第4話:異世界からの密航者
「マジでどこだよ……」
遥斗が頭を抱え、どうしていいか分からず呟いた。
イリスとの約束が頭をよぎり、「ここがどこかも問題だけど、エリドリアにゃもう行けねぇのかよ?」と焦った瞬間、背後で「シュッ」という鋭い音が響いた。
「うおっ!?」
振り向く間もなく、首筋に静電気に触れたような痛みが走り、全身が硬直する。膝から崩れ落ち、視界がぼやけた。
「何!? 何!?」
心の中で叫びつつ、体が動かず床に倒れ込む。目の前で、黒いブーツが近づいてきた。
「密航者か? それとも盗人か?」
冷たい声が頭上から降る。顔を上げようとしても首が動かず、視界の端に映るのは、灰色の作業服に身を包んだ細身のシルエット。
腰に機械的な道具をぶら下げ、手には銃らしきものを握っていた。
「どっちでもいいけど、アタシの船に忍び込むなんてなめられたもんだね」
声の主がしゃがみ込み、遥斗の顔を覗き込む。短く切りそろえた赤髪と、鋭い緑の瞳の、18歳くらいの少女だった。
「動けないだろ? 麻痺銃だからしばらくはそうなる。連邦の警備隊に突き出すか、宇宙に放り出すか……アタシはどっちでもいいよ?」
彼女は淡々と呟きつつ、銃を腰に引っ掛けた。
遥斗は内心「宇宙!? マジで!?」と焦りまくるが、口が動かず「うーっ」と唸ることしかできない。
少女は眉をひそめ、遥斗を見下ろした。
「でも……警報もセキュリティも引っかからずにここまで入り込んだってことは……まさか?」
一瞬立ち止まり、顎に手を当てて考え込む。
自分の船がオンボロとは言え、内部システムは強固にしたつもりだ。
『切り札』である隠し機能も仕込んでおいたはずだ。
いくらなんでも『異変』すら船が検知しないなんてことはおかしい。
そう思う彼女の脳裏に、祖父の言葉がよぎっていた。
子供の頃、このボロ船を継ぐかと聞かれたとき、うん、と答えた彼女に祖父が教えてくれた妙な言い伝えだ。
「もし警報にもセキュリティにも引っかからずに、いつのまにか乗り込んでいた人がいたら、話は聞いてみろ。それはもしかしたら、ご先祖様が言っていた『待ち人』かもしれないからな」
その話を聞いて鼻で笑ったものだ。こんな時代遅れの船に、そんなお伽話みたいな奴が現れるわけない、と。
だが、今目の前にいるこの男――軽装で、妙なリュックを背負い、まるで迷子みたいな顔で倒れているこいつが、まさかその『待ち人』なのか?
「……いや、ありえねぇだろ」
と呟きつつも、ため息をつき、腰から磁力ベルトを取り出した。
「まあ、話くらいは聞いてやるか。けど両手は封じとくよ。祖父ちゃんの言葉信じるのも大概にしとかなきゃ、アタシがバカみたいだしさ」
遥斗の両腕にベルトを巻き付け、ピッとスイッチを入れると、手首が磁力で固定された。
麻痺が解けるまでは数十分ほどかかった。
「シアルヴェン、船内重力を軽作業モードに変更。こいつを独房に突っ込むよ」
『Aisa, Karuvi・Vera. litu Vitas ruv tas!』
どこからか中性的な声が響き、遥斗には冒頭の「アイサ」とだけ聞き取れた後、謎の言葉が耳に飛び込んできた。すると、リュックに潰されていた背中の重さが一気に和らぐ。
「何!?」と遥斗が驚いた瞬間、拘束された手をむんずと掴まれ、引きずられるように狭い独房へ連れ込まれる。
遥斗は金属製の椅子にドサッと座らされ、その際リュックはサッと取り上げられて机の上に置かれた。
少女が「シアルヴェン、通常モードに」と呟くと同時に、
『Aisa, Karuvi・Vera. Vitas ruv tas!』
と、またあのガチャガチャした謎の言葉が聞こえた瞬間、しびれていた体に再び重さが戻ってきた。
どうやら彼女が力持ちというわけではなく、重力を操作したらしい。
部屋は錆だらけの壁と点滅するホログラムパネルで埋まり、机の上には古びた様子のタッチパッドが置かれている。壁のホログラムには見たことのない模様――何かの文字かもしれない――が、複雑な組み合わせで浮かんでいた。
これまで遥斗に聞こえてきた情報からするに、どうやらここは船の中らしいが、やけにボロい。
映画で見たような洗練されたピカピカの船じゃなく、古い工場みたいな雰囲気だ。
ところどころに電子的なパネルがあり、多少の未来感を申し訳ない程度にアピールしている。
