第61話:キャー!マスク・ド・ケリテテスー!
薄暗いアパートの一室。20代後半、痩せた男がノートパソコンを前に歪んだ笑みを浮かべている。複数台のモニターがぼんやりと光り、新幹線の内部映像や配信サイトのチャットログが映し出されていた。ヘッドホンからは、爆弾に仕掛けられたマイクを通じて、佐々木警部補と警察無線、そして車掌のやり取りが聞こえてくる。
反対側の座席に設置したカメラも良好で、爆弾の前にいる佐々木と車掌の様子を見事に捉え、アンダーグラウンドな配信サイトで中継していた。それらのリンクをSNSの「108チャンネル」などに貼り付けたことで、視聴者数は爆発的に増加していた。
「クソッ、どうにもならないのか!」
無線で警察とやり取りする佐々木警部補の焦燥と、それに追従する警察側の声を聞くたびに、男はニタニタと笑みを深くする。配信サイトはBANされてもすぐに別のサイトで再開し、そのWEBリンクを「108チャンネル」などの掲示板に貼ることで、視聴者はどんどん増えていく。掲示板やコメント欄はお祭り騒ぎだ。「ふざけんな犯人」といった非難の書き込みのほとんどは、「どうせ偽物だろ」「花火マダー」などという不謹慎で無責任な言葉に掻き消されていく。
テレビでも取り上げられ始めると「無責任な書き込みは挑発になるからやめて」とアナウンサーは訴えるが、男は薄ら笑いを浮かべて呟いた。
「なに、無礼な観客たちにも、俺は寛大だとも。彼らもこの感動のエンターテインメントを見れば感動で涙することだろうね」
その男が犯行予告として、とある空き地で爆弾を爆発させると、緊張は一気に高まった。幸いにも、たまたま少し離れたところでジョギングをしていた老人が、びっくりして転倒し軽傷を負った以外に被害はなかったが、その威力は本物で、世論も一気に緊張が走る。
そして、残り4分を切ろうとしたその時、車掌の泣きじゃくる声が聞こえてきた。
「じゃあ、ぎりぎりまで、に、逃げません。逃げれば助かるんなら、逃げますけど、僕がいればなにかできる可能性があるのに、車掌の僕が、に、げ、ちゃ、だめなん、です……っ」
「逃げません」と泣きながらも職務を全うしようとする車掌の姿に、男は歓喜に身を震わせる。
「ああ、なんという勇敢な男だ! 実に感動的だ!」
男はウキウキと声を上げ、警部補と車掌が絶望のまま吹き飛ぶ様を想像し、歓喜で体が震えた。以前、自分を逮捕した憎い佐々木が「くそ、くそっ」と叫ぶ声が聞こえた時など、男は絶頂する直前だった。
「君たち! よく頑張った!」
その時、画面越しに謎の声が聞こえてくる。
「……は? なんだこいつ」
カメラには、奇妙な覆面を被り、肩に猿を乗せた男がポーズを決めている姿が映っている。
「俺が来たからにはもう大丈夫! 俺の名は、『怪・傑! マスク・ド・ケリテテス』!」
「ケリテテス!」
残り3分。
新幹線内。
佐々木警部補は、目の前に現れた奇妙な男に呆然としていた。爆弾が爆発寸前だというのに、あまりにも現実離れした光景だ。泣きじゃくっていた車掌も、目を丸くしてポカンとしている。
「む、それか。よし、そこをどきたまえ」
「ケリリリ!」
覆面男――マスク・ド・ケリテテスは一瞥するだけで、爆弾の存在を確認したらしい。爆弾ケースを指さしてくる。その言葉に続くように、肩の猿も「ケリリリ!」と鳴いて同じように指さしをした。まねっこである。
「ハッ! い、いや何者だお前は! 今はそれどころじゃないんだ。ここから離れろ!」
