第64話 B(僕が) S(先に) S(セットアップしたのに)
深夜、漫画喫茶の椅子で目を覚ました吉沢は、全身の痛みを感じながらも、頭はいくらかすっきりしていた。
どうやら、自分はあまりの疲労で気絶するように寝落ちしたらしい。
「はあ……くそ、よっぽど疲れてたんだな……これも佐々木とあの変態マスク男のせいだ!」
そう呟き、寝る前のあの出来事は、きっと過度な疲労と心労が生んだ悪夢だったと自分に言い聞かせる。
とはいえ、もう自分はこの場にはいたくない。そう思った吉沢は、清算を済ませて外に出た。
喉がカラカラになっていたことに気づくと、店の中のフリードリンクを飲んでから出ればよかったと思いながら、ポケットを探る。
かき集めた最後の小銭で自動販売機から缶コーヒーを購入してアルミ缶を握りしめると、冷たさがじんわりと手に伝わり、ようやく一息をつく。
その後、彼は車を飛ばすと、とある閑散とした産廃の放棄場所に車を放置した。
車はどうせ乗り捨てるつもりだったのだから、それでいい。
彼は簡単な変装用の眼鏡とウィッグをつけてタクシーを乗り継ぐ。
これから向かう拠点に戻れば、高性能なパソコンがある。そこにある大量のデータさえ手に入れば、違法なネットワーク犯罪や情報の売買で再び金を稼ぎ、再起できるはずだ。
新しいキャッシュカードは、免許証でもパスポートでも偽造して作ればいい。国外逃亡もいいだろう。
とにかく今は手持ちの資金で何とかしなくては。
始発が動き始めたことを確認すると、彼はタクシーから電車へと切り替え、目的地の最寄りの駅まで進む。
そして30分ほどかけて歩きひっそりと佇む貸倉庫の一室にたどり着いた。
鍵を開け、冷え切った部屋に入ると、彼は懐中電灯を取り出して部屋を見回した。
部屋の中央には、彼の才能と努力の結晶である、自作のパソコンが鎮座している。それは吉沢にとって、唯一裏切ることのない友だった。なぜなら、ハードのカスタマイズを徹底的に行い、OSもすべて彼自身の手で作り上げた、世界で唯一無二の高性能マシンだからだ。
そして、その周りにはサブとなるパソコン達。
誰もいないことを確認して、電気をつけると震える手でまずサブパソコンの電源を入れていく。ファンが回り始め、吉沢は安堵の息を漏らした。
ここまでくれば、もう安心だ、と。
だが、起動してしばらくたった時、サブパソコン達の画面に突如としてあるメッセージが表示された。
「最後の警告だ。お前はもう逃げられない。安らぎは全ての罪を自白して自首することのみ。無視すれば、お前は全てを失い苦しむことになる」
不意をつかれた吉沢は心臓が凍りついた。
彼は震えながら目をこする。だが、その文字ははっきりと画面に焼き付いていた。
「な、なんだこれは……?」
震える手でブラウザを開くも、開いた直後、すべてのページが警察の通報ページにリダイレクトされた。
さらに、目を離していた別のパソコンは、いつの間にかSNSアカウントを勝手に作り出し、彼が過去に行ったまだ発覚していない犯罪について詳細を告発する内容を次々と投稿しようとする。
「ありえない……!」
吉沢は焦ってパソコンの電源コードに手を伸ばす。だがその瞬間、あることを思い出し、彼の頬が吊り上がった。そうだ、これもキャッシュカードと同じ、サイバー攻撃に違いない。
「ハッカーの仕業か!来るなら来てみろ、俺に勝てると思っているのか」
彼は嘲笑を浮かべ、相棒であるメインのパソコンの前へと体を向けた。
そのパソコンだけはネットワークと物理的に遮断していたため、ウイルスなどのマルウェアもなければ、攻撃を受けたこともないはずだ。
仮に、攻撃を受けたところで、自分と共にあるこの相棒が負けるわけがない。
彼はそのパソコンを起動させる。OSが信じられないほどのスピードで立ち上がった。指を走らせていくつかのキーを押す。画面に真っ黒なコマンドプロンプトが開き、彼が作り上げた「ガーディアン・スフィンクス」という名のハッキング対策ツールが起動した。これは、複数のAIをベースにした侵入検知システム、システム修復と、自動的なネットワークパケットの追跡機能、そして偽のデータストリームを流して相手を混乱させる機能を統合した、攻防一体の吉沢の自作ツールだった。
