第28話:星枝と波花
ヴェルナ村の外れ、薬草の香りが漂う、とある工房。
イリスの住まいから十数歩、裏手に隣接する木造の小屋は、土壁が主流の村でひときわ目を引く。二十畳ほどの室内には、乾燥した薬草が吊るされた棚と、作業用の木製の机が整然と並ぶ。明かり取りの窓からは、紫がかった花が風に揺れ、淡い光を投げかけている。出入り口の麻布の幕が草の香りを閉じ込め、棚には干し花や謎めいた液体の瓶がずらりと並んでいた。
イリスが控えめに微笑み、柔らかな声で言った。
「ハル様、こちらはいかがでしょうか。皆を集めるとのことでしたので、作業ができるよう片づけておきました」
「ありがとう、マジで助かるよ。場所のこと、全然考えてなかったからさ」
遥斗はリュックを肩から下ろし、ドンと床に置いた。
「ここは私が薬草師として村から預かっている工房です。私の所有というより、村の共有物ですが……薬草の仕事がないときは、自由に使っていただいて構いませんよ」
工房にはイリスと村人たちが集まっていた。
来たのはマレナ含め4人で、何人かは前回の露店売りの時に見たことがあった。
「じゃ、早速始めるか。みんな、俺はハル。露店で飴を売ってたやつだよ。もうイリスから聞いてると思うけど、実は俺が故郷で売るための品物をこの村で作ってもらえないかと思って集まってもらったんだ。自己紹介と、どんなものを作ってるか教えてほしい」
マレナが魔女のような笑みを浮かべ、真っ先に口を開いた。
「ふん、裁縫ならこの婆に敵うもんはおらんぞ。昔は王都の店で針子をしてたんだからね」
「マレナさんの腕は確かです。専門の職人には及ばないかもしれませんが、村の服や精霊祭の衣装、網飾りも手がけています」
イリスの補足を詳しく聞くと、王都で針子をするのは婦女子にとって一種のステータスらしい。多くは大きなギルドや店の一員としてだが、個人で貴族に雇われることもあり、そうなれば平民出身でも尊敬される立場になるという。
この村の服装は、基本的にゆったりとしたシンプルなチュニックだ。
男性は大きめのズボンを腰紐で結び、革の肘当てや膝当てを着ける程度。女性はワンピース型が多く、ズボンを履かず、腰布を巻くことでスカートのように見える。イリスも普段はワンピースだが、森で薬草採取の際は動きやすいズボンを履いていた。おそらく作業に適した服装を選んだのだろう。
色合いは地味だが、腰紐や肩口、袖口のラインには彩りのある布が使われる。女性の服には小さな刺繍が施されることが多く、自分で刺すか、物々交換で得意な者に頼むのだという。
マレナのチュニックには、肩と袖に細やかな刺繍が施されている。麻布に彩りを添える赤と青の糸は、彼女の技術の証だ。
「へえ、すごいな。期待してるよ、マレナ婆さん」
「期待されてもねえ。こんな小さな村で作るものなんて、たかが知れてるけどね。でも、ちったあ気合が入ったものは作ってるつもりだよ」
そう言って、マレナの隣にいた三十代ほどの女性が笑った。
確か、露店で「旦那の晩酌代を削ってでも!」と言いながらクッキーを買ってくれた人だ。
「アタシはセメラ、木こりのボヤッタの妻さ。『木工』の『役目』を持ってる家なら、こういうのはよく作るよ」
「おおっ!?」
セメラが取り出したのは、木製の壁掛けと小さな箱。
だがそれは、遥斗が想像していた「村のお土産品」を超える、幻想的な工芸品だった。
壁掛けは30×20センチの薄板で、深みのある落ち着いた色合いの木材が使われている。
一見するとオーク材のようだが、どこか見覚えがある。
森をイメージしたのだろうか。透かし彫りの木々の枝が絡み合い、星と花が浮き彫りで施され、隙間から漏れる光は角度によって星や花が動くように見える。光を受けると木目が虹色に輝いた気さえした。
まるで精霊の物語がそこに刻まれているようだ。
小箱も素晴らしい。10×10×5センチの小さな箱で、木目が波のように流れている。完全な正方形ではなく、波状の四辺が特徴的だ。おそらく先ほどの壁掛けと同じ木材だろう。蓋には水蓮のような花弁が立体的に彩られ、光を当てると木目が虹色に輝いているように見え、花弁の中心部は特にそれを感じる。
表面の手触りは少し粗いが、磨けば宝石のようだ。
この輝き、最初はニスのようなものかとも思ったが、そのような下品な光沢ではない。
これは「そういう素材」なのだ。
「え、なにこれ。芸術品? 職人が作ったの?」
遥斗が声を上げると、セメラが笑った。
