第72話:やることが……やることが多い……!!
地獄のトレーニングを開始してからしばらく経った。
ここ数日、遥斗は全身の筋肉痛にひーこら言いながら、いつものようにバイトに励んでいる。
といっても、バイトは家の近くにある業務スーパー『カイナ・ハレ』での短時間勤務だけだ。それも毎日ではないので、ここ最近は完全オフの日がいくつかある。
『新幹線爆破未遂事件』の翌日、ハマトクの店長である山田から連絡があった。「必要ならシフトを調整するから少し休んでいい」と告げられ、遥斗は数日間の休みを取ることにしたのだ。オークションの売上金に加え、通訳バイトの報酬もまだたっぷり手元にあることだし。
最初、その連絡を受けたときは少し驚いた。
給料はちゃんと支払われ、労働基準法も守るとはいえ、モンスタークレーマーの猛攻でアルバイトが次々と辞めていく戦場のような職場がハマトクだ。人手はいつだって足りていない。言語能力は抜きにしても、バイト歴がそこそこ長く、要領の良い遥斗を、山田店長は隙あらば入れようとしてくる。
普段なら「遠峰くうぅぅん! シフト入れる? 入れるよね、ね!?」と涙声で懇願されるのがお決まりのパターンである。
だから気になったのだ。
「え、どうしたんですか? いつもとテンションがだいぶ違いますけど。それにゴールデンウィークは他の子が休んで大変って言ってましたよね」
そう聞くと、山田は深いため息をついた。
「本社から、遠峰君は新幹線の件で大変だったのだからメンタルケアは最大限にしろ、とお達しがね……。遠峰君、だいぶ本社が気にかけてるみたいなんだけど、向こうで何かあったの?」
「いや、言われた通り通訳しただけなんですが……」
「そうか……まあ、それはそうだよねぇ……」
「しいて言うなら、雑談の時に、ここで五十嵐さんに出されたクメール語ができるかのテストの話をしたら、相手の会社の人(社長)にウケたくらいですかね」
「あー、あの件ね。確かに僕も見てたけど、笑っちゃうよね。向こうの会社の人(社員)にもウケるのもわかるよ」
「ええ、それでナンさん――ソムナン社長に気に入られたらしくて、名刺をもらってLimeを交換しました」
「なにやってんの?」
山田は混乱した声で言った。
「ナンさん、結構面白い人で日本のエンタメが好きらしくて、最近はお子さんと一緒に『カバ☆バディ!』にハマってるって言ってましたね。だから今度アニメルトに行って、カババグッズを買って送ってあげようかなって――」
「マジでなにやってんの?」
なぜかドン引きされた。電話の向こうでチベットスナギツネになっているようだ。
こうして、遥斗は短いゴールデンウィークに突入したのである。
一方、業務スーパー『カイナ・ハレ』では、新幹線の一件は知られていない。いつも通りレジを打ち、品出しをするが、連日の訓練により全身のひどい筋肉痛で動きがぎこちない。そんな遥斗の様子を見て、バイト仲間の大山がゲラゲラと笑った。
「なんだ、遠峰。ロボットダンスか?」
「ちょっとジムを始めてなー。張り切りすぎて筋肉痛がひどいんだわ」
「ジムかよ。相変わらずダサいチョーカーしてるし、今度はセンスのない創作ダンスでも始めたかと思ったぜ」
そうニヤニヤ笑う大山。とはいえ、これは彼なりの不器用なコミュニケーションだ。こんな風に嘲るような態度をとってはいるが、遥斗が体調を崩しているときなどは悪態をつきながらも気遣ってくれたりする奴である。それを知っているし、慣れている遥斗は特に怒りもせず、肩をすくめた。
(ルト様、私は先日の件で人間を心理的に追い込む方法を学びました。あの犯人には自首を促すことで救済の道を用意しましたが、この男にはその逃げ道すらなくして精神を壊すことも可能です。許可を)
「うん、やめようね」
だが、シアはそうではなかった。やる気というか、殺る気満々である。
遥斗は小さく息を吐きながら、ついそのままの声でシアを止めた。
「あん?なんか言ったか遠峰」
「いや、何も」
「そうか。それよりさ、聞いてくれよ。今、超推しの新人Vがいてさー。シアちゃんっていうんだけど」
「ゲッブゥ」
