第71話:生体活性剤は安心安全です
あの特訓から数寝巡が経った。
ヴェラはメインコンソールの前に座り、遥斗の最初の訓練ログを眺めている。そこには、光線に撃たれ、何度も何度も地面に倒れながらも、そのたびに立ち上がってミッション攻略にいそしむ遥斗の姿があった。
漆黒のトレーニングスーツに身を包み、全方位から襲い来るドローンの光線を必死に避け、プラズマ銃を撃ちまくる遥斗。これらはあくまでシミュレーション上のものだが、彼にはそれが現実の苦痛となって襲い掛かっているはずだ。
映像の中の彼は、何度も地面に叩きつけられ、這いつくばりながらも立ち上がり、歯を食いしばってシミュレーションに挑んでいる。スコアは惨憺たるものだ。126機中、撃破したのはわずか3機。スコアも300点満点中13点というどうしようもなさ。普通なら心が折れるような状況だ。
ヴェラはスクリーンを指で軽く弾き、映像を一時停止させる。遥斗の顔がアップで映し出され、バイザー越しに汗と疲労で歪んだ表情が見える。だが、その目にはどこか楽しげな光が宿っているように見えた。
「アイツ……被虐趣味でもあんのか?」
ヴェラは独り言を漏らし、眉をひそめた。
手には遥斗が持ってきた「ペロちゃん飴」と呼ばれる小さな棒付きキャンディが握られている。透明な包み紙を剥がし、口に放り込むと、甘酸っぱい味が舌の上で溶けた。彼女はそれをねっとりと舌で舐るように舐めながら、スクリーンに視線を戻す。
こんな拷問のような訓練、素人なら一度やれば泣きを入れて逃げ出してもおかしくはない。だが遥斗は違った。毎寝巡、懲りもせずにやってきては、トレーニングとシミュレーションを行い、今日もクリアできずにボロボロになって帰っていった。
遥斗はこれまでだいたい10寝巡ごとにやってきていたが、シアルヴェンが停止中の時のみという制約を撤廃した今は、好きな時に来ることができる。そのため、ある程度こちらに来る頻度は上がるだろうとは思っていた。だが彼はある程度どころか、ほぼ毎寝巡、短時間ではあるがやってきてはトレーニングをしていくのだ。
「しかし、訓練をしろとはいったけど、まさか代金払うから今後も自由に使わせてくれってなあ……」
初めて聞いた時は呆れたものだ。
トレーニングルームの利用料、生体活性剤の費用、スーツの清掃代など、諸々の雑費として200シクタごとに、地球の「ギュウドン」をはじめ「ベントウ」と呼ばれる食事を差し入れるという(ドラヤキはマストで別の対価は渡す契約をしている)。
ヴェラ的には、トレーニングルームのエネルギー代と、生体調整剤の費用が少しかかるが、それだけでガルノヴァのVIP中のVIPですら食べられないような、完璧な天然素材の食事が定期的に食べられるのである。合意しない理由などなかった。
加えて遥斗は、なんだかんだと小さなお菓子を持ってやってくる。今日のペロちゃん飴もそうだが、うんめえ棒やチロリンチョコなどといった、やはりガルノヴァではありえない味のものが、適当に彼のポケットから登場するのである。
「仕事場でタダでもらってる、おやつの残り」
というが、こんなものがタダで配られてるなら、いつか絶対にニホンとやらに行ってやると、ヴェラは決意を新たにしたものだ。
それはさておき、つまり彼が来るイコール、とんでもなく高価なおやつが食べられるということだ。最近では、携帯食の代わりに遥斗が持ってきた小さな棒付きのキャンディを加えている。これを噛み砕かずに、ねっとりと舐め続けるのが最近のヴェラのお気に入りだ。
「こうやって味わうと、うめえんだよな」
と、舌でゆっくりじっくり転がす様子を遥斗の前で実演して見せたら、彼は膝の上にリュックを置いて、ぎゅっと掴んで固まっていた。いつもの謎の行動である。
ヴェラの指導は初回だけで、後はシアルヴェンとシアに任せている。彼女は時折、訓練ルームの様子を見に行く程度だ。
