第69話:問われる覚悟と覚悟がない男
火星を思わせる赤茶けた荒野に、遥斗は一人立っていた。全身を覆う漆黒のスーツは、体にぴたりと張り付き、重力に抗うかのようにずっしりと体に馴染む。フルフェイスのバイザー越しに広がるのは、乾いた砂塵が渦巻く、殺風景な砂漠の景色。空気は薄く、ヘルメット内で湿った息を吐き出す音だけが、耳に響いてくる。
プシュン!ドン!
「でえええええっ!?」
視界の端で何かが光り、反射的に体をひねると同時に耳元で爆発音が響き、遥斗は悲鳴を上げながら地面を転がった。数センチ先を、ドローンのような飛行物体から放たれた青白い光線が、灼熱の光跡を残して掠めていく。遥斗は慌てて起き上がり、手にした無骨な形状のプラズマ銃を構えると、狙いを定める暇もなく、引き金を引いた。
シャ、シャ、シャ、シャ、と空気を切り裂くような音が4回。しかし、発射された光線が命中したのはわずか1機だけだった。残りの機体は、遥斗を嘲笑うかのように無数の光の粒となって彼の周囲を飛び回り、包囲網を狭めていく。
(くそっ、どうすればこの状況を切り抜けられるんだ……!)
額に汗が浮かび、心臓が激しく脈打つ。遥斗は必死に周囲を睨み、打開策を探るが答えは出ない。
(考えろ考えろ考えろ!)
そう自分を追い込むが、息は荒くなり、バイザー内のモニターは警告表示を点滅し続けている。
(まずいまずいまずいまずい!)
遥斗は確実に追い込まれていた。絶体絶命の状況に陥った理由は――数時間前に遡る。
親子丼もぺろりと平らげ、リンゴを丸かじりしてご満悦のヴェラと向き合いながら、遥斗は新幹線爆破未遂事件に巻き込まれた話をした。いやあ、助かってよかったと笑っていると、ヴェラの瞳はいつもの好奇心に輝くそれではなく、代わりに獣のような鋭さを帯び始める。そして彼女から、突然、とんでもない言葉を投げつけられた。
「よし、訓練すんぞ、ルト」
「はい?」
遥斗は思わず出た疑問符を返す。だが、ヴェラはにらみつけるような顔で言葉を続けた。
「筋トレ、反射神経訓練、情報処理訓練から始まって、判断訓練、敵対者の無効化、武器の使い方、そういったもんだ。最低限を短期間で仕込むからな。ぶっちゃけこれからはしばらく地獄見る覚悟しとけ」
その剣幕に、遥斗は思わず後ずさった。ソファに背中がぶつかるが、それどころではない。
「ま、まてまて!?なんでそうなるんだ?俺なんかしたか?」
「何かしたかじゃねえ。何もしてねえから腹立ってんだよ。お前、命の危機に遭っておきながら、ヘラヘラしてんじゃねえよ」
ヴェラの声は、怒りでかすかに震えていた。その眼光は、まるで自身の縄張りを荒らす者を見つけた獣のようだ。そのただならぬ空気に、遥斗の肩に乗っていたリケは小さく震え、そっと彼の首にしがみつく。
「ヘラヘラってわけでもないんだけどな。それなりに焦ったしさ」
「ならなおさらだ。宇宙じゃ、そんな甘い危機より遥かにヤバいことが起きる。準備もなしに命を危険に晒すバカがどこにいる? 船乗りは、自分の命は自分で守る。それが鉄則だ。なら訓練しておくに越したことはない」
遥斗は、少し引きながらも言葉を返す。
「と言われてもなあ……さすがに地獄見るとか言われたら引くんだけど」
(まあ、俺がいなくなったらヴェラの借金返済計画はパーだ。地球のどら焼きや牛丼も、二度と口にできなくなるし、そりゃ怒るよな……)
勝手に納得しかけた遥斗を、ヴェラは見透かすように睨みつけると、さらに真剣な顔で言い放った。
「今お前が何考えたか、なんとなくわかる。だがそうじゃねーよ。宇宙でクルーが死ぬなんて、珍しいこっちゃねえ。だがな、だからこそアタシら船乗りは神経を尖らせて宇宙を行くんだ。できる限りの準備をして、な。だっていうのに関係ないところで簡単に死にそうになってんじゃねえぞ」
