第60話:どうしてこうなった!どうしてこうなった!
「シア、なんで新幹線が爆発するんだよ!」
遥斗は首元のチョーカーに指を押し当て、喉の奥から絞り出すように問いかけた。
「新幹線には爆弾が仕掛けられています。本日早朝、電車内で流れていたニュースで『爆破予告によるイベント中止』と報じられていましたが、あの爆破予告は犯人の陽動です。こちらが本命の爆発です」
感情のない、淡々としたシアの声が状況を告げる。
しかし、遥斗の頭の中は真っ白になった。爆弾、新幹線、10分後。あまりにも非現実的な言葉が並ぶ。その言葉は、まるでどこか遠い国の出来事のように、現実感を伴わずに響いた。
「本命って……じゃあ、なんで新幹線が狙われたんだ?」
「逆恨みです。犯人が過去に逮捕された際の担当刑事が、この新幹線に乗り合わせています。彼が犯人の本当のターゲットです。犯人は、その動機と爆弾の情報を警察や鉄道会社に送りつけています」
その言葉を聞いた瞬間、遥斗は背後の席で鳴り響く電話の着信音に気づいた。電話に出た男が「なんだと!?」と叫び、先ほど乗務員が慌ただしく走っていった方向へ駆け出す。男の顔は青ざめ、ただならぬ焦燥感が全身からにじみ出ていた。
「彼がその刑事、佐々木警部補です。爆弾解除のスキルがあるようですが、その彼が手も足も出ない状況で苦しんでいる姿を、犯人は外部から楽しもうとしていると判断できます」
遥斗は奥歯を強く噛み締める。窓の外を流れる景色は、彼の焦燥とは裏腹に、ただ静かに流れていく。
「爆弾は特定の条件、つまり『車両の速度が一定速度以下になる』か『ある地点を越える』と爆発すると犯人が予告しています。だからこそ新幹線は速度を落としたのです。爆発しない速度を保ちつつ、できるだけその地点への到達を遅らせるために。ただし私のスキャンでは、特定の時間になるか、電波による遠隔操作でも爆発可能です。犯人は最初から止める気はなく、ゲームを楽しんでいる様子はなく、明確な殺意と嘲笑を以て行っていると判断できます」
「お前なら、なんとかできるんじゃないか?」
遥斗はシアにすがるように問いかける。
「遠隔操作についてはヴェクシス波による干渉で対処可能です。警察も自衛隊に依頼して電波ジャミングを行うつもりのようです。ただし、条件による爆発はゼンマイやばねを用いたアナログな仕組みも複数あり、いくつかは私の能力では無力化できません。さらに起爆装置を解体しようと外部から触れると爆発する可能性もあります。しかも爆弾は離れた二か所の車両に設置されており、片方に異変があればもう片方が起爆します。現時点で私に爆発を防ぐ手段はありません」
遥斗は様々な方法で爆弾を止められないか考えた。しかし彼にはシアの分析能力への絶対的な信頼がある。
そのシアが爆発を止められないと言っている以上、どう考えても阻止は不可能なのだ。
その時、遥斗の影からリケが「ケリリリ……」と小さく鳴いた。パーカーのフードから顔だけ出し、きょとんとした表情で彼を見上げる。
その姿が遥斗の心を少しだけ現実に引き戻す。
「え、なんだリケ……お前と繋がってる俺だけなら、自分が包み込んで影になって外に移動できるって?爆弾は分からないけど、この乗り物から降りるくらいの衝撃なら僕が吸収するから大丈夫?……お前、そんなことまでできるの!?」
リケの言葉に遥斗は驚きを隠せなかった。
確かにルシが話していた『虚ろ喰らい』の伝承には、どこからともなく入り込むという話があったが、そういうことなのだろう。
しかしそれでは自分だけ逃げても新幹線は大惨事になる。自分一人の転移では爆発は避けられない。
だが、シアの判断に間違いはないはずだ。
爆発を止めることは不可能。
ならば、リケの能力で自分だけでも逃げるのが最善だ。
乗客たちの命や新幹線の爆発による被害は見捨てる覚悟を決める。
そこに悩みはしない。そうしなければ共倒れする以上、その選択肢は絶対に捨ててはならない。
その上で、あがく。
あがいて、あがいて、考えることは絶対にやめない。悩むのを止めることと、考えないことは違うのだ。
覚悟はしても、考える行動は続けるべきである。
「あと9分です。ルト様、急いで行動しましょう。間に合わなくなります」
シアが告げる。リケを使っての脱出を促しているのだろう。だが自分はまだ諦めたくない――
「……あれ?」
ふと思った。シア、落ち着きすぎじゃないか?そりゃAIだからパニックにならないのはわかるし、落ち着いた声のほうが自分も冷静になれるだろう。
だが、それにしても落ち着きすぎているのだ。
だって、「風呂入るからいったんシアを外すぞ」といったときの方がはるかに必死だった。
ついでに言えば暗黒竜封印の儀式のためにシアを外そうとしたときは、「ルト様の好みのマスターベーションテクニックを確認したいのでこのままにしてください。マスターだけに」などと余計なことをいうくらいに必死だったのだ。
この状況で暗黒竜の話を思い出すあたり、遥斗も大概である。
シアは遥斗を最優先するので、リケがいれば遥斗が無事に逃げられるとわかったから慌てていないのか、とも思ったが、リケの能力を知ったのはついさっきだ。シアは常に自分と一緒なのだから、リケにそんな能力があると知る機会はないはずだ。
じゃあなぜ慌てていない?
