第42章:売れました
村の小道を歩くイリスの背中からは、喜びが弾けるように溢れていた。遥斗が自身の年齢を「十六歳」と言ったことには少し戸惑った様子だったが、すぐに前を向いて楽しそうに歩いていく。遥斗は、彼女の後ろを歩きながら、むにゅにゅと顔をゆがめている。
「なに慌ててんだい、ハル坊」
「……俺の国と年齢の数え方が違うんだよ。俺の国は生まれた日を基準にして、一年たったら一歳になるんだ。だからイリスの年は、うちだとまだ十六歳で、子供扱いなんだよな」
マレナは遥斗の言葉に眉を上げ、軽く肩をすくめた。
「十六で子供って……いや、エリドリアの数え方だと十七、十八歳か。エリドリアでは、こっちの数え方で十五歳にもなれば、もう一人前として扱うんだがね。お前さんの国はずいぶん過保護なんだねえ」
「俺のとこだと十四歳くらいかー。うへえ……」
遥斗は思わず顔をしかめた。十四歳の頃の自分といえば、トレーディングカードゲームで友達と勝負して一喜一憂していた時期だ。そんな子供が、この世界では一人前として扱われるという事実に、軽い衝撃を受けた。
「じゃあなんだい、ハル坊はまだ故郷だと成人してないってことなんかい? だからイリスは娶れないってことかね」
「えっ」
遥斗は思わず声を上げた。マレナもつられて「え?」と聞き返す。
「え、ちょっとまって! みんな、俺のこと何歳だと思ってんの?」
遥斗は慌てて問いかけた。マレナは至って当然という顔で答える。
「イリスと同じくらいだろ?」
「はい? ちょ、ちょっとまって? 俺は二十三……えっと、こっちでいうと二十四だよ?」
遥斗の言葉に、マレナだけでなく、少し先にいたイリスまでもが振り返り、「ええええ!?」と驚きの声を上げた。イリスは口元に手を当て、信じられないといった風情だ。遥斗はさらに焦る。
「待って、イリスも俺がイリスと同じくらいだと思ってたってこと!?」
イリスは視線を泳がせ、小さな声で答えた。
「えっと……はい、もしかしたら私より年下かもって……」
「ぐはっ!」
遥斗は胸を押さえ、肩を落とした。日本人が若く見られる傾向がある、という話はたまに聞くが、それはもう少し年配の人間が若く見られるという話であり、自分には当てはまらないと感じていた。彼自身も童顔であることは自覚していたが、まさか十代半ば、十六歳くらいに見られているとは思わず、ショックを隠しきれなかった。頭上では小鳥が、まるで遥斗の動揺を嘲笑うように囀っている。
ただ、実際には彼女たちがそう勘違いしたのは、童顔であるのもそうだが、何より遥斗の髪質や肌質が同じ年頃の男性と比較して、驚くほどみずみずしかったからである。激しい労働と、栄養素が低い平民は、特に男性は筋肉などは別として肌質の老化は早いのだ。
そうとは知らず遥斗は「マジか……マジかー」とため息をついていた。
そんなどうでもいい話をしながら、三人は村の小道を進んでいく。人の営みにより踏み固められたそれは緩やかにカーブし、両脇には色とりどりの野花が咲き乱れる。遠目から村人たちがその姿をちらりと見やり、好奇の視線を送っていた。
何度かすれ違う村人たちの反応は大きく二つに分かれた。農具を持った年配の女性や男性は、遥斗の存在に驚きつつも、気さくに手を上げてイリスに挨拶したり、笑顔で会釈を返す者が多かった。イリスが丁寧に会釈を返し、遥斗もそれに倣って頭を下げた。一方、たまにすれ違う若い――せいぜい二十代後半くらいの男性たちは、そっけないというか、敵意とまではいかないが、不遜な目を遥斗に向けて何かぶつぶつと呟いているのが気になった。
「なんか俺、にらまれてる?」
遥斗はマレナにこっそり尋ねる。マレナは鼻を鳴らして応じた。
「ほっときな。こんな時間に畑にもいってないろくでなしだよ」
その時、遥斗の首輪からシアの声が響く。
"よそ者が、とつぶやいていますね"
「まあ、みんなに好かれるわけじゃないしなあ」
遥斗は苦笑しながら呟いた。
風がそよぐたび、道端の草が揺れ、村の穏やかな日常がそこかしこに感じられる。
だが、改めて村を見回すと、この村の貧しさを改めて認識する。初めてこの村に来た時はテンションが上がっていたこともあり何もかもが新鮮で輝いて見えた。だが、皆が暮らしている家はところどころ壁が崩れていたり、立てかけられてる生活道具もかなり朽ちかけたまま使われているものも見受けられた。
