第46話:いってみよう、やってみよう
「すみません!つい、その、取り乱してしまって……!」
遥斗は熱くなった頭を必死で落ち着かせながら、深々と頭を下げた。
まさか重要な商談を控えた人物の前で、ここまで感情を爆発させてしまうとは。
しかし、その暴走の背景には、このエリドリアというファンタジー世界に来てからずっと、遥斗の中に澱のように溜まっていた見えないフラストレーションがあったことにある。
地球では存在しない、剣や魔法やモンスターといった要素を、遥斗はこの異世界に求めていた。だが、実際に足を踏み入れてみると、期待とは裏腹に異世界らしいものはここまでほとんど見れていなかったのだ。
せいぜい、最初に謎の道具で荷物を浮かせていた光景と、セメラが作ってくれた木工品の見慣れぬ材質くらいである。リーリーの魔術刻印には大きな期待を抱いたものの、それもプラシーボレベルの微々たる効果しか感じられず、完全に肩透かしを食らっていた。
そんなところに、ついに現れたのがファンタジー定番の『冒険者』だ。しかも、彼らは『冒険者ギルド』に所属しているというし、話を聞けば『大剣』だの『双剣』だの、彼のゲーム体験を呼び覚ます武器の名称が次々と飛び出す。特に双剣は、彼が熱中した狩人ゲームでやり込んだ武器種だったため、テンションは天井知らずに跳ね上がった。そして、極めつけは、ルシが『魔術』を使えること、しかもファンタジーの王道たる炎の矢を放つ魔術を操ると聞いた瞬間、遥斗の理性のタガは完全に外れてしまったのだ。抑圧されていた異世界への憧れが一気に噴き出し、我を忘れてしまった。
「いやいや、俺も若いころには冒険者に憧れを抱いた口でね、その気持ちはわからないでもない」
バルバは急に素に戻った遥斗の様子にわずかに怯んだものの、いやいや、彼は大事な商談相手で、場合によっては格上と見るべき相手であると思い直し、その謝罪を穏やかに受け入れた。
一行が足を踏み入れた交易所は、イリスの工房とは比べ物にならないほど広々としていた。土壁と太い梁が剥き出しになった簡素な造りで、中央には大きな木製の机と、その周囲に数脚の椅子が置かれているだけだ。清掃は行き届いているものの、長年の使用で摩耗した机の表面や、ところどころ欠けた壁の一部がこの村の貧しさを伝えていて、商談の場としてはだいぶ心もとない印象を与えている。
普段はここに交易品が広げられ、村人と商人の間で活発な取引が交わされる場所だが、今はがらんとして静まり返っている。
また、子供たちは「大人たちは大事な話があるから」と早々に言い含められ、すでに遊びに出てしまい、室内にも広場にも誰も残っていなかった。
商談に入る前に、遥斗は手提げ袋から「すこし良い菓子セット」が入った紙箱を取り出した。これは本当はセメラたち村の女性陣に渡そうと考えていたものだが、まだいくつか残っているし、菓子ならまた地球に戻って買ってくればいい。何より、今は目の前の商談相手、バルバたちの心象を良くすることが重要だと考えたのだ。
ほどなくして、イリスが淹れてくれた温かい薬草茶が全員の前に置かれた。そのタイミングを見計らい、遥斗は開けた菓子箱を机の中央に広げた。香ばしい焼き菓子の匂いがふわりと漂い、色とりどりのクッキーや、艶やかな光沢を放つチョコボンボンが並べられている。
「これ、お茶請けなんで皆さんでどうぞ」
遥斗が軽く促すと、一同の視線は吸い寄せられるように菓子に集中した。村では滅多にお目にかかれない、明らかに熟練の菓子職人が手間暇かけて作ったとわかるその菓子類に、村人たちはもちろん、バルバたちも思わず感嘆の声を漏らして目を大きく見開いた。
「どうぞ、皆さんにも。遠慮なく」
遥斗は護衛のザヴァクたちにも勧める。
最初、ザヴァクたちは「いや、ただの護衛がこんな高級なものをいただくわけにはいかない」と固辞したが、遥斗はにこやかに重ねて言った。
「いえいえ、先ほどの冒険者としてのお話、大変興味深く聞かせてもらいました。このあともいろいろ聞かせてほしいので、その対価です。ぜひ」
遥斗の言葉に、ザヴァクたちは少し戸惑いながらも、ようやく一つずつ菓子を手に取った。彼らの顔には「後でアレがまた来るのか」と、遥斗の先ほどの奇妙なテンションを思い出してか、微かな引きつりが見えた。
