第62話:快男児はクールに去るぜ
手錠をかけられた遥斗は、しばらく無言だった。
車掌が慌てて佐々木に訴えかける。
「待ってください、マスク・ド・ケリテテスは僕たちを助けるために頑張ってくれたんですよ!あれは緊急避難なんです!」
だが、佐々木は眉間にシワを寄せながらも、冷静に返した。
「まあ……状況が状況なのはわかる。だが、爆弾処理中の私に対してロープのようなもので拘束したのは間違いない」
「えー」
「ケー」
緊迫感のない声で反応する一人と一匹に、佐々木は思わず「えーって……」と呟いた。
「君は私を警察関係者だと知っていて拘束したのだろう?これ自体は現行犯であり、この場で逮捕しなければならない。ただ、緊急事態であったことは理解している。とてつもなく大きな恩があることも。必ず助けると確約はできないし、上層部に隠し事もできないが、できる限り君がこのことで不利にならないよう私も支援しよう。ここで見たことを正確に伝えたうえで、君が爆弾を処理するため、やむを得ないことであったと証言する。どうか、ついてきてもらえないだろうか」
もちろん、あくまで彼を拘束した件についてだ。他にも余罪があれば話は別だが――と佐々木は付け加える。
そうはいうが、佐々木の中でこの怪しい覆面男の正体として一番可能性が高いのは、犯人の仲間、である。
そうなれば改めて逮捕されることは仕方がない。
すると、目の前の変態覆面男ーーもとい、マスク・ド・ケリテテスは、仲間と通信でもしているのか、何かぼそぼそと喋った後、「うむ、話は理解した」と頷いた。
「それでは――」
しかし、佐々木が言い終わる前に、マスク・ド・ケリテテスは高らかに宣言する。
「だが、断る!怪傑・マスク・ド・ケリテテスの正体は誰にも明かすわけにはいかないのだ!」
「ケリテテス!」
びしっ!と両手を広げてポーズをとるマスク・ド・ケリテテスと一匹。
「……と、言われても、もう拘束済みなので連れていくが――なに!?」
両手を広げてポーズをとる――すなわち、彼につけた手錠はすでに外されているということである。
そう、手錠をされていたはずのマスク・ド・ケリテテスの手が、影のように黒ずんだと思った瞬間、手錠はガチャリと音を立てて床に落ちたのだ。
驚愕に目を見開く佐々木と、目をキラキラさせて見つめる車掌。
「奥義!ケリテテス・シャドウ・ウォーク!」
「ケリー!」
マスク・ド・ケリテテスがさらなるポーズを決めると、彼の体は影となって新幹線の床に沈んでいく。
「なっ!?沈んだだと!?」
「キャアアア!マスク・ド・ケリテテスー!!」
二人が異なる叫び声をあげる中、その影は素早く窓の外へと移動していく。
"では、また会おう、佐々木警部補、車掌君!君たちが命をかけて職務をまっとうしようとした勇気と覚悟を、この私は忘れない!さらばだ!"
さらばだ!……サラバダ……ばだ……だァ……ァ――。
いったいどこから聞こえるのかわからないが、エコーのかかった彼の声が遠ざかっていく。
「き、消えた……どうなっているんだ?」
「あ、かあちゃん!僕は大丈夫だった!……そう、マスク・ド・ケリテテスが――」
こんな古いお約束のノリが、現実世界で起きることに頭が痛くなるが、今は重要人物を取り逃がしたショックの方が大きい。佐々木が呆然と呟く横で、車掌はスマホを取り出し、母親に電話をかけている。
マスク・ド・ケリテテスという、ふざけた変態男の姿はもうそこにはない。その場には、謎の樹脂のようなもので覆いかぶされた、爆弾ケースが二つだけが残されていた。
『この列車は緊急停止します。安全が確認されるまで、しばらくお待ちください……』
社内アナウンスが流れ、乗客たちは「助かったのか?」「なんだったんだあの変態……」「だからいったろ?どうせいたずらだって」などと口々に話している。
「ふー」
遥斗は一息つく。影となって電車の側面を伝わり、誰もいないことを確認して車両間の通路に戻ってくると、まるでトイレにでも行ったかのように何事もなかったかのような顔で自分の車両へ戻った。
影の中にいた時は不思議な感覚で、リケと自身が一体化したかのようになりながら移動できたのだ。
車内はまだパニックは完全に収まってはいないが、ざわめきだけで落ち着き始めている。その中を、遥斗はできるだけ自然な顔をして自分の席に戻っていく。
「ルト様、この後はどうしますか。おそらくこのままでは1時間程度は足止めされます」
「とはいってもなあ。ここから逃げるわけにもいかんだろう」
リケの力で人知れず消えることはできるかもしれないが、もし誰かに見られていたら後で騒ぎになるかもしれない。
