第35話:そういうとこだよ
「さて、ルト。やるぞ!」
ヴェラの威勢のいい声に促され、遥斗はザルティスの交易区画に露店を広げた。リュックサックには前回以上に大量の菓子が詰まっている。前回ガルノヴァで稼いだ売上は、すでにシアルヴェンの整備費用で消え去り、目の前の駐船費用すら危うい状況だというのに、ヴェラは鼻歌交じりで楽しそうだ。菓子が売れないとは微塵も思っていないのだろう。
ヴェラが小さなキューブのようなものを取り出して何か操作すると、どういう理屈か遥斗には分からないが、あっという間に広がり陳列棚が出来上がった。遥斗は少し驚きながらも、菓子の入った箱を棚に並べながら、ふと思い出したようにヴェラに尋ねた。
「そういえばさ、前、ダリさんから『値段を考え直せ』って言われた件、あれ、結局何だったんだ?」
ヴェラは、前回同様、ホログラフのボードに商品情報を浮かべながら眉をひそめた。
「んー、一応わかったけどよ。あれはな、お前の菓子が『ただの天然素材』ってだけじゃねぇってことだ。アタシは前回、ザルティスで流通してる一般的な天然素材を使った嗜好品の値段を基準に値付けしたんだが、お前の菓子は純度がヤバすぎるらしい。値段にしたら桁が違うんだよ。多分、それのことだろ」
遥斗は驚いて目を見開いた。
「え、じゃあ、値上げするの?俺的には、今のでもガルノヴァでは高すぎるんじゃないかって、精神的にちょっと怖いんだけど……」
遥斗は、地球の感覚で高額な菓子を売ることにどうしても抵抗があった。
「いや、上げねぇよ。少なくとも今はな。ずっとここで定期的に売るなら別だが、あくまで前回と今回は商売の試しと今後のとっかかりだ。それに、ここに集まる連中なんて、みんな底辺に近い奴らばっかだ。一生に一度の思い出くらい、させてやってもいいだろ」
ヴェラの言葉に、遥斗は深く頷いた。彼女は合理主義で、自分と仲間以外には冷徹な部分があるように感じられるが、情熱とロマンを愛する夢追い人でもある。そんな彼女が見せる豪快ながらも小さな配慮は、遥斗も嫌いではなかった。
遥斗が菓子を並べると、前回を上回る速さで、好奇の目が集まり始める。
露店の周囲は、最初は前回同様うさんくさげに見られていたが、すぐに人だかりができ始めた。その多くは前回の騒動を直接知っている者、あるいは「怪しげな露店が一瞬で姿を消し、手に入らなかった幻の菓子」という噂を聞きつけて集まってきた者たちだ。
「また来たぞ、あの店が!」
誰かが大声を上げた。
「噂の菓子、本当にあるのか!?」
「なんだよ、お前。あんな与太話信じてんのか?……ま、まあ、この値段なら騙されてもいっか……」
「前回買えなかったんだ、たのむ!買わせてくれ!」
ホンモノだと知っている者、前回買いそびれた者、半信半疑の者たちが、今度こそはとばかりに殺到する。最初は疑いの眼差しも多かったが、我先にと購入した者がさっそく食べ始めると、「ふおおおおお!?」と絶叫が上がった。それだけで、それまで躊躇していた者たちも一斉に押し寄せた。喧騒の中で、遥斗とヴェラは次々に菓子を売っていく。
「はいはい、いらはいいらはい。飴ちゃん玉はたくさんあるよ。グミにチョコもおすすめだよ」
「今日は飴は一人3つ、他は一人1つ、全部で合計5つまでだ!さあ、買え!へい、まいど!押すな押すな、待て誰だ今アタシの尻触ったクソは!!」
前回以上に熱狂的な勢いで、あっという間に準備した菓子は完売した。
あと客の中に一人だけヴェラの尻を触ろうとして、しばかれていた者がいた。ついでに罰金で30カスをヴェラに取られていた。遥斗は「30カスであの尻を触れるのか」と一瞬思ったが、頭の中でエスニャが「おにいちゃ、ふけつ」と言ってきた気がして雑念を振り払った。
「ま、また来てくれよ!」
「次はあるのか!?」
興奮冷めやらぬ顧客たちの声に、ヴェラは笑顔で応える。
「いつになるかはわからないけど、また必ず来るさ!その時も、アタシたちの露店を見つけてくれ!」
そう言い残し、遥斗とヴェラは素早く露店を撤収する。手元に残ったのは、駐船費はもとより、当面の航海のための活動資金を十分に賄えるだけの売上だった。目の前の危機を乗り越え、ヴェラと遥斗はホッと胸をなでおろしたのだった。
資金の心配がなくなったところで、遥斗はヴェラに提案した。
「なあ、せっかくだから、今回はザルティスの街をもっとちゃんと見たいんだけどいいか?前回は店を出すので精一杯だったし
「いいぜ!アタシも買いたいものがあったんだ」
ヴェラは快諾し、二人は人混みの中へと繰り出す。
ザルティスの街並みは、遥斗が以前垣間見た時より、はるかに複雑で多様だった。高度に発達したテクノロジーが織りなす巨大な構造物が何層にも重なり、街全体が巨大な機械生命体のように青白く脈動している。街中には、煌びやかなホログラフのネオンが瞬き、無数の光の筋が空を彩っていた。時折足元を走る小動物型の自立ロボットや、ヴェクシス機関から排出される蒸気のような煙が、スチームパンクとサイバーパンクを融合させたような退廃的な雰囲気を加速させている。
「すげぇ……前回も見たけど、こういう退廃的な猥雑さって、ロマンの塊だよなあ」
ぎゅるるるるるん!