だが、一口食べると、その場に衝撃の波が一気に広がる。
村人たちは「菓子」そのものが食べる機会が滅多になく、遥斗の持っていた駄菓子屋の激安クッキーで初めて触れた程度だったため、今回食べたちょっといいお菓子も「なんか前にもらった菓子よりめっちゃすごく美味しい」としか言いようがなく、素朴な感想を口々に漏らしているだけだ。
だが、バルバとティアリスの反応は全く異なっていた。
彼らは無言のまま目を丸くし、お互いの顔を見合わせる。その視線には、味に対する純粋な感動と、一つの確信が宿っていた。
「これは……この菓子だけでも、王都の貴族たちが血眼になって奪い合うぞ……!」
と。
遥斗は皆の感想を静かに待ち、場が落ち着いたのを見計らって、改めて本題を切り出した。
「それで、先ほどの話ですけど……」
バルバは真剣な表情で遥斗に問い返した。
「ハル殿、貴殿の菓子や、その包み紙に、本当にそんな魔術的な効果なんてないのか?」
「ええ、そんな効果があるなんて知りませんし、聞いたこともありません。何か俺の知らないところで勘違いでもあったんじゃないですか?」
その言葉に、それまで静かに聞いていたティアリスが口を開いた。
「いいえ、間違いではありません。私が護身用の魔道具を使った時、普段では考えられないほどものすごく魔力を吸われ、その分、とんでもない威力になったのです。それに、あの銀紙に当たると、魔術の威力がさらに大きくなったり、逆に魔術を防いだりする効果があるように思えました。ね、ルシもそうだったでしょう?」
ティアリスがルシに確認を求めると、ルシは表情を引き締め、小さく頷いた。
「はい、間違いありません」
ティアリスは続ける。
「リシャッタに戻ってから、念のため同じ護身の魔道具を買って試してみたのですが、あの時のような異常な威力上昇はありませんでした。おそらく、チョコを食べたことで得た魔力をすでに使い果たしていたためだと思います」
その時、ルシがティアリスとバルバに視線を向けた。
「バルバ様、奥様。もしよろしければ、私からも意見させて頂いてもよろしいでしょうか」
バルバとティアリスは、すぐにルシに頷いて許可を与えた。
「私はもともと、焔の矢は一回に一発を放つのが精一杯でした。ですが、いただいた飴を舐めたあとから、一度に数発撃てるようになったのです。試しにギルドの修練場所で魔術を撃ち、魔力が減った後にバルバ様からいただいた飴を舐めたところ、枯渇したはずの魔力がかなり回復していました。また、知り合いの魔術師の方からは『魔術の核が一つ上になっている』という驚くべき指摘も受けました」
ルシはそこで一度言葉を区切り、皆の反応を伺った。遥斗やバルバたちの視線が、彼女の次の言葉を促している。
「おそらくですが……」
彼女は少し考え込むように視線を落とし、言葉を選び始めた。
「私の魔力にはもともと、今よりもずっと多くの量を蓄えられるだけの『器』ができていたんです。ですが、何らかの『殻』に阻まれて、その器の全てを使いこなせず、魔力を溜め込める量も、一度に動かせる『魔力循環路』の幅も限られていました」
ルシは顔を上げ、再び遥斗たちを見つめる。
その瞳には、自身の身に起こった神秘を解き明かそうとする真摯な光が宿っていた。
「ですが、ハル様からいただいたあの飴を舐めたことで、体内の魔力が増大し、それが今まで私を制限していた『殻』を突き破ってくれたのだと思います。その結果、私は本来持っていた『器』の大きさまで魔力を保持できるようになり、同時に魔力循環路も大きく拡張された。それが『魔術の核が一つ上になった』という状態なのだと、私は考えています」
ルシはそこで、説明の締めくくりに入った。
「ただし、これはもともと私にそれだけの潜在能力があった上で、あの飴がその殻を破るきっかけになっただけだと思います。ですから、誰もがその飴で私のように魔術師としてランクアップするわけではないでしょう。私が見習いレベルで、伸びしろが大きく残されていたからこそ起きた現象なのだと思います。ですが、魔力が回復する効果は間違いなくあります。そして、今いただいたこの素晴らしいお菓子も、私の体内の魔力を確かに増大させているのが分かります。残念ながら、今は私自身がまだ枠を広げるだけの器が足りていないようで、これ以上、殻を破ることはできないみたいですが。修練を積めばもしかしたら……」
