第65話 全て気のせいです
シアからの報告を聞き、背中に冷たい汗が伝う。
遥斗は深呼吸を一つして心を落ち着けると、ゆっくりと問いかけた。
「なあ、シア。どういう考えでそんな方法をとったんだ?」
「間違っていましたか? 命じられたことには反していないと思いますが」
落ち着いてから声をかけたはずだが、思わず声が上ずった。シアはそんな遥斗の様子は気にした様子もなく、淡々と答える。
遥斗がシアに頼んだのは、犯人の過去の犯罪、行動の証拠を掴んで突き付け、逃げられないことを示して自首を促す、というものだった。もしそれでも応じないなら、それを暴露するのも最終手段として許可すると伝えていた。
ところが、シアが犯人をオカルトじみた、そして黒歴史の公開やパソコンのNTRというよくわからない方法で精神的に追い詰め、自首に追い込んだというのは完全に予想外である。
間違ってはいない。
過去の犯罪や行動の証拠は突き付けてるし、目的の自首は達成しているし、シアのことだから証拠も一切残してないのだろう。
ただ、ぶっちゃけ怖い。
これ、シアは怒らせない方がいいな、と思ったのは言わないでおく。
「でも、あえてこの手法を取ったのはなんで?」
「日本のインターネットミームやエンターテイメントから学習しました。これほど効果があるとは、私にも予想外でした」
「予想外?これが有効だと思って使ったんじゃないの?」
「いくつかの候補のうちの一つにすぎません。この星の論文などから、心理的アプローチである程度有効であるとは思っていました。ですが、あくまで実験的な要素が強かったのです。ダメならただ犯罪記録を公表する形で追い詰める予定でしたが、そうするまでもなかったようですね」
「こういうのって、ガルノヴァでは論文とかないの?」
「ほぼないですね。中央あたりではあるのかもしれませんが、キャプテン・ヴェラは特に興味がないようでアクセスしておりません。お金もかかりますし。そういう意味で言えば、地球は非常に情報が多彩ではあります。数ではなく種類という点で」
聞けば、遥斗が暮らす地球は、技術文明のレベルではガルノヴァに比べて確かに圧倒的に劣ってはいる。
しかし、人間心理に特化した情報やエンタメの分野では、ガルノヴァが持ち得ない独特の体系を発展させているという。
というのも、ガルノヴァでは技術的なものは貧困層含め気軽にアクセスできるのだが、技術の発展以外、とくに生産的でないとみなされるものについては娯楽に近く、コストがかかるのだという。
文化そのものは多彩ではあるが、エンタメとしてはあまり種類がないそうである。
そのため、学術論文なども主に新しい技術、効率化に関するものが中心で、社会学や人文学的な部分は評価が低いそうである。
もちろん、ごく一部の地域や、中央やリゾート星などはそうでもないらしいが。
「なので、地球、特に日本の文化は非常に興味深いですね。ある意味でガルノヴァの人々は生き急いでいると、私は考えるようになりました。ルト様が私をネットの海での活動を推奨されたことが、私を成長させています。本当に、ありがとうございます、ルト様」
「あ、はい」
そう言いながら、遥斗は背筋が凍るのを感じた。
遥斗はこれまで、ガルノヴァは地球よりもはるかに進んだ世界なのだから、あらゆる学問や技術、知識が地球のそれを上回っていると漠然と考えていた。しかし、どうやらそうではないらしい。そういえば、ザルティスでも高度な技術で作られた道具で子供のように街中をジャンプして遊ぶなど、どこか原始的な楽しみ方をしていたのを思い出す。
それに、マーケットや商業施設を歩き回ったが、娯楽的なものはカジノ程度しか目にしなかったのも引っかかっていたことだ。
もしかしたら、ガルノヴァには何か特別な理由があって、そのような文化が発展していないのかもしれない。もし、ガルノヴァの高度な技術と日本のHENTAI的な文化が結びついたら、一体どんな化学反応が起きるのだろうか。
遥斗にはまったく想像がつかない。
「もしかして、俺、シアにヤバいものを教えてしまった……?」
彼はしばらく「ううん……」と悩む。だが、いつもどおり二秒で考えるのをやめることにした。
別にそれが悪いことになると決まっているわけではないし、いまさらやめろとも言えない。
だったら、なるようになれである。
さて、とりあえず、このことはもう頭から消して、ヴェラに会うためガルノヴァへ行くことにする。
昨夜はトラブルと疲労でぐっすり眠ってしまい、ろくに準備ができていなかった。彼は急いでリュックに荷物を詰め込む。そこにはエリドリアの仲間たちが作ってくれた手芸品もお土産に持っていくことにした。これらは地球の糸や布地を使ってはいるが、マレナが刺繍してリーリーが魔術刻印を縫いこんだものである。色鮮やかな刺繍の小物や、素朴な編み物。それらは神秘の力を秘めながらも、どこか温かみのある不器用さが感じられる。地球の素材を使いエリドリアで作られた魔法の品が、ガルノヴァの技術者であるヴェラにどう映るのか、ちょっと楽しみだ。
ついでに、最近買ったタブレットを手に取る。ヴェラに改造してもらえば、シアの能力を十全に発揮できるかもしれないと考えながら、リュックに放り込んだ。