「あはははは、たいそうなもんじゃないよ。村に伝わる『星枝の壁飾り』と『波花の宝匣』さ。ヴェルナ村で木工の『役目』がある家なら、誰でも作るよ」
「ええ……これ、誰でも作れるようなものじゃないと思うんだけど。こっちじゃ売れないの?」
セメラが肩をすくめる。
「買うって、誰がさ?」
「え、誰って……貴族とか? あとは村のみんなに、他の村とかでも……」
「買うわけないよ。だってこれは精霊の森にいらっしゃるセリーモア様への奉納品だもの。使ってるのだって聖樹セリーモアの木材だし。この村じゃみんな家に一つはあるよ。他の村じゃ別の精霊様を祀ってるだろうし、貴族は都の職人に流行りの意匠を彫ってもらうんじゃない? たまに精霊について調べてる学者さんや、いろんな奉納品を集めてる好事家くらいしか買わないよ」
「ふん、都や貴族の連中は精霊様のありがたさを忘れちまってるのさ」
マレナが不満げに口を出した。どうやら、貴族の精霊に対する扱いにはあまりよく思っていないようだ。
「ええ……そうなんだ。こういうのに興味がない俺でも欲しくなるくらいなのに」
「ハルさんは気に入ってくれたみたいで嬉しいね。こんなんだけど、買い取ってくれるのかい?」
「ちょっと待って、考えさせて」
考え込むふりをして、口元を手で押さえながらシアに尋ねる。
(なあ、シア。話聞いてたよな。これ、日本でどれくらいで売れると思う?)
"ルト様。私は現在彼女たちの言葉がわかりません。この品物がルト様の星でどのくらいで売れるか、ということですか?"
(あ、そういえばお前ポンコツ中だった。どう思う? 実際、俺これ日本で売ってたら欲しいわ。実際の話、セットで1万円くらいなら頑張れるけど、それじゃ買えなそう。)
"ポンコツ違います。できるデバイスです。現在は通信が行えないため、地球で収集した情報のみで推測します。高級木材を使った類似商品で推測すると、壁掛けは1万5000~3万5000円、箱は5千円~1万円が相場です。ただし、フリマアプリなどではその10%以下でも売れない可能性があります"
だいぶ高く売れそうだ。ただ、これは流通しているものを想定した価格だろう。どこの誰がだしたかわかない、何の木とも明示できない無名の品を、突然売り出して売れるものではない。シアの言う通り、モルカリだと1000円で売れたら御の字かもしれない。
"オークションやマーケティング次第ではその5倍でも売れる可能性を提案します。このような商品は人間が神秘性を感じるというデータがあります"
そうか、スピリチュアルなものとして売る手がある。詐欺商品ではなく、異国の小さな地域の祭りで精霊に祈りを捧げるための手作り工芸品として売り出せば、欲しがる人はいるだろう。そこらの怪しげな商品と違い、クオリティで考えればとてつもなくハイクオリティであるし。
だが、それは日本での話だ。村人たちは一体いくらで売ってくれるのか。
「セメラさん。俺はこれを買いたいと思う。売れると思うし、というか自分でも欲しいし。いくらくらいで譲ってくれる? 普段はいくらで売ってる?」
セメラが首をかしげる。
「んー、村の者に渡すときは、代わりに畑の野菜をもらったり、薪を運ぶのを手伝ってもらうくらい。好事家がセットで銅貨20枚くれたことがあったから、そのくらいだったらすごい嬉しいかな」
「20枚!?」
遥斗は絶句した。イリスが薬草師として1日に多くて銅貨10枚と言っていた。彼女の一日の労働成果が小さい、というわけではないが、この品物の価値を考えれば安すぎる。
「あっはは、なんて、そりゃもらい過ぎか。もともと木材のあまりで作ってるし、15枚もくれればいいよ。……で、できればおまけに、あのくっきぃ?とかいうので1つもらえちゃってもうれしいかなーって」
驚いていたらなぜか値下がりした。
ただ銅貨5枚分でクッキーをご所望らしい。
まあ確かに前回クッキーは4枚で銅貨5枚で売ったが、元値は100円もしない。
というかそもそもハルトには銅貨は日本で使えない以上、レート的には1銅貨=1飴玉ちゃん=10円である
つまり、銅貨20枚で200円程度で買えることになる。搾取を通り越して、申し訳ない気持ちになってきた。
とはいえ、セメラは期待に満ちた目で「チラッ、チラッ」と見てくる。
遥斗が罪悪感で頭を抱えているのを見て、「悩んでる!もしかしたらうまくいきそう!」と思ったらしい。 うまくいきそうどころではないのだが。
「えっと……パンが一食で銅貨2枚くらいって聞いたけど、それでやってけるの?」
