第45話:そ、それだよ、俺が求めていたものは!!
「バルバ様!申し訳ありません、その、不躾な対応を……!」
イリスは顔を青くし、慌てて扉を開け直すと、すぐに彼に謝罪をした。
そのうさん臭さに思わず扉を閉めてしまったが、まさかその彼が、日頃から村がお世話になっているヤーネット商会の会長、バルバ・ヤーネットだったとは。
ちなみに他の者もそういわれて「あっ」とすぐに気付いたものの、「あの人あんな顔して笑うのか」と少し引いたままだった。
「いやいや、構わないさ。俺の顔が胡散臭いのは本当だからな……はあ……」
バルバは気を取り直して立ち上がり、後ろに控えていた妻のティアリスと護衛のルシ、カイゼ、ザヴァクを見る。工房の中はさほど広くなく、全員が入るのは難しい。バルバは護衛たちに外で待機するよう目配せし、中にはバルバとティアリスだけが足を踏み入れた。子供たちも外に残って、護衛たちを囲んで騒いでいる。
「すでに俺のことをご存じのようですが、改めてご挨拶させてください。俺はハルです。よろしく」
遥斗は一歩進み出て、穏やかに挨拶した。
バルバも軽く頭を下げて応じる。
「ヤーネット商会のバルバ・ヤーネットだ。こちらは……おそらく知らない人も多いだろうな。妻のティアリスだ」
「ティアリスと申します」
ティアリスが優雅に挨拶をする。
「バルバさん、この前お買い上げいただいたチョコはどうでしたか」
遥斗が問いかけると、バルバは腕を組み、わずかに苦笑した。
「あれは『チョコ』というのか……ああ、妻を驚かせるのには成功した。だが、俺は食えなくてなあ……」
「私が、あまりのおいしさに感動して全部食べてしまって……素晴らしいお菓子でしたわ。まるで、伝説の『永遠の実』かと思うほどでした」
遥斗には、『永遠の実』がなにかわからないが、何かに例えるくらいに感動したという様子は感じられる。
これはもしかしたら「交易商人にイイもん売って大人気大作戦」がうまくいったのかもしれない、と脳内遥斗くんがガッツポーズする。
「そ、そうですか。でも喜んでもらえたみたいで何よりです。……それで、ご用件は?わざわざ俺に会いに来たみたいですけど……」
遥斗が本題を促すと、バルバは深々と息を吐いた。
「正直、いろいろあり過ぎて何から話していいかわからない」
バルバは村での出来事を思い返す。妻が我を失うほどに慌てた黒い板のような菓子、それを包んでいた銀の紙の持つ魔術に対する異常な効果、そして子供たちが配っていたあの飴の光景。それらが全て遥斗という一人の若者に行き着くことに、頭の中が整理しきれていないのだ。もしかしたら、村の女性たちが夢中になっていた新しい刺繍と刺繍枠も彼に関係があるのではないか、そんな風に思う。
「まずは、子供たちに配り、そしてあの露店で売っていた菓子、俺に売ってくれた『チョコ』という菓子。あれらはあなたが用意しているということでよいのか?そして、今後も定期的に用意できるのだろうか?」
遥斗は頷いた。
「用意しているのは自分です。どれだけ用意できるかは数次第ですが、ある程度は今後も提供は可能だと考えています」
バルバは遥斗の言葉に、ごくりと唾を飲み込んだ。
自分は第一関門、そして第二関門もクリアしたようだ。
だが、それだけでは意味がない。
バルバは、意を決したように言った。
「そ、それならば、我らヤーネット商会と手を結ばないか?貴方のあの素晴らしい商品を、ぜひたくさん買わせてほしい」
その言葉に、セメラとリーリー、スガライは目を見開いた。ヤーネット商会は交易街に店舗を構えるやり手の商人だと村人たちは認識している。彼らから直接取引を持ちかけられるというのは、破格の申し出に思えたからだ。だが、マレナとイリスは静かにその成り行きを見守っている。
遥斗は一瞬考え込んだ。確かに、これは悪くない話だ。エリドリアでは、地球の品は高額で売れるとはいえ、その現金を遥斗自身が安定して得る手段はまだない。バルバとの取引は、現金化の道を拓く大きな一歩になるだろう。しかし、安易に飛びつく話でもないことも理解していた。
