第55話:ペット飼っていいですか?
窓の外では、すでに暗くなった空にぼんやりと月が輝き、遠くのビル群がシルエットとなって浮かんでいた。
リケは遥斗に促されて、影の中からにゅるん、と一つ目スライムの冒涜的な姿で現れると、あたりを不思議そうに見渡した。
「ここが俺の日本のアパートだ。日本にいる間は、俺が許可しない限りその触手とか出しちゃダメだぞ。とりあえず今は、シマリスにでもなってくれ。シマリス、わかるか?」
遥斗の足元で、うじゅるうじゅると体を揺らしていたリケは、彼の言葉に反応するように一瞬静止した。まるで記憶を覗き込むようにじっと遥斗を見つめ、するすると体を変化させていく。黒と白の縞模様、つぶらな瞳、ピンと立った小さな耳、大きな尻尾。数秒後、そこには愛らしいシマリスがちょこんと座っていた。
「おお、いい感じだな。……なんか少し違和感あるけど」
遥斗が首を傾げて呟くと、首に巻かれたチョーカーから、シアの声が響いた。
「全くもって不可解ですが、リケはルト様の記憶を参照しているのですよね?ルト様の記憶が曖昧だと、細部がズレているのでは。ネットにある動物の映像記録をお見せしましょうか?」
「わかった。じゃあ、いろんな動物を見せてあげてくれ。外に出るときは、気に入った動物になれたほうがいいだろ。あんまり大きいと困るけどな」
「Aisa」
シアの声に応じ、空中にホログラフスクリーンが浮かび上がった。そこには次々と動物や昆虫の動画が映し出される。リケは最初、森で動物にいじめられた記憶がよみがえったのか、それらを見て小さく震えながら警戒するように身を固めた。しかし、映像の中の動物たちが襲ってくる気配がないと分かると、シマリスの姿のまま安心したように体を揺らし、楽しそうにスクリーンを見つめ始めた。時折、好奇心旺盛な目で画面の中の動物の動きを真似たりする仕草を見せ、遥斗は思わずくすりと笑った。
その間、遥斗はデスクトップパソコンで、オークションに出していた鉱石の売れ行きを確認していた。
シアは併設のスクリーンを出せるというが、あんまりシアに頼ってパソコンに触れないのも今後弊害が出そうなので、今はリケの対応を任せておく。
「そうですね、少しはパソ太にも頑張ってもらいましょう」
「あ、うん。それ続いてるんだ」
最近シアは遥斗のパソコンを「パソ太」、スマホを「スマ吉」と弟扱いしているので、前ほど抵抗はなくなっているようである。ただあくまで遥斗の所有するパソコンに対してだけで、バイト先や出かけた先にある情報機器には相変わらずマウントを取る。
遥斗はもう面倒くさくなって注意するのをやめている。
さて、入札はどうなったか確認してみると現在の入札額は3,000円ほどで、ここ数時間値動きがない。このままいけば予定の期日の二日後に落札される見込みだ。以前、エリドリアの木工品が高値で売れた経験があっただけに、どれほど値段が跳ね上がるか期待しつつも怖くあったが、一安心である。まあもう少し高かったらいいなとは思ったが、それでも向こうでの価値と自分の出費を考えれば、数千円で現金化できるだけでも上出来なのだ。
鉱石の確認を終えると、遥斗は今度は先のオークションで高額落札された木工品の発送準備に取りかかった。この木工品は、今後オークション以外の方法で販売する可能性を考えると、購入者に「損をした」と後悔させるのは忍びなかった。
なにしろ一番最初にヴェルナ村の工芸品の価値を認めてくれた人達でもあるし、いろいろとしてあげたくなる。そこで、今回もらってきた、リーリーが魔術刻印を施したポプリやアミュレット、革細工のキーホルダーやその他の色々な物をセットで同梱することにした。
これらはもともと売る予定だった「日本の糸や布」を使ったものではなく、「おまけ」としてもらったヴェルナ村の素材だけで作られているものである。
さらに、セメラたちが急きょ作った「森眠鳥」を模した木彫りの小物を加えた。
このフクロウのような鳥は、英知と見守りの象徴とされていて、この置物は人々が正しい道を歩み、幸福と安寧を得ることを願うものだ。精巧で生き生きとしたその置物は、遥斗自身も欲しくなるほど見事だった。
セメラたちは、遥斗の国の人があの木工品の価値を認めて高額を出してくれたことに感謝していたので、是非これも渡してほしいと頼まれたのだ。遥斗は正直、自分も欲しかったので、後でセメラさんに作ってもらおう、と考えている。