やっぱりドライなのか?そう考えつつ、遥斗はもう一度訊ねた。
「シア、本当に爆発を止められないのか?この危機を乗り越える方法は?俺がこの新幹線に乗ったまま無事で、乗客に死傷者を出さない方法はないのか?」
無茶な質問だと自覚しつつ、遥斗はすがるように尋ねた。シアは一瞬の間を置き、驚くほどあっさりと答えた。
「はい、あります。そのために動くので」
「そうか、無理か――って、やっぱりな!あるのかよ!?どうするんだ!?爆弾は止められないんだろ?」
突っ込みたいが、それどころではない。
「はい、爆弾の爆発阻止は無理なので――爆発はさせちゃいましょう」
「……えっ」
指定席車両では車掌と佐々木警部補が爆弾と対峙していた。
ほかに乗客はいない。緊急の異常点検として隣の車両に移動してもらっているのだ。幸い指定席はガラガラで、「次の駅まで空いている席に自由に座ってください」と告げると、乗客たちは素直に従っていた。
爆弾はとある席に仕掛けられていた。その場所は犯人から教えられていたためすぐ見つかった。犯人からの情報で爆弾の性質は把握していたが、状況は絶望的だった。コンセントに繋がれた爆弾入りのスーツケースは開けたものの、内部は複雑な電子制御とアナログな仕組みが混在していた。コードはおそらくダミーで、切れば即爆発。使える道具も時間もない。車掌は青ざめ、震え、佐々木は無線で警察と連絡を取りながら必死に模索していた。
「くそ、どうにもならないのか!」
佐々木の声には苛立ちと焦りが混じっていた。絶望が迫る。
あと、7分30秒。
「まさかこんなところでこいつが役に立つなんてなあ……」
一方、遥斗は後方車両で一台目の爆弾をすでに発見していた。その爆弾は犯人が警察や鉄道会社に伝えていないものだった。もし犯行声明の爆弾が無力化されても、こちらが爆発するという二段構えだった。
だが、遥斗はシアの指示に従い「あること」を実行し、一息つく。
「ルト様、もう一つあります。爆発まであと7分です。急ぎましょう」
「お前、この方法を最初から教えてくれれば、あと30秒は余裕あっただろう!」
「手段を確保した上で、より良い方法を模索していただけです。……ぐぬぬ、アナログめ。ここで私の能力だけで爆弾を停止できればルト様の評価は爆上がり待った無しだったものを」
「今のそれでガタ落ちだよポンコツ!」
「ケリリリ!」
二人のやり取りをよそに、パーカーの中に隠れているリケもいつでも動ける準備を整えている。頑張っているおとうちゃん、おかあちゃんたちと一緒に、自分も何かしたいのだ。
かわいい。
だが今は愛でている余裕はない。遥斗は泣く泣くもう一つの爆弾のある車両へと向かう。
しかし、彼が進む中、車内では床から伝わる微かな振動が乗客の不安を増幅させていた。
「線路上に危険物があるとの情報が入りました。衝突に備え、お体を低くして頭を抱えてください。繰り返します。危険物との衝突に備え、お体を低くして頭を抱えてください」
絶え間なく流れる車内アナウンスに、乗客たちはざわめき始めた。不安げに隣と囁き合う者、すでに座席の間にうずくまる者、恐怖で顔を引きつらせながら耐える者。平和な日常を切り裂く非日常の言葉に、彼らの心は恐怖に支配され、パニックの予兆が芽生え始めていた。
「えっ!?」
誰かが大声を上げた。
危険物の情報にも関わらず、あまり危機感を持っていなかった男が、暇つぶしに掲示板アプリを開いたところ、衝撃的な書き込みを見つけてしまったのだ。
【新幹線爆破予告される!】
最初は冗談かと思いながら見てみれば、予告は本当らしい。どこの新幹線だと思いスレッドを追うと――
「お、俺たちの乗ってるこれ!?」
その男の震える声が小さな波紋を広げる。隣の女子高生が恐怖に満ちた目でスマホの画面を覗き込んだ。そこにはこの新幹線の名前と発車時刻、そしてニュースサイトで騒いでいるキャスターの姿。
これは、本物の爆発予告なのだと分からせられる画面の向こうの緊迫した様子。
女子高生は悲鳴を上げかけるが、喉の奥で詰まったかすれ声に変わった。
「うそ……やだ、死にたくない!」
涙を流しながらスマホを握りしめる女子高生。その場の乗客も男のつぶやきや彼女の様子から事態を察し、ざわめきは大きくなっていく。
「線路上に危険物があるとの情報が入りました。衝突に備え、お体を低くして頭を抱えてください。繰り返します。危険物との衝突に備え、お体を低くして頭を抱えてください」