遥斗のロマン回路は快調に回転し始める。
そんな中気になるのは、SFにはありがちな空を自由に浮遊する乗り物の姿が、あまり見えないことだった。ただ、中空を何かの粒子のような光の道が走っていて、そこを何かのポッドや乗り物が通ってはいる。他には小さなバイクのような小型の乗り物が、低空を飛行するのが見える程度である。あとたまに、小さな補助機のようなものを腰につけて建物から建物へ大ジャンプしている人間がいる。
……あ、壁にぶつかって落ちた。
「なあ、ヴェラ。空飛ぶ乗り物って、あんまり見かけないな。こんなに技術があるのに。ジャンプしてる人はいるけど」
遥斗の問いに、ヴェラは「あーん?」と振り返りながら答える。
「ああ、ザルティス市街地じゃ、一定の質量以上の乗り物で空を飛ぶのは禁止されてるんだ。万が一落ちたら大変だからな。だから貨物輸送とかは専用の軌道やトンネルを使うし、個人の移動で空飛ぶのはせいぜいホバーバイクまでだ。だからアタシたちも町に入るときにホバーカーから降りたろ」
そう言われて見回すと、たしかに地上には高密度のリニアレールが張り巡らされ、その上を流線型の車両が猛スピードで駆け抜けている。頭上を不規則に走る光の筋は、巨大な輸送ポッドが貨物を運ぶレールだったようだ。
「ジャンプしてる人は?」
「多分遊んでるんだろ。あそこで出店に落ちた奴とかぶん殴られてるし」
「あ、はい」
街を歩く人々もまた、遥斗の目を釘付けにした。人間型が多いものの、皮膚の色や体型は千差万別。そして何よりも目を引いたのは、義肢や義眼といったサイボーグ技術がごく当たり前のように普及していることだった。軋むような機械音を立てて歩く鋼鉄の義足の男、瞳が不自然に光る義眼の女性。彼らの多くは、過酷な労働や事故で失われた身体の一部を補うためにサイボーグ化しているようだった。ただ、それはここが義体で有名な場所であるからであり、普通はここまで身体をいじっている人間が多くはないとのこと。
さらに遥斗を驚かせたのは、ごく少数ではあるが、明らかに人間ではない要素を持つ人々の姿だった。猫のように尖った耳を持つ者、蜥蜴のように細長い瞳の者、あるいは皮膚の一部が鱗のように輝いている者もいる。ファンタジー作品にありがちな獣人というほど露骨ではないが、明らかに人間とは異なる特徴を持つ彼らに、遥斗は思わず足を止めた。
「なあ、ヴェラ。あの人たちって……?なんか動物の特徴もってるみたいなんだけど」
遥斗の視線の先に気づいたヴェラは、さほど気にする様子もなく答える。
「ああ、あれか?ああいうのは大きく分けて二種類だな。一つはサイボーグ技術の応用だ。単に失った身体を補うだけじゃなく、美的感覚や機能性を求めて、あえて動物のパーツを模した義肢や器官を移植してる奴らもいるんだ」
ヴェラの言葉に、遥斗は「へぇ……」と感心したが、それだけでは説明できない異形もいた。遥斗の疑問を察したかのように、ヴェラは続ける。
「もう一つは、昔の開拓時代に、それぞれの星々に適応するために、自ら遺伝子をいじって身体を改造した人たちの末裔、ってやつもいる。ザルティスには色んな星から集まってくるからな。……アタシら辺境の下層の人間は、もうああいうものでしか、『動物』ってやつの特徴はみたことねえから、アレが動物の特徴って言われてもよくわからんけど」
遥斗はガルノヴァの奥深さに改めて驚嘆した。地球の常識では測れない、多様性と技術の融合がここにはあった。
しばらく歩いたところで、ヴェラが遥斗に言った。
「なあルト、お前も買いたいモンがあるなら言ってくれ。今回の売上はだいぶ余裕あるし、100カス(約5万円)くらいまでなら好きに使っていいぞ」
遥斗は「マジか!」と目を輝かせた。
「お前の口座でも作ってやるか?」
とヴェラは続けるが、遥斗は首を振った。
「いや、口座は必要になったらでいいかな。こっちの金を持っていてもしょうがないし、一人で買い物するのも怖いし。欲しいものがあったらヴェラに頼むよ」