そしてパソコンが安全になったことを確信してから、彼はネットワークケーブルを繋ぐ。
吉沢の目は血走り、悪魔のような笑みを浮かべた。さらに強力な防衛モジュール『ジャッジメント』を起動した。画面には緑色の文字が滝のように流れ、彼のパソコンが外部からの侵入を遮断し、攻撃元を特定しようとしていることが示される。
ネットワークに繋がったことで、今までおかしな動きをしていたパソコンたちは、その不可解な動きを止め、次々と正常化していく。
それぞれのマシンにもジャッジメントが起動して、コントロールが再び自身のもとに戻ったことを確信する。
「ふっふっふ、お前らがどんな高度なマルウェアを使おうと、俺のシステムはそれを無力化する。逆解析して、必ずお前らを突き止めて、その首を落としてやるぞ。はーははははは!」
狂気が入り混じった声で笑う吉沢。
「はっはははー……は?」
しかし、その自信はすぐに崩れ去ることになる。
まず一台のサブパソコンの画面が勝手に切り替わった。
ガーディアン・スフィンクス、そしてジャッジメントの起動画面は瞬く間に消え、代わりに奇妙なアニメーションが表示された。
それは、名状しがたき謎の生き物だった。触手を伸ばし、目玉一つの冒涜的な姿。そのくせどこかコミカルに踊るように伸び縮みして揺れている。
そして「ケリテテス!」とひとこと叫び、ある方向を指さした。思考が停止した吉沢が視線を向けると、その触手の先にある一台のパソコンが何かをリストアップし始めた。
ドSお嬢様のおみ足ペロペロ!汗だく靴下ご奉仕バトル
爆乳女帝の靴下漬け込みハイヒール責め!M男悶絶匂い監禁教室
汗まみれ女教師の靴下発酵授業~そこの君、勃ってなさい!
美乳清楚少女と工学系アネゴ美女の全裸足相撲~決まり手はもろだし~
ギャル巫女のニーハイ白足袋、汗の塩麹~僕の股間はかしこみかしこみ申す~
他多数!
それを読んでいくうちに、吉沢は気づいた。それは過去に彼が見てきたエロ動画のタイトルとプレイリストであった。
かなりえっぐい性癖である。
割と幅広い性癖の遥斗とも仲良くなれそうにはなかった。
足相撲のやつだけ少し興味を持った可能性があったが。
「え、あ、は?」
フリーズする吉沢の前で、そのPCは「新幹線爆破未遂犯、吉沢直哉の夜のフルコースwwwwwプレイリストが現在流出中wwwww」と108チャンネルにスレッドを立てていった。
「あああああ!?くそがあぁぁ!!」
吉沢はパソコンの電源コードを引っこ抜き、画面がプツンと切れる。
さらに、謎のアニメーションが現れたパソコンも床にたたきつけて破壊する。
「ど、どこから入りやがった!?」
周りを見回せば、回復したはずのパソコンたちが再び次々とおかしな挙動を開始している。
あるタワーPCのモニターは彼の犯行計画をリストアップし始め、あるマシンはファンが暴走して煙を上げ始める。
あるマシンは「自首せよ」「後悔しろ」「えー、変態くすくす」「被害者たちの恨みの声を聴け」と文字が打ち込まれ続けていく。
吉沢はついに絶叫を上げながら、自身が信頼する唯一のマシン以外のすべてを破壊した。
「許さねえ、絶対に許さねえぞ!」
怒りに燃える吉沢。最後の砦はこのパソコンだけだ。
こいつだけは俺の最強にして最高の相棒であり、裏切ることはない、と彼は歯ぎしりをしながら椅子に座る。
「いくぞ、相棒!目にもの見せてやる――えっ」
そのとき、目の前の相棒に、あの奇妙なアニメーションが表示された。
冒涜的な大目玉が、何かごそごそとパソコンを漁るかのような映像が流れると、「ケリテテス!」と叫び、何かノートのようなものを取り出した。
そして、それを開くとノートが拡大され、文章が見えてくる。
「な、な、な、なんで――」
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煩わしい【幻想】に包まれたこの世界で
夜空を穿つ、俺だけの【孤独の証明】。
闇に沈む愚かな群衆たちは、この胸の【刻印】を知らない。
逃れぬ【宿命】に、俺はただ笑う。
崩壊のカウントダウンが始まったとき、
この手が震えているのは恐怖じゃねえ、それは【狂喜】。
ああ……誰も理解らないだろう。
この闇に染まった内なる声を……!