だから、こちらからも質問をするべきだろうと、考えたのだ。
ほんの数秒、遥斗は目をつむり、そして開くと彼は真剣な眼差しで、そして、にこやかな笑みを浮かべて言った。
「とても興味があるお話です」
と。
バルバとティアリスの顔に、安堵の空気が流れた。だが、遥斗の次の一言で、その空気は一変する。
「ですが、一つ質問させてください」
「ああ、もちろんだ」
「俺が貴方と、ヤーネット商会と取引することで、俺にどんなメリットがありますか?」
その遥斗の問いに、村人たちは「売ればお金が入るよね?」とばかりに、不思議そうな顔で遥斗を見つめた。その質問の意味が理解できないという表情だ。
しかしバルバとティアリスは、遥斗の質問に驚きを隠せない。遥斗の質問はシンプルでありながら、果てしなく奥が深い。物を売ればお金が手に入る。それは商売の常識であり、当たり前のことだ。だから、普通商売をするというのは、売り買いそのものがお互いのメリットのために行われる。麦を商人に売る農民はお金が欲しいから売るのであり、商人は麦を食べたい人に売ってお金を儲けるのだ。
ただ――お金にする手段や知識、コネを持たない農民が買い叩かれるという構図があるだけで。
遥斗の問いに、ただ「売ればお金が入りますよ。いい値段で買いますよ」という答えでは意味がないことをバルバは気づいている。
なぜなら遥斗はこう言っているのだ。
「私は売ろうと思えば誰にでも売れる。こちらとしては別にあなた方と取引してもしなくてもいい。そのうえで、あなた方の商会でなければならない理由は何なのか。それをあなたは私に説明できるのか」
と。
バルバたちは悟った。この若者は今、このたった一言でこの商談の主導権を握ったのだ。
それも、威圧などではなく対等で、誠実な関係を築こうと動きながら。
これは単純なようで奥深い質問である。
彼は我々との商売を本気でするつもりがあることを、その質問で示している。その真剣な態度は、彼の目からも強く伝わってくる。だが、それと同時に我々を試しているのだ。
それだけの価値が、お前たちヤーネット商会にあるかと。
バルバが貴族や格上の商人に商品を売るときに「商品のアピール」はするが、「自分、そして商会をアピールする」のは、商談の場ではめったにないことだ。何かを買い取るときの商談でも、「いくら出せる」という金銭的なアピールの話しかしないのが常だった。
だが、遥斗が求めているのはそんなただの金などではない。「自分たちと商売をする価値」を聞いている。
それを彼に納得させることができれば、遥斗は喜んで取引をしてくれるだろう。
だが、納得させられなければ、この話は終わってしまうのだ。
その意味が分からないほどバルバは無能ではない。
それは、ただ商品を買い叩いて利益を出すだけではない、商会と商会、あるいは人と人との間で、なぜ「私」が相手に選ばれるべきなのか、という根源的な問いだった。単なる金銭の授受を超え、信頼、独自のサービス、将来的な展望、そして何よりも「この相手と組むことで得られる特別な価値」を提示する。
これは、商人としての極意の一つともいえる問いだとバルバは考えた。自分がこれをちゃんと理解し、実践できるようになったのは、30歳を超えてからだというのに。目の前の、どう見ても20にも満たない若者は、すでにそれを理解している。
(まさか、こんな若者が……)
ちなみに遥斗は、就職活動の際にさんざん聞かされた「当社があなたを雇うことで発生するメリットは」という面接の定型句を思いつきで投げただけだった。目の前の商人が信用できるかどうか確かめるため、何かいい質問はないかと考えた結果、たいして語彙もなく経験もない遥斗は、結局『完璧!受かる面接対応マニュアル(定価1280円)』を読んだ中で頭にあったものを口にしたに過ぎない。
あと一応23歳、エリドリアでは24歳なので、おっさん呼ばわりされてもおかしくない年である。
そんな遥斗の内心など当然知らないバルバは、ごくりと唾を飲み込んだ。
これは、本気で答えるしかない。ヤーネット商会の未来が、この場にかかっているのだ!