遥斗は、ルシの説明に驚きを隠せない。
「え、俺の持ってきた飴ちゃん玉に、そんな力が……!?」
さらにバルバが興奮気味に畳み掛ける。
「そして、あの銀紙もとんでもない代物だった。きっと魔術の触媒として、途方もない効果があるはずだ!」
「それなら、今ここで、これを使って実験してみましょうか」
遥斗は、先ほど皆で食べた菓子の詰め合わせの中にあったチョコボンボンを包んでいた小さなアルミ箔を手に取った。
バルバとティアリスは「まさにこれだ!」とばかりに、その包み紙を凝視した。
「しかし、ハル殿、これも高く売れるものかもしれないぞ。使ってしまうのは惜しくないのか?」
「商品の価値を取り扱う私たちが、その真の効果を知らないわけにはいきません。これは、その価値を見極めるために必要なことですから」
その言葉に、バルバとティアリスは深く感嘆の息を漏らした。やはり、この若者の商才、そして判断力はただものではないと。
ちなみに遥斗は内心で「だってゴミだしなあ」と思っていたが、空気を読んでそれを表に出すことはなかった。
実験は、交易所の前の広場で行われることになった。
「炎よ、集え――『焰の矢』」
ルシは杖を構え、魔術詠唱を行い威力を抑えた焔の矢を放つ。遥斗の目の前で、杖の先から「ぽひゅ」と可愛らしい音を立てて小さな火の矢が飛び出し、地面の僅かな範囲を焦がした。おもちゃの花火のようなその光景だったが、杖の先から出たそれは間違いなく彼が望んだ『攻撃魔法』であり、遥斗は感動で口元を押さえ、体が小刻みに震わせる。周りはもう何も言わなかったが、ルシだけは遥斗のキラキラした眼差しに少しやりにくそうだった。
「では、同じ威力で、その銀の紙に打ちます」
ルシが言うと、遥斗は手にした銀紙を、適当な大きさの石の間に挟んで地面に置いた。皆は少し離れて、固唾を飲んで見守る。ルシも慎重に狙いを定め、静かに魔力を練り、先ほど同様に魔術を放った。
「炎よ、集え――『焰の矢』」
そして魔術は狙い通りに銀紙が置かれた石に命中する。
しかし、結果は拍子抜けするほどあっけないものだった。
「ぽひゅ」と小さく音を立てただけで、それだけ。先ほど地面に放った時と全く変わらない。近づいてみれば、アルミ箔は当然燃えはしていないものの、普通に衝撃でぼろぼろになっていた。
「あっれぇ……?」
ティアリス、バルバ、そしてルシは、同時に間の抜けた声を漏らした。
遥斗は、どこか納得したように呟く。
「なんだ、やっぱりそんな効果はないよね」
と。
広場での実験を終え、一行は再び交易所の中へと戻ってきた。
バルバたちは沈黙しており、遥斗は実験が失敗に終わったことの空気を換えるためか、リュックの中からお馴染みのチョコナッツ棒を一つ取り出した。
「ルシさん、お疲れさまでした。これどうぞ。疲れた時に甘いものもいいですよ。理由はわかりませんけど、魔力も回復するそうですし」
そう言って遥斗が差し出すと、ルシは少し恐縮しながらも、素直にそれを受け取った。魔力の回復というより、どうやら先ほど食べたお菓子のこともあり、遥斗の出す菓子の虜になり始めているらしい。
彼女は受け取った包みを開けようとして、はっと息を飲む。
「こ、ここにも銀の紙が……!」
その指が触れているのは、あのチョコボンボンの包み紙とはまた少し違う、薄く光る銀色のフィルムだった。ルシは目を輝かせながら、その包み紙をじっと見つめた。その眼差しは、先ほどまでの落胆を振り払い、再び新たな可能性を探求する、まさに魔術研究者のそれだった。
「あの、ハル様。もう一度だけ……もう一度だけ、試させてもらってもいいでしょうか?さっきは、もしかしたら小さすぎて、きちんと当たらなかったのかもしれません」
ルシの言葉に、バルバが
「ルシ、ハル殿の好意に甘えてまたその紙を無為にするわけにはいかないぞ」
と、彼女を嗜めるように声を上げた。
しかし遥斗は、気にするそぶりもなく、にこやかに首を振る。