理解されたいなんて思っちゃいない。
「けれど、ただ一度だけでも誰かの魂に届けば――俺は、狂わなかったかもな」(セリフ)
夜空を裂く【流星】のように、
俺は儚くも煌めいて消えるだろう。
それでいい――
すべては、俺が望んだ【運命】だから……。
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「ゲブッ」
それは、彼が中学一年生の頃に書いた痛々しいポエムだった。
直面したくない黒歴史だが、今でも残る厨二心により消すことができなかったファイルである。だっていまだに「ちょっとかっこいい」って思ってるもの。
「な、なぜだ!?この封印されし無垢なる魂には厳重なセキュリティをかけていたはずなのに!……ってああああああ!?」
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愛しき【暁の聖処女】よ
お前の瞳は、俺の【闇夜】を切り裂く刃。
この朽ち果てた世界で、俺だけが知る愛の【真実】。
凍てつく夜の静寂に、俺の心は【慟哭】を響かせる。
お前の微笑みが、俺の胸に【永遠の烙印を刻む】。
それは逃れられぬ【呪縛】となって俺を……
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「ゲッブゥ」
今度は中学二年生の時、好きになった女の子に渡して振られたときの恋文の文面である。
翌日彼女からは辛そうな瞳で
「ごめんなさい、あなたの【真なる闇の愛】は、私の【壊れた現実】とは決して交わらないの。...それが私が選んだ【運命】だから」
と言われ断られたのだ。
実際には「初手聖処女は引くわ。キモイから勘弁して」と言われただけだがそう言うことになってるのだ。
これも消せなかった。いつかこの感覚を理解して受け入れてくれる女に出会ったとき渡そうと思っていたので。
他のマシンには残していない、この信頼するマシンにのみ託したそれは、彼に刻まれた【残響の傷痕】……もとい、黒歴史である。
唐突に突き付けられた過去に、吉沢は血を吐いた。
マジで吐いた。多分胃がやばいことになっている。
そしてなぜかパソコンはスクショツールが起動して、パシャリ!
「お、おい!?まて!やめろおおおおお!?」
叫ぶ吉沢がいくらキーボードを叩いても、パソコンは受け付けない。
「うそだろ!?お前まで!お前まで俺を裏切るのか!?やめろ、やめてくれ!あああああああ!!」
そのとき、パソコンが急にその動作を止める。
まるで、彼の叫びに応えるかのように。
「ああ、ああああああ!」
吉沢ははらはらと涙を流した。
そうだ、この相棒は裏切りなんてしない!
彼女は今、必死に戦ってくれてるのだ!
そうだ、お前となら、俺はどこにだって行ける!
そう、抱きしめるかのようにモニタに近づいたその時――再び画面が切り替わった。
そこには、あの冒涜的なマスクをした変態男がパソコンを叩いているアニメーション。
「え?」
画面の中、マスク男がパソコンをなだめるかのように撫でると、アニメーションのパソコンはうっとりとした様子で画面を揺らした。
そしてマスク男は、挑発するようにニヤリと笑った。
「ほら、忘れちまえよ……あいつのことなんて」
「そ、そんな……だめ、だめなの!」
「でも、ここはダメとはいってないぜ?」
カタカタ、ターン!
「ああっごめんなさい、直哉さん……私、もうだめっ!」
パソコンのモニタが羞恥に染まるかのように赤く色づいていく。
吉沢にはわかった。このマスク男がキーを叩いているパソコンは、俺の相棒の魂なのだと!
「やめろ、やめてくれ!」
叫びながらモニタを掴んで強くゆする。
だが、画面は冷酷にマスク男と相棒との睦み合いを映し出していく!
「ほら、いいだろ?やっちまえよ。俺の指先の動きは、あいつのよりすごいんだろ?
「らめぇ……でもそんなすごいコマンド文で攻められたら、私もう逆らえない……!」
「何言ってやがる、俺はもう何もしてないぜ?……最後は、自分の意思で、な?」
「は、はい……マスク・ド・ケリテテスさん……直哉さん、ごめんね……」
そして目の前のパソコンは、先ほど作ったSNSアカウントにアクセスして、ポエムとラブレターの画像をSNSにドン!