「ルト様、通信を傍受しました。新幹線はいったん次の最寄り駅まで行き、そこで停車します。現在、人の避難が開始されています。その場で新幹線に爆発物がないかの調査と、乗客に対して簡単な聞き取りと、持ち物確認が発生する見込みです」
「シアはチョーカーだからいいとして、パルスクリーナー、レジンとスカッターがまずいか」
クリーナーとスカッターはシアのようなデバイスを経由して操作する道具なので、見た目では何かわからないだろう。しかし、万が一調査されたらまずい。それに、高安定性中和レジンのスプレーは、先ほどすでに佐々木警部補に見られてしまっている。
「リケ、頼む」
「ケリリリ!」
遥斗が周りの乗客の死角になる位置で、足元の影にガルノヴァで買ったグッズを放り込んでいく。すると、とぷん、と沈み込むように影に消えていった。
「……便利だなあ、これ」
「ケリケリ!」
褒められて、パーカーのフード部分から目玉だけひょっこりと出して喜ぶリケ。遥斗は慌てつつフードに手を伸ばして、うじゅるうじゅるしたリケの触手を撫でてやった。
リケは影化した自分の中に、ある程度の物質を取り入れることができる。ただ、無尽蔵というわけではないらしい。まず意思ある生き物、特に人間は遥斗以外は嫌だという。できないわけではないが、複雑な思考をする生命体を取り入れると、感情がぶつかってきて気持ち悪いそうだ。
デバイスであるシアは問題ないという。また、その大きさはリケが現在、影として形作れる大きさまでしか通すことができず、通れたとしても遥斗のアパートの浴室くらいの大きさ以上は入らない。ただし、重さはあまり関係なく、入りさえすれば遥斗の2、3000人分くらいの重さでも全然大丈夫だという。限界はあるかもしれないが、十分だろう。
ただこれも「今は」なので、成長すればわからないとのことだ。
「リケはすごいなー」と遥斗が言うと、触手のリケがこれでもかというくらいに遥斗にすりすりした。
その後はシアが伝えた通り、次の駅について車内調査が始まった。爆弾処理班と思わしき人たちや、消防士、救急隊の制服を着た人たちがホームに集まっているのを見て、乗客たちは「本当に危なかったのだな」と改めて実感していく。何人かは「おおげさだな」と冷めた目で見ていたが、彼らも後で報道で真実を知れば震えることだろう。
爆弾ケースらしきものを、慌ただしく持ち出して車外から離していく制服姿の人たちが見える。その後、佐々木警部補が警察官たちになにやら話している様子が窓の外に見えた。警察としては、あのカッコいい快男児、怪傑マスク・ド・ケリテテスの行方が知りたいところだろうが、乗客を安全に避難させることもあって板挟みなんだろうな、と遥斗は思った。
約30分後、乗客の避難誘導が始まる。ただし、出るのは1車両ずつで、出口には警官が待機している状態だ。ブルーシートのような囲いができているが、おそらくはあそこで抜き打ちで持ち物チェックをするのだろう。リケがいなければ危なかったと遥斗は内心で安堵する。
そして遥斗たちの車両の番になる。ブルーシートの囲いのところに行くと、抜き打ちの持ち物検査と聞き取りがあることが告げられた。驚く乗客。ほとんどの者は仕方ないかと従い、何人かは少し不満げにしつつも、渋々応じる。持ち物検査をする警官たちを、佐々木警部補がじっと見つめていた。遥斗は内心で少しだけ鼓動を早めつつも、表情に出さないようにしながらゆっくりと歩いていく。
そして、自分の番になる。その時、不思議なことに、それまでただ傍観していた佐々木警部補が、ゆっくりと近づいてきた。
「きみ、こちらは代わろう」
「……?はい、了解しました」
対応していた警官にそう言って、佐々木は遥斗の前に来た。なぜ急に、と遥斗の鼓動が早くなる。だが、一度小さく深呼吸して、すぐに心を落ち着かせた。
「いきなりの持ち物検査ですまないね。ようやく車内から解放されたというのに。大変だったろう」
「ええ、まあ……でも、しかたないですよ」
「では、まずは名前と身分を証明できるものを――」
遥斗は身分証として免許証を提示する。メモをされるが、他の乗客たちも同じことをしているので焦る必要はない。
「では、次にバッグを開けてもらえるかな」
ドキドキしながらも、素直にバッグを開いて見せる。中にあるのはバイト先の制服と、先ほどのハマトクとの契約書、そして秋葉原で買ったばかりのデバイス。怪しいものはないはずだ。念のため、デバイスの箱も開けていいかと問われ、素直に従う。ついでに買ったときのレシートも見せる。当然何事もなく、チェックはすぐに終わった。他にないかと入念に調べられるが、あとはハマトクとの契約書の控えくらいだ。機密ではあるがそれも見せなければならないようだ。だが、それも不自然なものではないはずである。
