第57話:お父さんのは太巻き
いつも通りの朝。
それがこれからの騒動の予兆に満ちていたことを、遥斗はその時は知る由もなかった。
隣町のホームセンター「ハマトク」へ向かう電車の中、マスク越しに遥斗はシアといつもの雑談をしていた。
車内放送のニュースでは『昨日未明、杉並区で放火が...』『お騒がせな爆破予告でイベントが中止に...』という物騒な話題に混じり『賢者シアがまさかのVに!?』や『ヴェルナクラフトはどこの工芸品かとネットで議論に...』などという、全くもってどうでもいい胡散臭いゴシップが流れていたが、遥斗は当然そんなものに惑わされる情報弱者ではないので、プイッと目を逸らしている。
自分は何も見なかった、いいね?
「星座占い、ルト様の運勢は今日、『とんでもない騒動に注意』だそうですよ。ラッキーアイテムは『旅先のお土産』だそうです」
シアに言われてスマホの画面を見ると、そこにはネットの今日の星占いが表示されている。確かに遥斗の星座である『牡羊座』に対してそのようなことが書かれていて、ついでにシアのアバターである『シア・ルヴェン』が二頭身状態で踊っていた。最近『ライブの練習です』と、この『ミニシアたん(シアが自分で名付けた)』が画面上をちょろちょろしているのだ。
「騒動といっても、この一か月騒動しかなかった気がするわ。お土産ねえ……」
そう呟きながら、彼はリュックの重みを背中に感じた。ガルノヴァで買ったものは何かと重宝するので、とりあえず持ち歩いているのだが、これからのバイトで役立ちそうなのは掃除用具のパルスクリーナーくらいだ。
「誰かが塗料でもひっくり返して掃除でもするんかね」
後から思えばだが、この星占いはちゃんとこれからのことを警告してくれていたのである。だが、占いを信じない遥斗は、そんな軽口を叩きながら電車を降りるのだった。
(ケリリリ……ケリリリリ……)
ちなみにリケは遥斗の影の中でおねんね中である。
ハマトクは、昼になると一気に活気に満ちていた。レジには数人程度であるが行列ができ、木材カットのコーナーからはけたたましいモーターの機械音が響いている。遥斗は、バックヤードで倉庫整理をしながら、店内の喧騒をBGMのように聞き流して(実際シアにお気に入りの音楽を流してもらっていた)作業に集中していた。
本社のSVである五十嵐がやってきたのは、ちょうど遥斗の作業が終わる頃だった。店長の山田と何やら話している声が聞こえる。各店舗を管轄するSVの巡回は珍しいことではない。一応遥斗は彼の名前くらいは知っているが、おそらく向こうはこちらのことなど記憶にもないだろう。遥斗は気にせず、最後の段ボールをラックに積んだ。
「……で、それが急性虫垂炎で倒れたってんだから、最悪だよな」
ため息をつく五十嵐の声が聞こえた。
「カンボジアのメーカーとの商談、今日だったんですよね? 竹製建材でしたっけ」
「ああ。相手は地方からわざわざ来てて、リスケはまず無理だ。初回の大型商談だからって、クメール語を話せる人間をこっちは用意してたんだが…まさか当日になって倒れるとは」
「クメール語、ですか。それは急には探せませんね。英語じゃダメなんですか?」
五十嵐は頭を掻きながら、苛立たしげに続けた。
「向こうもある程度英語を喋れる社員がいるから絶対にダメってわけじゃないんだが、相手の社長はクメール語しかできなくて、おまけにアメリカと英語嫌いらしい。ウチの社員にたまたまカンボジア生まれがいて、クメール語での交渉ができるってこともあって、競合他社に負けないで優先的に商談に持ち込めたんだ。だからこの初対面での商談と契約だけは、信頼を得るためにも英語じゃダメだってウチの社長がさ。そんなこと言っても、今さら他から雇うにしてもクメール語を話せる人間なんて、すぐに確保できるもんじゃない……」
