第51話:さんち直送
『虚ろ喰らい』――それは、魔力と生命力の特異な結晶として「発生」する、純粋な魔法生命体だ。生殖によって増えることはなく、ただ己が世界に存在し続けるという本能的な欲求が、絶えず魔力を消費し、実体化し続けようとする原動力となる。その本質は空気中の魔素を捕食し、体内に蓄えることにあったが、その摂取効率は極めて悪かった。実体化を維持するためには、際限なく周囲の魔力を食らい続けなければならないのだ。
歴史上、何らかの理由で他の生物を襲うようになった虚ろ喰らいは、特に人間を捕食することが魔力を得る上で最も効率的だと学習した。一度「人間」の味を覚えて「美味しい」と認識すると、その「そこなし」の食欲で無尽蔵に人間を捕食し続けた。遥か昔には、国が一つや二つ滅んだという伝承さえ残るほどに、その捕食は凄惨を極めたという。その真の恐ろしさは、持続的な物質破壊には向かない代わりに、物理攻撃がほとんど効かず、さらに魔術的・魔法的な対策をしていない限り、どこからでも侵入し、発見されることなく標的を襲い、その存在を消し去る「不可視の侵入者」である点にあった。
そして、一度人間を捉えた瞬間から、それは悍ましき拷問官へと変わる。
人間を痛めつけ、恐怖させ、ありとあらゆる苦痛に絶望を与え、尊厳を奪い冒し、しゃぶりつくすように殺すのだ。
「人を喰らい、何もかも喰らう。虚ろな絶望ですらも!……それが、人類の敵、魔法生物『虚ろ喰らい』なんですが――…」
ルシが、どこか恐る恐る告げているのと真逆に、遥斗はなぜか楽しそうに目の前の奇妙な生き物と戯れていた。
「リケ、お手!」
「ケリ!」
「おかわり!」
「ケリ!」
「えらいぞ!それ、取ってこい!」
遥斗が放り投げた飴玉に向かって、リケはひょいと跳ね上がり、「ケリテテス!テース!」と軽やかな鳴き声を上げながら、見事なジャンピングキャッチを決める。
「すごいぞリケ!」
「ケリリリ!ケリ!ケリ!」
称賛の言葉に気を良くしたリケは、遥斗にすりすりと頬を擦り寄せる。その様子は、まるで飼い主に甘える子犬のようだ。
「……」
「懐いてないか?」
「懐いてるな」
「リケって名前つけてるし」
「触手まかれてるぞ」
あれが?と皆がルシに問いかける。
「……私の知識的にはそうなんですけど……自信なくなってきました」
ザヴァクやカイゼ、バルバたちの困惑した声が交錯する中、ルシは呆然とした顔で呟いた。
遥斗は、そんな周囲の反応には全く気づかず、無邪気に笑う。
「みなさん、なんで離れてるんです?あっはっは、じゃれるなじゃれるな」
「ケリー!」
リケは遥斗の頭の上に乗ると、子犬が体を預けるようにその体を遥斗の頭にずぶずぶと埋めていく。
「ハルさん、頭が半分めり込んでるんですが」
「食われとりゃせんか?」
「ヤバイな、これ」
「あ、鼻と口まで埋まって息できなくて暴れてる」
「ハル殿ぉ!?」
慌てたバルバの声で、遥斗はリケから頭を引き抜いた。
「あーびっくりした。ダメだぞケリ。俺は息できないと死んじゃうんだからな!」
「テテス……ケリ…」
リケはごめんなさいと言わんばかりに、しゅんと落ち込んだ様子を見せた。
「え、この子、そんな危険な生物なんですか?まあなんか冒涜的な造形はしてますけど」
遥斗はリケを抱えてわしゃわしゃと腹?を撫でながら改めてルシに尋ねた。
「生物というか魔物というか……はい、そうだとされています。虚ろ喰らいは、魔力がなくなると本能的に人間を襲うようになります。まだ危険がないのなら、なおさら今のうちに駆除しないと……」
ルシの言葉に、遥斗はリケを見つめた。
「……うーん、お前、人を襲うの?」
「ケリ?ケリ~」
リケは遥斗の顔を不思議そうに見上げ、首を傾げる。
「まずそうだし襲わないっていってます。お菓子の方がいいって」
「言葉わかるんですか!?」
ルシが驚きの声を上げた。
「わかるっていうか、なんとなく言ってることが伝わるというか……あれ、なんでだ?」