思わずむせる遥斗。大山が差し出したスマホの画面には、Vチューバ―『シア・ルヴェン』のチャンネルのアーカイブと切り抜き動画が映っていた。
「モデルも映像もすげえだろ? 頭もいいし、これは噂だけど、あの『シア』なんじゃないかって話も出ててさ。なのにすっごい天然でピュアなんだよ。俺、神回の第三回から見てるんだけど、すっかりハマって、もう生きがいになってるわ!いいだろ、この子!」
首元で、シアが密談モードで伝えてくる。
“ほほう……私のリスナーですか。ルト様、彼の持つ端末からのアクセスに関する解析許可を。何もしません。今は調べるだけにしますので”
「あ、はい」
いつもなら止めるべきところだが、シアが怖かったので遥斗は反射的に頷いた。
なお遥斗の影の中で、リケも震えていた。
「あ、はいって、そっけねーな。ま、いいか。俺にはシアるんがいるもんね!いつか俺のアカウントを認知してもらって、名前呼んでもらうぜ!」
「ソッスネ。あ、いらっしゃいませー」
遥斗は表情を変えないまま彼から目をそらし、一刻も早くこの空気から逃れようと客の方へと歩いていく。
“大山圭太の持つ端末より解析開始。終了。アカウント特定。……うふふふふ”
(大山……。お前、今、その推しに認知されたぞ……よかったな)
遥斗は心の中で手を合わせ、大山の冥福を祈った。
夕方になると、遥斗はエリドリアへ顔を出した。ヴェルナ村は魔物対策で大忙しらしく、男手不足になっているという。セメラは防衛のための木材の切り出しや加工、リーリーは男手が足りていない家々の畑の対応に追われ、スガライも男手として村の防衛対策を手伝っていた。ただ、スガライは遥斗と話すのが楽しいようで、日が傾いた頃にやってくる遥斗を見つけると、日本の道具についてよく聞いてくる。新しいものを知るたびに目を輝かせ、夜遅くまで加工場で楽しそうに図面を書いているそうだ。
また、遥斗は魔物対策で働く村人たちのために、塩飴と粉末のスポーツ飲料を渡していた。エリスを通して、体力仕事の休憩中に舐めて、飲むようにと伝えている。村人は最初、妙な味の飴と飲み物に少し疑問に思っていたが、タダでもらえることと、飴は本来高価なので喜んで受け取った。村長は「ただならいいか」くらいの感覚だったが、長老たちは非常に恭しく受け取り、村長に言う通りにするよう尻を叩いていた。またその話を聞いた村人の3割程度は、やはり恭しく感激して受け取っていた。
村人たちは深く考えずにそれを舐めて、そして飲んだが、その結果は劇的だった。疲労で倒れる者が少なくなり、疲れにくくなったと村人たちが喜ぶと、村長は手のひらを返す。また恭しくしていた村人以外も「やはり……」「まさか本当に」と何かを呟きながら、遥斗を見る目が変わっていった。
遥斗は反発されるのも困るが、あまり大仰に感謝されるのも少し困る。とはいえ、そんな村人たちも目の前で平伏するわけではなく、話すときはただ丁寧なだけなので、そのままにした。他にも数本だが、シャベルやマトックなどを用意したことで、長老たちはさらに恐縮していた。遥斗的には、十数人足らずしかいない働き手の男たちのための塩飴やスポドリ粉末など、大した費用ではない。シャベルなども安物のセール品なので、前回のヴェルナ村の特産品の売上からすれば、まだまだ還元などできていない。そもそもこれは、ある意味投資である。ケチってはいられなかった。
「俺、ヴェルナ村を拠点にするし、客分とはいえ一員でしょ? 普段は顔出ししかできないんだから、労働の代わりに物を出してるだけですよ」
そう伝えると、彼らはさらに恭しく頭を下げた。そんな老人たちであるが、そんな中でマレナは「ふぇふぇふぇ」といつも通り笑っていたし、その周りのおばあちゃんズも、妙にへりくだる老爺とは違って、比較的フレンドリーに接してくる。彼女たちはマレナ同様、イリスには目をかけているようで、
(いいかい、『美味しい桃はいかがですか』って……胸を……ながら……押…倒し……ボソボソ)
(そうそう、あとは『肩をおもみします』って……背に回っ……服……脱いで……ヒソヒソ)
