第68話:俺が本物の丼ってやつを食べさせてやりますよ。
話を終え、ヴェラとの会話は栗どら焼きの話題に戻った。結局、明日の夜(日本時間)に持ってくることを約束すると、彼女は安堵したように落ち着きを取り戻す。
「じゃあ、今ある分のどら焼きを出してくれよ。今日はそれを楽しみに何も食べてないんだ、腹減って腹減って……」
「待て待て、そんならちょうどいい。今日は朝飯を持ってきたんだ。俺もまだだから、一緒に食べようぜ。どら焼きはデザートってことでどうだ?」
遙斗の言葉にヴェラは目を見開いて反応する。
「飯?……前に食べさせてもらったあれか!コメとかいう穀物に黒いシートが巻いてあって、中に合成肉とか魚が入ってたやつ!あと黄色いのとかあったやつか!」
ヴェラの緑の瞳がキラキラと輝く。獲物を狩る前の猫のような目から、プレゼントの箱を開ける子どもの目に変わったのを見て、遥斗は笑いながら首を振った。
「いや、今回のはそれじゃない。それに、食べさせてやったんじゃなくて、おまえが勝手に食べたんだろ」
「そ、それは悪かったって!でも、理由はどうあれ密航者なんて、普通は身ぐるみ剥がされるんだからな!あれでも相当扱いがよかったほうなんだぞ!な、シアルヴェン!」
『はい。密航の賠償は非常に重いものです。通常、密航者は財産で賠償できないため、「手持ちの財産で見逃してもらえる」のは、本来破格の待遇です。そうでなくても、「船の記録に残っていない人間」である以上、殺されてもばれないという意味では、生殺与奪の権は船の主のモラルに握られています。キャプテン・ヴェラのミスター・ルトに対する対応は、この手のケースでは非常に寛大であると言えるでしょう』
「ガルノヴァ怖い。科学文明はめちゃくちゃ進んでるのに、その辺は結構荒っぽいんだな……」
シアと同じで嘘をつかないシアルヴェンがそう述べたということは、本当なのだろう。
背筋に汗を感じながら、遥斗が少し引き気味になっていると、シアが反応した。
「それは正しくもあり、間違いでもあります。確かに地球、特に日本と比較すると、ガルノヴァは人権のような概念は希薄です。しかし、密航はそれだけ重い罪なのです。船の主にしてみれば、周囲に助けが一切来ない状況で、管理されていない人間が入り込んでいるというのは、喉元にナイフを突きつけられているようなものです。それによって計算が狂い、事故が起きたり、予定していた食料が足りなくなったりするリスクまで与えているとなれば、ルト様が遭遇した新幹線爆破未遂の犯人と同じようなものです。被害者からすれば、袋叩きにしてもおかしくありません」
「え、俺、そういう扱いだったの?」
遥斗は思わず身震いし、驚きの声を上げる。
「はい。当時の記録では、ルト様は堂々と船内を歩き、隠れる気がないように見えました。その行動は『船内の者に見つかっても殺すつもりだから構わない』と解釈されかねません」
なるほど、そういうことか、と遥斗は納得した。ヴェラからすれば、あの時の遥斗は「他人の家に勝手に乗り込んできた、強盗や殺人をためらわないであろう人間」なのだ。そりゃ初手で撃たれても文句は言えない。麻痺銃だったのは、本当にヴェラのモラルによるものだったのだ。
「まあ、それはもういいだろ。今、爆破事件に巻き込まれたとかいろいろ聞きたいことはあるけど、それは食べながらでも聞くか。で、前のとは違うって、何を持ってきたんだ?」
「ああ、牛丼と親子丼」
「ギュウドン?オヤコドン?」
遥斗は床に置いていたコンビニの袋から、牛丼と親子丼を取り出した。紙製の容器がコックピットの金属製テーブルに軽い音を立てて置かれる。
「これだよ。両方食べていいぞ。俺はもう一つ買ってある牛丼を食べるから」
ヴェラは不思議そうに丼を覗き込み、鼻をひくつかせた。透明な蓋越しに、ぎっしり詰まった肉と、親子丼の黄色い卵がよく見える。
