第2話:ヴェルナの異邦人
イリスに従って歩いていくと、数分ほどで石畳は途切れた。
あとは道ともいえない樹間を抜けていく。だが大きな自然石が階段のように連なってるところを気を付けながら登ると、そこには踏み固められた小さな小道があった。恐らく、ここが本来の山道なのだろう。
普通は石畳のような整備されたものこそが、山道に使われて良さそうなのだが、随分と中途半端な場所にあるものだ。
「あとはこの道に沿って進めば、ヴェルナ村につきます」
「なるほど。逆に向かうとどうなるの?」
「特に何も。この道は昔から採取や催事で踏み固められてできただけですから。奥に進めば聖域からも離れますし、森を抜けて出る先は大きな崖と湖です」
「聖域?」
「ハル様がいた場所です。石畳があったでしょう。といっても、今はヴェルナ村でも信心深い人くらいしかわざわざ参拝にきたりしませんけどね。精霊祭でも村に祭壇をつくってそちらで済ませてますし。きっとハル様は、その石畳を正しい林道と勘違いされて迷われたんだと思います」
なるほど。あの場所にいる外部の人間となると、そのように見えるのか。
実際、たしかに自分はあの石畳を普通の道だと勘違いしていたし、もしイリスと出会わなかったら石畳が切れたところで途方に暮れて、さすがにアパートに戻っていただろう。
その後、1時間以上をかけて歩き山道が途切れて森を抜けると、開けた場所に出てすぐそばに小さな村が広がっていた。
土造りの家々が点在し、麦が揺れる畑の向こうには家畜小屋らしき粗末な建物がぽつんと立つ。遠くで鍛冶屋の槌音がトントンと響き、荷車を引く馬の蹄音や人々の掛け声が微かに風に混じる。空気は湿った土と草の匂いに満ち、陽光が木々の間から柔らかく漏れていた。
「剣と魔法の定番モノに出てくるいかにもな村みたいだな。その中から聞こえてくる鍛冶屋の音とか、映画みたいだ。うーん、テンション上がってきた!」
遥斗は感動に震えつつ、自分の服を見下ろして笑った。
Tシャツとジーンズがこの素朴な風景には明らかに浮いているが、彼にとってそんなことは些細なことだった。
「まぁ、この格好じゃ浮くよな。でもそれこそが異世界に来たって感じがするけど」
そんなことをニコニコとつぶやいていると、イリス・テルミナが隣で足を止め、遥斗を一瞥した。
「ここがヴェルナ村の外れです。ここで待っていてください。私は薬草を交易所に届けてきます」
彼女の声は淡々としているが、緑の瞳にはまだ警戒の色が残る。遥斗はもう慣れたと「了解!」とだけ答えて笑顔で手を振った。
「せっかく来たんだから楽しもう。どうせ1日くらいだし、今日中に帰れりゃ問題ないよな」
遥斗はそう呟いたが、エリドリアの1日が地球と同じ24時間だと思い込んでいる。
異世界に来たばかりでそんな確信はないのに、彼のポジティブさで無意識に「まぁそんなもんだろ」と結論づけていたのだ。
イリスが交易所へ向かい、遥斗は村の外れで待つことにした。
石畳の端に腰を下ろし、周囲を見回す。畑で農夫が鍬を振るい、家の軒先では女が洗濯物を干している。鍛冶屋からは煙が上がり、交易所の喧騒が微かに届く。遥斗のTシャツとジーンズに、村人たちの視線がちらちら集まった。ここでは珍しい衣装だからだろう。
彼はそんな視線を気にせずイリスが向かった建物の方を眺めていると、商人らしき一人が腰の小さな石を取り出し、指でつまむと一瞬青く光った。すると近くの荷物がふわりと浮き上がり、ハルトは目を丸くした。
「おおっ、魔法か!?魔法なのか!? やっぱり異世界ってすげぇな!」
と期待に胸が膨らんだが、今は近づく暇がない。
「おや、旅人かね? 」
そんなとき、70代くらいの老婆が洗濯籠を抱えて近づいてきた。皺だらけの顔に慎重な目つきが光る。
「森をその薄っぺらい服で歩いてきたのかい?」
と口元を歪めて笑う。
遥斗は立ち上がり、明るく答えた。
「薄着でもなんとかなるよ、婆ちゃん。名前なんていうの?」
「ふん、マレナで構わんよ」
と老婆はすぐに答えてきた。
冷たい態度の割に拒絶されているというほどでもない。
急に現れた異質な来訪者を歓迎はせずとも、会話で歩み寄ろうとする程度には受け入れているといったところだろうか。もちろん、警戒と危険な存在でないかを探っているのは当然なのだろうが。
そんなことを感じつつも、遥斗は「まぁ、なんとかなったし」と笑った。
「よそ者か」
今度は老婆とは違い少し重めの声が響く。見れば30代くらいの農夫と思しき男が鍬を肩に担いで通りかかっていた。
彼はヨルクと名乗り、遥斗を一瞥して無言で去る。
「ヨルクさん、よろしくな!」
と遥斗は手を振ったが、彼は振り返ることなく背中しか見えない。
「うーん、大人からは冷てぇな。まぁ、初対面じゃこんなもんでも十分か」
と、遥斗は肩をすくめる。
現代日本に住む遥斗にしてみれば、初対面の赤の他人なら無視で当然。自ら話しかけてくれてるだけでも十分に歩み寄ってくれていると思えるのだし、と。
その時、小さな足音が近づいてきた。