繰り返されるアナウンスを聞き、男はようやく真相に気づき始めた。線路上に危険物などない。アナウンスは乗客をパニックから守るための嘘だったのだ。
事態はいよいよ大詰めに近づいていく。
「残り時間5分20秒。爆弾の前に車掌と佐々木警部補がいます」
遥斗たちがもう一つの爆弾のある車両に到着すると、シアが告げる。
「マジか!?やべえ、これじゃこっそり実行できねえ!」
思わず頭を抱える遥斗。時間はない。いくつか候補は思いつくが、どれも自分にリスクがある方法ばかりだ。本来はノーリスクで終わらせたかったが、他に考えが浮かばない。いよいよ覚悟を決めるしかない。
だから彼は2秒で決断する。今思いつく最善の方法を。その覚悟を。
「シア、リケ、いくぞ」
遥斗の目は決意と覚悟で強く輝いていた。
大手町、ハマトク本社の会議室。
「では、この計画で彼にアプローチしよう」
そこでは遥斗の獲得計画会議が行われ、今終わったばかりだった。だがまだ安心はできない。遥斗がこのオファーを断る可能性も考慮しなければならない。リモートワークでの参加、報酬、働く時間や場所の自由度など、様々な角度から断る理由を潰している。この計画は「遠峰遥斗獲得計画」と名付けられ、もしもの事態も想定した綿密な戦略が練られていた。
「面白いことになりそうだが、大変でもありそうだ」
五十嵐は半笑いで愚痴る。遥斗は天才的な才能の持ち主である反面、その行動力や決断力が時に突飛な方向へ向かう危険性もある。彼の才能を最大限引き出しつつ、暴走を防ぐストッパー役が必要だ。そのため入社後の面倒見役として五十嵐が付くことも決定している。
「五十嵐さんなら大丈夫でしょう。遠峰くん、懐きそうですし」
「というか、誰にでも懐きそうなんだよな、あの子」
同僚の安藤と斎藤も軽口を叩く。
「いや、マジでそれがありそうで怖いんだが」
そう言いながらも、五十嵐は少し嬉しそうだ。
「ただ、彼は有能だが――覚悟はある反面、危うさもある。緊急時には決断力と行動力は魅力だが、変な方向に行かないかだけはしっかり見ていかねば――」
残り時間は4分。
車掌はすでに膝をつき、泣きながらこの場にいない母親に遺言のようなことを呟いていた。佐々木警部補もなんとかしようと警察と無線で連絡を取りながら、必死に爆弾に立ち向かっている。その様子を傍受し嘲笑う犯人に、自分の情けない姿だけは見せたくないのだ。それでももうどうしようもないことはわかっている。
「車掌さん……君は早く逃げたまえ。せめて爆弾からは離れたほうがいい」
「できませんよ、だって、犯人は『電車の知識があれば解除できるかも』っていってたんでしょう?」
「それはそうだが――」
たしかに犯人の声明にはそうメッセージがあった。だがそれはどうせ嘘だろう。ようは無関係な人を巻き込んで嘲笑いたいだけだ。
「じゃあ、ぎりぎりまで、に、逃げません。逃げでだずがるんなら、逃げまずけど、僕がいればな…んどができる可能性があるのに、車掌のぼぐが、に、げ、ちゃ、だめなん、でず……っ」
「……わかった。だが残り30秒になったら離れるぞ。せめて隣の車両に移り、しっかりつかまるんだ」
「わがりまじだ」
ひいー、ひいー、と泣き声をあげ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま足をがくがくと震わせている若い車掌。恐らく20代後半だろう。若くして新幹線の車掌になるのは優秀な証だ。事実、彼は嘘であろう犯人の情報に望みをかけて、最後まで車掌としてあがこうとしている。その姿は外見だけみれば無様としか言いようがなく――そしてその在り方は自分が泣きそうになるほどかっこいい。
彼を死なせたくはない。
だが、どうにもならない。
「くそ……くそっ」
呟きながら佐々木自身も妻や娘のことを思い出し絶望しかけたその瞬間――
「君たち!よく頑張った!」
どこからともなく、わざとらしい、変な声が聞こえてきた。封鎖したはずの車両に、誰か入ってきたらしい。こんな時になんだ、とそちらを向くと――
「俺が来たからにはもう大丈夫!俺の名は、『怪・傑!マスク・ド・ケリテテス』!」
「ケリテテス!!」
センスがめちゃくちゃ悪い謎のマスクをかぶった、変なスーツ姿でポーズを決める変態がいた。
肩には同じマスクをつけた猿が乗っていて、同じポーズをとっている。
遥斗の覚悟は、確実に変な方向へ向かっていた。
爆発まで、あと3分。
もう今回は車掌さんが主役でいいんじゃないかな