それを『素朴ないいところ』、と言えないくらいには、少しだけ生々しい。
一行はまずセメラのところへ向かっていた。
しばらく歩くと、村の木立の向こうから、子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。トゥミル、ポラ、カナンのいつもの三人組が、遠くから遥斗を見つけて駆け寄ってくる。
「ハル兄ちゃん!」「ハル!」「ハルお兄さん!」
「やあ、みんな、来たよ」
さらに、その中にはルクェンの姿もあった。
「ハルさん!」
「おう、ルク。元気だったか?」
遥斗はしゃがんでルクェンの顔を覗き込んだ。ルクェンはまだまだ細い体のままだが、以前よりだいぶ顔色も良く、笑顔を見せている。
「うん! ハルさん。最近すごく調子がいいんだよ」
イリスが横から嬉しそうに補足する。前はいくら食べても戻したり、食も細かったのに、と。
子供たちは遥斗を取り囲み、口々に叫んだ。
「約束守ってお手伝いしたんだよ。お菓子頂戴!」
「わかった。後で詳しく聞くからその時にな」
遥斗は子供たちの頭を撫でてやる。そのとき、マレナがパンと手を叩いた。
「そうだ、おまえたち、あたしたちはセメラのところに行くから、スガライとリーリーを薬草工房に呼んできてくれるかい?」
「わかったー! みんな、いこう!」
トゥミルが元気よく返事をして、残りの子供たちを連れて弾けるように走り去っていった。マレナは目を細めてその姿を見送る。
「ふぇふぇふぇ、お菓子のご褒美の約束があるせいか、あのワンパクたちがおとなしくお手伝いしよるわい」
「子供たちの親御さんもびっくりして、ハル様に感謝してましたよ。」
イリスも柔らかく微笑んだ。
セメラの家は村の外れ、森の近くにあった。歩くにつれ、木々の間から木を切る甲高い音が響き、森の匂いが強くなってくる。
「セメラさんはいつもあそこの小屋で作業してますよ」
イリスが指差した先には、木々の緑の中にぽつんと小さな小屋が見えた。屋根には苔が生え、壁には蔦が這う簡素な建物だ。
三人は小屋へと足を踏み入れると、中にはセメラのほか、数人の女性が彫り物をしていた。木屑が床に散らばり、鑿の音がリズミカルに響いている。
「おや、イリスじゃないか。それにハルさんも来てくれたんだね。すまないね、もうちょっとだけ待っててくれるかい? 切りのいいところまでやっちゃうからさ」
セメラはにこやかに迎えてくれる。彼女の手には木片と鑿が握られ、額には汗が光っていた。
「ここで見てていいですか? どんなふうに作るのか見たいので。あと記録を撮っておいてもいいですか?」
遥斗が尋ねると、セメラは首を傾げた。
「面白いもんじゃないと思うけどね。記録? よくわからないけど、隠すもんじゃないからいいよ」
遥斗はシアに小さく語りかける。
(シア、動画で撮っておいてくれる?)
”基本的にルト様視点となる『すべて』の映像は記録しています”
(助かる。……ネットにアップする許可は、あとで撮影がどういうものか説明して取ろう)
遥斗はセメラが準備しているのを食い入るように見つめた。あんなに素晴らしいものをどうやって作るのか、遥斗自身も大いに興味があったのだ。
セメラは最初に何かを考えるように作りかけの壁飾りを手に持っていたが、少しだけ目を閉じ、静かにセリーモアへの祈りを唱えた。次の瞬間、目を開けたかと思うと、彼女はものすごい勢いで彫り込み始めた。迷いなく鑿を入れ、木屑が勢いよく飛び散る。
「は?」
遥斗は思わず声を上げた。職人じゃない、と謙遜していたが、これは嘘だろう、と。地球の職人がどのくらいのことができるのか知らないが、たとえ熟練の職人だとしても、これほどまでのスピードで、寸分の迷いもなく彫り進めるものなのか。
遥斗はただただ驚くばかりだった。
セメラは無意識なのか、口元で小さく「おお、セリーモア」と精霊を称える歌を歌いながら、どんどん木を削っていく。
そこに一切の迷いがない。まるで、木の精が彼女の指先を通して形作っているかのようだ。そこから僅か二十数分ほどであの素晴らしい彫り込みが完成すると、あらかじめ用意してあった木枠にそれをはめ込む。そこには一切のズレがなくぴったりと収まった。さらに指で枠と飾り部分の接触点を優しく撫でていくと、ジワリ、と樹液のようなものが滲み出て、まるで最初からそこから枝が生えたかのように一体となった。