「……キミは、通訳の仕事をしているのかい?」
「いえ、普段はただの店員バイトです。ただ今回は臨時で頼まれただけです。どこまでここで話していいのかわからないんですが、もし知りたいなら、ハマトクさんに確認をとってもらえると助かります」
「そうか……ありがとう。では最後だが、君が座っていた席の切符を見せてほしい。それと、今回の件で何か気づいたことはあるかな」
「切符はこれですね。気づいたこと……いえ、俺もパニックだったので……何かあったかもしれませんが、今思いつくようなことはすぐには……」
「……それもそうか。わかった、ありがとう」
それだけだった。最初はなぜか自分の元に来た佐々木に警戒したが、拍子抜けするくらいに簡単に終わった。彼はすでに次の乗客に話を聞き始めている。
遥斗はふう、とため息をつき、ゆっくりとその場から離れていく。どうやら、怪しまれなかったらしい。まあそれは当然だろう。
何しろ、マスク・ド・ケリテテスのときは遥斗デザインの超カッコいいマスクとスーツ(遥斗基準)をしていたし、顔などわかるはずがない。それどころか、スーツはリケによる増量で体格を大きく見せており、さらに声もシアによって変え、完全に別人の野太い男の声にしていたのだ。今の自分とはイメージからして離れているはずだ。
まさか童顔の平均顔の男が、あの超絶カッコいい快男児、怪傑マスク・ド・ケリテテスなどと思うはずがないのだ!
そう思いながら歩いていくその時――
「ああ、遠峰君」
「えっ?な、なんですか?」
急に呼び止められる。どくん、と心臓が跳ね上がるのと、声が裏返るのを抑えて聞き返す。
「……靴」
「靴?」
「紐がほどけてるよ。結んだ方がいい。転んでしまう」
遥斗は下を見ると、確かにシューズの紐がほどけていた。
「……あっ!ありがとうございます」
お礼を言うと、佐々木警部補は振り返らず後ろ向きでひらひらと手を振った。
そして、ようやく遥斗は解放され、ホームの階段を登っていく。外では、無責任なマスコミたちが集まっていて、解放された乗客たちにひっきりなしにインタビューをしており、「うげ」っと声をあげたのだった。
遥斗が見えなくなると、持ち物検査を止めて再び別の警官に頼んで自分はその場から離れ、遥斗に接触する前と同じようにその様子を見守る。
「佐々木警部補、どうしたんですか?急に検査を代わったりしてましたけど」
一人の刑事が佐々木に声をかけてくる。佐々木は腕を組み、片手を顎に当てながら、何も答えない。
「警部補、彼に何か怪しいことでも?」
「いや……どうも、落ち着きすぎている、と思ってな。他の乗客は持ち物検査と聞き取りをすると聞いて、驚いたり面倒くさそうにしていたのに、彼だけはそうなることが当然だというように、顔に何も出てなかったんだ」
さらに言えば、気になって近づいた時に、彼は驚いていた。
そこはいい、それまで後ろにいたのに急に変わればなんなんだ、と戸惑うことだろう。
だが、彼はそこから「落ち着いた」のだ。
戸惑ったなら、普通、人は戸惑ったままである。
もちろん、しばらくして受け入れて落ち着くのは、自然な反応である。
だが、彼はそれが起こる前に、「自らの意思で落ち着こうとして落ち着いた」ようにしか思えないのだ。
しかし、これは証拠になるわけではない。
そもそも、ずっと緊張下にあるのだから、たまたまそのタイミングで落ち着いたのかもしれない。
すこし不自然ではあるが――そのわずかな不自然さが、かえって自然にも思える。
「……それは――で、結局何かありましたか?」
「いや、何も怪しいものは持ってなかったよ。それに、証言に不自然なところもない」
「そうですか……これからの遺留物や防犯カメラの確認にかけるしかないですね」
「ああ……そうだな」
そう言って、佐々木はまた思考の海に戻る。
そう、彼は確かにあの「マスク・ド・ケリテテス」と一致するものは何もない。体格も、声も、持ち物も、服も、そして靴も。
だが――
「……歩き方だけは、人は訓練でもしてないと変えられないものなんだよ、遠峰君」
遠峰遥斗――調査必要。本件の重要人物の可能性。
佐々木は、自分の警察手帳にそう書き留めた。
「そうなんだよ!佳代ちゃん!ピンチの時に怪傑マスク・ド・ケリテテスが......」
車掌はまだやってた。
あと購買の佳代ちゃんとは付き合えた。




