第48話:商談成立
「ハル様、エスニャの様子を少し見てきます。多分、まだぐっすり寝てると思いますけど」
イリスはそう言って、遥斗たちを後にした。
長い時間家を空けてしまったため、幼い妹のことが心配になったのだろう。
そして遥斗はスガライからの報告を受けていた。
納品物については、すでにリーリーが詳細を説明してくれていたため、スガライが持ち込んだのはそれ以外の、村の近況に関する報告だった。
「ハルよ、あんたが教えてくれた刺繍枠が、大変好評でな」
スガライは、どこか恐縮したような、しかし嬉しそうな顔で言った。精密な作業を可能にするあの枠は、村の女性たちから絶賛されているらしい。
「まだ改良はしているが、村のもんから新たな依頼がどんどん来ているんだ。マレナ婆が新しい刺繍の技法を広めてるのもあって、最近、村中で刺繍が流行っていてな」
スガライが誇らしげに語るその時、ティアリスがすっと立ち上がった。彼女は優雅な足取りで遥斗とスガライの元へと近づいてくる。
「スガライ殿。その刺繍枠、貴方が作っているものと聞きました。そして、この村から、これほど繊細で美しい新しい刺繍が生み出されているとも……」
ティアリスの涼やかな声が響く。
彼女の視線は、スガライが手にしていた刺繍枠に向けられていた。
「ヤーネット商会としても、ぜひ今後、貴方から直接取引をさせて頂きたい。同様の品を、私たちにも作っていただきたいのだけれど、可能かしら?」
スガライは一瞬、戸惑った表情を見せた。遥斗から教わった技術を、商会に売って良いものか、迷いがあるようだった。
遥斗は、スガライの肩にそっと手を置いた。
「スガライさん、それはこの村の道具で、スガライさんが工夫して作ったものだから、自由にしてください。それがこの村の新たな工芸品として、外の世界に広まって売れるなら、俺も嬉しいです」
遥斗の言葉に、スガライの顔に安堵と決意の色が浮かんだ。彼はティアリスに向き直り、深く頭を下げた。
「ティアリス殿のご依頼、喜んでお受けいたす」
「ありがとう、詳細な価格については、後ほど改めてご相談させてください」
ティアリスは満足げに微笑んだ。
「楽しみにしているわ。そして、その新しい刺繍も買い取らせていただきたいわね。これほど素晴らしい技術、きっと市場でも大人気になるでしょう。もし布地が必要であれば、ヤーネット商会が用意いたします」
笑みで応じるスガライ。
遥斗は、これでヴェルナ村が少しでも外貨を得られるようになればと、静かに胸の内で願った。
その間に、バルバはいったんの見積もりを終えて、遥斗の元へやってきた。
「ハルよ、布地の値付けが終わった」
バルバは興奮を隠せない様子で、遥斗をまっすぐに見つめた。
「お前のあの布地は、とんでもない。質から言えば、ククル織の倍は高く売れる。シルクに至っては、月繭紬の3倍はくだらないだろうな。どうだろう、この長さあたりでコットンが銀貨90枚、シルクは金貨3枚では」
遥斗は驚きを隠せない。高いとは思っていたが、この世界ではそこまで評価されるとは。
バルバは興奮と同時に、商会の命運を賭けるほどの重圧に武者震いをしながら、言葉を絞り出した。
「シルクの仕入れ値はコットンの5倍ほどと聞いているが、おそらく買い手は月繭紬を基準にすると思う。だからこの値段になる。だが完全に新しい商品ゆえ、実際に市場でどれほどの値段で売れるかは未知数だ。だから今回は仮の値付けとし、実際に売却できた価格によって、次回の取引では改めてご相談させてもらえないだろうか。きっと、ハル殿が満足できるだけの金額で売ってみせる!」
バルバは遙斗の顔色を窺い、内心では「この値ではダメか……?」とバクバクしていた。しかし、遥斗はバルバの言葉に、ゆっくりと首を横に振った。
「バルバさん、なら、その値段のうち、無理のない範囲を一部だけ手付としてください。俺は今は、とりあえずヴェルナ村のみんなに支払う分の銅貨があれば、それで十分なので、現金はそこまでいらないんです。あとは実際に売れてからで構いません」
遥斗のその言葉に、バルバは「へ?」と空気を漏らした。一般的な商人ならば、まず現金での前払いを求めるだろう。だが遥斗の関心は金銭だけではなかった。