「ハル殿、我々ヤーネット商会は、決して王都で一番の商会ではない。だが、我々にはこのヴェルナ村、そしてリシャッタの地で長年培ってきた信頼と実績がある。リシャッタという交易街ではこじんまりとした店舗を構えているが、我々は創業以来、堅実さと信用を第一に商売をしてきた。またこの地を長年訪れているからこそ、ヴェルナ村への理解は深く、周辺地域との確かな流通網を築いている。そして何より、村人たちとの間には、他のどの商会にも真似できない確かな絆があると自負している。私個人も、この地の者として村の者たちに誠実に接してきたつもりだ。何より、私たちは新しい物、新しい価値を見極める目には自信がある。ハル殿が提供するその品々に、他の誰も気づかないほどの可能性を感じている。貴方の菓子の魔力回復、向上効果、さらにあの不思議な魔術触媒の効果もそうだ。それを最も適正な価値で流通させ、貴方にとって最大限の利益を生み出せるのは、このヤーネット商会だと確信している!」
バルバは言葉に力を込めた。ティアリスも隣で力強く頷いている。
遥斗はバルバのアピールを高く評価した。彼の言葉には、未来を見据える商人としての嗅覚、熱意、そして何よりたしかな誠実さが感じられた。殺し文句は『貴方にとっての利益』と言ってくれたことだろう。大金で釣るのではなく、あくまで遥斗が望む利益を考えて行動してくれるという意思が伝わってくる。
これは、彼と手を組んでもいいかもしれない。
だがしかし、そのアピールの中で、遥斗には一つだけ気になることがあった。
とりあえず、わからないものは悩んでも仕方ないので、素直に彼に聞いてみることにする。
「あの……魔力回復、魔術触媒って……なんです?」
「……えっ」
「えっ?」
一方、薬草工房の外では、子供たちがバルバの護衛たちに群がっていた。屈強な男たちの体つき、そして腰に差したナイフに、子供たちの目は輝いている。
「ねぇねぇ、それってほんとにナイフなの?」
「これで魔物をやっつけるの!?」
好奇心旺盛な子供たちの質問攻めに、護衛の一人、ザヴァクは笑いながら答えていた。
「ああ、これは本物のナイフだ。だが、これで魔物をやっつけるには心許ないな。これは主に、依頼者と荷物を狙ってくる悪い奴から身を守るためのものだ」
ザヴァクはそう言いながら、子供たちの頭を優しく撫でる。ザヴァクはごつい顔と体躯に似合わず、子供には寛容なのだ。そのため、最初は遠巻きに見ていた子供たちも、次第に彼の周りに集まってきた。逆にカイゼは比較的無口であり、子供はあまり近づいていない。
開拓者は、子供たちにとっては憧れの存在だ。危険な動物や魔物と戦い、未知を切り開き、世界を広げていく者たち。彼らは強くて、勇敢で、どこまでも自由な英雄に見えるのだろう。だが、大人になればみんな現実を知る。そんな開拓者になれるのはごく一部で、ほとんどはそれしか生きる道がないから選んだ者か、社会のはみ出し者。よほど功績をあげたり、相応のランクがなければ厄介者と扱われることも珍しくない。それでも、子供たちの純粋な憧れの目は、ザヴァクにとって心地よかった。
一方で、ザヴァクとカイゼは常に警戒を怠らない。工房の扉に視線を向け、何かあればすぐに動けるよう、いつでも臨戦態勢をとっている。彼らにとって、子供たちの好奇心は平和な光景ではあるが、同時に警戒を緩める理由にはならなかった。
その時、工房の扉がゆっくりと開いた。ザヴァクとカイゼがわずかに身構えると、中からバルバとティアリス、そして村の人間と思われる者たちが連れだって出てきた。ただし、一人だけいる若者は明らかに異質で浮いている。
彼の服装は、動きやすそうなナイロン製のジャケットに、厚手のパンツ、そして足元はトレッキングシューズといった春のハイキングに出かけるような装備である。ちなみに『ハマトク』のアウトドアコーナーにあったハイキング用のセットをそのまま買っただけである。遥斗は服装のセンスが死んでいるので機能性以外は全く拘らずに進められたり飾られたものをそのまま買うことにしている。だが、そんな出来あいのセット品も、この世界の装備とは全く異なる機能的なデザインだ。背負った背負い袋もまた、軽量で頑丈そうな素材でできており、ザヴァクたちの目にも、その優れた機能性がはっきりと見て取れ、興味を引くものだった。
「バルバの旦那。どうかしたんですかい?」
ザヴァクがバルバに問いかけると、バルバは首を振った。
「ここでは少々手狭でな。もっと広い場所へ移動することになった」
