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第75話:遥斗くんスカウト大作戦

 夕暮れの東京都内は、ビルの谷間に沈む太陽の光がガラスに反射し、街全体が橙色に染まっている。ハマトク商事の本社ビルでは、エレベーターの金属の壁にその光が映り込み、柔らかな輝きを放っていた。

 プロジェクトルームへと向かうエレベーターの中、部長の松下は、社員の安藤と顔を合わす。二人の話題は、当然のように遥斗を正社員としてスカウトしに行った同僚の五十嵐のことだ。


「安藤くん、五十嵐くんからはまだ連絡ないのか?」


 松下が問う。


「メールが一通だけ、です。内容も『外回り終わったので一七時くらいにつく』とだけ……。『プレアヴィサル・バンブー』の件で忙しくて、こちらから状況確認も出来てないんですよね」


 エレベーターが目的の階に着き、二人がプロジェクトルームに入ると、室内は忙しいプロジェクト独特の喧騒と緊張感に包まれていた。

 だが、そんな中でも今回の「とんでもない新人」のスカウトの件は知られているせいか、皆が五十嵐が戻ってくるのを待っているようでちらちらと入り口を見ているのがわかる。


 しばらくして、五十嵐が部屋のドアを開けて入ってきた。

 社員たちの視線が一気に集まる。

 そんな中、松下と安藤は彼の表情からスカウトの成否を判断しようと目を凝らす。成功なら笑顔、失敗ならため息のような表情のはずだ。

 だが、その顔を見て松下と安藤は言葉を失った。五十嵐の表情は、まるで能面のように無機質だったからだ。

 喜びも落胆も感じさせない、ただの「無」。

 人間はここまで感情を消せるのか、と二人は少し後ずさる。

 五十嵐は、自分のデスクに一直線に向かうと、そのまま椅子に座り、両手で頭を抱え、まるでその場で放心したかのように動かなくなった。

 松下と安藤は顔を見合わせ、気まずい沈黙が流れた。プロジェクトルームの他のメンバーも、五十嵐の異様な雰囲気に気づき、そわそわと視線を交わす。誰もが今回のスカウトの結果を知りたがっていたが、五十嵐の纏う空気があまりにも異質で、それを許さない。