「それより、バルバさん。こっちには『魔道具』があるって聞きました。俺はそれが見たいし、欲しいんです。とくに魔術が使えない人間も使えるようなのなら最高。どんなに安いものでもいいので、いろいろ見てみたい。その購入資金にしたいんです。あなたなら、揃えられますよね」
バルバは、予想外の遥斗の提案に、数秒の沈黙の後、破顔した。
「おお! ハル殿! そのお言葉、実に商人冥利に尽きる! 承知した、古今東西の魔道具を集めてみせよう!」
バルバは快諾し、遥斗の提案に心から喜びを感じているようだった。
布地の話が落ち着いた後、今度はお菓子の値付けに移った。バルバは再び顔を紅潮させながら、信じられないような高額を提示してきた。
「飴100個で金貨8枚」
「ぶはっ」
遥斗の想像をはるかに超える値段だった。というか、纏めた金額は布地より高い。
「どうだろうか、ハル殿? この価格で、貴殿もご満足いただけるか?」
バルバは恐る恐る尋ねるが、遥斗の表情は渋い。
遥斗の顔色を見て、バルバは不安になった。
「後払いとのことで、これらもあくまで目安だが、不足だろうか?」
しかし、遥斗は首を振った。そうではない、そうではないのだ。
「いえ、バルバさん、これは……高すぎます」
バルバたちは「へ?」と、口を開けて呆けている。
普通の商売ではありえない反応に、護衛たちも顔を見合わせる。
「俺としては、お菓子はその場しのぎのお金になればよかったんで……。村に売れたのだって高すぎだと思ってたくらいなのに、こんなに高く貴方に売れてしまったら、安易に村の皆に配れないじゃないですか……」
遥斗は眉を下げて悩んだ。
バルバたちは困惑しきった様子で言い募る。
「は、はあ……しかし、ハル殿。魔力を劇的に回復させる、あるいは増やす食べ物など、俺は聞いたことがない。あるのは、魔力回復を早める、程度のものばかりだ。それですら、大掛かりな準備や設備を要する。貴殿の菓子は、まさに唯一無二。だからこそ、この価格は当然だと思う!」
「でも、俺は、このお菓子を魔法の触媒としてではなく、純粋に菓子として楽しんでほしいんです。これでは民間人や、ましてや子供たちが気軽に食べられません。もっと安く買い取って、安く売ってほしい」
遥斗はそう訴えた。
だがバルバも慌てて反論をする。
「いやいや、ハル殿! それでは当商会の利益が大幅に下がってしまうし、何より、これほどの価値ある品をそんな安い扱いはまずいだろう! 俺は値切りはするが、価値ある商品には正当な値で売買する信念がある以上、そんな安値はつけられん!」
「そ、そこはなんとか勉強できませんか? 飴ちゃん玉はたくさん持ってきますし、その分あなたへの売値を下げますし。まとめて売れば結構いい値段になりますよね」
「具体的にいくらくらいを希望する?」
「100個で銀貨1枚でどうでしょう」
「それ露店売りのときと同じだろう! 結局1個銅貨1枚じゃないか! 魔力回復の効果がなくったってその10倍でも安いぞ!?」
「でもそれ以上で売れるのは怖いし……じゃあ100個で銀貨2枚で」
「いや銀貨30枚はないとだめだ! じゃなかった、魔力回復の効果を考えれば100個で金貨7枚!」
「そこをなんとか! 銀貨5枚で!」遥斗は必死に食い下がる。
「いや負けても金貨6枚に銀貨76枚で――」
何なのこれ。
商品を売る遥斗が値下げして、買い取りをするバルバが値上げをしている。見守る他の面々は、そのわけのわからない光景を呆れたように見ていた。
最終的に、折れたのは遥斗だった。今はまず流通ルートを強くすることが先決だし、それに、現状、魔力回復効果があるのは事実なのだから、その価値を完全に無視するわけにはいかないだろう。
「わかりました。では、今回はバルバさんの提示してくださった価格で構いません」
遥斗はそう言い、一呼吸置いて続けた。
「ただし、一つだけ条件があります。ヴェルナ村の皆には、俺が直接、安く売ることを認めてほしい。村人がそれを他で売ったりしないように、俺からもきちんと話をしておきますから」
「りょ、了解した……こ、ここでは魔術師ギルドが狂喜乱舞する秘薬が、子供のおやつか……はあ……」