そんなことを思いながら、遥斗は商品をパルスクリーナーで丁寧に清浄化し、梱包を進める。
さらに、今後販売する商品には「一点限り優先購入権」を特典として付けることにした。高額で購入してくれた人への感謝の気持ちを込め、特別感を演出するためだ。そのくらいしないと、合計50万という大金で買ってくれた人に報いることができないと思ったのだ。
すべての準備を終え、郵送手続きを済ませると、遥斗は満足げに一息ついた。
翌朝、バイトが昼からだったため、遥斗は朝の涼しい時間を利用してアパートの裏に住む大家の家へ向かった。胸元にはシマリス…ではなく、なぜかリスザルの姿のリケがちょこんと顔をだしている。
昨夜、シアが映し出した動物の動画を見ながら、リケは特に猿に心を奪われたようだった。ピグミーマーモセットとリスザルで最後まで悩み、途中では悩みすぎて擬態が解け、一つ目のスライム状に戻って「うじゅる、うじゅる」と動いていた。
遥斗はそんなリケを「悩んでる姿も可愛いな」と呑気に眺めていた。
服と同様、コイツは造形に対するセンスが死んでいる。
なかなか決まらないリケに、
「その日の気分で変えたら?」
と、遥斗が提案すると、リケは「その手があったか!」とばかりに目を輝かせた。ただ普段使いはリスザルに決めたらしい。サイズ的には遥斗の頭に乗れるマーモセットなのだが、リスザルの方が動きやすいらしい。
それで悩んでいたのだが、遥斗に
「じゃあ子供のリスザルでいいんじゃないの。擬態なんだし成長しなくてもいいんでしょ」
と言われたのが決定的だったようだ。
大家の家は、古びた一軒家だが手入れが行き届いており、小さな庭には季節の花が咲いている。八十歳近い大家のお婆さんは、いつも柔和な笑みを浮かべた品の良い人だった。遥斗は菓子折りを手に、胸元のリケを見せながら切り出した。
「大家さん。この猿なんですけど、ここで飼ってもいいでしょうか?」
リケはリスザルの姿で、つぶらな瞳を大家に向けていた。大家は一目見て目を細め、優しい笑顔を浮かべた。
「まあ、かわいいわねえ。籠にも入れてないのに逃げないの?馴れてるのねえ。お名前は?」
「はい、リケって名前です。人懐っこくて賢いんですが、知り合いがどうしても飼えなくなって…。アパートがペット禁止なのは知ってるので、許可が出なければ諦めますけど」
大家は少し考え込んだ。アパートは亡き夫がペット禁止にしていたが、それは他の入居者への配慮からだった。個人的には「部屋を汚さない、傷つけない、他の部屋に迷惑をかけない」なら構わないのだ。
彼女はそう前置きしつつ、少し心配そうに尋ねた。
「このおサルさんはトイレとか大丈夫なの?」
「普通はオムツをするらしいですが、この子はすごく賢くて躾も済んでますので決められた場所にしかしません。物を壊すこともありません」
そもそもリケの排泄は、変質した魔力を排出するだけなので、普通の人間にはそれがわかることはない。なのでトイレ問題は一切なかった。
「匂いとかはどうなの?」
「それも大丈夫です。専用の消臭スプレーがありますし、この子は体臭がほとんどないんです」
大家は興味津々に身を乗り出した。
「匂いを嗅いでみてもいい?触ってもいいかしら?」
「大丈夫ですよ。リケ、大家さんにご挨拶して」
リケは「ケリリ!」と可愛らしく鳴き、遥斗の肩から軽やかに大家の肩へ飛び移った。大家は一瞬驚いたが、リケが頬にすり寄ってくるのを見て目を輝かせた。
「まあまあまあまあまあまあ!まあまあまあまあまあまあ!」
すっかり心を奪われたらしい大家は、「リケちゃん、いい子ねえ」と、まるで孫を可愛がるような笑顔で撫で始めた。
――勝ったな。
遥斗は勝利を確信した。
実際、その愛らしさが功を奏したのか、リケの飼育は「様子見」という条件で許可された。
ただし、今後しばらくは抜き打ちで部屋のチェックを行い、もしリケのせいで部屋が汚れたり傷ついたりしていた場合は、弁償の上、リケを手放すか退去する必要があるという。
「本当は遥斗ちゃんの部屋くらいならいいのだけど、他の人たちのことを考えるとね、基準は厳しくしないと」
「それは当然です。厳しくチェックしてください」
その言葉に大家は頷くと、にこやかに続けた。