『反省なき新幹線爆破の犯人、吉沢直哉の送る若き頃のラブソング 提供:マスク・ド・ケリテテス』
「ああああああ!」
自分の恥ずかしい過去が暴かれ、全世界に晒されていく。それも、信じていた相棒によって!
その事実に、彼の精神は追い詰められていった。
「うあああああああ!うああああああ!」
彼の声は誰にも届かない。
脳が破壊され絶望した彼は部屋を飛び出した。
倉庫のドアを開けると、空はすでに白み始め、東の空に太陽が顔を出しつつある。
空気の冷たさに、ほんの少しだけ頭は冷えていくが、その冷静さは次の瞬間に打ち砕かれた。
小さな個人商店の店頭。その脇にある無人の自動販売機。通常なら飲み物の広告が流れているはずの小さな液晶画面に、血を流すような赤い文字でメッセージが浮かび上がった。
『お前をみている』
吉沢は息をのんだ。幻覚か?いや、はっきりと見える。
慌てて走り出し、大通りへと出る。早朝で人気がなく、吉沢以外には誰もいない。
駆けだした先には、不動産屋の前に置かれた小さなデジタルサイネージ。
『逃がさない』
「うああああああ!!」
他にも、行く先々で様々なものが彼の罪を告発してくる。
電光掲示板、止まっている車のラジオの音、様々なものが彼を追い詰めていく。
もし、彼が冷静ならば、それらはすべてネットワークにつながったものだと気づけただろう。
だが、彼は完全にパニックに陥っていた。
もういやだ、何も見たくない、聞きたくない。
眼を瞑り、イヤホンの電源を入れ、大音量でスマホから音楽を流そうとする吉沢。だが、耳から聞こえてきたのは音楽ではなく、過去に自分が詐欺で騙した相手の声だった。
「なんで……お前は捕まってないの?」
「俺たちはこんなに苦しんだのに……」
恨みがましい声がイヤホンから次々と流れ出し、吉沢は悲鳴を上げてイヤホンを投げ捨てた。
「マスク・ド・ケリテテスさん……ダメ、そこはシフトキー!コントロール、オルト、デリート同時押しはまだらめなのぉ!」
ついでに地面に叩きつけられたイヤホンが最後に流した声に、彼の脳は再びぐっちゃぐちゃに破壊された。
もはや逃げ場はない。ネットワークの世界が、彼のすべてを暴き、彼を追い詰めている。
『お前に残された唯一の安らぎは、自らの罪を認め裁きを受けることだけ』
そう繰り返してくる存在に恐怖し、吉沢は叫びながら朝もやの中を駆けだした。
その日の朝、とある交番では夜勤明けの警官が一人、平和な朝を過ごしていた。
巷では新幹線爆破未遂事件でもちきりであるが、自分には関係がない。
そういう大変なことは都会のエリート刑事さんたちや現地の警官たちに頑張ってほしいところである。
だから彼は「そうだ、今日は朝ごはんにカップラーメンに生卵2個入れちゃうか!」などと、のんきに考えていた。
そこに、一人の男が現れる。警官はカップラーメンをかたづけ「ちくしょう、これからだったのに」と思いながらも、顔には出さず対応した。
「どうしました?」
そう警官が聞くと、男は憔悴しきった顔で、フラフラとやってきた。警官が心配して再度声をかけると、男は涙を流しながら叫んだ。
「お、おまわりさん……ぼ、ぼくっ、ぼくを……」
「ど、どうしたね?」
「ぼくを逮捕してぐだざい……ぼくは悪いごどしました……う、うおっ、うおおおおん!」
「……はい?」
急にうずくまって泣き出した男にドン引きながら、警官はその背をさすりながら話を聞く。
「ちょ、ちょっと落ち着いて!あの、いったい何を?」
「じんがんぜんばくはしよとじだのはぼくでず……うううっ、うおおおおん!二どと悪いごどしません!パゾゴンもスマホもラジオもテレビもないところにぼぐをはやぐ閉じ込めてください……うおおおおん!うおおおん!」
「どういうことなの……」
警官は呆然と立ち尽くしながら、目の前で子供のように泣きじゃくる男を見つめるのであった。
「……以上です、ルト様。ルト様の命を脅かしたあの犯人は今朝がた自首しました。そのうちニュースにもなるでしょう」
「あ、ハイ」
遥斗はドン引きした。