遥斗は毎寝巡やってくるが、彼も自身の星での生活があり仕事をしているらしいので、毎回長時間滞在するわけではない。「仕事疲れたー」と愚痴りながらやってきて、1シクタ(約66分)ほどトレーニングをした後、0.5シクタほど座学で「あばばば」し、最後にシミュレーションをしてズタボロになって撤退していく。仕事が長引いたのか、時間がないような時でも1回は必ずシミュレーションだけは行って帰っていくのだ。
「しかし、アイツ……なんであんな楽しそうなんだ?やっぱりそういう趣味か?」
遥斗が行っていることは、ヴェラから見れば「とてつもなく精神的に不快になる薬を投与され、不安感が募るスーツを装着されながら、体を痛めつける苦行」でしかない。
遥斗はなぜか生体活性剤の影響も、ヴェクシス粒子によって補佐されるトレーニングスーツを長時間着用したことによる拒絶反応もないようだが、それでも肉体的な苦痛がないわけではないはずだ。なのに、なぜこれほどまでに楽しそうなのか。ヴェラには理解不能だった。
しかし、遥斗は遥斗で、ヴェラとは全く違う認識をしていた。
彼にとって、この訓練は『月3,000円で通える超効率的な未来のジム』である。
しかも未知の情報処理技術の学習セミナー付き。
そのことに気づいた時、遥斗はこの拷問のような訓練が、一瞬にして最高の娯楽に変わった気がした。
最適化された未来の筋トレ方法、さらに何かよくわからない超絶的な情報処理能力、状況把握術の学習セミナーまでついてくる。それらはシアのような道具ではなく、完全に自分の能力として身につくのだ。やらない理由などない。
特に遥斗が喜んでやっているのが、シミュレーション訓練である。
遥斗が戦っている敵はすべてVR的なもので、目に入る映像、匂い、音などはすべて仮想のものだ。広大な荒野を走り回ったが、あれも実際はトレーニングルームの床が勝手に動いており、はたから見たら遥斗がその場で足踏みしたり、噴射されるエアボールに弾き飛ばされたりしているに過ぎない。
それでフルボッコになった遥斗は思った。
「サバゲーみたいで超楽しいじゃん」
と。
そりゃそうだ。痛みはあっても怪我はしない、命の心配がない、完全なVRでの本格的なサバイバルゲームなど、地球人なら大金を出してでもやりたがる最高のエンターテインメントである。現代っ子で娯楽が大好きな遥斗は、あっという間にハマった。
精神的不安感とセットの鍛錬であるヴェラにとっては、なぜ遥斗がこんなに喜んで訓練に向かうのか、いまいち理解できない。しかし、遥斗にとっては、この訓練は一日一回は遊んでおきたい最新のゲームなのだ。
特に小さい頃からクソゲーでも気にせずこなしていた遥斗にとって、攻略難易度の問題など大したことではなかった。
小学生の頃、熊のマスコットが魔球に対してホームランを打ちまくる某フラッシュクソゲーですらクリアした男である。面構えが違った。
「キャプテン・ヴェラ、ミスター・ルトの今日の訓練データ、確認必要か?」
「よし、見せてみろよ、シアルヴェン」
画面に映し出されたのは、遥斗の筋力、反射神経、情報処理能力の推移グラフだった。そのほかにも必要な情報が高速で流れていく。ヴェラはそれを遥斗にも教えた『俯瞰型情報処理術』で把握すると、ふむ、と一人うなずく。
「肉体の成長はまあまあだな。やり過ぎてもデメリットが大きいし、そろそろ現状維持のトレーニングでいいか」
船乗りにとってはつけすぎた筋肉は邪魔になる。無駄とは言わないが、単純なパワーであればそういうスーツや乗り物を使えばいいのだ。
必要なのは、道具を扱い、臨機応変に対応するための最適化された筋力だ。遥斗の場合、男性として少し大きめのパワーを考慮しても、これ以上の大幅な負荷は必要ないだろう。
「しかし……シミュレーション結果はすげえな。この短時間でそこそこの点数を出してやがる。まあ、あれだけアホみたいに訓練してればこうなるか。情報判断力はまあまあだけど、総合値だけはたいしたもんだ。ま、この調子なら、マジで1月巡で形になりそうだな」
ヴェラがそう呟くと、シアが質問を投げかけてきた。
「疑問。能力アップ、戦闘訓練は確かに良い結果。だが、ミスター・ルトは実戦ができるか?」