佐々木が叫ぶ。だが、マスク・ド・ケリテテスは悠然と答えた。
「すべてわかっている。爆弾なのだろう」
「なっ……!」
佐々木が驚くのも構わず、マスク・ド・ケリテテスは言葉を続ける。
「時間がない、今すぐそれを無効化するからどくんだ」
「どけるか! 私は警察の者だ。いいからここは俺に任せて離れるんだ! ……いや、それとも犯人の一味か?」
佐々木は、あるいは単なる狂人かと考え、退くことを拒否する。
だが、マスク・ド・ケリテテスはまったく取り合わない。
「君が警察の者であることは知っている。だが、そんなことを言ってる場合ではない。君では無理なのだろう? なら、この俺に任せるんだ」
「ぐっ……」
残り時間は2分。佐々木は理性ではこの男を任せるわけにはいかないと分かっていた。しかし、自分に打つ手がないことも痛いほどわかっている。この状況は絶望的だ。
だとしたら、もうこの男に任せていいんじゃないか。もしかしたらこの男は犯人側の一味で、直前で思いとどまったのかもしれない。だから爆弾のことを知っていたのではないか。はっきり言って、まともな思考ではないと、佐々木自身も自覚している。それでも、本当に、本当に打つ手がないのだ。あとはもう、この場から離れることくらいしかできない。
一か八かの賭けに出るしかないのか。
無線機からは「何を考えている、従うな」と声が聞こえてくるが、どうしようもない。
残りはいよいよ1分。佐々木が道を開けようとしたその瞬間、マスク・ド・ケリテテスが動いた。
「すまないが時間がない! 拘束させてもらおう。ケリテテス・チェイン!」
「ケリリ!」
「なに!?」
「えええええっ」
マスク・ド・ケリテテスが手を伸ばすと、その手から何かがロープのように伸び、佐々木と車掌の手足を拘束する。
「ま、待て! 何をする気だ……!」
「これが爆弾だな! よし」
マスク・ド・ケリテテスは爆弾ケースに触れ、ゆっくりと持ち上げる。佐々木は絶望に顔を歪めた。
「お、おい!や、やめろーーーー!!」
残り30秒。
「必殺! ケリテテス・スーパーレジン!」
マスク・ド・ケリテテスは床にしまっていたのか、スーツからスプレーのようなものを取り出し、爆弾ケースに噴射する。霧状の噴射物は瞬く間に爆弾ケースを包んだかと思うと、瞬時に透明なゼリー状の物体へと変化して爆弾を覆いつくす。
「うむ、無効化完了!」
残り15秒。
「おい!? 何やったんだ!? クソ、これでは逃げることもできない! おい、外せ! 外すんだ! せめてその車掌だけでも――」
「ああああああああああ!! おがあぢゃあああああん!」
佐々木は混乱し、車掌は絶叫する。
残り時間10秒。
10、9……
「くっそおおおおお! こんなくだらない終わり方なんて……!」
「こんなことなら購買の佳代ちゃんに告白しとくんだったー! 大好き佳代ちゃああああん!!」
8、7……
しらけ顔でモニターを見ていた犯人がつぶやく。
「なんだ、最後に狂人が入っていたのか? クソ、しらけるな……」
6、5……
「だめだああああ!」
「うあああああ!」
「和子……悟……パパはだめかもしれない…ごめんな…」
「いやあああああ!!」
乗客たちから悲鳴が上がる。
4、3……
617 :暇な名無しさん
やべえ!変態のせいだ!
618 :暇な名無しさん
もうだめだ!変態のせいで!
619 :暇な名無しさん
助けてシアたん!
2、1……
「怪・傑! マスク・ド・ケリテテス」
「ケリテテス!」
マスク・ド・ケリテテスが高らかに名乗りを上げて――
0!