「店長、お話し中すみません、倉庫整理終わりました。休憩はいります」
遥斗が山田に声をかけた。話に割り込んでしまうが、報告はしておかないと休みを取れないのである。
「ああ、お疲れさま…って、遠峰くん! そうだっ!」
「はい?」
山田は何かを閃いたように、目を輝かせた。
五十嵐が訝しげな表情で二人を見る。その時、フロアからは慌てた様子の女性店員、春日が顔を出した。
「店長、悪いんだけど遠峰くんちょっと貸してもらっていい? お客さんが言うにはカンボジアから来たっぽいんだけど、英語の訛りがひどくて、全然聞き取れなくて…」
その瞬間、五十嵐は言葉を失った。今まさにそのような話をしていたからだ。だがなぜそれをこのアルバイトの青年に? そう問いただすまでもなく、山田は小さく頷き、「行ってやってくれ」と遥斗に目配せする。
「カンボジア……ああ、なるほど。クメール語、ですね。わかりました、行ってきます」
遥斗は特に驚く様子もなく、エプロンの紐を締め直すとフロアへと向かっていった。
五十嵐は呆然とバックヤードのモニターに目をやった。監視カメラが映し出すのは、ホームセンターのフロアだ。竹製のガーデンチェアの前に立つ遥斗と、小柄な外国人男性が見える。男性は困惑した表情で身振り手振りをしていたが、遥斗が口を開いた途端、その表情は驚きに変わり、やがて満面の笑みに変わった。
モニター越しのため会話は聞こえない。だが、楽しげに話し込む二人の様子から、会話がスムーズに進んでいることは一目瞭然だった。遥斗は指で竹のフローリング材のサンプルを叩き、その強度をアピールしている。男性は真剣な眼差しで聞き入り、大きく頷いた。二人はまるで旧知の友人のようだった。
数分後、男性は遥斗と固く握手を交わし、満足そうにレジへと向かっていった。
沈黙が支配するバックヤード。先に口を開いたのは、信じられないものを見たという顔の五十嵐だった。
「……山田店長、今のは……」
「はい。あいつ、うちのバイトなんですけど、なぜか外国語にめちゃくちゃ強いんですよ。今までもロシア語、フランス語、中国語といった有名な言語だけじゃなく、タガログ語、ヒンディー語、アラビア語……数え上げたらキリがないくらい、いろんな言語を話せるんです。できないって言ったのを聞いたことがないんで、外国のお客さんが来たらとりあえず遠峰くんに頼むのが、うちの店の慣例になってるんです」
「なんだそれは。とんでもない逸材じゃないか……」
五十嵐はモニターに映る遥斗の後ろ姿を凝視したまま、呟くように言った。彼はスマホを取り出すと、どこかに電話をかけ始める。
「すまない、急に悪い。通訳の件、面白い話があってな……いや、話せるやつがいるんだ。クメール語を流暢に……ああ、当然確かめる」
五十嵐は電話を切ると、フロアから戻ってきた遥斗を待ち構えた。
「戻りましたー。あ、フローリング材とガーデンチェア、仕入れておいてください。さっきのカンボジアのお客さん、店頭にあるだけじゃなくて、もっと欲しいそうです」
なんでもなかったように答える遥斗に、山田は苦笑いしながら「お疲れ」と返し、五十嵐に「ね?」と軽く言って笑う。しかし五十嵐はそんな山田を気にかける余裕がなく、遥斗をまっすぐに見つめて話しかける。
「君、ちょっと話がある。今すぐ、新幹線で東京の大手町に来てほしい。もちろん交通費含めて報酬は払う」
遥斗は「えっ」と間の抜けた声を上げた。
「なんの話ですか?」
「詳しい話は新幹線の中でする。とにかく、本社で開かれるカンボジアの企業との商談の通訳を頼みたいんだ。クメール語、できるんだろう?」
「通訳って……俺、バイトですよ?」
「わかっている。だが、本当に時間がないんだ。今は藁にでもすがりたい」