一通りの準備ができた後はシャワーを浴び、昨日の服や通勤用のバッグの中身を整理していると、お守り代わりに持ち歩いていた、エリドリア製の魔術刻印が入ったアミュレットが目に入った。それは、先ほどお土産に用意したものと違い、完全にエリドリアの素材だけで作られたものだ。
これもお守りとして持っていこうとしたとき、ふいに気になったものが目に入った。
「あれ?糸が切れてる?」
よく見ると、『風の囁き』のアミュレットに施された刺繍の一部がほつれ、糸が切れていた。
いつ切れてしまったのだろうか。
「うーん、やっぱり向こうの糸や布は品質的に良くないのかな……。あとでリーリーさんに直してもらおう」
そう呟きながら、脱いだ洗濯物を籠に放り込んだ。
さて、最後の問題はヴェラにとって必須のどら焼きだ。
昨日はトラブルで買いに行けず、いつも行く銘菓店の栗どら焼きも手に入らなかった。
今日は定休日で店は休み。仕方なく、コンビニかスーパーで普通のどら焼きで我慢してもらおうと決める。
急いで着替えてコンビニに向かうと、新聞コーナーが目に入った。
トップ記事は昨日の新幹線爆破未遂事件。どの新聞も深刻な見出しが並ぶ中、どこぞのスポーツ新聞だけが異彩を放っていた。『参上!マスク・ド・ケリテテス!』という派手な見出しで、謎のヒーロー特集が組まれている。
「お、ワンパーツの新刊出てる……あとで電子書籍で買うか」
遥斗は現実逃避して視線を泳がせた。
とりあえず、どら焼きを棚にあるだけ買い漁る。コンビニだと粒あんタイプでしかも小さめのものしかないが仕方ない。ついでに羊羹やシュークリームもセットでカゴに入れた。朝食を用意していなかったので、キャンペーンで割引になっていた丼物も買う。昨夜から何も食べていなかったので、がっつり食べたかったのだ。ヴェラの分も一応買っておく。
『電子レンジでしたら、シアルヴェンの自動調理システムで温めることが可能ですので代用できるかと』
温めはどうしようか考えていると、シアが助言してくれた。
なるほど、それなら向こうで温め直せばいい。牛丼二個と親子丼を一個買っておく。どうせヴェラは両方食べるだろうし。
部屋に戻り、準備は全て整った。
準備が整い、遥斗は押し入れの前に立つと、リケが肩で「ケリリリ?」と鳴く。
遥斗はリケの小さな頭を軽く撫でながら話しかけた。
「リケ、これから行くのはお前が生まれたエリドリアでも、俺が住む日本でもない、別の世界だ。向こうにも人がいるから、仲良くしてな」
「ケリ!」
リケは嬉しそうに鳴き、遥斗の頬に小さな手を擦りつけた。
その時である。
遥斗は押し入れに背を向けていたので気づかなかったが、扉はどこか異様な雰囲気をしていた。
なんというか、あえて擬音で書くならば「にちゃぁ……」だろうか。
これから起こる悲劇、いや喜劇をあざ笑うかのような、そんな邪悪な雰囲気を漂わせている。
ついでに何が嬉しいのか、不気味に「ぺかー、ぺかー」と光っていた。
「ん?」
ピタッ。
遥斗が気配を感じて振り返るが、そこにはいつもの見慣れた押し入れの扉があるだけだ。
すぐに「気のせいか」と呟き、肩にリケを乗せたまま扉に近づいた。
そしてガルノヴァのこと、ヴェラの豪快な笑い声とシアルヴェンのことを思い浮かべると、いつも通り扉は軋む音を立てる。
だが、そこからがいつもと違っていた。
きしり、と音がしたかと思うと、なぜか扉は「ビクゥ!」と人間が震えたかのように、大きく揺れたのだ。
「ん?なんかいつもより揺れた気がするな。気のせいか?」
「ケリー?」
遥斗は首をかしげる。扉はまるで、
『なんでこんなとんでもねーのがここにいるんだよおお!』
『向こうの!何お前コイツ通してんの!?何考えてんの!?』
『寄越すならせめて番候補のメスだろ!やめろ!お前くんな!こっちくんな!』
とでも言いたげに、ガタガタと震えている。
もちろん扉がそんなこと言うわけはないので、あくまで比喩である。
比喩なのだ、いいね?
「地震かなあ?」
スマホで地震情報をチェックする。そういえばエリドリアでは地震なんてないのかな、とどうでもいいことを考えながらスマホに視線を落とす。
その瞬間、扉は震えるのをやめたと思うと、なぜか再び光を放ち始めた。
それは扉が
『ふはははは!向こうの!貴様も我と同じ思いをするがいいさ!』
と叫んでいるかのようであるが、遥斗はスマホに視線を向けているため見ていない。
「んー?地震はないか……。近くで工事でもしてるのかな。まあいいや。はよガルノヴァ行こ」
遥斗が目を扉に向けて、そうガルノヴァのことを思った瞬間、扉は再び軋む。
そして今度は『通さぬ!お前だけは通さぬぞ!』とでも言うかのように、謎のオーラを立てて佇んだ。
しかし、遥斗はそんなことに気づきもせず、あっさりと扉を開けてリケを肩に乗せたまま普通に通り抜けた。
当然リケも一緒である。
バタン、と扉が閉まる。
アパートの遥斗の部屋からは誰もいなくなった。
どこかでカラスの「アホー」という声のみが聞こえる室内で、扉は「ずーん」と黄昏ていたが、やがて「シクシクシク……」と泣いているような雰囲気を残しながら、静かに消えていった。