「こ、これはどんな食べ物なんだ?なんか合成肉のジャーキーと、黄色い餡が詰まってるように見えるけど」
「簡単に言うと、丼っていうのは、米の上にいろんな食材を乗せて食べる料理だ。牛丼は牛っていう動物の肉を煮込んだものを乗せたもので、親子丼は鶏の肉を溶いた卵で煮込んだ料理だ。成鳥と卵を一緒に食べるから親子丼っていう。シアにデータ送らせるから、詳しいことはあとでシアルヴェンに聞いたら?」
遥斗の言葉に応え、シアが即座にシアルヴェンに情報を送りつつ、ホロスクリーンを投影する。
「ちなみに牛というのはこういう生き物ですね。親子丼の鶏は、このような鶏という種類の鳥の肉と卵が使われます」
スクリーンに映し出された牛と鶏の映像を、ヴェラは食い入るように見た。すると彼女の鋭い目が大きく見開かれ、顔から血の気が引いていく。
「い、生きてんのか……DNAデータから再現した合成肉でもなくて、培養やクローンですらなく、ちゃんと生殖行為や精液と卵子から生まれたやつかよ……やばすぎんだろ……震えてきた」
「何が?」
「だ、だって、ちゃんと生まれた動物を殺して、その肉を食べるんだろ!?こうして生きてるのを見ちゃって思ったけど、ぼ、冒涜的すぎじゃね?」
「あ、あー……そ、そうか。地球でもヴィーガン思想とかあるしな……ヴェラもそういうのが気になっちゃう感じだったか」
命に感謝して何でも美味しく食べる遥斗的には、ヴィーガン思想は理解しづらいが、他人にまで強制してこないのであれば、そういう生き方や考えを否定するつもりはなかった。もしヴェラも実際に生きている動物を見たことでそのようになったなら、それは尊重しようと遥斗は思う。
「それなら、リンゴでも食べるか?これ、お隣さんにもらったのを持ってきたんだけど、これなら食べられるだろ」
遥斗はリュックをあさり、ビニールに入ったリンゴを取り出してヴェラに見せる。だが、それを見たヴェラはさらに顔を青ざめさせた。
「こ、これって天然物の果物か!?」
「天然っていうと俺のところじゃ意味が違うんだけど……果樹園で育てて収穫したもんだよ」
肉と変わらぬようなヴェラの食いつきに、遥斗は、少し面食らったように首を傾げて答える。
「じゃあマジで天然物の果物か!チップとかエキスじゃなくて、ヴェクシス汚染のない果実そのまんまって……ぼ、冒涜的すぎる!」
「え?」
「え?」
遥斗は、ヴィーガン思想に目覚めたわけではないのかと混乱した。
「いやあの、生きてる動物を見て、ヴィーガンに目覚めちゃったとかじゃないの?」
ヴェラは、そんな遥斗の眼差しに、きょとんと不思議そうに見ながら首を傾げる。
「完全菜食主義?なんだそれ。わざわざ食べるものを縛る意味が分からんけど、その植物や果実を食べるのも十分冒涜的じゃね?」
「ん?」
「んん?」
船内がしんと静まり返る。固まったように見つめあう二人。そんな中、シアがその沈黙を破った。
「ルト様、おそらくですが、キャプテン・ヴェラの言っている『冒涜的』とは、ルト様が考えている意味とはニュアンスが違うと思われます」
遥斗は混乱しながらも、ヴェラに問いかける。
「そうなの?えっとヴェラ、いったい何がそんなに気になるんだ?」
「だってよ……」
ヴェラは震える声を押し出しながら、続ける。
「ちゃ、ちゃんと育てた動物なんて、連邦中探してもほとんどいねえぞ!?しかも生み出すのにヴェクシス技術が使われてない完全な天然物で、連邦のデータベースにあるかどうかも分からないこんな大型動物なら、数十万カス……いや、数百万、それどころか一千万カスでもおかしくねえ!そ、それを殺して肉にして食べるなんて……このギュウドン一つでいくらだよって考えると、震えが……ごきゅり」
我慢できなくなったのか、ヴェアは唾を飲み込んでから、今度は親子丼に目を向けた。
「そ、そんでこっちのオヤコドン!こっちは成長すれば増やせるかもしれない卵を、成鳥と一緒に煮込むとか!果実も未加工のまま食べていいとかやばすぎだろ!……こ、これをリゾート星の連中に売ったら、いくらになるか……ごきゅり!」