「わかった。それがいいかもな。お前ひとりじゃ騙されたりわけわからんものを買っちまいそうだし。じゃあ、とりあえず今日は100カスまではアタシに言え」
遥斗は快諾し、再び街の探索に没頭した。
ちなみに、ここで口座を開かなかったことを後々ものすごく下らない理由で後悔するのだが、それはまた別の話である。
生活用品が並ぶ一角を訪れた遥斗は、ある露店で小さなデバイスに目を留めた。それはペンライトのようなもので、対象にヴェクシス粒子を照射すると表面上の微細な埃や汚れ、不純物や匂いを除去できるというものだった。ガルノヴァではごく一般的な日用品のようで、要は簡易掃除機のようなものらしい。地味だが値段も手頃だったため、遥斗は迷わず一つ購入した。オークションの出品物を出すときなど、商品を綺麗にしてから箱に詰めるのに役立ちそうだ。
次にヴェラがシアルヴェンの修理に必要な備蓄用の用品を買いに行くというので、遥斗も同行した。二人が立ち寄ったのは、無機質な部品や資材が並ぶ、いかにも工業的な店だった。ヴェラが慣れた手つきでパーツを物色する横で、遥斗は店の隅に積まれた「安売り品」の棚に目をやった。
そこには、透明なゼリー状の物質が容器に入れられて売られていた。ポップは読めないのでシアに頼むと、そこには「高安定性中和レジン」と書かれているらしい。店主がデモンストレーションとして、不安定なエネルギーを放つ小型の実験装置にこのレジンを少量塗布すると、レジンは瞬時に固化し、装置から放たれる不安定なエネルギーを完全に封じ込めてしまった。店主の説明によれば、これはガルノヴァでは一般的な危険物処理や特定の技術分野で使われており、一度空気に触れて固まると完全に不活性となり、ある程度の危険なエネルギーや化学物質も安全に封じ込めることができるという。そして特定の波長のヴェクシス線を当てることで活性化させ、固定を解除もできるという。
シアの説明によると、燃料機関が暴走したときの冷却や応急処置で使うものらしい。
ヴェラもこれが欲しかったのか、まとめ買いをしてシアルヴェンまで運ぶように頼んでいる。
遥斗にはそれが具体的に何に役立つかは分からなかったが、地球にはないその特異な性質に、漠然と「何かすごいものかもしれない」という直感を抱いた。安価に売られていたこともあり、遥斗は小さな携帯用容器に入った中和レジンを衝動的に複数購入した。
これが後々日本でとんでもない騒ぎの元になるのだが、遥斗は気づいていない。
再び街の賑やかな一角に戻ると、遥斗は物売りの少年らしき浮浪児が、おそらくは兄弟であろう、さらに小さな子供と一緒に、小さな鉱物をごしごしと布らしきものでこすったり、何かの工具で削ったりしながら地面に座り込んでいるのを見つけた。それは、前回遥斗の露店をじっと見つめていたあの少年だったように思える。
少年が売っていたのは、技師ならすぐに看破できる「ガラクタ」である。ヴェクシス汚染された鉱物には黒い光沢が付いたまだら模様がうっすらと出るが、それは産業廃棄物に他ならない。ただ、一見すると光沢の模様が希少石のようにも見えるため、物好きな者だけが飾りとして買うような代物だった。
「あれって綺麗だけど、価値ないの?」
遥斗がヴェラに尋ねると、彼女は顔を少し引きつらせた。
「えー……まあ、綺麗に見えなくはないが、ありゃガルノス斑がびっちり出た鉱物の欠片だろ。ヴェクシス技術にはもう使えない廃棄物だしな。アタシみたいな整備士からすれば、綺麗というよりはアレが出てるのは不快感の方が強い。ただ、見た目だけキラキラするから、削って形を整えて飾ったり装飾にする奴がいないわけじゃない。多分、そこのガキはどこぞの廃棄場所からゴミを拾って、なんとか価値を出して売ろうとしてるんだろ」
遥斗の首にいるシアが、さらに補足した。