「そう言われてもねえ……それは町で『買う』場合でしょ? 普段は自分で粉を焼いてるし、芋や野菜もある。村の中じゃ『役目』で手に入れたものを交換したり、仕事を手伝ったりしてる。子供が生まれたときとか必要なものが出るから銅貨は貯めるけど、使うこと自体が少ないんだよね」
周りの村人も、うんうんと頷く。
「どうしても必要なものがあれば、村でまとめて買って渡すからね。それ以外は銅貨を貯めて交易所に保管してあるのとか、交易商人から買うしかないけど」
「私は薬草師が『役目』なので、薬草が取れない時期や調合がないときは、皆の畑を手伝って糧を分けてもらっています」
とマレナとイリスも同意した。
だいたい分かった。
この村は一通りのことが村内で完結しているのだ。
おそらく『役目』は文字通り村でそれぞれの役割を担う人たちなのだ。
皆が農業をしつつ、狩人、木こり、鍛冶師など必要な仕事を得意な人に分担しているのだろう。
イリスの薬草師という『役目』は、工房を任されていることからも特別な位置づけかもしれない。だからこそ、露店で最初に冷たくされたのも納得だ。村の重要な役割を担う女性に、怪しいよそ者の男が関係ないことを手伝わせていたら、「なんだコイツ」と思うのも無理はない。むしろよく怒鳴られなかったものだ。
銅貨還元を考えてよかった。
遥斗は考えをまとめる。
「セメラさん。今すぐだと、どのくらい在庫がある? あと、作るのにどれくらいかかる?」
「余ってるのは壁飾り2枚、宝匣が4個かな。1から作るなら1~2日で1セット作れるよ。箱だけなら半日くらい。ただ、畑もあるし、空いてる時に作ると5日に1セットがいいとこかな。まとめて作るなら、もう少し短くできるけど」
遥斗は決断する。
「壁飾りを銅貨15枚、箱を10枚で、1セット銅貨25枚で今ある分を全部買い取ります。俺は10日後くらいでまた来るので、そのときまでに3セットくらい作っておいてもらえますか。『役目』に支障が出ない範囲で、できるだけでいいので」
イリスから預かった銅貨袋から145枚を数えて机に積み、クッキー3パックを添える。
「ぴっ!」
セメラが目の前の銅貨に、ヒヨコのような短い悲鳴を上げた。
工房の村人たちも息を吞んでいる。
驚いていないのは、眉を上げたマレナと、よく分かっていない様子の子供たちだけだ。
「5セット分で125枚、箱2つで20枚、合わせて145枚です。クッキーは急なお願いの手数料と思ってください」
「こ、こんなに!? あたし、すぐ計算できないんだけど、多すぎない!?」
「25×5で125枚、10×2で20枚、足して145枚だから合ってますよ」
セメラは理解できない様子でイリスに助けを求める。
「えと、25、50、75……」
イリスも慌てて指を折って数える。計算はできると言っても、慣れていないようだ。
「……合ってるよ、間違いないね」
黙っていたマレナが呟く。彼女は頭の中で計算できたらしい。
前から感じていたが、ずいぶんと多芸な婆さんだと感心する。
「ほ、ほんとにこんなに?」
「はい。ただ、できれば他の家にも声をかけて手分けして作ってもらえませんか。そうすれば手間も減りますよね。もし畑があるなら、このお金で村の人に手伝ってもらうのはどうでしょう」
セメラが困惑する。
「そりゃ助かるけど……なんでわざわざ?」
「お金を一気に集めすぎちゃったので、村に還元しないとなんですよね……予想より貨幣経済が回ってなかったし」
そう言われても、セメラには遥斗の言い示すことの意味が理解できない。
ただ、遥斗の言葉に、マレナだけがピクッと眉を上げたが黙ったままだ。
遥斗はそれに気づかずセメラを見ると、彼女は銅貨の山を見つめながらまだ呆然としていた。
大丈夫かな、と思いながら、遥斗は次の村人に目を移す。そこには二十代後半の女性がいた。眠そうな目が印象的な女性だ。
「あなたのお名前は? 何を持ってきてくれたんですか?」
「……え、あ、私?」
彼女も銅貨の山に呆然としていて、遥斗の声が届いていなかったようだが、少し間を置いて慌てて反応する。
「はい、お願いします」
「えっと……私はリーリー。『役目』は特にないけど、魔力持ちだったから、昔、王都で魔術師を目指したんだけど……結局、才能なくて出戻りして農家の主婦してる。魔術は使えないけど、魔術刻印ならできるよ。布に刺繍したり、小物に入れたり、呪い除けの護符なら今でも作れる」
「魔術刻印!?」
とんでもないキーワードに、遥斗のロマン回路が唸りを上げた。
ぎゅるるるるるん!