ヴェラの射貫くような視線に、遥斗の頭の上で顔を埋めていたリケが、「ケリ……」と小さな泣き声を漏らす。そして遥斗の顔を不安そうに見つめるが、ヴェラの真剣な表情に彼は何も言えなくなっていた。
「死ぬならアタシと一緒に宇宙で死ね。未知の星で冒険しながら死ねよ。そりゃお前だって、アタシの知らないところで命をかけなきゃいけないことはあるだろうさ。だから、できるかどうかじゃねーんだ。その気概だけは持っとけってんだ。それすらできないなら船を降りろ。言っとくが、これだけはゆずらねーぞ」
遥斗は言葉に詰まった。
ヴェラの顔は、これまで見たどんな表情よりも固く、その意志は強く感じられた。そこに、いつもの豪快で気さくなヴェラの姿はない。
「お前の目的は宇宙を見たい、いろんな星を観光したい、いろんな道具が欲しい、だろ?それならアタシが安全だと判断した場所で適当に宇宙旅行気分を味わわせてやるよ。星だってザルティス程度には安全な星でなら観光案内してやる。道具だってカタログでもつくって選ばせてやる。それでもアタシらの関係は変わらねえし、今までの約束も違えねえ。それでいいだろ」
ヴェラは「それが、最初にお前が望んだビジネスパートナーってやつだろ?」と口をへの字に曲げながら、ふん、と不機嫌そうに鼻息を立てる。
遥斗は考える。
ヴェラの言っていることは正しい。自分はただの観光客気分でここまで来たし、ガルノヴァの技術に驚き、地球の食べ物を武器に借金返済を手伝うパートナーになっただけ。
だが――ここで引いていいのだろうか。
「いっとくが、こう言われて引けなくなったからって、慌てて『訓練します!』なんていってもアタシは認めねえぞ?そうする理由がお前にはねえはずだ。それでもそうすることを選ぶなら、なぜそれを選ぶのかアタシを納得させるだけの理由を言ってみせろよ。1シクタ(66分)だけ時間をやるよ」
「……わかった」
遥斗は考える。
普段、考えてもわからないことは2秒で考えるのを止めるのが彼の主義だ。だが、これは自分がどうしたいか、であり、深く考えるべき問題である。
だから、遥斗は考えた。考えて考え抜いた。長い時間をかけて考えた。
「ヴェラ、その訓練受けるわ」
「はええな!?」
遥斗のシンキングタイムは、きっちり10秒だった。ヴェラの目が見開くが、遥斗は肩をすくめてそれを受け流す。
「うーん、といっても、自分のことだしなあ。選択肢がもっとたくさんあるなら考えるけど、やるかやらないかだし」
「いやまあ、いいんだけどよ。理由はなんだよ。生半可な理由だったら許さねえぞ?」
「だって訓練受けなきゃヴェラと一緒に宇宙で冒険できない、させないってんだろ?じゃあやるよ」
「あのなあ……適当な理由は、妥協の理由は許さねえっていっただろうが」
「適当か?俺はお前と一緒に宇宙を回ってみたい。そのほうがただの観光地巡りより楽しそうだし」
遥斗の言葉に、ヴェラはぽかんと口を開ける。
だが、次第に彼女の顔から怒気が滲んでくると、リケが怯えたように遥斗の背中に隠れた。
「……お前、宇宙舐めてんの?楽しそう、でアタシのクルーになる理由になると思ってんのか!?」
テーブルに手を叩きつけながら叫ぶヴェラ。
しかし遥斗はといえば、そんなヴェラとは対照的に、いつもどおりの気の抜けた顔のまま頬をかいた。
「……って言われてもなあ……なあヴェラ、逆に聞きたいんだが」
「なんだよ?」
「面白そうだから、以上に理由って必要なのか?じゃあなんでヴェラは宇宙に憧れて、宇宙に出たんだよ」
遥斗はただまっすぐにヴェラを見つめ続ける。
ヴェラは言葉に詰まり、少しの沈黙の後、低く呟いた。
「……それで死んでもいいってのか?」
「まさか。死ぬのは嫌だな。だから訓練するんだろ。ただ、それで宇宙に出た結果、死んだとしてもそりゃしょうがないだろ」