と、よくは聞こえないが何かを熱心に教えていて、イリスが妙に顔を赤くして頭から湯気を出しているのを見かけた。よほど難しいことを教えているのだろう。そんなに頭を使うことだったようだ。そう遥斗がシアに言うと、
“ソウデスネ”
とシアの反応はなぜかそっけなかった。
こうして、遥斗は村にとって重要な人物だと、多くの村人から認知され始めていく。
しかし、ごく一部、厳密に言えば二人ほどだが、あまりいい顔をしない若者はいた。
だが、彼らも表立って対立したりはしていないので、遥斗は気にしなかった。もともと遥斗は、明確に攻撃してこない限りは人を嫌いにならないし、「自分が合わない人がいるのは当然だ」とも思っているからだ。仲良くなれるに越したことはないが、相手が仲良くしたくないなら無理して距離を近づける必要はない。最低限ビジネス的な交流ができればそれでいいのである。
エスニャとルクェンにも会いに行った。エスニャは少しだけど体がふっくらしてきていて、遥斗は密かに感動する。ルクェンも体調はだいぶ戻っていて、今は遥斗から教えてもらった筋トレやジョギングをして、体を動かしているという。さらに「勉強したい」と言い出し、イリスから読み書きや歴史を学んでいるが、本当は遥斗から遥斗の国の学問を学びたいらしい。何か思うところがあるようだ。
とはいえ、遥斗も今は自分のトレーニングがあるし、バイトがあるときはあまり時間が取れない。どうしたものかと思っていると、シアの提言である方法で対応することになった。
スカッターである。
スカッター自身はシアのような独立型高性能AIは搭載されていないが、人間の命令に従うことと、地球の高性能パソコンレベルには自己判断、情報処理ができる。特にヴェラが一つだけ入れた『ちょっといいやつ』は高機能で、シアからするとかなり劣化するが、地球のAIより少し高性能くらいには人工知能としての応答が可能。シアにより大陸の共通言語を登録したスカッターを使って、ルクェンに様々な教育を行うことを提言した。スカッターは映写機能もあるので、プロジェクターのようなこともできるし、地球のAIレベルではあるが指導、教育もできる。これで数学、科学、社会制度についても教えることができるだろう。これにはイリスも感心して、自分も学びたいと言い出す。そしてイリスとルクェンは学習を始め、エスニャもエリドリアの文字を覚えることから始めているとのことだ。
商談相手であるバルバたち一行は、いったんリシャッタに戻っている。遥斗から受け取った商品を売るためと、遥斗について交易ギルドへの登録手続きや今回の件の報告など、遥斗との約束を果たすためだ。
『折れぬ大剣』も同様に、開拓者ギルドに今回の報告をしつつ、遥斗から頼まれた、とあることをしているはずだ。
ということで、エリドリア、ヴェルナ村ではバルバが戻ってくるまでは大きな動きはなく、遥斗は顔を出しながら村人たちとの交流を中心にしていた。
ガルノヴァについてだが、ヴェラの方は次の惑星へ行くまでは、日本時間で一ヶ月はかかるそうだ。直行で向かうなら数日で着くのだが、遥斗と出会う前から受けていた運び屋の仕事、それに整備の仕事がたまっているため、それをこなしながら進むとのこと。遥斗は仕事のときには自分もヴェラの仕事を見てみたいと告げ、予定日は聞いてある。また訓練についても、先日、遥斗はヴェラから「休息フェイズだ、40シクタは高負荷のトレーニングは禁止。ストレッチだけしてろ。シミュレーションは2回まで」と言われたため、ハマトクでのバイトが休みであれば、数日間、かなり時間がある。
となると、今するべきことといえば――そう、日本での通販関連の対応である。以前より、ヴェルナ村の商品を欲しがっている人たちが大勢いるようなので、個人サイトを立ち上げ中なのだ。これを本格化する必要がある。また、シアがVチューバーとして大きくなってしまったらしく、そっちも確認しないといけない。
休みができたようで、やるべきことはまだまだたくさんあった。だが、ため息などは出てこない。この忙しさが、彼は楽しくてしかたなかった。……まあ、シア関連の騒動は勘弁してほしいのだが。
そして、遥斗はサイトを仕上げるべく、シアではなく久々に自身のPCを立ち上げた。