遥斗自身も、その不思議な感覚に首を傾げた。次元の扉をくぐったことによる謎の翻訳とは別の、より根源的な繋がりが、この奇妙な生物との間に生まれているような気がしたのだ。
「うーん、ルシさん。なんで虚ろ喰いは人間を襲ったり、いたぶったりするようになるんでしょう?」
遥斗の疑問に、ルシは眉をひそめた。当時の研究では、という前置きをしながら、ルシは言葉を選びながら説明した。
「これはあくまで当時の推測なんですが、人間は『魔力持ち』と言われる自ら魔力を生み出せる異能者でなくても、最低限の魔力を持っています。それを狙ってるのと、そのときに発生する人間の感情の揺れを嗜好として覚えてしまうからと考えられています。感情の揺れは魔力を大きく変質させるので、その味を求めるのだと」
遥斗は、ルシの説明を聞きながら、リケを両手で持ち上げてキャッキャと戯れていた。
「なるほど……お前、そういうの食べたいの?」
「ケリケリ」
リケは遥斗の手の中で、満足げに揺れる。
「うん?……え、そうなの?………あ、ああー……それでかー」
遥斗は合点がいったように頷き、ルシの方を向いた。
「あの、なんて言ってるんですか?」
「リケが言うにはなんですが、この子が初めて食べた安定した魔力が、みんなで楽しくやってた宴会で出した俺のお菓子だったじゃないですか。だからこの子、人間が喜んでる、幸せで嬉しくなってる感情の揺れと、お菓子の甘くて美味しい味を覚えちゃったみたいで……みんなで楽しく食べたいらしいです」
「えー」
ザヴァクもカイゼも、そしてバルバたちも、揃って呆れたような声を上げた。
虚ろ喰らいは、確かに無尽蔵に周囲の魔力を吸収しては、変質した魔力を排出し続ける。
一度排出された魔力は生物に害はなく自然界に循環するが、自身で再吸収することはできない。
この空気中にある魔力の自然接種という方法は栄養の吸収効率が非常に悪く、より効率的に魔力を得るためには、感情を伴う生命体、特に人間を捕食するのが最も効率的だと、彼らは自然に学習していくのである。
そして人間を捕食する際に必ず発生する『恐怖』や『絶望』といった感情の揺れを一緒に取り込むことで、その味を覚えてしまい、いかに苦しめながら捕食するかを本能的に行うようになる。そして、それが実体化を維持する本能と結びつき、その体もどんどん大きく成長していくのだ。
しかし、リケは違った。遥斗が持つ、普通ではありえないほど高純度の魔力を含んだ地球の菓子を、潤沢に分け与えられた。しかも、遥斗はそれを「みんなと一緒に楽しんで食事をする」という形で行い、その後もリケを可愛がりながら栄養タップリの甘いお菓子を与え続けた。そのため、リケは「みんなが楽しそう、幸せで喜んでること」に満足感を得る、という独特の嗜好を持つ虚ろ喰らいへと変質していた。
「あと、ちょっと言いにくいんですが」
「え、まだ何かあるんですか?」
ルシが呆れたように問い返した。
「この子、俺を親か何かだとおもってるっぽいです」
「ゲッブゥ」
ルシが女性が出しちゃいけない何かを吐きながら盛大にむせた。
魔法生物である『虚ろ喰らい』は交配で生まれないため、親というのは基本的に存在しない。
だが、親と言える魔力の吹き溜まりは存在する。
生まれた直後は自身を包む高純度の魔力の繭から必要な栄養素を取り、成長するのだ。
必要な大きさまで成長した虚ろ喰らいは繭から這い出ると、繭に代わる魔力を求めて徘徊するのである。
残された魔力がなくなった繭は時間がたてば溶けるように消えてしまう。
リケは、生まれた直後は普通に森の空気中の魔力を取り込んでいたが、かなり離れたところに高純度の魔力が大量にある場所を知覚し真っ先にやってきた。
するとそこでは、初めて見た生物が自分をみてもいじめてきたりせずに、愛情と共に魔力というご飯をたくさん分け与えてくれる。
リケはそれを魔力の吹き溜まりと同じく自分にご飯をくれる存在、『親』ともいえる存在のように感じてしまったのだ。それになによりーー