「その時はうちで預かってもいいけど、うちには老猫がいるし、私もおサルさんみたいな元気な子の面倒は長くは無理だからねぇ。…チェックのとき、リケちゃんと遊んでもいいかしら?」
「あ、はい」
遥斗は「それが本音っぽいな」と心の中で苦笑した。
リケ大勝利である。
いつかはリケの可愛さ抜群のうじゅるうじゅる形態も紹介したいところである、と遥斗はひそかに思っていた。
お前はお婆ちゃんをショックで殺す気か。
さて、リケの飼育許可を得て、遥斗は一安心しながらアパートに戻った。
肩の上にのったリスザル姿のリケは、「ケリリ」と鳴きながら大家さんに手を振っている。大家は「いいなあ、リケちゃんいいなあ」と羨ましそうにその背中を見送っていた。
数日後、落札された商品が購入者の手に届き始めた。
購入者のOLは、波花の宝匣を手にした瞬間、その圧倒的な存在感に震えた。これまでオカルトやスピリチュアル系のアイテムをネットで買い漁っては後悔を繰り返してきた彼女だが、今回は心の底から「買ってよかった」と歓喜した。箱だけでなく、同梱されたポプリ、アミュレット、革細工、そして『森眠鳥』というらしいフクロウのような鳥の木彫からは、製作者と出品者の誠意と愛情がひしひしと伝わってくる。
彼女は興奮冷めやらぬまま、ネットの掲示板に「届きました!」と写真を投稿した。様々な角度から撮影した箱の写真とともに、その魅力と感動を熱く語った。素人感丸出しの写真にも関わらず、品物のオーラは全く損なわれていない。
ネット上ではたちまち反応が飛び交った。
「ぐぬぬ…!」
「うわ、写真はスマホ撮りの上ヘッタクソなのにこの溢れるオーラよ。 ほんとにこれ光ってんの!?」
「マジかよ、詐欺じゃなかったのか」
「なんで俺、あそこで『詐欺かも』ってビビって撤退したんだ…ほんとだったならもっと粘ったのに!」
阿鼻叫喚のコメントが溢れる中、彼女は勝ち誇ったように呟いた。
「え、なになに?『25万で売ってくれ』だって?ふふん、『いやどす』と。当たり前だよなぁ!?」
以前からいた、この出品物へのアンチや冷やかしから辛辣なコメントも飛んできたが、彼女は「愚か者の戯言」と一蹴。周囲もスルーしていたが、ひとつのコメントに彼女の眉がピクリと動いた。
「でも、そのうちオークション以外でも売るって言ってたじゃん。結局安く手に入るよな。オークションで高い金だしてもその優越感は今だけだよな」
フォロワーたちも「そうだそうだ」「結局そうなるよな」と便乗する。これはアンチではなく、その価値を認めているからこその自慰的なものであるが、事実ではある。
だが、彼女は動じなかった。持っていた飲み物を片手に掲示板に書き込んだ。
「ふふふ、甘いね。出品者さんから素敵なおまけをいただきました!オークション以外では安価になることを考えて、最初の購入者への感謝としてつけてくれたみたい!村で作られたポプリ、アミュレット、革細工、最初の購入者向けの可愛い動物の木彫り、そして次回以降の新作優先購入権!めっちゃいいやろ!羨ましいかオラァン!」
同梱品の写真と共に全力で自慢と煽り文をアップすると、ネットはさらに大荒れになる。
「なんだこの刺繍のポプリ!?」
「アミュレット超欲しい!」
「え、フクロウの置物いいじゃん。先に言ってくれよ、こんなんつくならもっと金出したのに!」
「ひゃあ!負け犬共の叫びがギボジイイイイ!今日はこのポプリ使って箱を抱えながら安眠しちゃうもんね!」
負け犬たちの叫びが心地よく、彼女はまるで世界の支配者のように飲み物を持った右手を優雅に揺らしながらほくそ笑むのだった。
なお持っているのは紙パックの牛乳であった。
「うほほい!うほほい!」
一方、星枝の壁飾りを手に入れた大学教授は、研究室で奇妙な歓喜の舞を踊っていた。
「うほほい!うほほい!」
普段は生真面目な彼からは想像もつかない姿に、研究員たちは「教授、まだ若いのにボケたか」と心配顔だ。
教授はそんなことはどうでもいいと、謎の品の魅力について仲間と語り合いたいと、至福の表情でネットに写真を投稿する。
彼は先ほどのOLとは違い、あくまで資料提供として、そしてさまざまな人からの冷静な意見をもらうために落ち着いた文章で書き込んだが、ところどころに隠しきれない自慢と優越感が滲んでおり、掲示板にいる彼の同志達は「ぐぬぬ…」と静かに悔しげな声をあげながら自身の意見を書き込むのであった。