五十嵐は熱心に語るが、遥斗は困惑していた。面倒なことになりそうだ、という直感が頭をよぎる。しかし、そんな遥斗の様子を見て、春日たち女性店員が口々に援護射撃をする。
「遠峰くんなら、きっと大丈夫ですよ!」
「そうそう! こんなすごい機会、滅多にないって!」
店員たちの期待のこもった視線に、遥斗は「え」と気だるそうに答えている。
言葉を濁す彼の態度を見る限り、彼は『無理です』とは言わないようである。ただ『面倒くさい』と思っているだけらしい。
五十嵐はその遥斗の様子を見逃さなかった。ならば、あとは交渉がうまくいくかだけだ。
「頼む、本当に困ってるんだ。うまくいけば報酬も期待していいはずだ」
「あの……でも、本当に俺なんかでいいんですか? 通訳できる自信はありますけど、いきなり俺が言って『しゃべれます』って言っても本社の人に信用されないと思いますけど」
「その件だが、念のため確認させてもらう」
五十嵐はそう言うと、手元のノートパソコンを開き、あらかじめ開いていた動画を再生した。カンボジアの市場らしき場所で、店主と客らしき人々がやり取りをしている。
「この動画を見て、会話の内容を正確に教えてほしい」
一度遥斗に訳させた後、自動翻訳で意味を見れば、彼の言語力がある程度はわかると考えたのだ。遥斗はじっと動画を見ると、一度「うん」と何かにうなずいて、口を開く。
「『これは今朝切ったばかりのタケノコだ』って言ってますね……あー」
遥斗はモニターを見つめながら、なぜか言葉を濁した。
なるほど、確かに動画ではタケノコらしき何かをもって指さしている男がいる。だが、この程度なら誰だって適当にいえる。
「それだけかい? 会話はもっと続いているようだが?」
「ええと……言っていいのかな、これ」
「なんだい、正直に言ってくれ。やっぱりわからないのか?」
五十嵐は焦燥感を露わにした。そんな彼をよそに、春日たちは「頑張って!」と遥斗に熱い視線を送っている。遥斗は居心地が悪そうに頭を掻くと、覚悟を決めたように続きを言う
「えっとですね……店主がそのあとに、『俺の立派なタケノコ、今晩どう?』ってセクハラしてます。多分、相手は客じゃなくて奥さんです」
「……は?」
「で、奥さんが『そのタケノコくらい大きくなってから言え』って突っ込んで、周りの親戚がゲラゲラ笑ってます」
五十嵐は絶句した。
もし適当に言っているなら、いい度胸である。だが、彼の『何言わせんだよ』と脱力している表情を見る限り、それはおそらく真実なのだろう。その異様さを目の当たりにし、五十嵐の顔に驚愕の色が浮かんだ。
彼は慌てて、動画を自動翻訳にかけてみる。
『朝にタケノコとれた。夜にとれたタケノコはいかがです、大きいですよ』
『小さいのいらない。大きくないが言いますか』
と、字幕で日本語が表示されているが、明らかに精度が低く、断片的すぎて会話の内容は掴みづらい。だが、確かにキーワードを拾えば遥斗の言った内容と一致するし、全体の雰囲気を考えれば遥斗の訳は妥当性がある。
「……これは……本物かもしれん」
ぽつりと呟いた五十嵐。彼の遥斗を見る目はとんでもない掘り出し物を見つけたように熱い。だが春日たちは遥斗に向けて一斉に冷ややかな視線を浴びせる。
「「サイテー!」」
「なんで俺見るんだよ! 動画の店主に向かって言ってよ!」
春日たちの非難の声に、遥斗は思わず身をすくめて悲鳴を上げた。。
そんな騒動をよそに、五十嵐は遥斗をまっすぐ見つめた。
「是非頼む。着替えのスーツから何から、向こうで全部用意する。君の力が必要なんだ」
「……わかりました。でも、報酬のほかに条件が一つだけ」
「な、なんだい? できる限りのことはするよ」
遥斗はしばし考えた後、口を開いた。
「チョーカーとマスク、したままでいいですか?」