「地球で例えるなら、化学薬品や油で汚れきった質の低い黄鉄鉱を拾って、素人が手作業で綺麗にして売ろうとしている状況に酷似します。物好きが買っても、1カスで売れるかどうか怪しいでしょう」
そう言われると、確かに誰も買わないのは理解できる。だが、遥斗の目には、その斑模様がでている鉱物が放つ微かな輝きが、どうしても「綺麗」に映った。光が当たると、黒い斑が淡く変化し、まるで生きているかのように微かに発光する。その神秘的な輝きに、遥斗の心は強く惹かれた。自分にとっては十分に魅力的だったのだ。
なんならお土産として買って、イリスとかにもあげてもいいかもしれない。
「なあヴェラ。これ、いくつか欲しいんだけど、いいかな?」
ヴェラが遥斗の意図を察し、小声で忠告した。
「ルト、ただの同情での施しならやめとけよ」
遥斗はきっぱりと首を振った。
「いや、違う。俺は本気で欲しいから買うんだ。これ、値段はついてないみたいだけど、一つ2カスで、5個買いたいんだけど、どうだろう」
地球の感覚で、一つ約千円ならば妥当か安い部類だろう。遥斗はそう告げた。
ヴェラは少し考えたが
「好きにしろ、といったのはアタシだしな。じゃあ、払っとくよ」
と答えると、浮浪児に向かって言った。
「おい。ガキ。こいつがそれを欲しいとよ。それを一つ2カス、全部で5個くれ。口座が開いてるデバイスは持ってるか?ないならこれでいいだろ」
そう言って、ヴェラはジャケットからカードのようなものを取り出して何か操作し、それを浮浪児に渡した。
浮浪児は、遥斗の言葉とヴェラの手を前に、疑わしげな瞳で遥斗を見上げた。なにか企んでるのでは、と思ったのだ。
「口座のデバイスはある……死んだ父ちゃんのだけど。にいちゃん……本当にこんなのを買うのか?」
「ああ、欲しいと思って買ったんだ。他の人がどう思うかは知らないけど、俺はちゃんと欲しいと思って買ってるよ」
遥斗のまっすぐな目に、浮浪児の表情が少しだけ警戒の色が緩む。
「わかった。まいどあり。……たくさん買ってくれたからサービスだ。一個、別の鉱物のやつもつけといてやる」
おまけの石を受け取り、遥斗は満面の笑みを浮かべた。
「お、さんきゅ!……ああ、そうだ。俺も露店やってるんだ。そっちがサービスしてくれるなら、俺も商売仲間にお近づきの印ってやつだ」
遥斗はそう言って、ポケットから取り出した飴玉を二つ、浮浪児とその隣の小さな子供に手渡した。
突然の贈り物に、少年らしき浮浪児は目を大きく見開いて遥斗を見る。
「施しじゃねーぞ。商人ってのは、他のやつと商売で競い合っても、そこ以外では仲良くするのは成功させるコツってなんかの本で見たんだ。それに、お前がいつか成り上がったら俺たちの上客になるかもしれねーし、一緒に商売を広げることになるかもしれないからな」
そう言って、遥斗はニッと笑った。
それは、詭弁ではある。詭弁だが、そう信じればそれは嘘ではないのだ。
「まったくお前は……はぁ、行くぞ」
ヴェラは呆れたように遥斗の肩を小突くと、その腕をつかんで市街地に向かう。
だが、それもどこか優しい。
遥斗とヴェラが去った後、二つの飴を手に、浮浪児たちはその場に残された。兄らしき少年は、一瞬、この飴も売れば金になると悩んだが、隣にいる幼い弟が、その飴をじっと見つめているのを見て、迷いを捨てた。二人は揃って、ゆっくりと飴の包みを開いた。
弟は一口食べると、満面の笑みで言った。
「ねーちゃん、すっごくおいしいね!」
「うん……そうだね」
そう弟に答えたのは少年――ではなく、少女だった。薄汚れた服に短くぼさぼさの髪。まだ中性的な体形のため遥斗は気づいていなかった。
彼女が前回、遥斗たちを睨んだのは嫉妬や憎しみではない。
天然素材の菓子という夢のようなものが、あり得ないほどの破格で売られているにも関わらず、弟に食べさせられない悔しさ、自分のふがいなさが故だった。
彼女はその後、奇妙な縁を経て幾度となく遥斗の飴を食べることになるが、この時食べた初めての飴の味は、生涯忘れることはなかった。