バルバは深くため息をついた。彼の頭の中では、遥斗の菓子が市場を席巻し、巨万の富を築く未来が描かれている一方で、遥斗の奇妙な価値観に混乱を隠せないでいた。
こうして、異例ずくめの取引は無事成立したのった。
取引がひと段落し、ようやく空気が弛緩すると、遥斗はバルバの護衛たち、ザヴァク、カイゼ、ルシと会話をすることにした。先ほどの遥斗の豹変のこともあったので、最初は少し警戒していたようだが、自分たちに好感を持っていることは伝わっているようで、邪険にするわけにもいかない。それに、話してみれば、人当たりのいい遥斗は話しやすかった。
最初は遥斗が質問をする側だった。
「ザヴァクさんのその大剣、どんな魔物と戦ったんですか? ギルドではやっぱりランクとかあるんですか?」
ザヴァクは不敵に笑い、
「ああ、色々なものとやり合ってきたさ。魔物だけじゃねぇ、盗賊や悪質な冒険者ともな。ああ、たしかにギルドにはランク制度がある。腕のいい奴ほど、受けられる任務も報酬も上がるって寸法だ」
と答えた。もうそれだけで遥斗のテンションはMAXだった。
逆に護衛たちは、遥斗が身につけているリュックや服、履いている靴、そしてセメラに贈った木工用の刃物といった、地球の精巧な品々に目を奪われていた。彼らにとっては、見たこともないほど繊細で機能的、しかし丈夫そうな品々だった。
「ハル殿、その背負い袋とか、着ている服、それにその足元の履き物……もし手に入れるとしたら、だいたいどれくらいの値段になるもんなんですかい?」
ザヴァクが恐る恐る尋ねた。彼の視線は、遥斗のリュックやトレッキングシューズに釘付けになっていた。
遥斗は少し考えた。日本で買ったときは、リュックが1万円、服が上下で1万円前後、靴が5千円くらいだったはずだ。しかし、この世界の銅貨換算が難しいと判断した遥斗は、先ほどバルバに渡した布地の価値で例えることにした。
「うーん、そうですね……このリュックと上下の服なら、バルバさんに渡した布地(10Mロール)がそれぞれ2本分くらいかな。靴だと1つ分くらいですかね」
遥斗の答えに、護衛たちは揃って目を丸くし、そして諦めたように首を振った。
「そりゃ無理だ」
と。
使いつぶすことが前提の道具に、そんな大金はさすがに出せない。
さすがにこの辺の切り替えは早かった。
「銀貨10枚くらいなら出したんだがなあ」
ただ、遥斗にしてみれば、布地がこの世界で高く売れすぎなのである。もし仮に1銅貨を100円と単純に考えれば、100銅貨で仕入れられるわけで、銀貨10枚ならレート的にはぼろもうけである。ただ、問題は「エリドリアの貨幣を日本円にする術がない」ということだ。その意味で、遥斗にとって『エリドリアのお金』の価値はとても低い。この辺は今後の課題かな、と遥斗は一人、静かに考えるのだった。
その後も割と和やかな雰囲気の中、突如、交易所を閉めていた扉が勢いよく開き、イリスが飛び込んできた。
息を切らし、顔色は蒼白だ。
「ハル様! 大変です!」
「ど、どうしたの!?」
遥斗は思わず身を乗り出した。イリスの尋常ならざる様子に、ただならぬ事態が起こったことを察した。
「私、一度家に戻ったのですが、エスニャはぐっすり寝てました。でも、ルクが帰ってきてないんです。トゥミルたちと一緒だったはずなんだけど、そのトゥミルたちも見当たらないって、村中が騒いでて……」
遥斗の心臓が跳ねる。遥斗が見た限り、ヴェルナ村は本当に小さい村だ。畑はある程度広くても、そこは見晴らしがよかったはずだ。そんな中、複数の子供が同時に姿を消すというのは、たしかに異常事態だ。彼はバルバたちに断りを入れ、すぐにイリスたち村人と一緒に子供たちを探しに出ることにする。
「それなら、俺たちも手伝おう。あの元気な子供たちだろう。ザヴァク、手伝ってくれるか」
バルバは護衛たちに指示を出した。
ザヴァクは腕を組み直し、軽く頷いた。
「おうよ。ガキンチョたちに見栄切っちまった手前、そのくらいはな」
「ありがとうございます!」
イリスは震える声で感謝を述べた。