「ねぇ、その服、変だよ!」
8、9歳くらいの少年が、遥斗の前に立って無邪気に笑った。
薄茶色の髪がぼさぼさで、麻の服に泥が付いている。
遥斗は「よし、子供ならもう少し気楽に話せるかな」と期待に目を輝かせた。児童館などでバイトしたこともあり、彼は意外と子供好きなのだ。
「俺、遥斗。ハルトでも、ハルでもいいよ。君は?」
「トゥミルだよ! その袋も変!……これ何?」
「これか?これはなあ……」
さて、どうしようか。
ここでビニール袋の中のお菓子をあげて仲良くなろう作戦をしてもいいのだが、イリスと取引した直後だ。彼女に黙って『商品』を広めるのも不誠実かもしれない。
しばし考えると、遥斗は大げさに両手を広げ、ニヤリと笑った。
「これは俺の故郷のお話が詰まった袋なんだ。ここからたくさんの面白いお話を取り出せるんだぞ。例えばな、桃から生まれたヒーローがいてさ——この世界に桃ってあるか分からないけど——鬼をやっつけるために犬と猿と鳥を連れて、団子で仲間にしてさ」
剣を持ってバッタバッタと切る様子や、動物たちが暴れまくる様子を、腕を振り回しオーバーアクションで演じると、トゥミルは目を輝かせて笑った。
「すげぇ!もっと教えてよ!」
トゥミルが飛び跳ね、ハルトは「よし、次はな」と笑顔で髪をくしゃっと撫でた。
「普段はただのさえない男が、町で暴れるモンスターや怪人たちが現れると仮面をつけてヒーローに変身!バイク――馬がなくても走るかっこいい乗り物にのってブーンって飛んで、怪人たちをやっつけるんだ!」
バイクのポーズで飛び跳ねると、トゥミルは手を叩いて大喜び。
やはり特撮……!異世界であっても特撮ヒーローたちは少年の心をがっちりつかむのだ。
そこへ、イリスが交易所から戻ってきた。
「ねえねえハル兄ちゃん!ほかには!?ほかにはあるの!?」
彼女が遥斗を探して見れば、そこには話の続きをねだるトゥミルと優しい目でそれを見ている青年の姿。
笑い合う二人を見て彼女は驚きを隠せなかった。
トゥミルはこの村ではそこそこ有名なわんぱくキッズで、思ったことをすぐ口に出してしまうためよく大人から怒られている。
ところがまったく反省しないでそれを繰り返すため、子供相手に大人げないことはわかりつつも、大人たちからは面倒くさがられるお子様なのである。
そんなトゥミルは目を輝かせて遥斗になついており、遥斗もそれを楽しそうに相手をしているのは、彼女にとっては少しびっくりすることだった。
「子供に優しい人なのかもしれない」と内心感じ、警戒がわずかに緩ませる。
「次はそうだな――っと、イリスがきたか。悪いなトゥミル。続きはまた今度な」
「また来てくれるの?うん、絶対だよ!」
またねー、と大きく手を振るトゥミル。
またなー、とそれに返しながら、遥斗は改めてイリスに向き合った。
「ずいぶん、トゥミルになつかれてましたね」
「ああ、昔から結構子供を相手にしてたしな。扱い方は知ってるんだよ。……ま、俺自身が子供っぽいってこともあるんだろうけど。それで、交易所はどうだったんだ?」
「薬草が籠一つ分で、銅貨12枚ももらえました!」
小さな革袋を手に持ち、嬉しそうにそう話すイリスを、遥斗は笑顔で迎える。
銅貨12枚、というのがどの程度の価値があるのかは、遥斗にはわからない。
ただ、彼女の表情を見る限り、それはきっといい結果なのだろう。
「すげえ!やるじゃん、イリス!」
遥斗の明るい声に、イリスはなぜか心が軽くなる感覚を覚えた。彼の自由な物言いと、翻訳されて届いている言葉の不思議な響きが、役目を重んじる自分にはない何かを感じさせた。だが、表情には出さず、唇を軽く噛んで気持ちを抑え、淡々と続ける。
「ハル様、あのチョコナッツ棒……あれは今回は売りませんでした。あの数はお試し用にはなりますが、交易品としては少なすぎます。交易所にくる商人たちは旅のための干し肉やナッツは買っても、見たことない食べ物に手を出すか分からないですし」
「ああ、なるほど。知らない食べ物じゃ警戒するよな。味見してもらえばいいけど、今の量だとすぐなくなっちゃうし高くは買ってもらえないもんな」
「……! はい。そのとおりです」
イリスの説明を即座に理解した遥斗に、彼女は一瞬驚いた。「貴族じゃないと言ってたけど、教養ある人なのかも」と内心で思い、頷く。
「なので、一度村で売ってみましょう。まずは村の反応を見て、それから交易所にくる商人に見積もってもらうのはどうですか? また数日後にはこちらに来られるんですよね?」
遥斗は首をかしげ、バイトのシフトを頭で確認した。内心、「5日後なら確実かな。10日後も空いてるけど、まぁなんとかなるだろ」と楽観的に考える。
「数日後なら空いてる日があるよ。バイト次第でズレるかもしれないけど、まぁなんとかなるだろ。今日はもう戻らないとだけど、次に来たときはいろいろ持ってくる。イリス、その間に市場の様子調べたり、手続きが必要なら進めておいてくれる?」
イリスは小さく頷いた。