遥斗は驚きのあまり、息を呑んだ。自分たちが来た時、すでにある程度作りこまれていたとはいえ、そこからこんな短時間であれほどの物ができるとは信じられなかった。
セメラは手のそれを様々な方向から見た後、満足げに息を吐くと、一緒に作業していた女性たちにそれを渡した。
「ま、こんなもんかね。それじゃ仕上げはよろしく。アタシはちょっといってくるよ」
セメラは遥斗に向き直り、「待たせたね」と言った。遥斗は思わず、といった様子で呟いた。
「すごいなあ……セメラさん、こんな技術があるならどこでもやってけそうだけど」
「おだててもなにもでないよ。それに、アタシたちは精霊の森で取れたセリーモア様の加護がある木でないとこんなことはできやしないからね。本物の職人ならどんな木でもできるだろうさ」
遥斗はそれを聞いて、改めて考え込んだ。この世界の人は、魔法使いでなくとも、何か特別な能力を持つ者がいるのではないか、と。
薬草工房に戻ると、すでにリーリーとスガライが集まっていた。工房の棚にはいつものように乾燥した薬草が並び、窓から差し込む光が木の床に柔らかな影を落としている。。
リーリーとスガライの荷物は、子供たちが手伝って運んできてくれたらしい。遥斗は、お手伝いありがとうと、ルクェンに革袋を差し出した。中には飴玉がぎっしり入っている。
「お手伝いありがとうな。これ、みんなで分けてくれ。ここにいない他の子も手伝った子がいたなら渡してあげて」
「わーい!」
子供たちは歓声を上げ、革袋を抱えて喜んで去っていった。その姿が見えなくなり、騒がしかった工房に静けさが戻る。
遥斗は集まった面々を見回し、切り出した。
「俺の故郷で波花の宝匣と星枝の髪飾りを売ってきました」
その言葉に、セメラの顔に緊張が走った。リーリー、スガライも不安げな表情を浮かべる。工房の空気が一瞬張り詰めた。
「その……売れた、のかい?」
セメラの声は、わずかに震えていた。
すでに依頼された分の品は、他の家々の手伝いも得て作り終えている。その分の報酬は銅貨で既に確約されているため、彼女たちにとって無駄骨になることはない。だが、もしあまり良い値段がつかないのであれば、今後遥斗との継続的な取引は難しいだろう。
それは仕方がないことだと、セメラは割り切ってはいた。自分は遥斗からすでに十分すぎるほどもらっていると感じていたし、手伝ってくれた皆も「たまたまの収入」という認識でいる。
それでも、あと少しだけでも生活に余裕ができるのは、やはり嬉しいことに違いないので期待はしてしまう。たが何よりも彼女が案じていたのは、遥斗が損をしていないか、ということだった。
セメラの言葉に、遥斗は居心地悪そうに頭を掻いた。
「それがその……ちょっと困ったことになりまして」
セメラの顔から期待の色が消え、眉が下がる。イリスも息を呑んだ。
「ああ……やっぱり売れなかったか。たいして値が付かなかったんだね」
イリスも心配そうな声を上げた。
「そ、そんな……」
セメラは遥斗を気遣うように、穏やかな声で言った。
「いいんだよ、仕方ないさ。それよりハルさん、すまないね。損をさせちまったねえ」
残念ではあるが、これで終わりなのだ。セメラはそう覚悟を決め、遥斗の心労を労ろうとしたのだが、遥斗の様子はどうにも釈然としない。
「いや、その……売れたんですよ。まだお金は届いてないですが、信頼できる仲介者を通してるんで、あとは品物を渡してお金をもらうだけなんです」
セメラは顔を上げた。
「そうなのかい。それはよかった。でも、売値がハルさんの想定したとおりにいかなかったんだね?」
「……はい、それで支払いをどうしようかと思いまして」
「ああ、それかい。もし困ってるんなら、アタシの分はなくてもいいさ。この前の焼き菓子だけでおつりがくるってもんだ。さすがに他の家に手伝ってもらった分はちゃんと上げて欲しいけどね」
遥斗はきょとんとした顔でセメラを見つめる。
「? いえ、それはもちろん払いますよ。問題は追加をどうしようかと」
「追加?……ああ、今後追加の注文はさすがにできないってことかい? それは仕方ないんじゃない?」
「えっ? いや、今回の追加に払うべき報酬なんですが」
「えっ」
「えっ?」
遥斗とセメラの声が奇妙に重なる。マレナ以外の皆も、ただぽかんと二人を見つめていた。
