は遥斗をそれほどまでに気に入っていたのだ。
だから彼は、直接的には遥斗の選択を否定はしないようにしつつ、起業の厳しさを伝え、安易な行動を考え直してもらうためにも話を促した。
「そ、それはどういうものなのかな」
「簡単に言うと貿易業ですね。ちょっとした伝手で異国のハンドメイド工芸品を入手できるので、それらを販売する予定です。これまでにもそれなりの販売実績があり、購入希望者も結構います。現在はサイトを開設して会員を集め、大きく売り出す準備を進めています。サイトの会員数から売上見込みも算出してます」
思ったより遥斗の計画はしっかりしていた。販売先の目途がたっている上で仕入れるなら、すぐに破綻するなんてこともないだろうし、無茶な費用投資などもないだろう。だがそれでも、いきなり起業はリスクや問題があるはずだ。まずは個人事業主あたりから始めたほうが――
「まずは個人事業主としてですね。予測はあくまで予測なんで、実際の売上が入って安定するめどができてから、正式に起業するつもりです。融資受けたり借金してやるのはさすがにリスクがあるし、まずは今の貯金と売上だけで回してみるつもりです。それなら失敗しても自分の貯金が0になるくらいですし、どうにでもなりますしね」
めちゃくちゃしっかりしていた。
「アルバイトは時間は減らしていきますが、もうしばらく、2、3カ月くらいは続けますよ。引継ぎも必要でしょうし、俺がいきなりいなくなっても迷惑をかけるんで」
フォローもしっかりしていた。学生アルバイターなど、「合わないのでやめますー」で即時辞めるような者も多い中、ものすごい気を使ってくれている。
「最近作ったアプリも結構人気でてるみたいなので、万が一、貿易業がうまくいかなくてもフォローは出来そうですし。『ルーティン・パートナー』って知りません?スマホ使って音声なり写真取り込みなりだけで毎日のタスク管理を助けてくれるシンプルなアプリなんですけど。最近できたばかりですしフリー公開しててそこそこ人気みたいなんですよ」
「え、それ最近ITニュースで出てなかった?俺は『へー、これ便利だな、今度使おう』くらいに思ってたけど。……え、それ?」
「はい、まあこっちはあくまで趣味というか、万が一貿易業がうまくいかなかったときのセーフティですけどね」
実際には俯瞰型情報処理術の練習で作り、かつUIや効率性などはガルノヴァのものをシアから教わって参考にしたものである。
ちなみにシアは、スーツに身を包んで教鞭を持ちながらシア先生となって、眼鏡をくいくいしながらノリノリで教えていた。なおシアのデータベースにはこの時の記録映像が「いけないシア先生」というタイトルで保存されていることを遥斗は知らない。
「こっちも広告収入で月に数万円から十数万円くらいはもらえそうなんですよね。まだダウンロード数は増えてるのでもっといくかな?作りかけのアプリもあるので、それも完成すれば生活費分くらいにはなりますし」
「もうそっち本業でもいいのでは?」
「やりたいのは商売の方なので。入手先とのつながりもありますから」
「えっと……ちなみに、その貿易業だけど、売上見込みってどのくらい……」
「予約状況的には月に七、八〇〇万くらい?秘書みたいなのに試算をお願いしてますけど現地の生産状況が増えれば年商は大きければ一億くらいを見込んでます。一応ロット的には三年分くらいは予約でいっぱいなのでしばらくは安定するかと」
「いちおっ……って秘書いるの!?」
「みたいなの、です。本当に秘書では――あ、ハイ、秘書です。秘書モードもあるらしいので……」
最後の部分はよくわからないが秘書がマジでいるらしい。
なぜかチョーカーがチカチカ光った気がしたが、おそらく驚きによるめまいのせいだろう。
「なのでさすがに起業したほうがいいかなーって。あ、それで相談なんですけど……」
「年商一億の起業家にたいして年収650万の俺になんのアドバイスができると思ってんの!?」
「いや五十嵐さんというか、ハマトクさんなんですが……調べたんですけど倉庫のレンタル業もしてますよね。それを利用したいです。あと業者向けに商品の大規模注文を受け付けてますよね。それで軍手とか、アウトドア商品とか、肥料とか、工具とかを大量に注文したいんですよ。多分今後必要になるので」
「大量って……え、どのくらい?予算は?」
「うーん、一千万円くらい?場合によってはもっと大きくなるかな?まあお金が入ってからなので、数か月は先の話ですけど」
「お買い上げありがとうございます!」
フリーターをスカウトに来たはずが、なぜか数千万円規模の商談になっていた。
五十嵐は、その場で直立して頭を下げた。
◆◆◆◆
ざわつくハマトクのプロジェクトルーム。五十嵐の話に、誰もが耳を疑っていた。
「……お前それ信じたの?」
安藤は、信じられないという顔で口を開く。斎藤は、呆れ顔でぽかんとしている。
「五十嵐君、それはさすがにそれはどうかと思うぞ?」
松下に至っては、顔にわずかな怒りの色を浮かべていた。部長として、部下がそんな与太話を真に受けたことが許せない、といった様子だ。
だが、五十嵐は、相変わらず能面のような無表情のままで、同僚たちの非難の視線に全く動じることなく続けた。
「『プレアヴィサル・バンブー』からは竹細工の工芸品や、鉄を使わない農具などの発注をするらしく、その取引にもウチを窓口にしたいらしくて話をしたらしいです。他にも新商品の開発などもしたいと。すでに先方の社長には話を通してるらしいです」
「へ」と、その場にいた全員が、呆気にとられて口を開けた瞬間、一通のメールが、プロジェクトルームにいたとある社員のパソコンに届いた。
その内容を見たその社員は、驚きで顔を紅潮させながら、松下のもとへ駆け寄った。
「部長、プ、プレアヴィサル・バンブーさんから、新しい商談の話がしたいと……遠峰さんから話が行くと思うので聞いてほしいと連絡が……!」
プロジェクトルームにいた全員の顔が、松下、安藤、斎藤に至るまで、今、まさに話をしていた五十嵐とまったく同じ「能面」になった。遥斗に対して「なんなんだよお前」という畏怖と同時に、プロジェクト成績を爆上げする新たな商談の喜びが合わさった結果、プラスマイナスで感情がゼロになったような、そんな顔だ。
五十嵐は、その変わり果てた同僚たちの顔を見回し、我に返ったように声を張り上げる。
「な?皆もそうなるだろ!?絶対にその顔になりますよね、部長!?」
「あ、ハイ」
五十嵐の問いかけに、松下は宇宙に浮かぶ猫のような顔で頷いたのだった。ニャー。
現代ラブコメを書き始めました。
こちらはあんまり長くならない(数万文字くらい?)で終わる予定です。
『レディース総長のヒミツを知った僕が、実は彼女の推しの恋愛小説家だとバレるまで』
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