バルバが指差したのは、村の中央にある広場だった。そこには、村で一番大きな建物である交易所が隣接し、集会場所としても使われる十分なスペースがある。交易所は半分が木造、半分が土蔵でできており、土蔵は主に涼しいほうが都合がいい交易品などを保管するのに使われている。
「わかりましたぜ。そのほうがここよりは護衛にも都合がよさそうだ」
一行は交易所がある広場へと移動した。
広場に着くと、バルバはまず護衛たちを簡単に遥斗たちに紹介した。
「こちらは私とティアリスの護衛で、冒険者/開拓者ギルドに属している『折れぬ大剣』のパーティだ。大剣使いのザヴァク、双剣使いのカイゼ、そして紅一点で魔術も使えるルシだ」
遥斗はザヴァクとカイゼの屈強な体躯を見て、最初はやや気圧されている様子だったが、「冒険者」「折れぬ大剣」という言葉を聞いた途端、その表情が豹変した。
「ザヴァクさんたち、冒険者なんですか!?」
遥斗の声は興奮で上ずっている。
彼の目は、完全に商品ケースのトランペットを見守る少年のそれである。
そのときザヴァクたちは、遥斗の『冒険者』という言葉にわずかにピクリと反応した。
『|危険に挑み未知を征く者《冒険者》』、か。なんか、かっこいいなそれ、と。
エリドリアの言葉には正確には『冒険者』という単語は存在しない。『イグノータン』とは確かに『危険な開拓をして働く者』という意味がある。そのため、遥斗がその言葉を聞いた時には『冒険者/開拓者』というニュアンスが伝わるし、冒険者でも開拓者でも意味はなんとなく共通する。だが、どちらかといえば『開拓者』的な意味合いが強かったからだ。
しかし、今はそれより目の前の彼の問いに応えるのが先だろう。
「あ、ああ。そうだが……」
ザヴァクは遥斗のあまりの食いつき様に、思わず半歩後ずさりながら答えた。
「パーティ名が『折れぬ大剣』ってことは、ザヴァクさんは大剣使いなんですか?ど、どこに大剣が!?」
遥斗が前のめりになって尋ねると、ザヴァクは困ったように腰のナイフを見る。
「ま、まあな。だがその大剣は……村の門番に言われて、馬車の中に置いてきている。今はこれくらいしか持っていない」
遥斗は一瞬、眉を下げて残念そうな顔をしたが、すぐに顔を輝かせた。
「そ、そうですか!でも、後で見せてください!絶対ですよ!お願いします!」
遥斗は懇願するように身を乗り出す。ザヴァクは勢いに押され、「お、おう」と力なく答えた。
遥斗はそのままの勢いで、カイゼに詰め寄る。
「カイゼさんの武器は!?え、ダガーとかショートソードが中心でたまにの双剣!?そ・う・け・ん・使・い!!!!!!キタァァァァァァァァァァ!!!!!!俺、双剣大好きなんですよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
遥斗は上半身を前後左右に揺らしながら、双剣という単語を強調して叫びヘドバンする。さらに興奮のあまりその場で小刻みに震え始めた。
その姿は、まるで大好きなアイドルのライブに参戦したオタクのようだった。イリスやマレナ、そして村人たちは、遥斗のあまりの変わりように呆れた顔で彼を見つめている。カイゼは表情を変えないまま、少しだけ後ずさった。
遥斗の視線は次に、紅一点のルシに向けられた。キラン、と光る彼の眼光に、ビクリとたじろぐルシ。
「ルシさん、その意匠……もしかして魔法使い!?え、違う、魔術師?の見習い?でも、魔法……魔術、使えるんですよね!?どんなのが使えるんですか!?……攻撃は火の魔法で焔の矢を打てるくらい!?フレア・アロー!フレア・アロー来ましたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!に゛ゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!!!!!(歓喜)」
遥斗はどこぞの戦争映画のワンシーンよろしく、膝をつくと両手を天に突き上げ、のけぞりながら奇妙な叫び声をあげその場でびくんびくんと震え始めた。
村人たちはドン引きし、イリスは困惑の表情を浮かべ、マレナはただ呆れたように遥斗を見つめている。
ルシ、それにザヴァクとカイゼは、依頼主であるバルバの大切な商談相手らしい相手の異常な反応が、どうやら自分たちのせいでこうなったことに、どうしたらいいかわからず困ったようにバルバを見た。
(……俺、商売する相手、間違ったかもしれん……)
バルバは、遠い目をして、天を仰いだ。