マレナが状況を察し、面白そうにニヤリと笑った。
「ハル坊……もしかして、予想より高く売れて、その分を追加で払おうとしてるってことかい?」
「はい」
セメラは、大きく見開かれた目をしばたかせた後、ふっと全身の力が抜けたように安堵の息を漏らした。
「そうだったんだね。それは嬉しい誤解だったよ。なんだい、気にすることないさ。ハルさんは約束を守ってくれてるんだ。それが予定よりちょっと高く売れてたからって、約束外の分け前を求めるせこいセメラさんじゃないよ!」
皆の中に、張り詰めていた空気が緩み、ほっとした雰囲気が広がった。しかし、遥斗はまだ何かを思案するような顔つきのままだった。
「それが……『ちょっと』じゃないんですよ。さすがにこれは、利益を還元しないと俺の精神が持たないんで」
「……?」
セメラは首を傾げた。言ってることがわからない。いや、言葉はわかるが、その意味することが頭に入ってこない。
イリスが恐る恐る尋ねた。
「……あの、ハル様。全部でいくらくらいで売れたんですか? もしかして、銅貨百枚くらいになったんじゃ……」
遥斗は箱と壁飾りを1セット銅貨二十五枚で買い取っていた。交易商人は大抵、村の品を買い叩き、遠くの街でかなりの高値で売るものだとイリスは知っている。だから、そのくらいにはなったのでは、とイリスは思ったのだ。
セメラはイリスの言葉に驚き、勢いよく首を横に振った。
「百枚!? まさかそんなことはないだろ!?」
「えーと……もっと、だいぶ高く売れました」
「まさか……百十枚!?」
セメラの目が泳がせながら聞いてくる。
「だいぶ高い」と言われても、銅貨たった十枚の上乗せ程度が彼女たちの想像の限界であることに、遥斗はこの村での金銭感覚の違いを改めて痛感した。
「いえ、もっと高いです」
イリスはさらに高値を予想して尋ねた。
「……二百?」
「あの。もっと」
「えっと、三百?」
「……えっと……」
遥斗は口ごもった。この金銭感覚の彼らに、本当にそのまま伝えていいものかと。
だが痺れを切らしたマレナが口を挟んだ。
「めんどくさいね、はっきりいいな!」
遥斗は観念したように大きく息を吐き出した。
「……これはこっちと通貨の価値が違うんで正確じゃないことは覚えておいてほしいんですが……宝匣が銅貨二千枚、壁飾りが銅貨三千枚くらいです」
「二千……!?」
その言葉がセメラの耳に届いた途端、彼女の顔から見る見るうちに血の気が引いていった。瞳は虚ろになり、そのまま支えを失ったかのように後ろに倒れ込む。
スガライが慌てて駆け寄る。
「おい、しっかりしろ!」
リーリーも顔面蒼白で、セメラの肩を揺すった。
「セメラさん!? セメラさん!?」
「……ひっく」
「ひっく?」
倒れたセメラを支えながら、彼女から漏れた謎の言葉をリーリーは繰り返す。
「ひっく……ひっくひっくひっくひっく……」
セメラはしゃくり上げるような呼吸を繰り返し、遥斗は顔色を変えた。
「あかん、過呼吸おこしてる!」
マレナが冷静に指示を飛ばした。
「イリス! 気つけの薬草を!」
「はい!」
こうして、工房の中は一気に騒がしくなっていったのだった。
同時刻、イリスの家で留守番をしていたエスニャが「おにいちゃ、まだかなー」と工房の方を見てみると、なぜか半透明のセメラおばさんが「えへへ、えへ」と幸せそうな顔で空を飛んでいるのが見えて、ばいばい、と手を振った。
その後、おばさんは忘れものでもしたのか、吸い込まれるように「おねえちゃのお仕事場」に落ちてきたので、エスニャは「大人はたいへんだなあ」と思って、お昼寝をするために部屋へと戻っていった。
そんな大騒ぎが工房で起きていた頃。
ヴェルナ村へと続く道に、とある一行の姿があった。
土を車輪で巻き上げながら進む馬車一台と、それを囲むように歩く屈強な男たち。
彼らは交易商人バルバ・ヤーネットと妻のティアリス、そしてその護衛たちである。
先頭を歩く大剣使いザヴァクが、ようやく見えた村の門を見て小さく息を吐いた。
「バルバの旦那、ヴェルナ村ですぜ」
その声に、馬車の中のバルバは幌から顔を出すと、遠くに見える村の集落を睨みつけた。
「ようやく戻ってきたか」
その眼差しには、これからの期待による興奮と、確かな商機を見据えた鋭い光が宿っていた。