「どういうことだ、シアルヴェン?」
口元のキャンディをカチリと噛み、眉を上げてヴェラが問う。
「相手が無人であれば問題ない。しかし対人において、彼は相手の命を断つことに躊躇うタイプかと推測。この辺りの訓練の必要は?」
「あー……まあ、あいつは甘っちょろいからな。確かに敵だろうと、殺すことは嫌うだろうよ」
ヴェラはふっと鼻で笑った。しかし、特に気にした様子もなく続ける。
「だけど、心配はねーよ」
「なぜ?」
キャンディの棒が、彼女の指先でくるくると踊る。
「アイツは、確かに善人でふざけたように甘い。人どころかAIですら見捨てられないだろうさ。そんで、敵対者だって余程のことをしてない限りはできる限り殺さないようにするだろう。だが、相手が害意を持っていて、且つ自分の大切な何かを守るためなら、自らの意思でためらいなく人を殺せる側の人間だよ」
「……理解不能。現状の情報でそのようには判断できない。理由を求める」
シアの問いに、ヴェラは一瞬の沈黙の後、肩をすくめて答えた。
「勘だ」
「勘。人間が経験の積み重ねから瞬時に最適な結論を選ぶ能力であり、しばしば理由なき確信として陥る錯覚。この場合、前者ではなく後者だと推測」
「ああ、そうだ。だが間違いねーよ。どうしようもないと分かれば躊躇わず引き金を引くし、外道相手なら復讐だってするだろうな。悪いことをしたという後悔もしない。だけども、そうするしかなかった無力な自分が情けなくて、後からめそめそと泣くタイプだ。できれば今度は殺さないで済むように、ってな」
「行動原理が理解不能」
「まあ、お前はそうだろうな。だが、こういえばわかるんじゃないか?」
ぴ、とキャンディーの棒をコックピットルームの壁に並んでいるレリーフに向ける。そこの一つに、一人の壮年の男が描かれていた。
「アイツは、爺ちゃんと同じタイプだ」
「Aisa、ミスター・ルトについて深く考えてはいけないことを理解」
「はええな!」
「キャプテン・ジャーナックとは、そういうものであったことを通達。主に理不尽さで」
「お前、データ受け取ったせいで、少しシアとルトの影響受けてねーか?まったく……変なノイズをシアルヴェンにまぜるなっつーの」
ヴェラは呆れたように笑いながら、新しい飴を取り出して口にくわえる。今度の飴は、少し苦いコーヒー味だった。
一方そのころ、その遥斗はというと――
「うーん、うーん、全身がバラバラになって肋骨にひびが入って倒れてる俺の上でスギコ・ゴージャスがコサックダンスしとる……」
地獄の筋肉痛で、道路で車に引かれて死んだカエルのようにベッドに這いつくばっていた。
「KENO。ルト様の上に巨体の女装タレントはいません。筋肉痛による幻覚と判断」
「ケーノ……たしかそれ否定の意味だっけ……うがががが、地獄の筋肉痛ががががが!いま二十院ヒバルのタップダンスが加わったんですけど!?」
「だから本日はもうやめるべきと言ったのです。生体活性剤の効果とスーツの負荷を考慮して最適なバランスで訓練プログラムを作っているのですから。なのに、あと一回、あと一回だけ、ショートプログラムでいいから、はもうやめてください。私は基本的に貴方には逆らえないのですよ」
「あい、しーましぇん」
「それから明日はトレーニングは早く切り上げて帰ってくださいね。具体的には21時までに」
シアの突然の要求に、遥斗は一瞬だけ痛みを忘れたように、きょとんとした顔で問い返した。
「……?その時間、なんかあったっけ」
「私のライブ配信がありますので。リンカーズの皆様がVチューバー、シア・ルヴェンを待っているのです。今週はまだ『こんシア』と言えてません」
「挨拶とファンネームができてる!?」
「ルト様もいつかマスターとして出演してくださいね。アバターの作成はまかせろー、バリバリ」
「出るかポンコツ!!」
なおチャンネル登録数はすでに150万人を突破しているそうである。
面白いと思った方は是非、高評価とチャンネル登録をよろしくお願いいたします。