「うっ……やっと動ける」
ようやく戻ってきた体の感覚に嘆息交じりにつぶやきつつ、首を振って体をほぐす。。
両手は磁力ベルトで固定されたまま、動かせない
向かいの椅子に腰掛けた少女は、足を組んで遥斗を睨んだ。
「さあ、密航者。アタシはヴェラ、この船の持ち主だ。どうやってここに入った? 正直に言わないと、本当に宇宙に放り出すよ」
その口調は冗談とも本気ともつかない。遥斗は慌てて首を振った。
「待て待て待て! 密航とかじゃないって! 俺、ただ……自分の部屋の押入れの扉を開けたら、いきなりここに出ちまっただけなんだよ!」
ヴェラの目が一瞬細まる。
「……押入れ? 扉? 何だそりゃ?」
「だからさ、アパートの押入れに変な扉があってさ、それをくぐったらここに……って感じで!」
エリドリアという異世界に行こうとしたらここに来た、という話はしない。
行ってもさらに混乱が増すだけだし、今はまずここでの状況整理が先だ。
ヴェラは呆れた顔で遥斗を見た後、ポケットから棒状の携帯食を取り出し、包みを開けてかじった。
「扉、ねえ……チクショウ、とんだお荷物を引き込んだもんだ。こんな訳わかんねぇ話、普通なら即ぶっ放して終わりなんだけどね」
悪態をつきつつ、彼女は作業服から何かを取り出して、いらいらした様子でそれを口に運ぶ。
どうやら携帯食か何からしく、カサカサとした咀嚼音が響く。
その様子を見た遥斗は、グゥッと腹が鳴るのに気づいた。
「そういや俺も腹減ってんな……」
リュックは机の上に置かれているが、両手が使えず取り出せない。
「なあ、一緒にお弁当食べねぇ? 俺、腹減って死にそうなんだけどさ。リュックに入ってるから、出してくれねぇ?」
ヴェラが怪訝な顔で遥斗を見た。
「お弁当? 何だよそれ」
「俺の朝飯のおにぎり。鮭と梅干し、おかか。おかずにはウィンナー、卵焼きの最強メニューだぞ」
ヴェラは眉をひそめつつ、遥斗のリュックを手に取った。
「怪しいもんだったら即処分だからな」
腰から小型の機械を取り出し、リュックに光を当てる。ピピッと音が鳴り、ホログラムに文字が浮かんだ。
「ふーん……爆発物、光学兵器、質量兵器、毒物などはなし、と。まあ、安全っぽいか」
チャックを開け、一番上に詰まった包みを取り出す。それを開けると、色鮮やかなおにぎりとおかずが狭い独房に甘い香りを漂わせた。
「うわ、マジで腹減るな……頼む!片手だけでもほどいてくんね?正直腹が減って頭が回ってないんだ」
遥斗が前のめりになると、ヴェラが「ちょっと待て」と手を伸ばし、おにぎりを奪った。
「スキャン完了……ふむ、アタシが食べて問題なし、ね。匂いは悪くないね……毒じゃないなら、アタシが味見してやるよ」
そういって、遥斗の目の前で大きく口をあけた。
遥斗は奪われたおにぎりを見て「俺のー!」と叫ぶが、彼女はそれを無視。
そのまま豪快にばくり、とおにぎりにかみついた。
ヴェラの目が一瞬見開かれ、咀嚼するたびに表情が緩む。
「うまっ! なんだこの触感と深い味は!こんなうまいもんなかなか食えねぇよ! まるで話に聞く天然物の穀物とか魚みたいだ!」
興奮気味に呟きつつ、もう一口かじる。
「天然? まあ、米はたしかに国産の『つやひかり』、今年の新米のやつだけど……。あの、頼むから俺にもそっちの鮭入りを……ってああああああ!俺の鮭!おかか!梅ぇぇぇぇ!!」
彼女が何に驚いているかわからず、遥斗は呟きながら答えようとしたが、今はそんなことよりも目の前でどんどん形を失っていく朝ごはんに悲鳴を上げた。
そんな遥斗の言葉に彼女はさらに驚いた様子で「はぁ!?」と声を上げ、口に含んだおにぎりを思わず噴きそうになる。
だが、それも一瞬。彼女は慌てて口を抑えた後、何度も何度も咀嚼しては飲み込み、再び次の獲物へと手を伸ばした。
「え、マジで天然素材!?ちょ、ちょっと待て!お前いったい何なんだよ――ってこっちの黄色いのもうめぇぇぇぇ!こっちの合成肉っぽいのもやべぇぇぇ!!」
「あああああああ!!俺の、俺の大事な卵焼きちゃぁぁぁぁん!!それ最後に食べるつもりだったお楽しみなのぉぉぉぉ!やめてやめてウインナーまで食べいやぁぁぁぁ!」
さようなら、朝ごはん。
遥斗は泣いた。
明日12時更新予定です。