「あ、はい」
遥斗は、顔をスンとさせながら虚空を見た。ヴェラの言う「冒涜的」とは、倫理観や思想ではなく、単に経済的価値、希少性に対する尻込みだったらしい。
まあたしかに、もし遥斗の友人が「これお土産」といって数億円する希少な鳥や動物の肉を持ってきて、「これで鍋でもしようぜー」などと言ってきたら、今のヴェラみたいな反応になるかもしれない。
「どちらかといえば、焼き肉を食べに行ったらリョコウバトや恐竜の肉を出されたようなものでは」
「どっちも絶滅してるじゃん……でもヴェラ的にはもうそういうレベルか。そりゃ冒涜的にも感じるわ」
遥斗が一人納得していると、ヴェラは震える手を丼に伸ばしながら、叫んだ。
「あかん、ルト、もう我慢できねえ!く、食っていいよな!な!?」
「あ、はい。どうぞ。でも、まずは温めろ。美味さが格段に違うぞ」
「か、格段に……!?わ、分かった!」
ヴェラはシアから伝えられた情報をもとに、合成素材用の自動調理装置の温め機能で、最適な温度にする。
「こ、これでいいんだよな?く、食うぞ?食っちゃうぞ?」
そうは言うものの、待つ気は全くないようだ。視線はホカホカと湯気を立てる牛丼と親子丼から全く離れず、威嚇するように歯を食いしばっている。
「ああ、お前にあげたもんだから食べていいよ。あ、牛丼も備え付けの卵混ぜるといいぞ。箸が使いづらければスプーンもあるから使え」
「こ、こっちにも卵が!?ど、どうやって割って……そうやるのか!そ、それを少し崩して、ウシの肉とコメを一緒に口に……」
ヴェラは遥斗の所作を見ながら、慣れない手つきで卵を割り、牛丼に落とした。そして箸をかなり器用に使って牛丼を差し込み、持ち上げる。遥斗はスプーンも用意していたが、最適解を知る遥斗に倣ったようだ。
そして、遥斗を真似するように、器に顔を近づけて二本の棒を使って口の中に放り込んだ。
「もしゃり………! ☆▽〇※×▲◎!?」
口に入れた瞬間、ヴェラの瞳が大きく見開かれる。
米の甘み、肉の旨味、玉ねぎのほろ苦さとタレのあまじょっぱさ。脳が処理しきれないほどの旨みが舌に広がり、彼女の体が微かに震えた。どうせ安い加工をしたところで満足感がたいして膨らまないからと、料理するという概念すら粗雑になってしまったこの世界で、食事をするとはこういうことだと突き付けてくるような、暴力的な喜びがヴェラの体を突き抜けていく。
「うっっっっっめえええええええええ!肉から旨味がじゅわっとしてよう!コメに卵と肉とタレが絡み合って最高じゃんよ!」
「だよなー」
遥斗は感動に打ち震えるヴェラを尻目に、適当に相槌を打ちながら、自身の牛丼に紅ショウガをパラパラとかける。
自分の牛丼に集中していたヴェラだが、この場においては食の伝道師と言っても過言ではない遥斗のその行動を、彼女は見逃さない。
「ま、待て!ルト、それは何だ!?い、今、何をかけた!?」
「紅ショウガですが、なにか?これをお好みで入れると、程よい刺激が加わって飽きが来なくなるんだよねー」
「そういうのは早く言えよおおおお!こうか?このくらいか?……そ、そんでこの赤い糸みたいなのを肉と米と一緒に……ぐわぁつぐあつぐあつ……!?」
一心不乱に咀嚼していたかと思えば、そのまま体が固まってしまい、かと思えば口だけもっしゃもっしゃと動かしながらはらはらと涙を流している。
そしてそのまま思わずといった様子で拳を突き上げた。
「うあああああん!おいバカ!こんなん最強じゃねーかよおおお!うあああああん!」
ヴェラは拳を下ろすと、泣き声でぐずりながら再び夢中で牛丼を口にかきこんでいく。遥斗は今回は自分の分もちゃんと食べることができているので満足感に浸りながら、口福で感動しているヴェラをニコニコしながら見守った。
「親子丼の七味添えもあるぞ!」