「いや、それはルシさんに上げたものですから、好きにしていいですよ」
バルバも、遥斗にそう言われては仕方ない。それに、銀の紙は確かにいい値段で売れそうだが、魔術触媒としての価値はないとなれば、そこまで大騒ぎすることでもないか、と、仕方なしに「好きにしなさい」という。
遥斗、そしてバルバの許しを得ると、ルシはパッと顔を輝かせた。
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!じゃ、じゃあ、半分だけちぎって試してみます。すぐに戻りますから!」
そう言い残すと、ルシは包み紙を慎重に半分にちぎり、慌ただしく交易所を飛び出していった。バルバたちは呆れたようにそれを見送ったが、ルシ以外の全員はそのまま部屋の中に残った。
遥斗は、少し不安そうな顔でバルバに尋ねた。
「あの、もしかして、魔術の触媒効果がなかったら、取引は止める、なんてことは……」
「そんなことはない!ルシの証言の通り、魔力の回復効果は間違いなくあるし、たとえそれがなくても、これほどまでに素晴らしい菓子は絶対に売れるからな!」
遥斗の言葉に、バルバとティアリスは即座に首を横に振った。
バルバの力強い言葉に、遥斗は心底ほっとした顔を見せた。
「そうですか、よかった。もしダメなら、高級だっていう布や糸、それからビー玉とかも出そうかと思ったけど……」
遥斗がそう口にした瞬間、バルバが信じられないといった顔で食い気味に問い返した。
「布、だと? まさか、ハル殿、布まで持っているのか!?」
「え?ええ、コットン、シルクっていうんですけどね。こっちで似たようなので『ククル織り』とか『月繭紬』とかいうんでしたっけ?」
遥斗の言葉を聞いた瞬間、バルバとティアリスは、まるで稲妻に打たれたかのように同時にガタっと立ち上がった。
彼らの顔は驚愕に染まり、大きく目を見開いている。
「ク、ククル織りに、月繭紬だと!?」
その反応に遥斗はこれは売れるかも、とリュックの中に手を突っ込むと品物を取り出し、机の上に広げ始めた。透き通るような光沢を放つ上質な布地、宝石のように色とりどりの糸巻、精緻な針やハサミといった裁縫道具の数々、そしてきらめくビーズや、美しいガラス玉まで。それらの品々は、交易所のごく簡素な机の上で、まるで芸術品を展示しているかのように輝きを放っていた。
「こ、これは……!」
バルバたちは、もはや言葉を失い、机に並べられた信じられない光景を狂乱した目で凝視する。
こういった高級な嗜好品に興味がないはずのザヴァクとカイゼもまた、驚きに目を見開いていた。
「な、なんてことだ……これほどのすさまじいものを、ハル殿は取り扱えるというのか……!」
バルバの声は震え、その手は目の前の布地に触れようとしては止まる。その指先は、柔らかなシルク、そしてコットンの温かな肌触りを確認するのを寸前でためらっている。触れたら価値が下がるのではないか、そう思わせるほど布は均一で滑らかなのだ。そのほかの品物も、恐ろしいほどの質である。
遥斗の先ほどの素振りからは、これらの品々もまた、取引の対象となりえることが示唆されていた、ように思う。
それは、これまでの人生で彼が扱ってきたどの交易品よりも、遥かに価値を持つものだ。
王都の貴族どころか、各国の王族ですら垂涎の的となるであろう逸品の数々が、今、この寂れた交易所のごく簡素な机の上に、無造作に広げられている。
これほどの大物を目の前にして、冷静でいられる商人などいるはずもない。バルバは、この機を逃してはならないと本能が叫ぶのを感じた。喉が渇き、心臓が耳元で激しく脈打つが、怯んだままでいるわけにはいかない。
彼は恐る恐る、決死の覚悟で、その夢のような取引を申し出ようと口を開きかけた――
その瞬間。
ドン!と。
外から何かが激しく爆発した衝撃音が響き渡った。
少し更新ペースを落とそうかと思います。
土日に書き溜めして、投下前日にいろいろ調整してから投下していますが、さすがにこの文量を毎日投下はストックがあっという間についてきつくなってきたので、
ただ、テンションが上がれば連日投下することはよくあるので、『毎日投下が基本というわけではない』と思っていてください。