 松下は、近くにいた女性社員の斎藤に、目配せで


「さ、斎藤さん、ちょっと聞いてみてくれない?」


 と助けを求める。

 だが斎藤はプルプルと首を小刻みに震わせた後、


「い、いやですよ!なんか怖いんですもの。安藤さんお願いしますよぅ」


 という目線を、潤ませた上目遣いと共に安藤に向けた。

 そしてその安藤はというと、


「お、おれは既婚者だからそういう目されても効かないぞ!そういうのは部長の役目でしょう!」


 と責めるような視線を松下に投げた。


 以上、すべて無言で行われている。さすがハマトク社員のチームワーク。以心伝心はばっちりである。

 なにやってんのお前ら。


 結局、松下は観念したように肩を落とし、覚悟を決めて五十嵐に声をかけた。


「ご、ご苦労だったね、五十嵐くん。そ、それで、例の件の報告なんだけど……」


 その瞬間、五十嵐がガタッと椅子を鳴らし、周りの人間が皆、ビクッと体を震わせる。

 そして五十嵐は、顔を上げずに絶叫した。


「なんで、なんであいつはそう思い切りがいいんだよ!」


 ルーム内が一瞬にして静まり返った。メンバー全員が呆然と五十嵐を見つめる。五十嵐はハッと我に返り、周囲の視線に気づくと、気まずそうに頭を掻いた。


「す、すみませんでした。ちょっと取り乱して……」


「いや、いいんだ。で、何があったんだ?別の場所で話すか?」


 松下の言葉に、五十嵐は首を振った。


「いえ、ここで話します。変に噂が広まるのも嫌ですし、本人も隠す必要はないって言ってましたから」


 彼は深呼吸し、今日のことを話し始めた。



◆◆◆◆◆◆


 その日の昼、ハマトク埼玉店のバックヤードで、五十嵐は遥斗と対面していた。

 遥斗が新幹線爆破事件に巻き込まれたことについて改めてねぎらい、疲れは取れたかを聞くと、


「バイトの皆からもさんざん心配されたけど、俺は元気です」


 という遥斗の言葉に、五十嵐は安堵の息をついた。これなら話もできるだろう。


「ちょっと話したいことがあるんだ。休憩を少し長めに取ってくれないか?」


「でも、仕事が……」


「店長には話しておく。休憩が長引いた分の時給は俺が補填するよ」


 遥斗は少し考えてから、自分も五十嵐に少し相談したいことがあったので、いいですよ、と承諾する。


「相談事?」と遥斗から切り出されたことが少し気になったが、五十嵐はそれは後で聞くべきだと考え、近くの落ち着いた喫茶店へ向かう。

 その喫茶店に入ると、店員の女性たちから遥斗は「あ、遠峰さん、こんにちは。この時間珍しいですね」「リケちゃんは?」と声をかけられている。


 五十嵐が驚いて尋ねる。


「あれ、この店の常連なの?リケちゃんって……友達かい?」


「リケは、俺の飼ってるペットのリスザルです。ここ、外ならペットOKなので、連れてるときにたまに使うんですよ」


 この店は晴山物産の社員と会った喫茶店とは異なるが、このようにペット可の店をいくつか調べて利用しているのである。

 そのため、リケはここでも人気者なのだ。

 遥斗自身の人気は……まあ、うん。


 さて、店内はというと木目調の落ち着いた内装に、柔らかなジャズが流れ、テーブルには白いクロスがかけられている。

 ランチタイムを少し過ぎていたため、店内はだいぶ人が少なかったが、できるだけ静かな場所を希望すると、部屋の奥に案内された。


 注文したコーヒーが届き、軽い世間話のあと、五十嵐が本題を切り出す。


「遠峰くん、少し込み入った話をするのだけど、まず確認させてほしい。君は現在、アルバイトとしてウチで働いてるわけだけど、どこかに就職予定とかあるかな。もしくはそのアプローチを受けているとか」


 遥斗は少し考え、


「つい先日、ある会社からシステムエンジニアとして社員のオファーをもらいました」


 と素直に答える。

 五十嵐の心臓がドキリと鳴った。


「そ、そうか!?システムエンジニア?通訳や営業じゃなくて?……そういえば、君、大学は理系だっけ?」


「はい。俺アプリとか作ってますし、システムの知識もあるんで。詳しくは言えないですけど、ちょっと前に臨時バイトでシステムを直す仕事があって、その件がきっかけで」


「そ、そうか……」


「まあ断りましたけど。なんか会社の雰囲気がすっごい合わないというか、えらい人が横柄というか、あんまりそこで働きたいって感じにならなかったんですよね。社員さんはそんなことはなかったんですけど」


「そ、そうか!」


 五十嵐の言葉は先ほどと同じセリフだが、今度の言葉は安堵と期待を込めて言う。


「ええ、この前ハマトク商事さんにいったときとは全然違ったので、びっくりしました。社会経験が少ないので、あのときの雰囲気が普通なのかなって思ってましたが、ハマトクさんのところはすごくいい会社なんだなって思いました。お世辞じゃないですよ。本心です」


「それは嬉しいな。会社愛ってほどじゃないけど、働き甲斐はあるし、給料も同業他社に比べていい方だと思う。社長は社員への還元を大事にする人だからね」


 遥斗の言葉に五十嵐の顔が緩む。

 これは好感触だ。五十嵐は期待を込めて本題へと進む。


「そ、それでは、ここから本題だ。単刀直入に言うが――うちの会社に来ないか?もちろん、正社員としてだ」


「え?」


 今度は遥斗が驚きに目を見開いた。


「この前の語学力は非常に素晴らしかった。資料のチェック能力についても評価が高い。だが何よりコミュニケ―ション力を我々は強く評価している。君のその強みは、世界に向けた営業で非常に強く輝くだろう」


 彼はそこで一息つくと、再び言葉を続ける。


「君の人間性、仕事に対する姿勢は、ウチのアルバイトからも十分に評価できると判断している。形式上の面接はするが、ここで君がOKしてくれれば、内定するといっていい。報酬については他の同年齢の社員と同じところからになるだろうが、きみの語学力に対して資格とみなしての手当がかなりつくし、入社準備金としてこれだけだそう。君ならあっという間に出世もできる。どうだろうか?」


「うーん……」


 提示されたのはかなり多めの準備金と手当ての報酬。しかし、それを見ても顎に手を当てて悩むような遥斗の態度に、五十嵐は慌てて続ける。


「も、もちろん、通訳時のマスクやそのチョーカーもそのままでいい。上司も会社も、社員のポリシーは尊重すべきだって考えだ。なにより、君にはそれが似合ってるよ。みんなもそういっている」


 その時、日が傾いて差し込んだ光が反射したのか、遥斗の首元のチョーカーが、一瞬チカチカと光った気がした。

 だが多分気のせいだろう。

 気のせいなんじゃないかな。


「あ、ハイ。ソウデスネ」


 遥斗は、チョーカーを褒められたことがよほど嬉しかったのか、少し無言になったあと、慌てたようにチョーカーを撫でている。五十嵐は「よし、いい感じだぞ」と思わず心の中でガッツポーズ!。


 遥斗とチョーカーに宿るポンコツの間に


 "ルト様、この者は素晴らしい感性の持ち主です。それに賛同するハマトク商事には最大限の協力をすべきかと"

「あ、ハイ。ソウデスネ」


 なんていう謎の会話があったなんてことは当然ないのだ。


「そ、それでどうだろうか。返事に時間が必要であれば、あまり長くはできないがもちろん待つとも」


 そして、遥斗はその問いかけに応えるべく、ゆっくりと口を開いた。


「いえ、ここで回答させてください。そのお話ですが――」

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