「宇宙で理不尽に死ぬ覚悟があるってのか?」
「ないね。死ぬ覚悟なんてさらさらない。『こっち』以外だって、やりたいこと、やらなくちゃいけないことはあるしな。だから安全ルートがあるならできるだけそれを選ぶし、逃げるときは俺はすぐ逃げるぞ。そんで逃げ損ねたら最後まであがく。それでもダメなら、死ぬ間際にでも宇宙に出たことを後悔して泣きわめくよ。でも――仕方ねえだろ」
「何がだ?」
「それ込みで、宇宙に魅せられたんだから。シアルヴェンと、お前と宇宙に行きたいと思っちまったんだから。ヴェラは違うのか?」
遥斗はそう言うと、心底不思議そうにまっすぐヴェラを見据える。
遥斗は自分の考えが、ガルノヴァの常識からはズレていたとしても、ヴェラの感覚とズレているとは微塵も思っていなかった。
なぜならヴェラの輝きはそこにこそあるし、そういうヴェラだから自分は人として惹かれているからだ。
だから、ヴェラがそんな当たり前のことを、わざわざ自分に問うてくるのが本当に不思議だったのだ。
長い沈黙の後、ヴェラは目を細めると、ため息をついた。
「………不合格。そんな大馬鹿な理由のやつを、まともなキャプテンは自分の宇宙船に乗せねーよ」
「げ」
「……だが、補習代わりにみっちり訓練すりゃ、おまけでギリギリ合格にしてやる。ほら、シアに船内マップ送るから、先に訓練ルームにいってろ」
「……Aisa!」
そう笑いながら答えた遥斗が足早に去ると、コックピットには再びヴェクシス機関の振動だけの静寂が戻ってくる。
ヴェラは一人になると、顔を押さえながら呟く。
「楽しそうだから、だあ? そんで、アタシは違うのか、だって? ふざけたヤツだぜ」
独りごとに、苦笑が混じる。
ヴェラは大きなため息を吐きながら、天井を仰ぎ見た。
「……そのとおりだっつーの。まともな船乗りとしちゃ不合格だが、アタシのクルーとしては満点だよ、大馬鹿野郎。……はははは!あはははははは!」
ヴェラはそう呟くと、こみ上げる不思議な感情に、ついに耐えきれなくなったようにその場で大爆笑をする。
しばらくして彼女の笑い声が静寂に溶けていくと、ヴェラは不意にテーブルの片隅に視線を向けた。そこには、以前遥斗からプレゼントされた波花の箱がある。木目に滲む虹色の輝きは、彼が持ってきたときよりは小さくはなっているが、その美しさは変わっていない。
ヴェラは手を伸ばして、それにそっと指を滑らせる。
「……ほんと、どこからこんなヤツが湧いて出たんだか」
苛立ちにも呆れにも聞こえる、そんなため息。
彼女はゆっくりと立ち上がると、波花の箱から視線を外し、遠くを見つめる。
コックピットのスクリーンには、どこまでも孤独な、星々が煌めく美しい宇宙が広がっている。
見慣れた宇宙だ。ずっと見てきた景色だ。
なのに、今は一人でそれを見ていることが少しだけ寂しくもある。
ヴェラはもう一度だけ箱を突いたあと、そんな感傷を振り払うように、顔を叩いて気合いを入れた。
「……さて、それじゃ――ルトに地獄をみてもらうとするか」
そう言って彼女は唇の端を吊り上げると、訓練ルームへと続く通路へ迷いなく足を踏み出していった。
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頂いている感想については、感想返しは出来ていませんが、すべて読んでめちゃくちゃ喜んでます。
感想を返すよりは少しでも早く次の話を書いたほうが皆さんが喜んでくれると思い、本編の進行を進めています。
基本的に自分が読みたいものを書いていますが、皆さんの反応、高評価は執筆に対して非常にモチベーションになります。本作が気に入られた方は、ぜひブクマ、☆評価をいただければ幸いです。
これからもよしくお願いします。