「な、名前つけちゃったからですよ!!魔法生物に名前を付けるって、一種の契約ですよ!?」
ルシが顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、そうなの?だ、だって知らなかったし……あ、いやリケが悪いんじゃないぞ?」
「ケリ~」
遥斗の言葉に、リケは可愛らしく鳴いた。
「えっと、親の俺が人間なので、人間は好きで襲いたくないっていってます。今まで森で見た動物みたいにいじめてこないしって。あと皆さんも俺と同じ人間なので仲良くしたいけど、警戒されてて悲しいっぽいです」
「ケリテテス……」
遥斗がリケの感情を代弁すると、ザヴァクが低い声で呟いた。
「なんだよ、けなげじゃねぇかよ」
「こんないい子なのにルシは滅ぼせという……」
「わ、私が悪いの!?」
「……俺は知らん」
「びっくりするけど、なれると愛嬌があるわよね。冒涜的だけど」
何人かロール判定に失敗し始めていた。
「ケリー、テテスー」
リケは遥斗の腕の中で甘えるように鳴き続けた。遥斗は、その小さな体を抱きしめながら、意を決したようにルシに尋ねた。
「うーん……この子、飼っちゃダメかなあ」
こいつ、なんか、とんでもないことを言い出したぞ?
その場にいた一同がみな一斉に同じことを思った瞬間だった。
「か、飼うんですか!?ちょ、ちょっとそれは……人類の敵ですよ!?それに飼うって食べ物はどうするんですか!」
「この子、魔力は俺の飴1個あれば一週間は平気で実体化できるらしいです。それにいまたくさん食べたからしばらく平気らしいです。ただ食べようと思えばいくらでも食べられるって言ってますけど」
「えー……」
ただ、日本だとこんな生き物居ないから見つかるとまずいかなあ、と思うとその遥斗の考えを読み取ったかのように、リケの体が揺らめき、瞬く間に、より正確なウサギの形へと変形した。その愛らしい耳はピンと立ち、目はきょろきょろと瞬く。触手のような腕も完全に消え失せていた。ただし、そのウサギはエリドリアの生態を模したもので、地球のそれとは微妙に異なる、どこか神秘的な雰囲気を纏っていた。
「……変形による擬態ですね。これで油断させて人間を襲うとされています…!やはり飼うのは危険ですよ!」
「そうなんだ、これなら普通の犬とか鳥になればいけるかな」
「話聞いてます!?」
確かにこれなら日本に普通にいる動物に化けてもらえばなんとかなるかも、という思いがよぎるが、遥斗のアパートはペット禁止だ。イリスの家で預かってもらえないだろうか、とイリスが聞いたら卒倒しそうなことを考える遥斗の思考を、リケは再び読み取ったらしい。
次の瞬間、リケの体が揺らめき、遥斗の影の中へとすっと溶け込んだ。
実体化している間は魔力を消費するが、影の中であればその消費は殆ど停止するようだ。
実はこの時、遥斗の意志とは関係なく、リケは遥斗と「契約」を勝手にしてしまっていた。遥斗を「親」「主」と認識し、遥斗に依存する生き物になったリケは、遥斗が死ねば自らも死に、逆に遥斗が生きていれば魔力がなくなっても影の中で眠り続ける、という、もはや離れられない存在になっていたのだ。
そんなことは知らない遥斗は「これならアパートでもなんとかごまかせるかも!」と飼う気満々になった。
「飼っていいでしょ!お願い!ちゃんと俺が面倒見るから!こいつ殺さないでやって!」
遥斗は、まるで捨て犬を拾った子供が母親にねだるように、ルシに懇願するのだった。
「そういっておいていざ飼ったら結局私が面倒見るんですよ!弟が拾ってきた犬のジロチョーだって結局私が散歩させたんですから!」
「散歩させるから!いい子にさせるから!ね!?」
「だーめーでーすー!今は良くても大きくなったらウンチの世話とか大変で――」
なんだコレ。
なんやかやと言い合う二人に、ザヴァクたちは面倒くさくなってまだ残っていた酒を開けて飲み始めた。