そして、全員で村中をくまなく探したが、子供たちの姿はどこにもない。村の門番のヨルクにも尋ねたが、子供たちが村から出ていくのは見ていないという。小さな村なので、あっという間に騒ぎは大きくなり、親たちは半狂乱で子供たちの名を叫びながら走り回っていた。バルバや護衛たちも、これはただの迷子ではないと真剣に子供探しに協力してくれたが、やはり見つけることはできない。
何かがあった。そう、誰もが悟り始めていた。イリスの顔は、すでに血の気が失せ、真っ青を通り越し真っ白になっていた。
「シア、この状況、何か手はないかな?」
遥斗は首のチョーカーに触れ、頼りになる相棒に聞いてみる。シアのことを知らない周りから見たら、おかしくなったかのような独り言だが、周りの目を気にしている場合ではない。
するとチョーカーから、遥斗の不安を打ち消すかのようなシアの落ち着いた声が響いた。
「ルト様。私のサーチの範囲にも、子供たちは確認できません。私は『スカッター』を使い、広域調査を行うことを提案します。スカッターは高感度センサーを備えており、広範囲を短時間で索敵可能です。ヴェクシス機関の出力が落ちる現象を考慮しても、この村周程度であれば十分捜索可能です」
「わかった」
遥斗はためらわず、その場でシアの提案を実行に移す。ポケットから持ってきていた『スカッター』3つをすべて取りだした。
「シア、スカッターを起動して、すぐに状況を把握してくれ。その映像をホログラフ展開して、皆にも状況を見えるようにできるか?」
「Aisa」
遥斗が指示すると、彼の首元のチョーカーから青白い光が放たれ、その光がスカッターに照射されると、それはいくつもの小さな光の塊となってふわりと浮かび上がった。
「スカッター、全機起動します。村の方々、離れてください」
シアの声が周囲に響くと同時に、その小さな光の虫たちは、まるで意志を持っているかのように、静かに交易所の上空へと舞い上がった。青白い光を帯びたそれは、まさに『小さい精霊』が空に舞い踊るかのように、美しい軌跡を描く。
それと同時に遥斗の目の前に、ホログラフスクリーンが起動した。
スカッターから送られる、鮮やかで鮮明な映像が大きく映し出されている。
遥斗の首から聞こえてきた、見知らぬ女性の声。そして突如現れた、村を空から映した映像と、まるで生きているかのような光の物体に、村人たちの間に驚きの声が広がった。
そして、なぜかホログラフスクリーンの横には、VTuberの『シア・ルヴェン』が、小さく浮かんで出てきた。なぜか某巨大人型兵器に乗る少年少女たちが着るような、スタイリッシュなパイロットスーツのような服を着て、眼鏡をくいくいさせている。
「お前何やってんの!?」
「見えない存在の声がするよりは、私が声を出していると理解すれば村の皆さんも安心するかと。あと、せっかく作ったモデルなので」
「絶対そっちが理由だよね!」
今は突っ込んでる暇はない……が、突っ込んだ。そんな暇はないのだが、どうも自身もだいぶ慌てていたようで、一度突っ込みを入れたらだいぶ冷静になってきた。これをシアが見越したのかどうかは知らないが、頭はだいぶクリアになってくる。
「ハ、ハル様!? それは……」イリスが驚きと混乱の表情で遥斗を見上げた。
「大丈夫、シアがいま頑張ってくれている。俺もできる限りはする! 皆さん!この映像を見て、何か村の周りにおかしいものがあれば言ってください!」遥斗はイリスに安心させるように微笑んだ後、周囲の村人たちに向かって声を張り上げた。
集まってきた村人たちも、最初はわけのわからない状況に呆然としていたが、今はそれどころではないと気づいたのか、言われた通りホログラフスクリーンを見つめる。
不安と混乱の中にいた村人たちは、遥斗の傍らに浮かぶシアの姿と、空へと飛び立つ光の精霊たちに、一縷の希望を見出すかのように見入っていた。ただ、そんな中、年配の村人や、一部の敬虔な者たちは手を胸の前で組み、遥斗を畏敬の念をもって見つめている。
村人たちのざわめきの中、スカッターは静かに上空へと舞い上がり、村の周囲はもちろん、その周辺の森や丘陵地帯を、瞬く間にスキャンし始めていた。
そんな中、誰かが小さくつぶやいた。
「……使徒、様?」
と。