ぽひん
一瞬の静寂の後、拍子抜けするような小さな破裂音が響いた。佐々木警部補、車掌、犯人、そして警察や乗客を含むネットの視聴者たちが一斉に固まる。
画面に映し出された爆弾ケースは、謎のゼリー状の物体の中で小さく破裂していた。たしかに爆発はした。だが、なぜかその物体を破壊することなく、音だけを立てただけだった。
「えっ」
「えっ」
「うむ、無事爆弾は無効化できたな!」
そういうとマスク・ド・ケリテテスは、別の場所に仕掛けられたマイクとカメラに近づき、犯人へ語りかけた。
「犯人に告ぐ、君はもう逃げられない。これ以上何もすることなく、おとなしく自首することを勧告する」
犯人はそれを聞いて激高する。理由は不明だが爆弾が不発だったらしい。ならば仕方ない。もう一つの爆弾を遠隔で起動させるしかない。
「変態め、今はそう笑っていろ……」
男はそう言って、別のスイッチを押した。
ぽひん
先ほどと同じ、拍子抜けするような音がした。
「……へ?」
マスク・ド・ケリテテスは続けた。
「ああ、君が仕掛けたもう一つの爆弾なら、とっくに見つけて無効化した状態でここに持ってきているとも」
そして、スーツの影からもう一つの爆弾ケースを取り出した。佐々木は「どこにそんなものを隠すスペースがあるんだ」とツッコミたかったが、驚きが過ぎて声が出ない。
「しかし……残念だ。吉沢直哉くん。そこで改心して自首すれば、逮捕まで怖い思いはしなくて済んだものを……では、さらばだ」
そう言って、マスク・ド・ケリテテスはカメラとマイクを豪快に引きちぎった。
何も見えなくなった男は、震えながら呟く。
「な、なんなんだアイツは……なぜ俺の名前を知っている!? い、いや、バレてるというなら今は逃げなくちゃ――」
男は最低限の荷物を詰め込み、PCの証拠を消去するアプリを起動して、部屋を飛び出していった。
一方、佐々木と車掌は、未だ呆然としたままだった。ようやく拘束を解かれ、現実感を取り戻す。
「拘束して済まない、時間がなかったのだ」
「あ、ああ……」
なぜか車掌は目をキラキラさせ、マスク・ド・ケリテテス――もう面倒だからいいや、遥斗を見つめている。
ちなみに着ているスーツとマスクはリケである。リケが分体を作り、それをスーツとマスクに変えて遥斗を覆っているのだ。さっきのロープみたいなものも、手袋から姿を変えて伸ばしたリケの触手である。
触手――もとい、ロープはいつの間にか消えて拘束を解かれた佐々木が問いかけた。
「爆弾はどうなったんだ、爆発しなかったのか?」
「いや、爆発はした。これは特殊なレジンで、爆発物にはめっぽう強いのだ。これで覆うことで、爆弾はこの中でのみ爆発したのだ」
遥斗がガルノヴァに行ったときに、安売りしていたので衝動買いした謎レジンである。もともと宇宙船などで機関爆発などを防ぐ安定剤らしく、核爆発やヴェクシス機関の暴走クラスだとどうにもならないが、内燃機関や小型の爆弾の爆発程度なら余裕で抑えられるらしい。
「そんなものが……なるほどな」
「あ、ありがとうございました! マスク・ド・ケリテテスさん!」
車掌は興奮気味に言った。おめめがキラッキラ、キラッキラである。そりゃもう完全に特撮ヒーローを見るそれである。冒涜的なデザインのマスクなんてどうでもいいくらいにはロール判定に失敗しちゃったらしい。
遥斗は腕を組んで笑いながら謙遜をする。実際彼自身はたいして何もしていない。
「いやあ、なんのなんの」
佐々木も深々と頭を下げた。
「俺からも礼を言わせてくれ、本当に助かった」
「いやあ、はっはっは、礼など、当たり前のことをしたまでで――」
ガチャン。
遥斗は驚いて手元を見ると、手錠がかけられていた。
「は? えっと……あの、これって――」
佐々木は真剣な眼差しで告げる。
「新幹線爆破未遂の重要参考人として、署まで同行願いたい。また、先ほどの公務執行妨害の現行犯で逮捕する」
「あ、はい」
遥斗は思わず素直にうなずいた。
"それはそう"
シアも静かに呟いた。




